智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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第三十六話 獣の玉座 Ⅳ

 かくして、魔術王は逝った。最後の希望を託して、自身の想いを貫いて。鮮烈にその生涯を駆け抜けた一人の人間の遺志を継いで、各々は決意を新たにする。

 残された者たちに共通する想いはもはやただ一つだ。

 

「笑わせるなよ、この程度の崩壊がなんだという。まだ私には、武器が残っている。光帯が残されている。貴様らを殺し、英霊を退去させ、時間跳躍を行うには十分すぎる力がある!」

 

 今にも崩壊しそうな身体を意地と気合だけで押しとどめて、ゲーティアは一歩前に出る。その先に、殺すべき相手が存在する。目の前の男女こそ、何よりもまず自分の手で排除すべき最大の怨敵に他ならないのだから。例え秒刻みで存在が弱体していようとも、必ずや殺してみせると物語る。

 

「いいや、それはさせない。オレたちは、カルデアは──絶対にお前の企みを打ち破って見せるからだ!」

 

 その様を見て、人類最後のマスターもまた気合を入れなおす。非力の身で多くの特異点を駆け抜けた。様々な相手を目の当たりにし、だけども打ち砕いてきた。なればこそ、目の前の相手はその集大成だ。生きるために、ロマニ・アーキマンに報いるために、絶対に乗り越えなければならない最後の敵だ。

 

「そうです、ここで貴方を倒さなければ、何のためにあの人は勇気を出したというのですか。たいそうなお題目も、因縁だって必要ない。私は私の愛しい人のためだけに、貴方を止めます。()()()()()()()()()()()()

 

 目の前で想い人を失い、悲嘆に暮れていた姿はもはや過去のもの。立ち上がり剣を取ったその姿は、常の様相を取り戻していて──否だ。その瞳の奥に灯された意志の炎は、限界など知らぬとばかりに燃え盛り続ける。恋慕を燃やし、故人を(いた)みながらも決して曲がらず、折れない、不屈の心を照らし出す。

 

 ──故に、ここに三者の思惑は一致した。ただ眼前の相手を打ち滅ぼすこと。それだけが、この場に集った全ての者が胸に抱いた決意であった。

 

 ◇

 

 幕開けた最終決戦、まず動いたのはマーキダだった。

 

「ごめんなさいドクター、貴方からいただいた魔法の呪文、使わせてもらいますね――『幻想を此処に、其は不滅の呪いなり(エレタム・サーラム)』」

 

 短い言葉に万感の感謝と惜別の念を込めて、祈りの言葉を口にする。それはかつて、ロマンからもらった魔法の呪文であり──彼女が持つ『無銘:呪魔の剣』の真名を意味する言葉であった。

 真名解放と共に、マーキダの能力値(ステータス)が飛躍的に上昇する。それこそ、ステータスだけ見れば大英雄にも劣りはしないほどに。不可思議なほどの強化能力は、ゲーティアにとっても見覚えのあるものだった。

 

 飛躍的に上昇した俊足で瞬きの間にゲーティアの懐へとマーキダが潜り込む。放たれる剣の閃きはあまりに速く、鋭く、巧妙で、一撃でも受ければビーストの霊器であろうとただでは済まない。

 故にゲーティアは剣の軌跡を先読みし、肉を切らせてでも、直撃はさせない。返礼とばかりに拳を乱打し、両者は超近接戦(インファイト)へと突入した。

 

「その剣は……なるほど、ロンドンで見せた強さの一端はこれか。感情を糧に持ち主を強化するなど、まさしく”不滅の呪い”とはよく言ったもの、魔剣に相応しい邪悪さだ。いかにも貴様の悪辣さに誂えたかのようだな」

 

 互いに一撃でももらえば決着が着く。そんな剣と拳を交えながら、ゲーティアの思考はひたすら加速を続けた。

 

 あの時、絶望に叩き落されたマーキダは異様な実力と共に戦線復帰を果たした。その時は憎悪のあまりに絡繰りまで頭を巡らす気すら起きなかったが、今ならはっきりとわかる。

 マーキダの振るう剣、『幻想を此処に、其は不滅の呪いなり(エレタム・サーラム)』は魔剣の一種だ。それも、ある意味では飛び切り最悪に近い代物。

 

「……確かにそうでしょうね。人の感情(こころ)を代償に能力の強化を図るなんて、正気の沙汰じゃない。最低な終わり方をしてしまった私にとっては皮肉にすらならない代物でしょう」

 

 人の感情は心から無限に湧き出るものだ。想いある限り枯れることは無く、例え心の灯火が消えかけようとも起爆剤さえあれば何度だって蘇り燃え広がる。

 だからこそ、この『幻想を此処に、其は不滅の呪いなり(エレタム・サーラム)』は魔剣と呼ぶに相応しいのだ。だってこの剣は、枯れるはずのない心の泉を容赦なく吸いあげて、怒りも悲しみも喜びも何もかもを燃やし尽くした暁に、無へと均してしまうのだから。捧げられた感情の強さと等価の力を与える、悪魔の宝具。それこそが、彼女の愛剣の本当の姿であった。

