番外編 あの日の続き
ソロモン王の消失と共に消えたはずのロマニ・アーキマン。そんな彼がシバの女王に手を引かれ、どこまでも気まずそうな面持ちで祝勝会に沸き立つ食堂へ現れた時は、職員たちどころか英霊達すら度肝を抜かれたものだ。
「ど、ドクター!? なぜここに……!?」
「馬鹿な、死んだはずじゃなかったのか……!?」
「いや、あれは全てトリックだった……?」
「ビーストすら巻き込んだトリックとか前代未聞すぎませんかね……?」
酒の勢いもあったのだろう。口々にふざけたような言葉を口にする職員たちに、さしものロマンも苦笑いを隠せなかった。あれだけ大見栄を切って特攻をしかけたというのに、その日のうちにしれっとカルデアに戻ってきてしまったのだ。これはきっと、気の詰まる毎日でネタと冗談に飢えていた職員たちのカモにされると予想していた。
だけどそれは、結局考えすぎでもあったわけで。
「色々と言ってやりたいことはあるけど、まずはこれを言わなきゃ始まらない。そうだろう?」
「ええ、そうですね。理屈も理由も知らないけど、ドクターは帰ってきたんだ。なら言うべきことはこれしかないでしょ」
ダ・ヴィンチちゃんの一声を聞いた立香が頷いた。既に夜も遅く、そろそろお暇しようとしたところであったのだが、こうなってはそれどころではない。もっとやるべきことが出来たからだ。
そんな立香の言葉に絆されるように、ふざけていた職員たちも一斉に神妙な顔つきとなった。互いに顔を見合わせ頷いてから、ロマンの方へと向き直る。
場の空気が妙に張り詰めた。それを受けて立香がやや緊張した面持ちで、だけど声音には隠し切れない喜びを滲ませながら音頭を取った。
「えーと、それでは、ドクターに向けてまずは一言──カルデアに戻ってきてくれてありがとう! お帰り!」
『お帰り、ロマニ・アーキマン!』
「みんな……!」
掛けられた祝いの言葉に、ロマンは言葉を失ってしまう。陳腐な言葉ではあるかもしれない。だけどだからこそ想いはこれ以上なく伝わってきて、誰もが自分を歓迎しているのだと分かってしまう。
それがどうにも気恥ずかしくて、だけども嬉しくて、彼は誤魔化すようにダ・ヴィンチちゃんを見た。カレは、ただ頷いた。それから、ロマンをこの場に呼び戻した立役者でもあるマーキダを見た。彼女は、泣き笑いながら微笑んでくれていた。
そこまでが、彼の限界であったのだ。
「……ありがとう……!」
自分の紡いだ感謝は、ちゃんと言葉として成立していただろうか。そればかりが心配だった。だって、彼もまた零れ出る涙を抑える事なんて出来そうもなかったのだから。
◇
そんな感動的な再会から二日ほど。
既にDr.ロマニはカルデア指令代理として、馬車馬のごとく働かされていたのである。
「いくら何でもこの扱いは酷すぎないかい……!? これじゃ人理修復をしていた頃と何一つ変わらないじゃないか!」
山積みにされた電子書類のファイル群を前に、ロマンはついに吼えた。そこには先日の感動的な再会の余韻など欠片も感じられない。ただただ仕事に行き詰った青年の末路がそこにはあった。
だってそうだろう。せっかく人理修復も終わって一息つけるかと思いきや、むしろ仕事が山積みにされたのである。やっとの想いで二〇一七年を取り返したというのに、これじゃ近い内に過労死するのではないかと思わんばかりだ。
「まあまあドクター。そうも怒ってはいけませんよ? これも貴方の仕事内容が信用されているからこそです。むしろ誇りに思いましょうよ」
「とは言ってもねぇ……」
穏やかな調子でロマンを窘めたのは、ちょうど彼の私室に入ってきたマーキダであった。手にはお茶とお茶請けの乗ったお盆がある。どうやら、差し入れを持ってきてくれたらしい。女性からのこのような細やかな気遣いは、いわゆる『リア充』になれた者の特権だろう。こんな自分には絶対に縁がないと思っていたのに、いつの間にかあの”シバの女王”をゲットしていたのだから恐れ多い話である。
