智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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第四話 魔術王と幻想女王 Ⅳ

 シバの女王マーキダがイスラエル王国にやって来てからいよいよ二か月余り、あと二、三日も経てばイスラエル王国より出立し故国へと帰還するという段階にまでやって来た。それ故にエルサレムの民たちは女王の送別式ともいえる事柄に大忙しであり、またシバ王国側も段々と帰還に向けた準備で忙しくなっていた。

 もちろんこれらの事にはソロモン並びにマーキダもまた関わっており、連日指示を出したり予定を取り決めたりと忙しくなってくる。そうなれば互いだけの秘密としている”心に関する講義”の時間が取れなくなってしまう。

 

「ああ、どうしようどうしよう……こういう時に何かいい知恵思い付いてよ私……!」

 

 故に、マーキダは非常に焦っているのだった。

 

 場所は変わらずマーキダに与えられた客室。品の良い部屋の大机に二人して向かい合う。

 

「何をそう焦る必要がある。これまで通り、あらゆる手を試してみればいいじゃないか」

 

「それはそうですけどね……時間が無いんですよ本当に。そもそもなんでとうの本人がそんなに他人事みたいな態度なんですか。これを逃せば心を知らないまま終わる可能性が出て来てしまうのに」

 

「それこそ焦る必要は無い。元から私には心といった機能が備わっていないのだから、例え君が失敗したとしても大した痛手には感じないさ」

 

 事実、ソロモンはここまで来てもなお変わらなかった。いや、それでも多少は変わったのかもしれないが、少なくとも表面上は何一つ変化が無い。さすがのマーキダもこれはマズイと焦っているのだが、そういう時に限って良い知恵は浮かばない。実に八方塞がりであり、その顔はいっそ悲痛ですらあった。

 

「痛手には感じないなんて、そのような悲しい事を言わないでください。このまま行けば貴方は人並の幸福すら得ることなく死ぬのですよ? それではあまりに哀れでなりません。人は、心あってのものなのですから」

 

「……難しい命題だ。人に心が無ければならないというなら、では私は何だ? 確かに私は心を解さぬ非人間、客観的に見てそうだという自覚はある。しかし私は間違いなく種別として人でもある。この差は一体奈辺にあるというのだ」

 

「差などありませんよ、間違いなく。私が断言しますが、貴方は人間です。ただ、人らしい事を何一つ出来なかっただけのこと。それさえどうにか出来れば誰に恥じることもない人間ですとも」

 

 まただ。またもやマーキダはソロモンは人間だと言う。しかしその言葉にはただの酔狂でも気休めでもない、奇妙な説得力があった。まるで()()()()()()()()()()()()()()()口ぶりだ。

 

「もしや経験があるのかい、そういったことに?」

 

「まあ、貴方とはあまりに度合いが違いますが似たようなことは。私はもともと親に先立たれまして、おそらく四歳くらいから孤児でした。運よく私には戦う才能と知恵が有って、そのおかげでどうにか山中で生き延び育つことは出来たのですが、しかし長らく人の営みから外れて生きていたせいで情緒も弱く、はっきり言って不格好な人間となっていました」

 

 人々の中ではなく野生に生き、厳しい時間を過ごした。何度も痛い目に遭って、死に掛けたりもした。それは何と言う壮絶な経験だろう。それでも、彼女には転機があったのだ。機会があったのだ。

 

「おそらく十歳くらいのある日、私はアクスムの心ある方に拾われました。それ以降は人々の暮らしの中で過ごしたのですが、そこでようやく私は人らしい情緒を得ることができたのです。そして感銘を受けました。”心とは何と不思議で、素晴らしいものなのだ”と。そのための勉学も苦ではありませんでしたし、とりわけ愛についての数多の話は私の心を豊かにしてくれました。だからこそ、最初の知恵比べで賢者たる貴方にも訊ねてみたかった」

 

 ”まあ結局はダメでしたが”、そう苦笑するマーキダに、ソロモンは何も言葉を返せなかった。確かに程度は違うだろう。彼女は生まれた時から王として定められたわけでもないし、心ある人間に拾われ呆気なく人となった。しかしそれでも、()非人間が言う言葉にどうしようもなく思う所があった。共感という機能が初めからないソロモンをして、それなりに感じるものがある。

 

 ――それはもしかしたら、同族意識なのだろうか。

 

「だから、貴方は絶対に人間です。人間になれるのです。私はそれを誰よりも知っています。諦めません、最後の一秒まで貴方を人間にする努力を続けます。それが、唯一私が貴方の先達に成れる事だから。先を行く者としての責任です」

 

「なるほど、よく分かった。うん、それなら君が私の真実に気づいた理由も納得できる。これ以上ない程にだ」

 

「あ、いや、別にこれだけが理由でもなくてですね……」

 

