「やあロマニ、そっちの進捗はどうだい?」
「悪くないさ。これを片付ければひとまず安心かな。そうは言っても課題は山積みだけどね」
椅子を後ろに引いて、身体を伸ばした。強張ったロマンの身体が心地よい音を立てながら伸び、どれだけの長時間机に向かっていたかを雄弁に物語る。
時刻は夕方、明日には第四の特異点であるロンドンに向かおうという頃。相も変わらずカルデアの所長代理であるDr.ロマニは、強引に作りだした時間で人の数倍は働いていた。
だが、そんな彼はこれまでとは少しばかり様子が違う。それはロマンとも付き合いが長く、このグランドオーダーが始まってから常に彼の事を気にしていたダ・ヴィンチだからこそ即座に理解できた。
「随分と顔色が良いじゃないか。よい兆候だ、少しは生活習慣を改める気になったのかな?」
「おや、分かるかい? ここしばらくは強制的に0時には眠らされてね。そのせい、いやおかげかな? ともかくすっかり健康優良児に逆戻りさ」
若干皮肉気な物言いだが、そこには単純に正の感情しか見られない。
だからだろうか、ダ・ヴィンチの物言いもやはりどこか皮肉気で、楽しそうであった。
「なるほど、元奥さんな女性の膝枕は私の作った高性能低反発枕よりもよほど安眠を提供してくれると見える。うんうん、君も男の子だと分かって安心したよ」
「うげっ、何故それを君が知ってるんだい!?」
「当たり前だろう、マーキダに膝枕を唆したのはこの私だからね」
「そ、そういうことだったのか……これは一本取られたよ」
呆気にとられたような表情をするロマンに、ダ・ヴィンチはしてやったりという顔をする。
「それでどうだい、やっぱり気持ち良いものなのかい? そういうの気になるな~」
「い、いくら君でもそんなの恥ずかしいから言わないぞ! 天才なんだからそれくらい自分で想像してみたらどうだい!?」
「え~、そうは言っても百聞は一見に如かずって言うじゃないか。想像よりも実体験を聞いた方が早いと思うんだけどな」
どこまでも自由なカレは唇を尖らせて美しく拗ねて見せるが、ロマンには全く影響がない。それどころかいそいそと机に向き直ろうとしている有様だ。さすがにせっかく遊びに来たのにそんな展開になるのも面白くないダ・ヴィンチは、更に話題を展開する。今度はちょっと真面目な話だ。
「言わなくていいのかい? 君の正体をさ。彼女ならきっと喜んで受け入れてくれると思うけど」
当然の疑問に対して、返って来たのは無言の抗議だった。
気にせず、さらにダ・ヴィンチは続ける。
「こうまで君を気に掛けているのも、きっと無意識に意識しているからだぜ? そりゃあ世話焼きな面が出ているのもあるだろうけど、それだけで知り合ったばかりの男に自分の太ももを許すもんか。女はそんなに甘くないぞ?」
「……君にそれが分かるのかい?」
「分かるとも。だって今の私は正真正銘の”女”だからね」
堂々と胸を張って宣言したダ・ヴィンチに、今度こそロマンが向き直った。明らかに呆れ顔である。
「そこについての議論はひとまず置いておこうか。それで君の提案だけど、悪いが却下だ」
「何故だい? せめてそれくらいは教えてくれないと困るな」
「むしろどうして君がここまで出張って来るかが不思議なんだけどな? そんなにマーキダが気に入ったのかい?」
「そうだね、真っすぐな想いを見ているのは悪くない。それに色々と通じるところもあるからね」
その言葉にロマンが納得したような顔をした。きっと彼は黄金律の事と、いつだったかの食堂でのボディタッチの件を想い出しているのだろう。確かに間違ってはいない。
「聞いておいてなんだけど、君が黙っている理由については予想がついてるさ。だから敢えて言おう、いつまでチキンでいるつもりだい? もう少し甲斐性を出しても良いだろうに」
「そういう問題でもないんだよ。
絞り出されるようなその声。ダ・ヴィンチはそれ以上を追及しなかった。あくまでこれは彼の問題なのだから、これ以上のお節介は度が過ぎるという者だろう。例え本当は大切に想っているのに、チキンすぎて踏ん切りがつかないとしても。
だいたい、彼はやろうと思えば自分が彼女の想い人であると証明できる手段を二つも持っているのだ。それを用いれば一瞬だろうに、それすらしようとしないのだから筋金入りと言えるだろう。
「そうか、ならそういう事にしておこう。じゃあねロマニ、邪魔したよ」
一言断ってダ・ヴィンチは部屋を後にした。廊下に出て、自身の工房へと向かう。
既に先のやり取りはカレの思考から排除されている。故にその足取りは軽かった。
「さて、君はいつまで傍観者でいるつもりなんだい? 舞台に上がる資格は君だって等しく持っているだろうに」
「私はカレの共犯者さ。傍観なんて気取った立場じゃないし、研究者として端役に徹するのは当然だろう?」
「どうだか、君こそもっと素直で単純に生きてみるべきじゃないかな。万能の人間というのはどうしてこう、誰も彼も一癖あるんだろうね?」
だからすれ違いざまに掛けられた問いかけにも、心を動かされることは無かった。
――本当に?