机の上に載せられたお茶をありがたく啜っている内に、マーキダは後ろのベッドに腰かけていた。文句を言いつつもしっかりと働いてしまうロマンが、ちゃんと休憩を取っているのか見張っているのだろう。それがなんとも嬉しくて、つい彼は愚痴をこぼしてしまう。
「魔術協会からは空白の一年間についての資料提出を命じられたし、カルデアとしても必要な報告書をしたためなきゃいけない。他にも各地に点在するカルデア所有の施設へ事情を説明して、これからの金銭勘定もしたりしないとだし課題は山積みだよ……ほんと、ボクのこと殺す気なんじゃないかな? いや、これじゃいっそ殺してくれってくらいさ」
「……ドークーター?」
「いや、ははは、冗談だよ。君がこの世界に残ってる限りは、死んでも死にきれないからね」
──文字通り色んな意味で。不満そうに口を尖らせたマーキダを前にして、口には出さずそう付け足した。
あの祝勝会の後の話である。ロマンは早速ダ・ヴィンチちゃんに連れ出されて、諸々の検査を受ける羽目になってしまった。もちろん彼を”召喚”した当人であるマーキダも一緒にだ。
それで判明したのは、今やロマンとマーキダは運命共同体という事である。もっと正確に言えば、マーキダからロマンに一方通行ではあるのだが。
この理由というのも、確かに座からすら消滅したはずのロマン──正確にはソロモンだが──がこの世に存在しているのは、マーキダの所有する『
そういう訳だから、今のロマンはマーキダの召喚術によって呼び出された存在という扱いになる。それでも肉体自体は人間と変わりないから、三大欲求は存在するわ疲労もするわで利点など全くない。贅沢にもちょっと損した気分になってしまうのは、人間としての適応力がなせる技だろうか。
ともあれ、ロマンの存在がマーキダに依存する以上は死んだところで再び呼び戻されるのがオチである。逆にマーキダがこの世から消失してしまえば連鎖的にロマンも消え去ることになるだろうが、そのような事態はそうそう起きる事ではないだろう。なにせ彼女は魔術王と同じ時代の人間、現代の魔術師が敵う道理など何一つないのだから。
「それにほら、約束だってあるからね」
マーキダには聞こえないように呟いて、自分の意志を再確認した。こちらに戻ってこれてからすぐに、彼は誓ったのだ。今度は、自分が彼女に愛を教えてみせると。
こうして献身的に支えてくれるマーキダではあるが、実はそこに愛情はないのだ。いや、これだけだと冷めた関係に聞こえるかもしれないが、それは違うのだ。互いに真実相手を慮っているはずなのに、マーキダの方は心がそうと認識してくれていないのだから。
その理由は非常に単純で、『呪魔の剣』改め『
こんな代物をマーキダは最後の最後に使用したのだ。冠位時間神殿ソロモンで、
だからこそ、今度は自分の番だと思ったのだ。かつては自らが心を教えると言われ、彼女はあらゆる手を尽くした。例え徒労に終わろうとそれで構わないと、確かに笑いかけてくれたのだ。
ならば、自分もまたそれを見習うまで。どれだけの時間をかけようと、彼女がその大切な
ただ、しいて不満というか、腑に落ちないことがあると言うのなら──
「ね、ドクター?」
「おや、どうしたんだい?」
「いいえ、ふふっ、ただ呼んでみたかっただけです」
「そ、そうかい……?」
これである。頬を上気させて意味もなく名前を呼んでくる様は、「君本当に恋心失ったんだよね?」と聞きたくなってしょうがない。実は構ってほしくて嘘を吐いているのではないかと、昨夜は割と本気で悩んだものである。
まあそれも、たぶん彼女なりの努力ではあるのだろう。失ったものを取り戻すべく、少しでもかつての自分を再現しているに違いない。……ここまで露骨だったかといえば、間違いなく否だが。まだ人理修復が終わってから二日足らずというのに、もう彼女の箍が外れてきているのは気のせいではないだろう。