 どんどん尻すぼみになるマーキダの声。しかも顔が湯だったように赤くなる。

 

「と、とにかく! こうなったらなりふり構ってはいられません! まずは基本に立ち返りましょう。笑顔は何より原始的で、かつ基本です。こればっかりは私も最初から備えていましたとも。はい、笑って笑ってー!」

 

 伸ばされた指がソロモンの口角を捕らえ、強引に吊り上げる。そして半ば強制的に笑みを浮かべさせたところで指が離れ、彼女の方へと戻って行く。そしてマーキダと言えば、何故だかその笑みが引き攣っていた。

 

「け、けっこう口開きますね……なんというか禍々し――い、いえっ、なんでもありません、十分素敵ですとも。そうですソロモン王、その笑みを忘れなければまずは人間への第一歩です。絶対に忘れないでくださいよ」

 

「まぁ、善処しよう。この顔の形だな」

 

「や、やっぱりもう少しだけ控えめでも良いかもしれません。きっと妃方たちが怯えてしまいますので」

 

「いや、結局どっちなんだい」

 

「あ、その顔ですその顔です。今のは結構自然な笑いでした」

 

 そうして、和やかな時間が過ぎていく。片や人間となった幻想女王、片や非人間の魔術王。しかし彼らは間違いなく、今この時を享受できていた。

 と、しばらく時間が経過したところでマーキダが懐から一本の小瓶を取り出した。それは前にお忍びでやって来たダビデ王より預かった物、”時間が無くなりどうしようもなくなった時に扱え”と言われた液体であった。

 

「それは?」

 

「とある人間の屑様から預かったものでして。詳細は不明ですが、なんでも二人きりの時にこれを私が飲めば、貴方の心を動かせるかもしれないと」

 

「……そのようなものが存在するとは思えないが」

 

「同感です。しかし今の私は一縷の望みにも縋りたいのです。もう時間がない以上、いい加減これの使い時でしょう」

 

 そういったマーキダは何の躊躇いもなく小瓶の中身を飲み干した。珍しくソロモンも次に何が起きるのか見物していたが、しかしいっこうに何も起こらない。ただ気まずい沈黙が両者の間に横たわる。こうなればいっそ千里眼で未来を見てみるか、ソロモンがそう考えたところでようやくマーキダが反応を示した。

 

「あのー……やけに体が熱いのですが、これはお酒なのでしょうか? いやでも私は結構お酒には強い体質のはずなのに……」

 

「――その薬、私の父から貰った物か」

 

「あ、はいそうです。規格外の千里眼の前に隠し事は出来ませんね」

 

 素直に称賛するマーキダだが、さすがにソロモンは例の小瓶の中身の見当がついた。一応は愛多き王と呼ばれる身、数百人の妃に妾が居るというのは伊達ではない。悲しいかな、愛は一切ないのだが。

 

「間違いない、おそらくそれは性的興奮を昂らせて行為を円滑に進めるための――」

 

「いやちょっと待ってください真面目な顔で解説とかこっちが恥ずかしいですから!」

 

「そうか? 恥ずかしいと言われても全くそう思えないが」

 

「こんなところで非人間芸されても困りますよ……」

 

 呆れたように嘆息する彼女だが、既にその顔は紅潮している。一瓶丸々飲み干したのだから、薬の回りも当然早いのだろう。あるいはあのダビデ王の事だから、余程強力な物を持ってきたのか。どちらかと言えば後者の方が可能性は高い。

 しかし今は目の前の女性の事だろう。哀れにも男の前で飲み干してしまった訳だが、幸いにしてソロモンはそういったことで我を忘れる程人間を()()()()()()。すぐにでも解毒薬を持ってくれば終わりだろう。

 

 ただ、

 

「こうなれば、この状態を解決するために貴方のお知恵をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか……?」

 

 逆に声を掛けられてしまえばどうしようもなかった。

 

 ◇

 

 とうとうシバからの賓客たちが帰還する日がやって来た。イスラエル王国の首都エルサレムのやや郊外にはシバからやって来た大勢の家臣たちが、ソロモン王より授けられた色とりどりの財宝と共に粛々と待機している。彼らの大部分はラクダや魔術的な荷車を用いた徒歩の者だが、その背後には銀に輝く巨大な舟が一隻鎮座している。いつか竜退治にも用いたこの舟は、今度こそ女王の足としての本懐を果たすことだろう。

 エルサレムの民も興味と惜別の念の入り混じった様子で見学に来ており、遠巻きに見つめている。そんな彼らの前にはソロモン王を先頭にしたイスラエル王国の重鎮たちが立っており、最後の別れを女王に告げていた。

 

「では今日でお別れだ。君たちの来訪は中々興味深いし愉快だった。礼を言おう、そしてまた何時でも来るが良い」

 