◇
レイシフト準備のために中央管制室へと向かうロマンは、その途中で見慣れた人影を見つけた。廊下の壁に寄りかかって目を瞑っているマーキダは、どうやらロマンがやって来るのを待っていたらしい。彼が近くまで来ると途端に目を開けてロマンの方へと近づいてくる。
「やあ、どうしたんだい?」
普段通り、笑みを浮かべながら問いかける。それに対してずいと近づいたマーキダの表情はいつもよりもやや険しい。なにか彼女の機嫌を損ねる事でもあったのだろうか? 疑問に感じながらも、マーキダの次の言葉を待つ。
「……よくご存じだとは思いますが、今回からは私も最初から特異点に向かいます。これまでのように貴方の隣で補佐をするという訳にはいきません」
確かに、それは良く分かっている。頷くことで言外にそう告げたロマンに、彼女は更に言葉を続ける。
「なので今日からはもう強制的に眠らせるとか、そう言う事も出来ません。なのでせめて、ちゃんと私のいない所でも最低限の健康管理はして下さいね」
「おや、意外だね。もっと厳しく言ってくるかと思っていたのに」
内容自体は至極真っ当でこれまでも口を酸っぱくして言ってきた言葉であるが、それにしては内容はやや妥協した様子を感じる。彼女のことだから、もっといろいろと付け足してくると考えていたのに。例えばそう、睡眠時間は何時間しっかり摂れだとか、きっちり休みは入れろだとか、食事の栄養バランスにも気を配れとか。
そこまで苦も無く考えてから、ロマンは自身の淀みない思考に苦笑した。
「はは、これは参ったな」
「む、何が面白いんですか? 私は貴方の事を心配しているのですが」
「いやいや、君が面白いんじゃなくて、僕が面白かったのさ」
いつの間にやら、マーキダが言ってきそうなことがあっさり頭に思い浮かぶようになってしまっているのだ。つまりはそれだけ近くに居た人物という事であり、どれだけ自分が彼女の世話になっていたのかを改めて自覚してしまう。
こんな他人に頼ってばかりの体たらくでこれから先大丈夫なのかと不安になる反面、この状況をそれなりに心地よく感じる自分すらいるのだから笑ってしまうのだ。
ともかく頬を膨らませている彼女に対して、特に悪気はないと言ってしまえばそれで追及は終わった。
「まあ、そういうことにしておきましょう。とにかく、貴方に倒れられたら私はもちろん他の人だって多大な迷惑を被るのですから気を付けてくださいね」
「ああ、意識しておこう」
「はぁ……確約ではないんですね」
「それは、まあね」
どうせマーキダというストッパーの外れた自分は、必要に駆られればいくらでも無茶をするだろう。例え自覚していようと止まることはできないのだから、せめて曖昧に言葉を濁すしかない。
けれどそう、ここまで本心から慮ってくれる人物に対して期待を裏切り続けるのも人として酷い話だろう。だから今のロマンには相手への恩と後ろめたさが同居していて、それ故に普段は出せない勇気を少しばかり奮い立たせることが出来た。
「せめて君へのお礼に、僕が知っている魔法の呪文を教えてあげよう。唱えればきっとどこかで君を助けてくれるであろう魔法の言葉さ」
「魔法の呪文? それはまた随分とこう、ロマンチックなものですね。貴方らしいと言えばそんな気もしますけど」
「ははは、否定できないのが苦しい所だよ」
だけどもし否定できたとしても、きっと否定する気は毛頭なかったことだろう。
「『エレタム・サーラム』だ。意味はとある言葉で”
「ホントに、男性が女性に贈る言葉としては最低クラスだとは思いますが……ありがとうございます。大事にさせてもらいますね」
微笑して、マーキダは歩き出した。その後を追ってロマンも歩み出す。次の特異点の攻略はもう間近だ。
◇
『レイシフト完了――どうだい、そっちの様子は?』
一八八八年、産業革命の真っただ中のロンドン。霧と工場の都こそ、此度の特異点となっている地であった。
カルデアより降り立ったのは合計で七人の姿である。今回からは最初から全力、一切の油断も刃落ちもなくグランドオーダーを完遂させる構えとなっていた。
そして今回のロンドンは比較的近代である故に神秘は薄く、ロマンが危惧するような事態は特にないと思われていたのだが。
「霧が凄いです……! ドクター、この時代のロンドンはこうも霧が深いものなのでしょうか?」
