修羅場、とは何だ。
現実逃避する思考にすら修羅が住む、そんな状況に直面することだと俺は思う。
それは唐突だった。今朝、朝食の席でたまたま携帯が鳴ってしまったので応答したのだ。その相手――トウコからの電話に出ただけで「その女、誰?」と、絶対零度の視線に晒されるのは流石に予測できなかった。
人生で一回は安全地帯から言われたい
ただ、付き合い始めて間もない時期にこれだけの嫉妬ポイントが稼げるとは、まさか毛ほども思わなかった。フウロはもっとこう、ニパーっとスルーしてくれるものだと思っていたが、一瞬で鬼に化けることが出来るらしい。
フウロが朝食のソーセージが刺さったフォークを手に持ったまま、鈍く錆びついた眼光を光らせて俺に詰め寄ってきたのだ。
流石に命の危機を感じたが、相手はガールフレンド。ゲンガーを呼んで撃退など出来るわけもなく、洗いざらい事情を話さざるを得なかった。
別に浮気してないし。ただのパトロンだし。
フウロには余りこういったことは慎むようにと、釘を刺された――本当に刺されそうな気迫があった――が、仕方ないのだ。
例えば、満員電車で一時間ほど揺られ、面倒な上司と生意気な後輩に囲まれた職場に行くとして、そこに絶世の美少女が居たらどうだろうか。癒やされるはずだ。
であれば、彼女も金も権力も握った俺が美少女に癒やされたいと思うのも、ちょっとお小遣いを上げて癒してあげたいと思うのも道理なのだ。
まぁ、さしたる問題はもう無いので、後顧の憂いを断つためにプラズマ団のアジトというアジトを襲撃して火を放つ。これから毎日アジトを焼こうぜ、どんどんやろうじゃねぇか。
――とはならない。
プラズマ団のお客様を見て欲しい。何があったのか知らんが、彼らの味方は意外にも多く、政治家や何らかの団体に所属する幹部とかがそれなりにいるのだ。
いや、なんでだろうな。マジで。ポケモンを解放する! とか言って、伝説のポケモン持ち出して負けるのに。タイタニックに乗るとは何とも笑えない奴らだが、笑えない奴らだからこそ解せない。利に聡く、嗅覚の優れたハイエナが泥舟に乗るか?
イッシュ地方は独立気風の強い――まるでアメリカのような地方だ。そこに新秩序を打ち立てようと現れた集団をこうもアッサリ受け入れるとは、謎だ。
吸血鬼が後ろに座っているわけでもあるまいし、何か勝算があるのか。
プラズマ団がもしも新秩序を築き上げるのなら――敵対までしなくていいだろう。まだぶっ壊したアジトは一軒だけだし、勝ち馬に乗るというのも悪くない。
ただ、本家のストーリーを全く覚えていないので、Nが伝説ゲットで厨とか城浮上とか、Nがチャンピオンとして戦った? 事しか覚えていない。あいつらマジで何がしたいんだ……。
しかし、ここはドーンと構えて、じっくりと情勢を見守って、勝ちそうな方に加勢するのが一番いいだろう。かつての関が原もそうやって軍配が上がったのだ。
トウコがヤーコンを倒したのが七月の頭なので、チャンピオンリーグに着くのは、一つの大きな街に移動するのに半月掛かるとして、大体八月の中旬頃。ないしは九月前を見込んでおけばいいか。
今年も夏が来てしまったので、サザナミビーチで褐色メロンと戯れるのもいいだろう。だが、夏休みベリーメロン堪能計画には大きな障害がある。
騎士道には基本的にオフシーズンが無い。
というのも、ポケモンバトルは年がら年中行われているのでチャンピオンリーグなど大きな大会の期間などを除き、纏まった休みを取るかどうかは自由なのだ。言い換えれば、しょっちゅうバトルしているので多少休んでも対して影響がないのだ。
理由は――ポケモンも人間も頑丈すぎるからだ。
ポケモンはポケモンセンターで休めば元通り、すっかり元気になって戦いに復帰する。もちろん個人差はあるが、一日二日動けないとなれば、それはよっぽどの重症である……と言えば察しがつくだろう。
元来、ポケモンは好戦的な生き物で、戦えば戦うほど成長して喜びを見出す――マゾ科の――生き物。バトルから解放しろなどという団体は今日日プラズマ団辺りしかいない。
生息地を保護しろ、という声はあるのだが、ポケモンバトルを止めろと言う声は不思議と見掛けないのだ。少なくとも俺がエイジの時代にバトルをやっていた時は聞いたこともなかった。
話を戻すが、ポケモンは問題ない。であれば人間にも何らかの超常的要素がある。それは単純に、体力の問題だ。奴ら一般人でも素人中高生アスリート並にエネルギーが有り余っているのだ。
休暇を取れと言われて「よし、ポケモン達と修行してきます!」と労基法も真っ青な底力を見せる。……もちろん、そんな奴だからこそポケモントレーナーをやっていけるというのもあるが。
だが、俺にそんな体力はない。八時間労働でクタクタだし、どちらかと言えば試合よりそらをとぶでの移動の方が疲れるくらいだ。その癖売れっ子なので、どいつもこいつも体力が無尽蔵にあるとでも思っているのか、山ほど仕事と試合をぶっこんでくる。
休みが一週間に零回しか無いなんて耐えられない。朝は農作業、昼と夜は試合か取材か、このペースだと死んでしまうので五郎○ブームのように一過性だと信じたい。
安い労働力を大量に仕入れられれば、農場を(俺が)低労力で、(俺の)利益が上がるように運営できて、朝の作業の負担が減るというのに……。
プラズマ団から人間を開放して安くこき使いてーなぁ……。社会のゴミ箱の如く掃き溜めから寄せ集めた人間ばかりいるから、多少減っても気付かないし……いや、止めよう。俺の勝手な考えで現実の生活を乱す訳にはいかない。妄想は妄想で止めようね!