 

「ドクターに真実を告げれば、きっと私に真名を教えたことを後悔してしまうでしょうね。なんてことをしてしまったのだと。だけど、私はそうは思いません。そのおかげで助けられた。そのおかげで彼と再び出会えた。私にとってはそれで十分すぎるから……この剣ですら、愛しく感じるのです」

 

 ロンドンでは訳も分からず真名を解放し、次いで湧き上がる歓喜のままに剣を振るった。その時も剣は喜びの感情を吸っていたけれど、いくら何でも数秒程度で増え続ける歓喜の念を吸いつくすことは叶わない。しかしそれだけで御使いを退けるだけの強化を施すのだから、その強大さは推して知るべしだ。

 逆に考えれば、意図的に長い時間を用いて剣に感情を捧げればどれほどの強さを手に出来てしまうのか。あまりにおぞましい対価を支払った結論は、既にこの場に顕現していた。

 

「今こそこの魔剣を最大限に用いるとき。私は私の意志で、最も大切な感情を燃やし続けてみせましょう。ゲーティア、貴方を止めるためならば私はなんだって出来るのだから」

 

「貴様、まさか──! ふざけているのか、貴様のような愛に狂った女がそのような世迷いごとをッ!」

 

 その言葉の為す意味を悟り、ゲーティアが声を荒げる。その間にも剣と拳の応酬は幾度となく重ねられるのだが……徐々に、しかし確実に天秤が傾いてきている。ゲーティアが、圧され始めていた。

 理由は二つ。一つはゲーティアの身体の崩壊がさらに進んできていること。もはや拳を振るうだけで身体が崩壊するだろうに、限界を超えて意志の力一つで戦っているのだ。

 

 そしてもう一つは──

 

「愛に狂ったからこそ、ですよ。愛を知らぬ悲しい獣、貴方に見せつけてやりましょう。愛の力がどれほどのものか、その最果てを」

 

 ほんの一滴、堪えきれない涙が落ちた。

 マーキダは、『幻想を此処に、其は不滅の呪いなり(エレタム・サーラム)』に()()()()()()()()()()を捧げていた。莫大ともいえる愛慕の想いを魔剣は慈悲なく吸い上げ蹂躙して、ここに前人未到の超強化を実現させる。

 

 好きな人の願いを叶えるために、好きな人への気持ちを捨て去るという矛盾。溢れんばかりであったはずの愛は一秒ごとに薄れていって、その事実に泣きたくなるほど恐怖した。当たり前に未練はある。忘れたくなんてない。魔剣などに捧げてよいものでは断じてない。

 それでも、ロマニ・アーキマンという男はやって見せた。自身の完全な消滅を恐れずに、勇気をもって旅立っていったのだ。であれば、やるしかないだろう。この喪失の恐怖に打ち勝った先にこそ、きっと本当の愛はあると信じている。だから今この時、最も大切な想いを糧にして、目の前の存在を打倒すると誓ってみせた。

 

「貴方はここで、必ず斃す! それが私の、彼に捧げる愛だから!」

 

 裂帛の叫びが空に響くと同時、ゲーティアの崩れかけた右腕が宙を舞った。高らかに愛を(うば)う魔剣の一閃がついにゲーティアを斬り裂いたのである。

 そしてこの一撃を皮切りに、ここにきていよいよ互いの力関係が逆転の様相を呈し始める。命よりも大事な気持ちを犠牲にした最低最強の強化は、着実にゲーティアへ牙を突き立てて離さないのだ。

 

 獣の玉体には加速度的に傷がつけられ、このままいけば間違いなく引導を渡されることになる。それも自身が最も嫌い、憎む人間に。仮にも全能であったゲーティアだからこそその事実を過たず認識出来て──

 

「ふ、ざ、けるなァッ! 愛だと! そんなものにいったい何の価値がある!? 愛があるから、人は不完全なのだ! 貴様のような矛盾を産みだし、行き過ぎた愛情は人を苦しめ、果ては博愛の教えは虐殺の歴史にまで発展した! このようなふざけた代物が存在して良いはずがない! 百害あろうと一利すらない! そんな愛情(もの)は、人間には不要だ! この私の手で焼却してみせる!」

 

 そんな理屈知ったことかと、かき集めた意志の力を爆発させた。駆動する魔術式、握りしめた拳の感触はいまなお固く。なら、自分はまだ戦える。こんなところで終わるわけにはいかないのだ。人という不完全な存在をこのままにして良いはずがないのだ。その想いをもう一度強く焼き付けて、倒れかけた魔神王は再起を果たす。

 

