静かに、二人の後輩は決意する。   作:いろはにほへと✍︎

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恋心というやつ
いくら罵りわめいたところで
おいそれと胸のとりでを
出ていくものでありますまい

―夏目漱石―



無邪気なその笑顔

 

 高海美奈は素敵な女の子だ。

 

 趣味は合うし、考えもよく合う。気は利くし、何よりあざとくない。

 けれど、意外と涙脆かったり、強がりだったり、そういう面では面白いやつだと思うことが何度もあった。

 惚れられた男がいたくせに、歯牙にもかけず、俺に告白してきた。そして何もかき乱さずに、自然な笑みを浮かべていた。

 

 一色いろはは変わった女の子だ。

 

 趣味も考えも合わないし、凄いと思えるところがなかった。

 けれど、適当なふりをしてやる時はやるし、そういう面でいえば息が合うことも往々にしてあった。

 惚れた男がいたくせに、雲泥の差の俺に告白してきた。そして全てをかき乱してもなお、あざとい笑みを浮かべている。

 

 考えてみると、俺の中では高海にアドバンテージがあった。お互いコンセンサスの上だったし、イシューもなかった。

 でも、違った。

 セオリー的なものではなく、エモーションでアンサーが出たのだ。

 どちらもオルタナティブではなく、俺が出したオンリーワンのアンサー。

 

 ……ってどこの会長だよ。

 

 まあともかく、恋は理論ではないことをここに記しておこうと思う。

 

 × × ×

 

 「先輩お待たせしました」

 「おう」

 

 先に待っていた先輩に声をかけた。

 振り返った先輩は私を見て顔を顰める。

 

 「どしたのその顔」

 

 「は? はあ?!」

 

 「いや……その……なに? 表情が……嬉しそうな悲しそうな……」

 

 言われて、得心がいった。

 私は、美奈ちゃんからメールが来たとき、喜んじゃいけないのは分かっていたけれど、悲しむというわけにもいかなかった。それで自覚なしにも妙な表情になっていたようだ。

 

 「お、乙女に顔のこと言うなんて最低です。バカ! ボケナス! はちまん!」

 

 「いやだから八幡は悪口じゃねえって」

 

 顔を赤くして怒る私と、それを宥める先輩。一見したら彼女が超超超可愛いアンバランスなカップルにしか見えないだろう。

 

 「それでどこ行くんですか」

 

 「うん、まあそうだな……歩きながら決めるか」

 

 「じゃあなんで学校じゃないんですか」

 

 「察しろよマジで……」

 

 ぶつぶつ言いながら歩き出した先輩の背中を追う。丸まって猫みたいになっていて少し笑ってしまう。私は少し背中を叩いて先輩の横を走り抜けた。

 

 「腰悪くなりますよ!」

 

 「ほっとけ……」

 

 そんな軽口を叩いて、私達は学校をあとにした。

 

 × × ×

 

 「そう言えば先輩」

 

 私はふらふらと先輩と立ち寄った公園でミルクティーを片手に口を開いた。

 

 「なんだ」

 

 私達は、学校から三十分くらい歩いて、閑静な住宅街の中の小さな公園に来ていた。先輩は、えっと、あの、あれ。変な甘いコーヒーを呑みながらブランコを見て黄昏ていた。

 私達は二人で近くにあったベンチに腰を下ろした。

 

 「美奈ちゃん泣いてました」

 

 「ぶっ!」

 

 先輩が漫画みたいにコーヒーを吹き出した。下が土で良かったですね……。

 

 「いやいやいや……、それ言う必要あった?」

 

 「あるに決まってるじゃないですか。先輩が泣かせたんだから」

 

 「いやまあそうだけど……」

 

 「そうです」

 

 先輩は未だ納得が行かないというふうに軽く地面を蹴った。

 こうやって先輩と話しているうちに気持ちが高まってきた。

 何気ない、言うならば後輩が先輩をいじるような何ともない話なのに、楽しくて仕方なかった。

 私は先輩を窘めてから立ち上がる。

 急に立ち上がったせいで少しふらふらした。

 

 「どうかしたのか」

 

 「そろそろ返事を聞こうと思って」

 