ただ、農作業と言っても精々が収穫・
ジョン・スミスのヤチェのみ農場の売上は初期こそ低かったものの、今では大分安定しているのだ。ネームバリューの力さまさまである。
そんなわけで、我々は労働者の権利を守るべく立ち上がらなければならないのだ。労働者よ、立ち上がれ!
そんなわけで、資本主義的な思想を打ち砕き、人民のための共産主義を築き上げる為にジムリーダー
と言うのは嘘で、フウロにせがまれたので試合後にライモンシティのポケモン協会に寄ったのだ。
会議室でフウロ様がお待ちです、と受付のお姉さんに言われ一つ鼻歌でも歌いたくなるような気分になる。いきなり会議室でプレイとは中々の強者、いや、もしかして上級者なのか。
ホイップステップジャンプと会議室に飛び込むと、ジムリーダー全員の視線が突き刺さった。
「……why?」
「!? ……何故此処にこいつがいるッ!!」
次いで、ヤーコンの怒鳴り声。激おこぷんぷん丸であるのは確定的に明らかであったが、理由を俺が知る由もなく、ただただテンションが下がるだけである。
フウロが何事か話すと、彼らは悲鳴のような――突然ゴキブリを台所で見たかの如く立ち上がる。
ヤーコン氏が随分とご立腹な様子ででフウロに食って掛かり、あのドラゴンタイプの使い手――アイリスじゃなくてシャガさんというらしい――が、何とも恐ろしげな表情でコチラを見ていた。
彼らは全員円卓を囲み、ホワイトボードに大きく書かれた「プラズマ団への対応」について話し合っていたばかりなのであろう。
まぁ、あれだ。とても場違いな客であるということは理解できた。
が、フウロ以外のドイツのコイツもアイツも、腰のボールホルダーに手を伸ばして、「野犬が入ってきたから警察を呼ばなきゃ」みたいな感じで固まっている。
酷い
ちなみに、野犬を見たら保健所に連絡しよう!
デルビルとかポチエナなんかは狂犬病に掛からないが、こちらの世界にいる犬……もとい狼は、ちゃーんと狂
発症後の致死率はほぼ百%なので、日本のように根絶した国を除いて、哺乳動物にはよく気を付けましょう。この世界では、ポケモンレンジャーがよく死んでるとだけ、言っておく。
犬――簡潔に言えば愛玩動物であるが、彼らは人間に対して恭順する姿勢を示す個体を選抜していった結果、出来上がった産物である。耳は垂れ、顔は丸く、ワンと鳴くアレである。
その昔、かつての地球でもキツネに対して「選抜」を行った実験が存在した。結果、人に対してよく懐く個体が生まれたのだ。それを何十年、何百年、何千年と繰り返してできたのが我々の最もよく知る犬である。
残念だが、犬になる前の狼は――ポケモンとの愛玩動物化の歴史で敗北しているのだ。というのも、近年になって人の遺跡からどのポケモンとも形態特徴の似つかない絵――俺からすれば等しく落書きである――や、体毛が発見されてたのだ。
遺伝子解析をした結果、動物園に居る狼に近いと話題になったのである。
しかし、この世界……ポケモンの進化の軌跡だけがほとんど分からないというのが納得いかない。
人間に遺伝子があるのならそれは紛れもなく、大昔の大昔、原初の海に生まれた1つの生命体を元にしているのだ。原核生物、古細菌、真核生物と別れた生物の進化の枝から、ポケモンというドメインが生まれたということなのか?
