智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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第三十四話 獣の玉座 Ⅱ

 ──なぜ自殺を選んだのかと問われれば、自身に失望したからに他ならない。

 

 恥ずかしかったのだ。悔しかったのだ。

 耐えられなかったのだ。怖かったのだ。

 ただただ自分が嫌になった。どうしてか。決まっている、あの人にいつまで経っても心というのを教えられない自分に嫌気が差したから。

 

 あの日、イスラエル王国からシバの国へと帰還したのち。ソロモン王と書簡のやり取りをすることは何度かあった。だけどそれは国交を第一として儀礼的かつ簡素なものであって、とても個人的なやり取りをできるものではなかったのだ。

 そのようなことを繰り返しているうちに、一つの恐怖が沸き上がった。私は、本当に約束を守れたのだろうかと。

 

 心を教えると告げた。そのこと自体に何の後悔もない。だけどそう、私があの人にとって多少なりとも特別であったのは、その約束があったからこそなのだ。けれどもし、その約束を果たせないとしたら? きっと私とあの人の縁はそこで途切れてしまう。有象無象の一人となってしまう。そのことが、たまらなく怖かった。

 とはいえ、最初の内はそんなもの心配するまでもないと切って捨てた。笑い飛ばせた。しかしそれも、年月を重ねるごとに徐々に心を蝕んでくる。それは子を産み、けれど()()()()()子を愛せなかった自分を自覚してから、よりいっそう大きくなっていったのだ。

 

 愛は心の中でも特に素晴らしいと私はかつて述べた。だのに自分自身は、常人よりも愛を注げぬ欠陥品であったのだ。そんな女が心を教えるというのだから、馬鹿らしいにも程があるだろうに。

 自分が偉そうに講釈をしたことは、もしかしたら間違っていたのではないか? きっと今では別のちゃんとした人があの人に心を教えているのでは? 直接会う機会は皆無であったから確かめる術もなく、そのせいでさらに疑心暗鬼になっていく最悪の循環だ。

 

 一度気になりだしたら耐えられなくて、夜も眠れなくなった。無力な自分が悔しくなって、最後には本当に約束を守れたのかもわからない自分自身が恥ずかしくなってしょうがなかった。

 

 ──今から振り返れば、あの頃の自分はまともではなかった。今でこそ少しは冷静になっているから、召喚されてからも思い悩むことは無かった。だけどあの時は初めての恋に全精力を傾けて、思慕の加減もわからず一喜一憂して、少しでも好きな人の特別でありたいと願い続けてしまった。その果てに、心が先に潰れてしまったのだ。

 きっとそう、一言書簡に記せばよかったのだ。”貴方は私を愛してくれますか?”、と。だけど、いつの間にかそれすらできない状況に勝手に追い込まれていて、返事を聞くことすら怖くなって。

 

 最後にはそんな自分に失望して、もう駄目だなと他人事のように諦めた。こんな風になった自分が生きていても仕方がない。これ以上生き恥を曝すくらいなら、もう死を選んだ方がマシなのではないかと。

 そうして剣を手に取って、最後の最期にやっぱり自分は最低だと痛感した。

 だってそうでしょう? 国も息子も、約束を交わした好きな人さえおいて死ぬなんて、そんな酷い話はないのだから──

 

 ◇

 

 魔術王の玉座にて、相対するカルデアと魔術王を騙る何者か。

 これまで語られなかった幻想女王の死因に、ほんのわずか周囲が硬直した。その中で、当の本人だけはまるで悪戯がばれた子供のように困り顔であったのだ。

 

「……まったく、どうしてそれをこのタイミングで言ってしまいますかね。せっかく最後の最期まで隠し通せると踏んでいたのに」

 

 それから、彼女はマスターへと向き直る。

 

「マスター、今は私の過去よりも目の前の黒幕が先です。まさか優先順位を間違えるなんてことはありませんよね?」

 

「……いいや、それこそまさかさ。分かってるよ、俺たちはそのためにここに来たんだからな」

 

 訊ねたいことはたくさんある。仮にもこれまで共に戦ってきた仲なのだから。だけどそれは全ての事象を蹴落としてまで優先することでもない。

 そしてそんなことは他の者たちにとっては当然のことだったのだろう。サーヴァントたちは既にして臨戦態勢、いつでも目の前の黒幕への用意はできていた。

 