「こちらこそ、大変有意義かつ素晴らしい時間でした。我らシバの民にとって、このイスラエル王国は永久に盟友として記憶されることでしょう。我々はあなた方をいつだって歓迎いたします」

 

 互いに微笑みながら美辞麗句を並べていく。しかしそこには本心が無い。いや、マーキダは本気で言っている。だがソロモンは対外用の言葉を話すのみ、二人きりの時の様な本音は断じて漏らしていない。これもまた良き王と一般には知られるソロモン王の技術なのだろう。

 女王の方は未だに痛みの残滓が残る体を誤魔化し鞭打ちながら、そしてソロモンの方は文字通り心にもない言葉を並べる。その姿はある意味異様でもあった。

 

「あの、最後に一つよろしいでしょうか?」

 

「構わないよ。未だ私の出した約束は続いている」

 

「では一つだけ。こちらに耳を御貸しいただけますか?」

 

 ソロモンはマーキダに近づき、背を曲げて耳を口元に近づけた。

 

「これまでの事を、本心から楽しかったとお思いですか? 貴方は今、どう感じていますか?」

 

 いきなり核心に触れる言葉にも、ソロモンは動じない。ただ普段通り、泰然とした態度だ。

 

「別段、何も――と言いたいところだが……何故だろうか、少しばかり知らない感覚が混じっている。これをなんと形容すればよいかは分からないが、ああ、悪い気はしないとも」

 

「ふふ、そうですか。ならば貴方は一歩人間に近づきました。どうやら今の私ではこれが限度のようですが、それでも貴方にとっては大きな一歩です」

 

 確かに態度はいつも通り、けれど答えの内容がほんの僅か、されど致命的に違っていた。それはもしかしたらあり得るかもしれない、感情の萌芽なのか。現時点ではほぼほぼ非人間のままなのは間違いないが、それでもこれまでとは明らかに異なるあり方だ。

 

「それはきっと、楽しかったと形容するのですよ。そしてその気持ちを忘れないでください。たぶん、世界には貴方の知らないこともたくさんあるでしょう。千里眼だけじゃ決して見えないものが。そういった事物を目にした時に、今の気持ちを思い出してください」

 

「私にそれが出来るのならば」

 

「出来ますとも、大丈夫ですよ。そしてそうですね、その時こそ私は貴方に言いたいことがあります。きっとその時が来ると信じていますから」

 

 囁くように、祈るように紡がれるその言葉を以て、最後の二人きりの会話は幕を下ろした。魔術王はイスラエル側に立ち、幻想女王は銀舟へと乗り込む。たった二ヶ月、けれどどこまでも濃密だった一時は終わりを告げる。

 

「それではイスラエル王国の皆さま、暖かい歓迎をありがとうございました。あなた方にありとあらゆる祝福があらんことを!」

 

 そうして、魔術王ソロモンと幻想女王マーキダの道は分かたれた。風を起こし浮かびあがる銀の舟を見つめるソロモンの瞳には、一体何が映っていたのだろうか。

 

 ◇

 

 こうしてシバの女王は無事に自らの王国に帰還し、その後に一人の男の子を出産したとされる。この長子こそが後に三千年もの長い間存続した大帝国たるアクスム王国を打ち建てた、かのメネリク一世とされる。彼の父親は偉大なる賢者ソロモン王ともされており、また伝承においては彼の下に赴き『契約の箱(アーク)』をアクスムにまで運んできたとすら語られる。その他多数のユダヤ人を帝国に招き善政を敷いた彼は賢君として名高い。

 反して、彼の母親であるシバの女王の伝承は極端に少ない。かの時代に於いてどのように国を治めたか、どのように生きたのか、どのような思いを抱いていたのか、確証のある物語は殆ど残っていない。彼女はただ唐突に、シバ王国の歴史ごと世界からその姿を消した。故にシバ王国は一代にして名を変え、アクスム王国と名を改める。

 

 果たしてこの時何が起きたのか、それを語る資料は何一つない。一説にはソロモン王もまた事態に気づいたが、彼は何一つ語ることなくこの世を去ったとされている。彼すらも見通せぬ何かが起きたのか、それとも()()()()()()()()()()()()()()()()()のか。理由は定かではないが、一つだけ言えるのは、この両者は二度と再び会いまみえることは無かったという事だけだ。




そういう訳で、ちょっと急ですが生前編はお終いです。一応最後に仄めかされたことについてはちゃんとFateらしく考えてはいるのですが、それを書こうとすると数話ほど完全オリキャラ祭りのFate擬き小説となるので今はカットです。ただでさえ怪しいのにこれ以上はちょっとという感じですね。あとちょぴっと出て来た息子についてはほぼ話に出ません、たぶん。

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