 向き直って先輩の目を真っ直ぐに見る。

 正直、結果は分からない。

 もしかしたら先輩の中では二者択一でさえなかったのかもしれない。でもその態度や雰囲気は嫌になるほど分かりやすくて、私は陶酔するほどに、感情が満ちていた。

 

 「そうか……」

 

 「はい」

 

 「まあ、このままってわけにも行かないよな」

 

 先輩の言葉はコミュニケーションというよりも、およそ自分に言い聞かせているようだった。

 私は短い沈黙の間、一言さえ発することが出来なかった。決意というか、先輩の決定と覚悟を邪魔してはいけないと思ったのかもしれない。

 

 「一色」

 

 「はい」

 

 「俺は……」

 

 座して返事を待つ。私からすると、たった十秒にさえ届かない静けさが、永遠の時間のようにも、思えた。

 

 先輩は痛そうなくらいぎゅっと拳を握りしめると、確かに私の目を見つめた。

 私はその視線を、そっと返す。

 

 「俺はお前の悪いところを何百個だって言えるし、良いところなんて熟考しなければ思い浮かばない」

 

 「マジですか先輩……」

 

 かっこ悪い……、そんな言葉が口の先をつついて出ようとしていた。しかし、いつにない先輩の表情に、口から出すのは躊躇われた。実際、和ませるために言ってもよかったのかもしれないけれど、先輩の言葉を、ありのままに聞いてみたかった。

 

 先輩はすっと姿勢を正した。

 

 『でも、俺は一色を好きになった』

 

 私は嫌になるほど待ち受けたその言葉を、不器用な先輩からようやく聞くことが出来た。たった、たった二文字の『好き』という言葉。私自身何度言われたか分からない。でもそんな沢山の言葉よりも、ただこの一瞬だけが特別だった。

 

 「遅いです」

 「え?」

 「どれだけ待ったと思ってるんですか」

 「悪い」

 「ホントです」

 

 気付かぬうちに湛えられた嬉し涙を必死に隠して、私はあざとい笑みを浮かべた。しかし先輩は何も言わず、何度したかも分からない私のあざとさに一つ笑って見せた。

 

 「で、返事を聞いてないんだが」

 「え?」

 「だから、俺の一世一代の告白の返事をしてくれませんかって言ってるの」

 

 まあ何度かしてるわけだけど、なんて空気の読めない一言を加えてから先輩はまたベンチに腰を下ろした。おかげで私が先輩を見下ろしている形になった。

 

 「私は……」

 

 まるで夢だ。

 長く永く見続けていたい夢。

 けれど、けれどこれがもし、夢ならどこまで残酷なのだろう。そして、これが夢ならば、美奈ちゃんはどれほど安心するのだろう。

 『運命は一つ一つの選択』

 どこかで聞いたことがある。一つの選択が未来を形作る。偶然は必然と。

 難しい概念だけど、私の最も感心した、好きなフレーズだ。

 それに従えば、私がこの状況になったのも、美奈ちゃんが涙を零すことになってしまったのも、私や美奈ちゃんが過去にどこかでした選択が導いたと言える。

 ならば私は、運命に従わなければ。

 私は先輩の目を見つめる。

 

 真面目に。それでもゲームみたいに。

 

 「愛してます先輩」

 

 自分がどんな表情をしていたのかは、分からない。けれど、気づけば夜闇に包まれた公園で、私が純粋な言葉を伝えたことだけは確かだった。

 

 × × ×

 

 「はあ……」

 

 いろはは今頃先輩とランデブーかな、なんて考えて湯船に浸かりながら私は盛大なため息をついた。

 しかし難しい。

 先輩のあの辛そうな表情を、先輩の涙を、何よりいろはの嬉しそうな表情が脳裏に浮かぶのに、私は諦めることが出来ていなかった。

 

 不意に、私の最も愛した小説家の、最も愛したフレーズが浮かんだ。

 

 『恋心というやつ、いくら罵りわめいたところで、おいそれと胸のとりでを出ていくものでありますまい』

 

 私はその言葉を咀嚼するように何度も何度も頭の中で反芻する。

 

 「そっか!」

 