「もう一度、今度は俺が訊くぞ! お前は何者だソロモン、正体を表せ!」

 

「……いいだろう、ここまで来て隠し通す必要性はない。もはやグランドキャスターの隠れ蓑も、愚か者の名もいらぬ。我が真の姿を拝謁する誉を貴様たちにやろうではないか」

 

 ソロモンの姿が瓦解する。光が溢れ、形が変化した。

 直視できなかったのはほんの一瞬であったはず。だがその一瞬だけで、ソロモンを名乗っていたはずの者はその姿も、本質も、何もかもが真の形を成していた。

 

「私はかつて七十二の悪魔と呼ばれ、今この時は人理焼却式となったもの。讃えるがいい、我が名はゲ―ティア。人理焼却式、魔神王ゲ―ティアである!」

 

 そうしてグランドキャスター・ソロモン改め、ビーストⅠ・魔神王ゲーティアは姿を現したのであった。

 

 ◇

 

 ビースト──それは人類愛をもって人類を滅ぼす存在。人類が滅ぼすべき悪の兆しだ。しかしその規模は到底人類が対処できる枠に収まらず、なんとなれば超常の存在であるサーヴァントですら太刀打ちできないほどの強さと理不尽さを持つのだ。

 そもそもグランドキャスターは、ビーストに対抗する七騎の内の一つだ。であれば、グランドが七騎揃って対処に当たるべきビーストとは、どれだけ次元違いの存在なのだろうか。

 

 カルデアは今まさに、その事実を味わっていた。

 

「どうした、軽いな。まさかこれが限界とは言うまいな、黒の騎士王よ」

 

「くっ、好き勝手に言ってくれるな……!」

 

 姿を変えたソロモン──いな、ゲーティアの姿は、どこまでも禍々しい。キャスターらしい細身の男から一転して、筋骨隆々にして頭部に角を生やした異形の大男と化している。その姿は見かけ倒しではなく、今も複数の英霊を圧倒し続けていた。

 セイバーの剣を軽々と受け止め、腕の一振りで弾き飛ばした。マルタの(タラスク)は無数の拳の乱打により黙らせた。ダビデの投石はゲーティアの体に傷一つ付けられず、マーキダの呪術は一切の効力を発揮できなかった。

 

「アンデルセン! なんかいい打開策とかないの!?」

 

「役割を考えろ俺は物書きであって軍師じゃないぞ! まず根本からして、どうして俺みたいな役立たずをこんな修羅場に連れてきた!?」

 

「Mr.アンデルセン! 今はそのようなことを言っている場合では──」

 

 ゲーティアの圧倒的な攻撃の余波がマスターへ届かぬよう、マシュは必死になって立ち回る。最悪アンデルセンは見捨てていいにしても、それでもなお余裕がないことには変わりないのだ。

 

「そら、まずは一人だ」

 

 どういう意味だ、なんて問う前に結果が起きた。聖女マルタ、竜を失った彼女がまずはやられてしまっていた。

 

「ごめんっ、しくじった……マスター、あなたはしくじんじゃないわよ……!」

 

 息も絶え絶えに謝意を述べて消えていくマルタ。一応はカルデアで復活は可能だが、それもすぐではない。であればこの戦いにはもう復帰できないも同義である。

 故に、均衡が崩れた。ただでさえ押され気味であった戦いが、戦力を一人失ったカルデアにさらに不利に動き始める。

 今度はセイバーが吹き飛ばされた。拳の一撃を剣で受け止め、それでもなお勢いを相殺しきれない。もはやボロボロとなった鎧は鎧の体を為さず、その負傷の激しさを物語っていた。

 

「これじゃあジリ貧だ……! 弱点、何か弱点は……!」

 

「あると思うか、藤丸立香よ。今の我々(わたし)はまさに万能にして全知、ほんの微かな弱点すらも無いと思い知れ」

 

