ドクターを膝枕で寝かしつけてから、特にすることもなくジッとしていた。散らかった部屋を眺めて、たまにドクターの頭をなんとなしに撫でて暇を潰す。こうしているとまるで大きな子供でも出来たかのようで、今更そんな感情を抱く自分に呆れてしまう。そんな事をしながらいくらか時間が経った頃、時計を見ればいつの間にか朝が来ていた。
つまり、数時間以上ずっとこの体勢だったわけか。我ながらよくもまあこれだけ長時間座ったままだと感心してしまう。よくよく考えれば太ももが痺れている。膝枕の代償はそれなりに大きいらしい。
だけど、悪い気はしなかった。むしろ穏やかな気持ちでいられたし、ある意味楽しかったとも言えるだろう。これなら、ドクターにまた膝枕をしてあげてもいいかもしれない。今度はちゃんと同意を取ってからやろう。
「んっ……」
「おや?」
膝の上のドクターが微かに声を漏らし身じろぎした。今はちょうど顔がこちら側にあるため、その寝顔がよく見える。すでにその顔色は昨夜に比べてもだいぶ良好になっていた。ひとまずまとまった睡眠時間をとれたことで体調が回復しているようだ。やはり相当無理が祟っていたらしい。
そのままドクターはしばらくうつらうつらしてから、不意に目を開いた。寝ぼけ眼が何処となく面白くて、つい何も声を掛けずその様子を見守ってしまう。頬をつんつんしてみると男の割に柔らかくて気持ちがいい。
「……なんだろう、この柔らかい感触は……? それにこれは……ピン――ってうわぁ! いつの間に寝てたんだボク!」
「ちょ、ちょっとドクター!?」
まるでばね仕掛けのように勢いよく跳ね起きたドクターの頭を間一髪で躱して、それから急いで
「……見ましたね?」
「な、なんのことか分からないなー……? ボクは何も見てないとも、うん。けっして何もだからマカロン一個で許してください」
「……それで手を打ちましょう、こちらにも落ち度はありますからね。それで、よく眠れましたか?」
話題を切り替えて彼の顔色を窺う。やはり昨夜に比べれば格段に生気に満ちている。なのだが、表情は微妙に不満そうだ。これはやはり、暗示で強引に眠らせたのを怒っているのだろうか。手段はそれしか無かったとはいえ、いざそのことを詰られる立場になると身がすくんでしまう。
「その、強引に眠らせたことは謝りましょう。すみませんでした」
「そうだね、そのせいで予定がすっかり狂ったよ。だけど……悪気はないんだろう? 自惚れじゃなければ、純粋にボクの事を心配してくれたというのも分かってる。だからボクからはむしろ、ありがとうと言わせてもらうよ」
その言葉は皮肉でもなんでもない、純粋で混じり気の無い感謝だった。どうしてもその言葉が眩しくて、つい顔を俯かせてしまう。なんだろうか、この気持ちは。とても嬉しい。
「優しいですね、貴方は。良かった、もっと怒られるかと思いましたよ」
「そんなことはしないよ。だけどそうだね、謝るならばこれからは昨日みたいなことはしないでくれ。ボクはほら、眠らなくてもどうにかなるからさ」
「いや、そこは譲れませんよ。貴方はもっと自分の体調を鑑みて整えるべきです」
本当に、この人は責任感がありすぎるのだ。自分で何もかもを背負って、それでどうにかなると思っている。心配される価値など無いと信じているのだ。たかだか所長代理という椅子を手に入れた程度の事で。
だけど実際は職員の人だってドクターの事を心配しているし、ダ・ヴィンチちゃんだってそうだ。もちろん、私だって。だからこそ、こんなところで倒れて欲しくない。この人が倒れてしまえばそれだけでカルデアは崩れるだろうし、何より私が嫌なのだ。
しかしそれでもドクターに納得した様子はない。普段の優柔不断だったりチキンだったり言われる態度はどこに行ったのかと聞きたくなるような態度である。こうなれば、少しばかり強引な手段を取るのも吝かではない。