『? いやそんなはずは……ってなんだこの魔力係数は! 立香君、その霧を吸っていて平気かい!? 体調が悪く感じたりとかしてないかい!?』
「いえ、特に何もありませんけど……?」
「それはおかしいですね、この霧は紀元前並の濃度なので一般人には途轍もない毒となるのですが……」
ロンドンと言うのを差し引いても異常な霧とそこに含まれる頭のおかしい濃度の魔力、そしてそれを無効化できているらしい一般人マスターの藤丸立香。早速疑問点が多く噴出したが、これに答えを示したのは久方ぶりの故郷への凱旋となるオルタであった。
「おそらく、契約しているマシュ・キリエライトの耐毒スキルがマスターに流れ込んでいるのだろう。心配する必要は無い、その守りは絶対だ」
「なるほど」
その言葉に納得する一同。ちょうどその時、霧の中から機械的な音が響いた。明らかにこちらに向かってきて、しかも大量と思しき機械音に全員が一斉に神経を尖らせる。この状況下、味方だとは期待しない。
立香の指示がまずは飛んで、六人のサーヴァントが陣を描くように未知の脅威に備えた。マスターと戦闘力のないアンデルセンを護るようにマシュとマルタが、その数歩前にダビデが立ち、最前線にオルタとマーキダが共に剣を構えて並んだ。
備えは万全。故に何が来ても良い。全員が息を呑み、緊張感を漂わせる。
『こっちでも多少の解析は出来た。正体は不明だが、サーヴァントではない。ただ数がやけに多い。こちらで確認できるだけでも五十はくだらない。たぶん大丈夫だと思うけど油断はしない様に』
ドクターの言葉が静けさを増した霧の都に響き渡った。よくよく考えれば、周囲には人っ子一人いない。その中で、機械の無機質な音だけが嫌に大きい。
「――来るぞ!」
オルタの警告の声が響いた。それと同時に霧の中から大量の機械兵が飛び出してきた。姿は不格好だが、その身に纏った不自然な魔力と刃は明らかに魔術側の存在であることを意味している。
「タラスク、焼きなさい!」
マルタの指示に従ったタラスクがまずは先陣を切り、やって来た機械兵をその甲羅で受け止め踏みつぶした。更に追加とばかりに炎まで吐き出し、霧と共に一切の容赦なく焼き払う。
それに続いてマーキダとオルタも剣を構えて斬り込み、続々と雲霞の如く登場する機械兵を蹂躙していく。強さ自体は大したことない。剣の扱いに長けた二人ならば鼻歌混じりに殲滅できる程度だ。
「だけどこれは厄介だね、数が多すぎる。戦争は数だと聞くし実際その通りだけど、いくらなんでも僕だってうんざりだ」
現れる機械兵はやけに数が多い。倒しても倒しても湧いて出て来る。どこから来ているかは不明だが、まるで無制限に供給されるかのようだ。ぼやくダビデも投石器を用いて的確に潰しているし、マシュも一歩前に出てマスターを護りながら大楯を振るい吹き飛ばしていく。
それでも数が減ったようには見えないのが現状なのだが。
「ドクター、今どれだけ倒してますか!?」
『五十は超えた六十、七十…。。ちょうど八十は超えた! だけどだいぶ数も減って来てるし、確認する限り援軍でやって来ている反応も少なくなっている! もうひと踏ん張り――ってマズイ! サーヴァントが来てるぞ!』
「このクソ忙しいときに面倒なものだな。そら、どうするマスター? 俺が和解でもやってみるか?」
「余計に場がこじれるだけだと思うわよアンデルセン! もう少し慎みを覚えなさいってば!」
戦いの合間にも馬鹿らしいやり取りを続けるうちに、いよいよ正体不明のサーヴァントの反応が近くなる。刻一刻と迫る強大な魔力の塊はもはや霧の中であろうと明確に感じ取れた。
その魔力の質を感じてまず意識するのは”凶暴”という言葉。近づけば近づくほどの荒々しい魔力の奔流が肌を刺す。しかしそれらは立香たちカルデアの者よりもむしろ、謎の機械兵達に向いていた。
「そら、このロンディニウムにお前たちはお呼びじゃないんだ! さっさと失せやがれ!」
「え、嘘だろ――!?」
赤雷を迸らせながら流星のように霧から飛び出してきたのは、金髪に鎧を纏ったオルタそっくりの騎士であった。鎧の音を響かせながら手に握った長剣を閃かせ、瞬く間に機械兵を塵殺していく。明らかに手慣れた動き、この手合いと何度か戦闘していなければこうはならないだろうという鮮やかな手並みであった。
かくして霧の中より現れた兵隊は、同じく霧の中より現れたサーヴァントにより一掃されてしまった。立役者である彼女は目ざとく立香を見つけると、そちらへ駆け寄って来る。