 追撃。ついで爆音。気がつけば、最も頼りになる剣の英霊はその姿を消していた。また一人、減ったのだ。その事実に立香は歯噛みする。

 本当にまずい状況だ。確実に追い詰められて、打開策など見つからない。どうすればいいかと迷い続けている間にも、刻一刻と状況は悪化の一途を辿っていく。

 

「ダビデ、貴様にくれてやる言葉は何もない。せいぜい自身の息子を神に捧げた事実を悔やみながら、死ね」

 

「おやおや、君も素直じゃないね。僕にくれてやる言葉があるじゃないか」

 

 そうして、さらにダビデまで仕留められた。最後まで飄々と軽口を叩いて、「僕としては少しばかり語り合ってもみたかったけど」なんて置き土産を残す始末だが、状況がより悪化したことに変わりはない。

 これで残るはマシュ、アンデルセン、それにマーキダ。マシュは防御に特化し、アンデルセンは論外。そしてマーキダは弱くはないが、特別強いというほどでもないのだ。

 

 故に──

 

「これで詰みだな、カルデアよ」

 

 ゲーティアの腕から光線が迸る。無数の光条は辺り一面を無差別に絨毯爆撃のごとく焼き尽くし、終わりの光景を作り出す。爆炎と衝撃に揺さぶられた近くが戻った時には、もはや立っている者はだれ一人としていなかったのだ。

 

「先輩、ご無事ですか!?」

 

「ああ、俺は大丈夫だけど──」

 

「まさかこの俺が誰かの盾になるとはな……つくづく似合わん役割だ、もう少し配役を見直したらどうだ?」

 

 マシュでも抑えきれなかった衝撃から立香を庇ったのは、戦闘能力なんて何一つないアンデルセンであった。英霊としては最弱クラスの彼は耐えきれるはずもなく、当たり前のようにカルデアへと退去してしまう。

 いよいよどうしようもなくなった。マシュはどうにか耐えてくれたが、さすがにマーキダが今の攻撃に耐えられる道理など──

 

「つッ……どういうことですか、ゲーティア? わざわざ私だけ見逃すなどと」

 

 いいや、違った。なぜかマーキダは立っていた。傷だらけではあるが五体満足で、まだまだ意思も折れていない。

 だからこそこの状況は不可解だった。どうして彼女をわざわざ残したのか。マーキダはそれを訊いているのである。

 

「どういうこと、か……ほんの気まぐれと言われればそれまでだ。結局最後は殺す相手に、何を無駄なことをしているのかという自覚はある」

 

 それは、どこまでもゲーティアらしくない物言いであった。全能である彼が無駄を承知で行動を起こすなんて、本来ならばあってはならないはずなのに。

 しかしそれでも、ゲーティアは訊ねたいことがあったのだ。たとえ本当はその理由を知っていたとしても、本人の口から直接訊きたくて仕方がなかった。

 

「貴様の行いは無責任だ。希望を持たせるだけ持たせて、その終わりを見届けることなく勝手に命を絶ったのだから。何が貴様をそのような愚行に走らせた? 怒りか? 絶望か? それとも諦観か?」

 

「そのどれでもありません……生前の私は、本当に馬鹿でしたよ。恋に狂って、愛を理解せずに、勝手に絶望して死にましたからね。その点では、貴方にいくら糾弾されても仕方がありません。私の過失であるのは間違いないでしょう」

 

 自分は最低な女だと、いっそ清々しいほどに自身の非を認めた。

 しかし、それでも決して心が折れることだけはない。毅然とした態度でゲーティアを正面から見据えた。

 

「だけどそれでも、私にとってあの恋は鮮烈で、それを失うくらいならすべてを(なげう)っても良いと思えるものでした。きっと今でも、その燃え盛る情熱だけは変わっていないでしょう」

 

「つまり貴様は、愛によって希望を産み、愛によって絶望を齎したということか? 不可解だ、なぜ人というのはそれほどまでに矛盾する。これも不完全故に起こる弊害と呼ぶべきなのか」

 

 その様はとても人類を滅ぼそうという存在に似つかわしくない、憂いを帯びた嘆息であった。ゲーティアは本気で、人の矛盾を憂い、怒っている。

 

「ですがゲーティア、それこそが人というものではないのですか? 時に理解できず、時に不可思議な行動を行い、だけどそういったすべてが繋がっていくのが人の生き様というのではないのですか?」