それ自体は嬉しく思う。形はどうあれ、一人の女性にこうまで強く思われて悪く想うはずもないのだから。
「これからのボクらはもっと忙しくなるだろう。魔術協会とのしがらみもそうだし、カルデアを運営していく上でこなさなきゃならないことだって山積みだ。国連の相手や、立香君やマシュの今後だって上手い事取り計らわないといけない。きっと君にとっては面白くない毎日の連続になるはずだ」
だからせめて謝罪させてくれ──そう続けようとしたロマンは、それ以上言葉にすることが出来なかった。
いつの間にか、すぐ近くにマーキダはいた。白魚のように細い人差し指が、ロマンの唇に押し当てられる。それはゆっくりと唇をなぞってから、名残惜し気に離れていった。
「貴方の言いたいことは分かりますよ。だけど、私に不満なんて無いのですよ。いつか言ったことでしょう? 私は、こうしてお話しているだけで楽しいのです。貴方と共にいるだけで、とても嬉しいのです。例え私がどのようになろうとも、この気持ちに嘘偽りなど有りません」
力強い言葉だった。勇気づけられる一言だった。そうだ、何も惚れた弱みを持っているのはロマンだけの話ではない。マーキダもまた、惚れていた弱みを持っているのだ。そして彼女は、仮初のはずの
なんともはや、強い心だ。普通ならばその時点で折れていてもおかしくないのに。きっぱりと諦めたりせず、むしろいつまでだって喰らいついて見せるのは、彼女だけの我慢強さといえるだろう。
「なら今は、君の厚意に甘えさせてもらうよ。ああは約束したけど、まだまだ時間はかかりそうだからね。本当に、元はといえばボクのせいなのに情けないばかりさ」
「そんなこと気にはしませんよ。だって貴方は三千年かけたって教えてくれると言ってくれたのですから。あんなことを言われて落ちない私じゃありません」
「そこ、そんなに自慢げに言う事なのかなぁ……?」
「いいんですよーだ」
女王としての威厳をかなぐり捨てた調子には、どうにも苦笑してしまうばかりだ。けれどそれは決して品がない訳ではなく、むしろ可愛らしく映るのだから是非もない。
なのだが、マーキダは不意に黙り込んでから、「そうですね、ならば……」と呟いた。
「もし貴方が私に負い目を感じてしまっているというなら、少しばかり問いを投げかけてもよろしいでしょうか。ええ、そんなに難しいものではないですから、そんな渋い顔をなさらないでください」
そんな顔をしていただろうか? 反射的に顔をムニムニと触ってしまって、マーキダがコロコロと笑った。どうやら、ちょっと間抜けなロマンの様子が愉快であったらしい。
コホン、一つ咳ばらいをすれば、マーキダは笑みを収めた。それからいつになく真面目な表情になると、三つの指を立てたのだ。
「三つです。これから私は、貴方に三つの質問をします。これに応えてくださればそれで結構です」
「……わかった、受けて立とうじゃないか」
「そう堅苦しくならないでくださいな。大丈夫、貴方ならきっと答えは分かりますよ」
静謐な空気が場を満たす。張り詰めた糸のような緊張感は、かつても味わったことがある感触だ。
かくして、伝承に謳われるシバの女王の謎掛けがここに始まったのである。
「まず一つ目と参りましょう。地から湧くでも、天から降るでもない雨はなんでございましょうか?」
「えーっと……そう、それは汗だったはず。どんな生物でも、自分の代謝を司る汗は大切だからね。よし、次の問いだ」
「それでは二つ目、彼はあらゆる全てを破壊します。人も、心も、土地も、建物も、星々すら喰らう魔性の存在。しかし彼は見えず、万物は彼に囚われ、また彼を追い越せない」
