智慧と王冠の大禁書   作:生野の猫梅酒

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どうしてもロマンロスに耐えられず書いてしまいました。
最後はハッピーエンドの予定です。どうかよろしくお願いします。


序章 幻想女王
プロローグ


 ――気が付いた時、意識は豪奢な王宮の中に居た。美の限りを尽くした意匠と、絢爛さを表す金銀細工の調度品が数限りなく設えられたそこには、様々な姿をした家臣達らしき人々の姿がある。

 そして自分は彼らを高みの玉座から見下ろす格好をしていて、そこでようやくこれが自分(たにん)の過去の夢だと確信した。

 

「ソロモン王、もうあと少しでシバの女王がお着きになります。こちらに直接お通ししてよろしいので?」

「ああ、そこは来訪する方に任せよう。直接来るならそれも良し、こちらはいつでも準備は出来ている」

 

 夢だというのに、嫌にはっきりと記憶に残る。だからだろうか、この時に関する思い出がありありと蘇ってきた。まずは確認とばかりに、自らの意識が宿っている男へと注意を向けた。

 

 朗らかに喋っているのはかつて自分だった男。まるでこれから来る人物を楽しみにしているようだが、なんてことは無い。ただのフリだ。他者から自身の内面を知られないよう、また国の統治に影響が出ない様に最低限人の心を観察し、反応できるように調節していた頃。人間になった今から思えば笑い種としか思えない努力だが、この頃の自分は大真面目だったのはうっすら覚えている。

 

 それにしても、シバの女王か。伝承においては旧約聖書の列王記にしか記載がなく、それ故に女王の治めるシバ王国と合わせて虚構、幻想の国と主ともされている存在。

 曰く、絶世の美と知恵を持ち、かのソロモン王と知恵比べやラブロマンスを繰り広げたとも言われる女性。なるほど、確かに嘘らしい伝承だ。だけど彼女は確かに存在した。その証が、これから鑑賞できる。世の歴史学者からすれば垂涎ものの夢だろう。

 

 なんて、もう見る気満々になっている自分に辟易するが、まあ当事者ではなく傍観者としてみる分には悪くないだろう。

 

「シバの女王、お着きになりました!」

 

 と、位の高い家臣が声高に告げ、神殿の扉が開け放たれた。それと同時に楽器が鳴らされ、歓迎の嵐が沸き起こる。

 やって来た集団は相当な数、まず先頭に居るのは左右を護衛に守られた二十歳ほどの美女。黒いドレスの上に今でいうケープの様なものを羽織り、腰には魔術礼装らしき黒の剣を帯びている。背中の中ほどまで伸ばされた髪は波打つ亜麻色、目は炎のように赤い。

 

 ──そうだ、彼女こそはシバの女王マーキダ。その興りはある地方を騒がせていた竜の退治、そこから王に担ぎ上げられ、今で言えばエチオピアからイエメンまでの広い範囲をたった数年で国土として見せた賢王だ。その噂はかつてのソロモン(ボク)も聞き及ぶもので、優れた武勇と知恵、美貌を兼ね備えた女王が居ると家臣たちの中でも専らの話題だった。

 

「お初にお目にかかります、ソロモン王。私はシバの女王マーキダ、ここより遠い南の地であるシバを治めております。この度はまず、我らを受け入れてくださった感謝を申し上げたく存じます」

 

 まずは社交辞令から入った彼女の後ろには、途轍もない数の臣下と財宝が山と連なっている。金銀財宝はもちろんの事、当時は金にも勝ると言われた乳香だとか、あるいは貴重な木材の白檀だとか、他にもいろいろな荷物があった。そのどれもが当時のシバ王国の隆盛ぶりを物語るもので、同時にそれだけの国をたったの数年足らずで築き上げて見せた女王の辣腕を知らしめる。

 

「遠路はるばるよく来た、良い、楽にしなさい。私に求める知恵があるのだろう? 欲する何かがあるのだろう? 思うまま、好きに述べてみなさい。その全てに答えてみせよう」

 

 うわぁ、そんな変な声が心の中で漏れ出た。我ながら、とんだ強気態度である。いや、まあ、別に本当に強気だったのではなく、ただ空気が読めなかっただけの事だが。他人から見れば強気に過ぎると思われる発言も、ソロモンからすればただ当たり前の事実を述べているだけにすぎないのだから。

 

「……なるほど、私の浅慮なぞすべてお見通しでございましたか。では早速、本題に入らせてもらいましょう。僭越ながら、シバの女王が貴方様の知恵を試させていただきます」

 

 王宮がざわめき、次いで静かになった。張り詰めた糸の様な緊張感が場を支配する。これより先は智慧者と謳われた王と女王の一騎打ち、何人たりとも立ち入ることは許されない知恵の決戦。夢と理解して傍観しているボクでも息が詰まりそうなほどだ。鼓動を刻む心拍音さえ大音量として聞こえそうな中で、まずは女王マーキダが一問目を投げた。

 

地から湧くでも、天から降るでもない雨はなんでございましょうか?