 

 これはマシュの問いかけ、彼女もまたこの旅で得るものがあったからこそ、臆することなくゲ―ティアへと問いかける。

 だが、

 

「違うのだ。それは人という生き物が不完全だからこそ起きる不条理なのだ。そこの幻想女王のような矛盾の塊がいる時点で、その理屈が人間たちの中に少なからず認められる時点で、この地球(ほし)は間違っている。終わっている!」

 

「ゲーティア……あなたの目的とはいったい……」

 

 堪えきれず、マシュが訊ねた。

 ゲーティアは、よくぞ訊いたとばかりに応えた。

 

「この惑星(ほし)を最初からやり直す。人類史を燃やし尽くして得たエネルギーを利用して、完全なる人類を生み出すのだ」

 

 そうして、第三宝具『誕生の時来たれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』の展開が始まった。

 

 ◇

 

 玉座の上に積み重ねられた光帯は、地球上に存在する全ての資源を燃やし尽くし残留霊子にしたものを、三千年分も集めて作り上げられたものである。故にこそ、この惑星(ほし)に生きる者に抗うすべなどない。どのような物理的障壁を持ち出そうとも、あの熱戦を前にすればただの紙に過ぎないのは自明であった。

 

「マーキダさん、どうか最後まで先輩をお願いします。ゲ―ティアに勝って、先輩を二〇一七年まで連れて行ってください」

 

 前に出る。あらゆる存在を焼却する一撃を前にして、さざ波程度の恐れさえ彼女の胸には存在しなかった。

 

「先輩、私はあなたに守られてばっかりだったから──最後に一度くらいはお役に立ちたかった」

 

 だからこそ、その一撃を防ぎ切った白亜の城とその精神は、どれだけの強固さを備えていたというのだろうか。

 

「我が一撃を耐えきったか、マシュ・キリエライトよ。ひとまずは見事と讃えておこう」

 

 そうしてゲーティアは、防ぎながらも蒸発した盾の少女に賞賛を贈り、生き残った二者を見やる。人類によってその命を弄ばれながらも、人類を否定しなかった者に守られた二人を。

 

「マシュ──ッ!! クソッ、こんなことが……」

 

「確かにその意志、もらいましたとも。結局は私の不始末ならば、最後まで私が戦うのは道理ですね」

 

 最後のマスターと、そのサーヴァント。藤丸立香とシバの女王マーキダは健在であった。白亜の城は確かに守り切ったのだ。

 まだ戦える。最後の最期まで、この意志が折れることはない。どちらの瞳もその想いで満たされており、もはや引くことなど一切ないと思い知る。

 

「──だが無意味だ。このような延命も、有象無象の英霊たちの奮戦も、すべては無為と化す。我らの勝利は既に決まったのだ」

 

 幼子に諭すかのような口調。もはや彼の中でその勝ちは揺るがないということなのだろう。

 しかしここに、まだあきらめない者が二人もいる。

 

「いいや、まだ、まだだ! お前なんかに負けてやるものか! 行くぞ、マーキダ!」

 

「ええッ!」

 

「良いだろう、弔いとして我が肉体に一撃を与えることを許そうではないか。そして、死ぬがよい」

 

 立香が拳を振りかぶった。マーキダが剣を構えた。

 もうこの二人を止めるものは何もない。たとえすべてを失ってでも、目の前の存在を止めてみせると。蛮勇を超えた勇気を胸に、ゲーティアへ躍りかかんと駆けだそうとして──

 

「ちょっと待った二人とも! 玉砕なんて君たちらしくないだろうに。ここはもう少し力を溜めて、最後の詰めに備えておいてくれると嬉しいかな」

 

 場違いなほどに明るい声が響く。思わず振り向いた先には、出発前に見た姿と寸分違わぬ白衣が翻っている。

 

「な──」

 

「うそ、そんな──どうしてここへ来たんですか!? ドクター!!」

 

 信じられないという声と、これから先を予見してしまった故に零れた悲痛な叫びとが玉座に響く。やって来た男──ロマニ・アーキマンは、ただ笑った。

 こうして、最後の役者が揃ったのだ。

 


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