「それは時間だね。七つの特異点を巡る中で学んだ通り、時間とは有限で平等なものだ。これを上手く扱えてこそ、成功を手にすることができるのだろうね」
「お見事でございます」
このやり取りも、どこか懐かしい。思えば、ソロモン王とシバの女王の知恵比べを夢見たのは人理修復の始まったあの日だった。なんとも不思議な因果だ、まるで定められた運命のよう。
そして、彼女が意図的にかつての謎掛けをなぞらえているのも理解している。ここまでは前座だ、幸いにして答えは覚えていたが、これらはまったく重要などではない。
肝心なのは、最後の問いなのだから。
「では、これが最後の問いです。ロマニ・アーキマン、貴方の思う愛とは何でしょうか?」
そうだろう。最後はこの問いだと分かっていた。かつての
「答えよう。愛とは、あらゆる想いの積み重ねである。生と死を繰り返す人間たちは、その刹那に様々な感情を育ませ、想いを交わし合う。その中で最も美しいのが愛情だ。複雑な情念が重なり、絡み合い、一つの大きな物語を生み出す。きっとそれこそ、愛と呼べるものだろう」
緊張しつつも、自身の探し出した答えを提示した。これこそは人間として多くの感情を学び、成長した一人の男の総決算に他ならないのだ。
「──素晴らしい答えです。感服いたしましたよ、ロマニ・アーキマン」
果たして、シバの女王はこの答えを気に入ってくれたらしい。
その嬉しそうな笑みを見て、ホッと胸を撫でおろす。今度こそ、自分は彼女の問いに答えきることが出来たのだ。それが思っていた以上に喜ばしくて、自然とロマンの表情も緩んでしまう。
「かつて、ソロモン王が答えに詰まってしまった時、実を言えば内心でがっかりしてしまったものです。音にきく賢者といえども、このような曖昧なものには答えを用意できないのかと。仕方のない事だとは思います、けれどどうしようもなく残念だったのも確かなのです」
ここにきて明かされた衝撃の真実に、開いた口が塞がらないロマンである。
ですが、とロマンの様子を見て困ったようにはにかんだ彼女は続けた。
「今の貴方はこの曖昧な謎掛けに見事に答えを用意してみせました。それは私にとって何よりも満たされる答えであり、また貴方がかつての自分を乗り越えた証明ともいえるものです。私が惚れている男は誰よりも素晴らしいと知れて、胸がすくような想いです」
「そ、そんなに褒められると逆に照れ臭いな……いやぁ、うん、ボクは適度に貶されている方が性に合うね!」
「……ドクター、それはちょっとどうかと思います。私、そういう性癖はありませんので」
「いや、ちょっと待って! 今のは冗談、冗談だからね!」
真面目に白い眼を向け始めてきたので、慌てて否定する。そんな様子を見て、マーキダは笑った。今この瞬間が楽しくて楽しくて仕方がないとばかりに、心の底から笑ったのだ。
そんな様子につられて、焦っていたはずのロマンさえ笑い声が零れてしまう。それは不思議なもので、さっきまでの静謐な空気すらも押し流して、いつも通りの明るい空気に戻してくれる。そうだ、これこそいつもの自分たちなのだと実感させてくれるのだ。
ひとしきり笑い終えてから、その残滓が顔に残ったままにパソコンへと向き直った。まだまだ、やるべき事など山積みだ。今の間にも、三つほど仕事が増えている有様である。
「よーし、それじゃあ仕事を頑張ろうか! もしボクが寝落ちしてたら叩き起こしてくれると助かるかな!」
「ええ、考えておきますよ。きつい一撃をお見舞いしてあげましょう」
こりゃあオチオチ寝てもいられないな、なんてことを考えながら、ロマンは仕事へと戻って行ったのである。
──でも、こうも思うのだ。もし寝落ちして目が覚めたら、きっと彼女は膝枕でもしているのではないかと。根拠はないがたぶんそうなると、不思議な確信が持てたのだった。
今回のセイレムについて、活動報告に感想や本作の扱いを書いておきましたので、目を通していただければと思います。