それは汗だ。どのような者であろうとも、生きるために必要な所作である。次の問いを出しなさい

彼はあらゆる全てを破壊します。人も、心も、土地も、建物も、星々すら喰らう魔性の存在。しかし彼は見えず、万物は彼に囚われ、また彼を追い越せない

それは時間だ。誰にとっても時間とは有限で、金貨にも勝る資源である。これを上手く扱えてこそ、賢者たる者の所以だろう

「お見事でございます」

 

 この後も数問ばかり問いが続き、ソロモンはその全てに難なく答えて見せた。見ているこっちが緊張でどうかしそうなのに、どちらも一歩として引きはしない。というか、幾つか今の自分には分からない問題もあった。やっぱりソロモンと自分は別の存在なのだとはっきり自覚し直す。

 

「見事なお知恵、感服いたしました。しかし問いはまだ一つありますれば、これが最後となりましょう」

「よろしい、出してみなさい」

 

 とうとう、最後の問いになった。シバの女王は赤い瞳で真正面からソロモンを見据え、凛とした声で問いを出した。

 

「ではこれが最後の問いかけです。ソロモン王、愛とは何でしょうか?

「――愛、か」

 

 明確にソロモンが答えに詰まった。これまで瞬時に答えを導いていた王のまさかの停滞に、周囲で固唾を飲んで見守る観衆達に僅かなどよめきが生じる。ソロモンが答えられないのも当然だ、彼は人の心を持たない。愛多き王と呼ばれ多数の妃や妾を囲ったが、真に愛した者など一人もいない。自身に愛を向けられてすら何も感じないろくでなしの非人間だ。そんな男が、この質問に答えられる道理はない。

 

 無いのだが、

 

「……これは少々無粋な質問でしたか。申し訳ありません、問いとしてはあまりに無作法なものでした。非礼を詫びましょう」

 

 先にマーキダの方が問いを下げた。無論の事、ソロモンは無感動で内心を動かさない。けれどそれでも、今思えば安堵したようにも思える。賢者と名高く愛多き王が愛について答えられないと周囲に知られれば、信用の失墜を招く。それを思えば女王の詫びはむしろ称賛してしかるべしだ。

 

「……? どうされましたかな、マーキダ女王」

 

 何故か彼女はソロモンを見ている。まるで心の中を見透かされているかのようで、反射的にソロモンが問いを投げかけた。

 

「……いえ、なんでもありません。ソロモン王の見事な知恵と見識にしばし圧倒されておりました。これだけの神殿を築き上げ、民から慕われ、そのうえ比類なき知恵をお持ちになられるとは。エルサレムの民は心底幸福な方たちなのですね」

 

 その賞賛の言葉と同時に、周囲の張り詰めた空気がほぐれた。喝采が至る所から湧き上がり、誰も彼もがこの名勝負を演出したソロモンとマーキダを褒めたたえる。ボクとしても、これが自分の過去話でなければ一緒になって叫んでいたかもしれないくらい、見事な知恵比べだった。

 いいや、だけど。当人たちは薄い笑みを浮かべながら、互いを見ている。ソロモンはただ、そうするのが自然だからそうしているだけ。そこに心の動きは無い。ではマーキダは? 彼女もまた顔は笑っているが、けれどその瞳は笑っていない。先ほどと同じ、まるでソロモンの内面を見ているかのような深謀な視線。しばらく目線を動かさず、何やら考え込んでいるように思える。

 

 ――思い返せば、きっと、この時彼女は気づいていたのだ。気づいてしまったのだ。ソロモンの中に愛という感情は一切無いと。だからこの場ではソロモンを立てて、自身から問いを引き下げた。

 

 改めてその機転と知恵、洞察力に感服するほかない。確かに今回の問答に於いて、言わずともソロモンとマーキダの格付けは決まった。けれど間違いなくこの女王もソロモンに追従するだけの知恵者、少なくとも今の自分では全く敵いそうにない相手だ。

 すると、未だ歓声がエルサレムの神殿を木霊する中で、マーキダが口を開いた。その瞬間に周囲はシンと鎮まりかえり、元の静寂を取り戻す。

 

「非礼の詫びに、私の思う愛について答えてもよろしいでしょうか?」

「私は非礼とは思っていない。が、なんなりと述べるがいい」

「では、私は愛とは人に不可欠の感情だと定義します。この感情こそ人を人たらしめ、あるいは不可能を可能にする原動力ともなる。時には人を傷つけ、時には人を護る武器にもなる。最も不思議で矛盾して、けれど素晴らしい心の動きだと私は思っております」

「――なるほど。これで終いか?」

「ええ、知恵比べは私の完敗でございます。つきましては貴方の勝利を祝い、ここにある品物は全てソロモン王とイスラエル王国に献上させていただきたく存じます」

 

 これだけのやり取りの後、またもや神殿内は歓喜の声に包まれた。音に聞こえたシバ王国の財宝がどっさり贈られたのだ。これは確かに喜ばしくもなる。まあソロモン自身はあまり興味が無いのだが、それでも礼に対しては礼を返すのが道理だとも知っていた。

 