「ぐっ……まだ戦いますか、ゲーティア!」

 

「無論だ! 私にはまだ為すべきことが数多く残っている、道半ばで倒れるわけにはいかないだけの使命がある!なればこそ、貴様に討たれるわけにはいくものか! 刻み込め、勝つのは私だ!」

 

 後方へと一気に跳躍して距離を取る。その行為だけで足がさらに崩壊したが、構うものか。道理も何も吹き飛ばして、ただ目の前の敵への意地だけでその身を保つ。

 

「我が偉業! 我が理想! 我が誕生の真意を知れ! この星は転生する! あらゆる生命は過去になる! 讃えるがいい──我が名は、ゲーティア! 人理焼却式、魔神王ゲーティアである!」

 

 ソロモン王の手によって崩壊したのは、何もゲーティアだけでない。この特異点そのものである『時間神殿ソロモン』こと『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)』と、空を覆う人理の熱量を持つ光帯『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』もまた崩壊を始めている。そのためゲーティアが第三宝具でマーキダを焼き払おうにも、マシュすら蒸発させた一撃を放つことはもはや不可能である。

 そのようなことはゲ―ティアとて百も承知だ。しかしそれでも、もはやこれしか手立てがない。そしていくら弱体化してると言えども、その一撃はサーヴァントを芥のごとく焼き払う程度造作もないのだ。

 

 今この時、ゲーティアは目の前の女を消し飛ばすことだけに死力を尽くす。自身の全てを賭けてでも、この女だけは否定しなくてはならないと理解したから。

 

「消え失せるがいい! 『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』ッ!」

 

 王の宣言と共に放たれるは、遍く存在を焼却せしめる死の光だ。天空から降り注ぐ一条の光帯は、地球上のあらゆる物質を上回る熱量を内包する。故に防御は絶対に不可能、それこそマシュのように強固な精神を盾にでも出来ない限りは──

 

「私には貴女のような素晴らしい宝具も心もありませんからね。悔しいなぁ、あと一歩で愛は必ず勝つって示すことが出来たのに」

 

 そして当たり前のように、マーキダにはそのような手段をとることはできない。

 破滅の光を前にして、シバの女王は寂しそうに呟いた。愛という彼女の根幹を成す感情を対価に捧げて、それでもなお自らの手で因縁に決着をつけるには足りなかった。よって、マーキダはここで倒されるほかに術はない。

 

 しかし、どうか忘れるなかれ。

 

「だから……後は任せましたよマスター。私たちの分まで、頼みます」

 

 この戦いは、決して一人だけのものではないのだ。

 

「ああ……任せろッ!」

 

 そうしてマーキダは最後の詰めを、想い人が信じた藤丸立香に託したのであった。

 

 莫大な熱量が直撃したのはマーキダただ一人だけだ。その効果範囲に、これまで敢えて黙して戦いを見守っていた立香は入っていない。

 だってそう、今この時だけはゲーティアの視界にはマーキダしか映っていなかったのだから。本当は何にもまして殺すべき相手を、刹那の間だけ忘却してしまうくらいに感情的になっていた。

 

 故にここが最後にして最大の好機となる。くしくもロマニ・アーキマンは最初に述べていた。「君は、君の仕事を為す時を逃さないでくれ」、と。

 きっと彼はここまで予見をしていたわけではないだろう。特攻しかけた立香を留めるための方便だったはず。けれど、立香はその言葉を信じていた。だからここまでひたすらに耐え忍んで、最後の詰めを打つ機会を待っていた。

 

 そしてその努力は、愛をもってロマニ・アーキマンの言葉を信じぬいたマーキダの手で成就する。

 

「ゲーティア──ッ!」

 

 気合一喝、いまだ光帯の熱量も冷めやらぬ爆煙の中へ飛び込んだ。肺が焼かれてしまうから呼吸はしない。全身が火傷しそうなほどに熱いけれど、最後の最後にマーキダが残してくれた防護の魔術が瀬戸際で致命傷を防いでくれた。

 もどかしい。ほんの少しの距離が永遠にも感じられる。それでも走って走って駆け抜けて、ついに立香は煙を抜けてゲーティアの前に躍り出た。

 

「なッ──藤丸、立香──ッ!!」

 

 ほんの少しの隙によって虚を突かれたゲーティアは、それでも反射的に反撃をしようと身体が動く。しかし崩れかかった玉体は思うように動かず、拳の一撃は咄嗟に身体を屈めて避けられた。

 

「これで、終わりだッ!」

 

 手の甲の赤い輝きはくすんでいた。令呪を三画すべて使用した身体強化。普通ならあまりに非効率的であろうとも、この瞬間は値千金の効果を発揮する。

 振るわれた人間の拳は、崩れかかったゲーティアの肉体を確かに捉えて。胸元に存在する禍々しい瞳に直撃し、その霊器をあやまたず撃ち砕いたのだった。

 


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