「考え事かしら、ジョン・エイジさん」
脇道にそれた思考を戻したのは、電撃的なファッションセンスで有名なカミツレ氏の電撃発言である。あのスレでも覗いたのか。スーパーモデルが掲示板を覗いても良い事はないと思うんだが。
「それで『フウロ』、今日呼び出したのは何の用だい」
まぁ、どうでもいい。こういう手合は無視に限る。人の名前を馬鹿にするという事は、名付け親と名付けられた者を貶しているのと同等。つまり俺は二倍バカにされたのだ!!
で、フウロから事情を聞けば、「無実であることを示す」か。正直嗤ってしまいそうになったが、疑いを晴らしてもらうに越したことはない。だが中々どうして、面倒な女だ。
厄介事とは関わり合いになりたくないので、後は全部フウロに押し付……任せ、踵を返して立ち去ろうとした。が、そうは問屋が卸さない。
「ジョン・スミスよ」
シャガである。白いお髭を蓄えたムキムキマッチョマンの爺さんは、見る者の心を透かして見るような視線で――こういう目をするのは俺の最も嫌いな人種である。問答でまともに相手をすると勝てないのが特徴だ――俺に何事か問いを投げかける。
「そなたが真に信じるのはポケモンとの生活であるのか、ペテン師の戯言であるか」
「経済規模を考えればポケモンの損失は後世に暗い影を落とすでしょう。お分かりで?」
それだけ言って、呼び止める声がなかったので帰った。
プラズマ団は……負けまぁす! とか言ってみたら、多分目を丸くするんだろうよ、とかそんなことを考えて都会を歩いていた矢先。
一通のメールが届いた。メール自体はしょっちゅう届くが、それはあくまでも表向きのアドレスの話で、私的に利用しているアドレスには当てはまらない。
どうやらシロナから聞き出したようで、中身を見てみれば「ダークライについて話を聞きたい」との事。チェーンメールかと突っ込みたくなるような――娘が悪夢で悩んでいるんですとか何とか――内容だった。
しかし、これは、そう、とてもいい……。
「クレセリアを探すのに協力して欲しい」だと。
会議は紛糾した。
洗脳でもされたのかと言うほどフウロが意固地になって「ジョンは大丈夫だ」と主張する。
それを聞いても周りのジムリーダー達は首を捻り、顔をしかめ、おまえは何を言っているんだと、フウロを説き伏せようとする。例えるのなら、砂漠に落ちた餅をまだ食べられると言っているようなものだ。
フウロを除くジムリーダー達の共通認識は、ジョン・スミスは信用ならない男である。プラズマ団との癒着が証拠として提示されれば、飛ぶ鳥を落とす勢いで糾弾することが出来ると彼らは確信していた。
逮捕できれば後顧の憂いを断つことが出来るが……問題はフウロだ。ジムリーダー側の内情が筒抜けになっているやも知れぬ状況で、おちおち会議など出来たものではない。
結局、一回目のジムリーダー会議は禄な決定も下せないままお開きとなったのだ。
それから一週間も経たない内に、新聞は大きな事柄をデカデカと載せた。『悪夢に苛まれる少女、クレセリアが救う』『ジョン氏、伝説のポケモンをゲット』等と妙に持ち上げる記事が出回った。
記事の内容が真実であれば、プラズマ団側に伝説のポケモンが渡ることになる。
やはり、やりにくいと、どのジムリーダーも頭を抑えられるような窮屈さを感じる。ジョンがジムを巡ってバッジを手に入れたことは誰もが知って、そして強烈に頭に叩き込まれた出来事であった。
圧倒的力量差。
一対多で戦えば勝ち目は十分にあるだろうが、プラズマ団を含めた多対多であれば無事では済まない。ジムリーダー達は行動に移す前に、何かしらの手法でジョン・スミスを引きずり落とさなければならなかった。
警察に逮捕させるか、ポケモン協会を通じて試合に出ずっぱりにさせるか等、手法は問わないが、立ち上がるタイミングで拘束できればいいのだ。
だが、彼らは政治を得意とする集団ではない。それ故に、フウロを除いて決起しなくてはならないのだ。
けれども、その決起するか否かの会議は当の本人、ジョン・スミスの乱入により有耶無耶となってしまった。だが、彼らは立ち上がる。
それはジムリーダーとしての宿命であり、ポケモンを育てるものとしての責務であり、イッシュに生まれた人間としての矜持から生まれたものだった。
そして、更に一週間経った七月中旬。
ゼクロムがNの元に下った。
謀事多きは勝ち、少きは負ける