「ならば私からも、それだけの財に負けないだけの贈り物をさせていただこう。そして他に求めるものがあれば、望むままに与えよう」

「それなら、私もまた知恵を望みましょうか。偉大なる先達にあやかるために」

 

 上品に女王が笑い、つられて周囲の人々も笑いだす。賑やかにして華やかな光景、例え歴史には残っていないとしてもなお色褪せない美しいひと時。こうして人の心を得てから見れば、それだけの感想が胸を過った。

 

 ◇

 

『おーい、Dr.ロマン。ロマニ・アーキマン、聞こえているかい? 聞こえているなら返事をしてくれ』

「う、うーん……その声はレオナルドかい……? せっかく人が気持ちよく眠っていたところを」

 

 言いながら、ロマニ・アーキマン、通称Dr.ロマンはベッドの上に身を起こした。若干寝ぐせのついた栗色のポニーテールが揺れて、しわになった白衣が空調に揺らされる。寝起きの頭をどうにか起こしながら、彼は自分の腕に付けた機器に目線をやった。

 

『寝てたって、忘れたのかいロマニ。今日はファースト・オーダー、記念すべき最初のレイシフト実験の日だ。それなのに医療部門のトップである君が惰眠を貪ってどうするんだい?』

「いやぁ、これがボクの性分なものでね。そのあたりは君も良く知っているだろう?」

『そりゃあそうだけどさ。で、そのまま二度寝としゃれこむのかな? 所長に実験から外されたとはいえ、裏方には裏方の仕事があるんじゃないかなー?』

 

 言われて、ロマンは腕を組んだ。今更本来の仕事場に向かったところで場の空気が緩くなると追い出されるのがオチだろうし、それならいっそこのままサボり続けるのも一興だろう。幸いにして、今自分が居る部屋はしばらく空き部屋、サボるには絶好のスポットである。

 これだけの事を考えるのに僅か一秒。大抵の出来事には緩く当たる癖に、楽をする方に関しては結構頭が回る。別にそれだけが本性という訳でもないのだが、ロマニ・アーキマンという男の大体の基礎はそんな感じである。

 

「まあ、もうひとサボりしてから行くとするよ。ボクは今回お呼びじゃないみたいだからね」

『くくっ、君のことだからそう言うと思っていたよ。よろしい、存分に惰眠を貪りたまえ。良き夢を、ロマニ君』

「……もう夢は見た後なんだけどなー」

 

 ピッ、という短い電子音と共に通信が切れた。思えば彼、レオナルド・ダ・ヴィンチだって色々忙しいのに、その中でわざわざ自分に時間を割いてくれたのだ。自他ともに認める天才である彼は途轍もない変人だが、同じくらい面倒見が良い所もある。

 苦笑したロマンは立ち上がり、脇に置いてあるコーヒーポットのスイッチを押した。お湯が沸騰するまでの間に持ち込んでいたお菓子やケーキの類をベッドに載せて、快適なサボり時間を演出するための準備を整えていく。

 

 その間は割と考えることが少ない。だからだろうか、気が付けば思考は先の夢に向かっていた。

 

「シバの女王か……今じゃ実在すら怪しまれてるけど、確かに彼女は居た。うん、懐かしいな」

 

 今ではもう、ソロモンという男とロマニ・アーキマンという男は何の関係もない。正真正銘の別人、精々がソロモン王の記憶を持った一般人と言ったところか。現状ではその記憶すらだいぶ消えているのだが。

 とはいえ、たまに夢で昔の光景を見ることがある。そうした記憶は今見ると中々思う所が多く、言うなれば黒歴史と栄光を同時に見せられている感じだ。やはり人間が非人間の動きを見ればツッコミどころも大量である。

 その中で、今度の夢は悪くなかった。シバの女王マーキダ。今のご時世ならきっとアイドルとして頂点に立てそうな白皙の容貌は見事なものだったし、文武両道の才は伝承に語られる女王の逸話に見劣りしない。エチオピアの人間に先の光景を見せたら、きっと感激してしまいそうな気すらする。

 

「そう言えば、シバの女王はソロモン王の子供を孕んだんだっけか……」

 

 思わず思い出したロマンは、なんとも言えない顔をしながら出来上がったコーヒーを手に取った。零さない様にベッドに座り、一口すする。安物とはいえ酸味と苦みが調和して心地よい。今度はコーヒーをサイドテーブルに置いて、ケーキを一口。得も言われぬ甘味が広がり口内を包み込む。かつては味わえなかった贅沢、これだけでも生きている価値はあるものだ。

 

「まあ、うん、もう思い出すのはやめだやめ。彼女はボクとは何の関係も無いんだし、気にするだけ時間の無駄だ」

 

 割り切って、だけど最後に少しだけ思考の奥に手を伸ばす。先の夢の最後、マーキダの語る愛についてだ。今生のロマンもそういったことに縁は無いが、それでも人並にどういうものかは知ることができた。だからこそ、今なら彼女をこう評せる。

 

「随分、ロマンチストな女王様だったんだな」

 

 呟いたその声は、少しばかり楽しそうに弾んでいた。


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