「人間ならば誰しも適切な睡眠や休息はとって然るべし、基本ですよ?」
「ボクだって医者の端くれだからね、それくらいは分かっているさ。でもほら、仮にもカルデアを率いるような男が何もせずにいるなんて駄目だろう?」
「いいえ、それでは必ず後になって揺り返しが来ます。それとももう来ているかもしれません。率いる者だという自覚があるなら、むしろもっと身体を大切にするべきなのです」
「そうは言っても――」
「ダビデ王なら出来ましたよ?」
「うぐっ!?」
遮るように断言すると、予想通りドクターが苦し気に呻いた。やはり
だけどまだこの程度では足りないのも分かっている。このままではなあなあで終わってしまうのは目に見えているから。
故に、さらにもう一押しだ。
「ダビデ王なら出来ましたよ?」
「そ、そう言われてもボクにはやる事がたくさん――」
「ダビデ王なら出来ましたよ?」
間髪入れずもう一度。より強く、はっきりと。
「分かった、分かったから! これからはもう少しちゃんと睡眠を摂るから、そんな心にグサリとくる発言ばかりゴリ押さないで欲しいなぁ!」
「よろしい。ああ、素晴らしきかな健康管理、すべては睡眠一つです!」
自分でもどうかと思うような言い包めの末、ようやくドクターも睡眠、というよりも休息の重要性を理解してくれたようだ。ここまでしないと折れてくれないあたり、彼も何だかんだ筋金入りの頑固者である。普段いかに自身の心労を押し殺しながら立っているのか、手に取るように分かるというものだ。
「これからは暇があれば貴方の所に来ましょうかね。貴方さえ良ければ、また膝を貸してあげますよ?」
「ぐっ、美女の膝枕だと……! 君はボクを堕落させるつもりかい!?」
「ある意味そのような物ですが。むしろ貴方はもう少し堕落してもバチは当たりませんよきっと」
努力すればするだけ報いられるというのはあまりない。ひたすら真正面だけ見据えて走り続けるよりかは、多少力を抜いて過ごす方が遥かに心体にプラスである。むしろドクターはこの辺りのさじ加減はかなり上手いだろうに、どうして仕事方面では気張ってしまうのか。
「さてと、それじゃあ朝ご飯を食べに行きましょう。まさか保存食料のような味気ないもので済ます気はありませんよね?」
「……そのつもりだったけど、君の目を見る限り駄目そうだね。分かったよ、朝食に付き合おう」
「ドクターは何が食べたいですか? まだ朝早いので、希望があれば作りますけど」
「任せるよ。だけどそうだね、たまには日本食とかどうかな? 確かレシピ本もあったはずだし」
「ならそれでいきましょう。日本食、味噌汁や卵焼きは美味しいですよね。納豆はちょっと苦手ですが」
和気藹々とした空気のまま、ドクターの手を引いて立ち上がる。今日もまだ始まったばかりだ。だけど今はとても楽しい気分で始まったのだから、きっと今日はいいことがあるだろう。そう思うと、少しだけ足取りも軽くなるのだった。
◇
同日の夕方ごろ。カルデアの中央管制室にマスターとそのサーヴァント達が一堂に会していた。空気はいやに深刻で、それだけ先ほど告げられた言葉の重さを物語っている。
「で、ドクター? もう一度この内容を言ってもらえますかね? オレの耳がおかしくなったのかもしれませんし」
「よし、もう一度はっきり言おう立香君――エリザベート・バートリーから招待状が来た。これによれば場所は特異点のチェイテ城、原因は不明だがそこに召喚されたらしい彼女がハロウィンパーティーの準備を施して君を待っているらしい」
「な、なんて恐ろしいことに! まさかとは思いますけど、行けとは言いませんよねドクター!?」
「……非常に残念だ。人類最後のマスターよ、君の無事をボクらはただ祈るとしよう」
ちょっと芝居掛かった、だけども残酷なドクターの言葉に立香君が崩れ落ちた。その姿を駆けよったマシュさんが支えて、必死に慰めの言葉をかけている。だけどどうやら立香君はかなりのショックを受けたらしく、心ここに在らずといった有様だ。端的に言ってひどすぎる。