 私はその瞬間に、分かった。

 実に単純なことだった。ある意味で私は盲目的になっていたのかもしれない。

 前提が間違えていたのだ。

 

 私は普通、誰かに言われてやっと分かるようなことを一人で自己完結して、しかし、しっとりと瞳が潤んだ。一人なのにそれを誤魔化すように湯船に顔を埋めて、ばっと顔を出して一つ笑みを浮かべた。

 

 「先輩! 諦めませんから!」

 

 私は大きく叫んで、また顔を埋めた。

 

 × × ×

 

 週が明けて月曜日。

 土日は特に誰と会う訳でもなく、言葉通り、平穏無事に過ごした。

 大好きな女の……男子の戸塚に挨拶をして、教室では戸塚とお話をして、昼休みには戸塚のテニスを見る。放課後になれば戸塚に一言挨拶して奉仕部に向かう。

 ガラリと何度開けたかも分からぬ戸を開けると、何度見たかも分からぬ顔が俺を待ち受けていた。

 雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣。

 ……なんか睨んでる。

 

 「比企谷くん」

 「ヒッキー!」

 

 二人で声を揃える。

 

 「ちゃんと説明して!」

 

 視線の先には二枚の入部届けが置いてあった。

 

 『一色いろは』

 『高海美奈』

 

 ……なにやってんのこいつら。

 

 「どういうことなのかしら。比企谷くん。あなた一色さんと交際を始めたそうじゃない。そのことについてまず2000文字以内で説明しなさい。その後に本題の二人の入部について500文字以内で説明しなさい」

 

 「落ち着け落ち着け。問題みたいになってるし本題が変わっちゃってるから」

 

 「ヒッキー! 二人ともヒッキーに入部を進められたって言ってたよ! 何言ったのさ!」

 

 「いやいや分かんない。自分で言ったのかも分からない……。え? 言ってないよね……?」

 

 二人の口撃を躱すことができずに、さらに自分の記憶さえも疑うことになりながらしどろもどろに答える。すると、背後のドアが開いた。

 

 「だから平塚先生ノックを」

 

 「……って一色さんと高海さん」

 

 「ちょうどいいねゆきのん。説明してもらおうよ! さっきはトルネードみたいに紙を出して居なくなっちゃったし」

 

 「トルネードってところがお前らしいな」

 

 「ヒッキーうるさい!」

 

 「黙りなさい比企谷くん」

 

 「で、どういうことお前ら」

 

 黙らずに、俺は二人に尋ねた。

 

 「先輩のこと探しに行ってました」

 

 「いやそうじゃなくて入部届のこと」

 

 「ああそれなら保険です」

 

 一色が答えた。

 

 「保険?」

 

 「はい。だって美奈ちゃんが先輩を諦めないっていうから……負け犬のく……まるで犬みたいに粘り強く」

 

 「え、いろは今負け犬って……これだからあざとロボットは……これを機に乗り換えませんか先輩」

 

 「あざとロボットって、それ結衣先輩並にネーミングセンスないよ?」

 

 「な……いろはだってほとんど雪ノ下先輩みたいにぜっぺ……いや雪ノ下先輩ほどじゃなかった」

 

 これだけ言って二人は、はっと我に返った。

 しかし時すでに遅し。

 絶壁ノ下……雪ノ下の氷のような冷たい視線が高海を突き刺している。

 由比ヶ浜はぷくーっと頬を膨らませていた。

 俺はこれから起こるだろう面倒の予感に目をつぶって、こっそり戸の方へ歩いて行く。

 

 「とにかく諦めませんから!」

 

 断末魔のような、高海の声が聞こえたような気がした。





はい、完結。
前の話が重たかった分ハッピーエンドにはならなそうでしたけど、自分的にはハッピーエンドです(笑)
たぶんifは書かないです。どうしても蛇足になってしまいます。
まあ蛇足なのは自分が書く場合何ですけどね(笑)誰か1から高海美奈を書いてくれないかな。
時間がかかった訳は完全に受験のことです。
一応今のところは国立を受けるつもりなので割と余裕がありません。これから他の作品も遅れそうですが、よろしくお願いします!

あと誰か美奈ちゃんを書いてくれる人いないかな……(2回目)


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