「よう、お前さんも災難だったな。なんだ? サーヴァント連れてんのか? こりゃ加勢は必要無かったかね」
「いいや助かったよ、ありがとう。それにしても君は――」
立香が当然の疑問を述べようとしたその時であった。
霧の中から、先ほどまで剣戟を繰り広げていた二人が帰還する。
「ほう、まさか卿が召喚されていたとはな。モードレッド卿」
「父……上……!?」
弾かれたように騎士、モードレッドが振り返る。そこにいるのは彼女そっくりの黒い騎士王であり、思わずつぶやいたと思しきその言葉が全てを物語っていた。
「何故、何故貴方がここにいる!? ロンディニウムを救いに来たか!? 待て、そもそもその姿は一体なんだ!?」
「質問が多いぞ、モードレッド卿。今の私はそこの男、藤丸立香に従う騎士王アーサーの別側面と取れる存在だ。貴様の言う通り、このロンディニウムを救うべくカルデアから馳せ参じたと言うのが妥当だろう」
「別側面、カルデアだと? おい、そこの! 立香ってやつ! 簡潔でいい、まずは事情を聞かせろ!」
そうして立香が本当に掻い摘んで自身らの事情を説明すると、モードレッドは深く重たいため息を吐いた。
「まさかこのロンディニウムがそこまで大事に関わっていたとはな。それでこの黒い父上を従えて特異点を巡ったと……ちっ、忌々しい奴め。本当ならその不敬は我が剣で払わせるところだが――って痛いっ!? 何をする父上!?」
「貴様、この段に来てマスターに手をあげようとするとは何事だ。すまないなマスター、愚息が迷惑をかけた」
「いや別に俺はなんとも――」
それよりも何ともあったのはモードレッドの方であった。
「愚息……愚息だと? それはつまり父上がオレの事を……いやまて、落ち着け。あの方がそのような事をいう訳が――」
「ならば反逆してみるか? だが今の私は使える物は何でも使う主義だ。貴様が反逆するならば、カルデアの全てが牙を剥くと心得よ」
「ぐっ、別にそういう訳じゃない……」
「それならば話は一つだろう。私と共に来るがいい、モードレッド卿。卿とてかつては円卓の騎士として名を馳せた身だ、世界を救うことに否はあるまい?」
至極真っ当な勧誘の言葉。だがモードレッドはまるで悪魔の勧誘であるかのように額をしわを刻んで悩み始めた。彼女のとってみれば敬愛し反逆した王からの直々の招集、だが目の前の王は正確には彼女の知る王ではない。なのに直感的には中身は変化が無いと訴えているし、誘いに乗る事自体は悪くないとも思えてしまう。
非常に鬱屈した内心を持て余すモードレッド。そんな彼女に思わず声を掛けてしまったのは、盾を携えた彼女であった。
「その、モードレッドさん。少しよろしいでしょうか?」
「あぁ? なんだよてめぇは……っておいおいマジか。いや、やっぱりいい。続けて見ろ」
「ありがとうございます。そこの黒い騎士王は確かにあなたの知っているアーサー王ではないのかもしれませんが、しかし根底は全く同じです。誇りを抱き、王としての矜持を保った方なのです。だからこそ、もしそれで迷っているというのならば――」
「なるほどな、よく分かった」
話すごとに剣呑になるモードレッドの気迫に押され、だがそれでも心は折れることなくはっきりと言いたいことを喋るマシュ。そんな彼女に対して向けていた圧が急に緩んだ。代わりにしげしげとマシュを見つめている。
「お前、名前は?」
「マシュ・キリエライトです」
「いい名前だ。よし、決めた。誰でもないお前がこの父上の事をそうまで保証するというなら、今だけは父上の下で騎士として仕えよう。それで異論は無いか、立香?」
「無い。俺たちはモードレッドさんを歓迎するよ」
「よーし、んじゃこの話はこれで決まりだな! つーかオレもあの科学者がうるさくてかなわなかったんだよな。いやー、これでちょっとは楽になると思うと清々するぜ! そんじゃ行こうぜ!」
さっきまでの真面目な悩みはどこへやら、一切の気負いなく歩き出したモードレッドに慌てて立香たちがついて行く。彼女の横に並んだオルタがその行先を聞けば、モードレッドはすぐに行先を教えてくれた。
「オレが拠点にしてるところだよ。これ以上の詳しい話はそっちでしようぜ。暗殺者も出ているようなこんな場所じゃおちおち話もしてられないしな」
その言葉に従って、ひとまずモードレッドの先導に任せるのであった。