しかもより酷いのはここに集ったサーヴァントのほとんどが似たり寄ったりの反応を起こしているという事だ。オルタさんは無言で頭を抱えているし、アンデルセンは卒倒しそうな状態だし、マルタさんは思わず杖を地面に叩きつけそうになっていた。こっちも大概ひどすぎる。
「私はどこまででも先輩にお供します! それと、その、ハロウィンパーティーというのも非常に興味がありますので……」
「うん、さすが自慢の後輩だよ。ただただ感謝を……!」
「そ、そんなに畏まらなくてもいいですから!」
茶化してはいるが、彼は非常に嬉しそうである。やはりこう、マシュさんとの行動は単純に楽しいのだろう。単刀直入に言えばきっと惚れてる。間違いない。恋愛脳マスターとしての勘がそう告げている。
私個人は特に思うところがない。というよりは直接的な接点がなく、ほんの少し通信越しに二言三言交わした程度なので、愉快な反応をしてしまうほど彼女のことを知らないのだ。
「マーキダ、そのエリザベート・バートリーって子はどういう人なんだい?」
そんな中で唯一彼女を全く知らないために平静を保っているダビデ王の言葉に、簡単にエリザベート・バートリーという人物について説明しておく。いわば属性過多アイドル、しかも超音痴。竜の角が生えている竜の娘。これくらい言えばダビデ王には十分だろう。あまり説明しすぎて妙なスイッチを入れさせても困るから。
傍らでは、マスターが今だ未練がましく足掻いていた。
「オルタは付いて来てくれますよね……? いつもオレにスパルタやっていたわけだし今回も――」
「マスター、先にこれだけははっきり言っておこう。三つの特異点と死線を潜り抜け、貴方は確かに成長した。まだ発展途上だが、ひとまずは及第点と言えるだろう。故に私が必要以上に手を貸す理由もまた薄れた。今の貴方ならば自身の身一つで苦境を越えることも十分に可能だ」
「なんでだろう、このタイミングで認めてもらっても全然嬉しくない……! それってつまり見捨てる事と同意じゃないのかなって? ほら、目を逸らしてるし!」
「さて、何のことだか……? 私はただ貴様に事実を述べただけだ。それ以上の意味はないぞ」
もはやどうしようもないらしい。既にマルタさんも微妙そうな顔つきをしているし、アンデルセンは死んでも御免だという雰囲気を醸し出している。このままだと立香君とマシュさんの二人旅か――いや、案外それも悪くないような気はするが。他人の恋路を見守るのもイイかもしれない。きっとまだ立香君の片思いなのだろうけど。
「よし、それじゃあこうしよう!」
しんと静まりかえってしまった場に、ダビデ王の明るい声が響く。
「僕とマーキダがマスター達について行こう。今回は聞く限り君たちが乗り越えて来たほどの危険は無さげだし、それならいっそ楽しんでみるのもいいんじゃないかな? ちょうど君たち二人もいい雰囲気だし、邪魔はしないよ」
「んなっ!?」
「ダビデ王!? わ、私と先輩はそういう関係じゃ――」
「おいおい、年若い少年少女にそうも直球を投げるなよ王様。もっとこういうのはあれだ、静かにゆっくり進むのを陰でにやにやするのが面白いんじゃないか」
「そういうアンタも大概直球で趣味が悪いわね……」
「だけど理には適ってるね。二人なら間違いなくおおよその事態には対応できるだろうし、悪くない。というかもうこれで決定だ! これ以上グダグダやっても逃げ腰になるだけだからね!」
「うわっ、一番ドクターらしくない言葉ですね!」
「そう言うのやめようよ立香君!」
ドクターの悲鳴が木霊した。割と悲し気で、どことなく同情してしまう。
だけどもさらに追い打ちが、周囲でくすくすと笑っていた職員の人たちからも入っていく。
「いや、よく言ったぞ藤丸立香! もっとはっきり言ってやれ!」
「そうだそうだ、頑張りすぎなこいつの心を折って寝込ませてやれ!」
「とんでもないね君たちも! ほらほら、レイシフトの準備に取り掛かろう!」
気を取り直したドクターの言葉で慌ただしくレイシフトの準備が始められていく。こういう時にしっかり立ち直るのはまあ、彼の持ち味なのだろう。
ひとまずレイシフトを行うべく、コフィンのある部屋へと立香君たちが向かって行く。何やら彼とマシュさんは気恥ずかしそうで、なんだか見ているこっちがこう、焦れてくるようだ。あれで本当に彼女の方は恋心が無いというのだから恐ろしい。
「あ、マーキダ。ちょっといいかな?」
「? どうしましたドクター?」
レイシフトルームに向かう私を軽く手招きして呼び止めてきた彼は、何やら小さな袋を手渡してきた。見てみれば、それはお菓子の一種、確かマカロンと呼ばれるものだったはずだ。
「一応、トリックオアトリートだ。それとこっち、ダ・ヴィンチちゃんから預かってきたんだ。せっかくのハロウィンパーティーのお誘いなんだから着てくといい。こっちはマシュにあげてくれ、きっと喜ぶだろうから」
「あはは、ありがとうございます。なるほど、狼の耳のカチューシャですか」
「ホントは服もあげたかったらしいんだけど、そっちはまだできてないらしい。今は工房で何か作っているようだけど、カレも無念そうにしてたよ」
「……まあ、どうせあの人の事ですから、目も当てられないような姿になるんでしょうけどね」
「同感だ」
しみじみと頷きあって、ふと手に持った三角帽子とローブを意識する。せっかくだから今のうちに着てしまおうか。これくらいならばすぐに着ることも出来るのだし。
そうと決まれば着てしまおう。黒のドレスの上から青のローブを羽織って、茶髪を抑えるように三角帽子を被ってしまう。ただこのままだとよく分からないので、さっそく感想を求めよう。
「どうですかね? 似合ってますか?」
「あー……ボクに意見を聞くのかい?」
「目の前にいるのですから当然じゃないですか」
至極当たり前の結論である。むしろここで意見を求めないほうがどうかと思うのだが。
すると彼は何やら顔を逸らしてから、今度はまじまじと見つめて来る。けれど中々その先が来ない。早くいかないとおいて行かれると思いながらも待っていると、ようやく閉ざされていた口が開いた。
「そうだね、帽子が少しずれているから直そう。それ以外は大丈夫だ、よく似合ってるよ」
こちらの頭に手を伸ばして、帽子を直してくれる。彼との距離が非常に近い。吐息が微かに聞こえてくる。しかもやけに自身の鼓動が早いような、そんな気すらしてくる。
「よし、これで君も立派な魔女だ。初めてのハロウィン、存分に楽しんでくるといい」
「ええ、もちろん出来るだけ楽しんできますとも。……まあ、ちょっとばかり不安要素はありますが」
「そこはもう、うん、割り切るしかないだろうね……」
困ったように相好を崩したドクターにひとまずの別れを告げて、管制室を後にする。そうだ、ドクターのいう通り私にとっては初めてのハロウィンなのだから、楽しむのが筋だろう。
だけど、今もっとも胸を占めているのはハロウィンの事では無かった。
「なんでよりにもよってピンク色のマカロンなのですかね……」
今朝の出来事を想い出して笑ってから、袋を開けて一口で食べてしまう。その甘い味は安物のはずなのにとても美味しいと感じてしまう。
きっとそれは、今晩の中で一番不可思議な
マーキダ「そうですとも。
ダビデ王なら出来ましたよ?
ダビデ王なら出来ましたよ?
ダビデ王なら出来ましたよ?」
作中の三連撃はだいたいこんなイメージです。ロマンの胃にダイレクトアタック。
次回で終わるのか不安になってきましたが、どうにかします。やっぱり早く四章やりたいので。その代わりハロウィンの登場キャラがかなり出番圧縮されるでしょうが、ご了承ください。