日も傾き始めた頃、買い物を済ませた暁はバス停で梓と別れてポアロに戻った。
梓に散々着せ替え人形にされてしまった。地下室に下りた暁は、防寒具を脱いで少しばかり疲れた身体を休ませようとソファに腰を下ろす。
「おいおい、電気くらいつけろよ」
鞄から出てきたモルガナが、地下室の電気をつけようと梯子の中段から手を伸ばしてスイッチを押す。
「……あれ? つかないぞ」
どうやら、蛍光灯が切れてしまったようだ。
梓の話ではこの地下室は長く使っていなかったようだし、湿気などで腐食劣化してしまっていたのだろう。この栄光灯がつかなければ、窓のない地下室では天井の扉から漏れる倉庫からの明かりに頼るしかなくなる。
小さく溜息を吐いた暁は、脱いだ防寒具を着直し、近所のコンビニへ替えの蛍光灯を買いに出掛けるのだった。
蛍光灯を買い終えてポアロに帰り着く頃には、既に日没を迎えていた。
近場のコンビニに目当ての蛍光灯が売っておらず、少し遠出して周りにタワーマンションが立ち並ぶ大きな家電量販店まで出向くことになってしまったのだ。
昼と比べて寒さも一段と増しており、暁の吐いた息も白く染まる。
「さぶっ……早くストーブにあたって休もうぜ」
震えるモルガナに急かされつつ、暁はポアロの前で玄関の鍵を取り出そうとポケットを漁る。
そこでふと、顔を上げてみる。ビルの隅――二階にある毛利探偵事務所に続いている階段の前で、何やら入ろうかどうか迷って右往左往している女性が目に入った。
気になった暁が声を掛けると、彼女はひどく驚いたように身を竦ませ、恐る恐るといった風にこちらを見る。
なんと、その女性は病院で出くわした、あの茶髪の女性であった。
病院で会った時と同じく帽子を目深に被り、サングラスをかけている。まるで、昨日の大谷がしていたような顔を隠すための装いである。
「あ、貴方は、病院で会った……」
どうやら、彼女も暁のことを覚えていたらしい。
目の前の喫茶店に住み込みでバイトしている者だと言った後で、毛利探偵事務所に用があるのかと暁は尋ねる。
彼女は、サングラス越しでも分かるほど不安そうな顔付きをしつつ、こくりと頷いた。
毛利探偵事務所に依頼をしに来たようであるが、どうにも踏ん切りが付かないようである女性。
買った蛍光灯をポアロに置いた暁は、そんな女性を連れ立って二階に上がり、毛利探偵事務所を訪れる。階段は三階まで続いており、ビルの三階は毛利家の自宅となっているようだ。
アルミ製の扉の前に立ち、事務所のチャイムを鳴らす。中から「はーい」という女の子の声が聞こえてくる。
「お待たせしました! ……えっと、仕事のご依頼ですか?」
扉から開けられ、中から長髪の少女が暁達を出迎えた。
確か、毛利探偵の娘の毛利蘭だ。エプロンをしているところからして、これから自宅に戻って夕食の準備に取り掛かろうとしていたのだろう。
仕事の依頼かと聞く彼女に対して、暁が連れてきた女性は小さく「そ、そうです」と頷いて答える。
「ダメダメ、今日はもう閉店! 店仕舞いなんだよ!」
奥から毛利探偵の声が聞こえてくる。まさか酒でも飲んでいたのだろうか? 妙に呂律が回っていない口調だ。テレビでも見ているのか、女性の歌声のようなものも聞こえる。
「もう、お父さん! ……ごめんなさい、今日は訪問先の依頼主が料金が高いって依頼をキャンセルしちゃって……それで機嫌が悪いんです」
どうやらその依頼主は軽い気持ちで探偵に依頼したようだ。暁も相場を詳しく知っているわけではないが、気軽に依頼できるほど安くはなかったはずだ。
扉の向こうから、「全く、何がそんなに高いと思いませんでした、だ。探偵舐めてんじゃねえぞ!」と毛利探偵の文句がぐちぐちと聞こえてくる。
事件を解決するようになって仕事の依頼が少しずつ増えてきているようだが、まだ前途多難な様子だ。
「……あ、あの、もしかしてなんですけど……アイドル歌手の沖野ヨーコさん、ですか?」
暁の隣に立っている女性をじっと見ていた蘭が、急にそんなことを女性に向けて聞いてきた。
……アイドル歌手?
「な、何ィッ!? 沖野ヨーコ!!?」
それを聞きつけた毛利探偵が、血相を変えて娘である蘭を押し退けて扉から顔を出してくる。相応に荒れていたようで、髪はボサボサ、シャツもヨレヨレだ。
「は、はい……その沖野ヨーコです」
飛び出してきた毛利探偵に少し引き気味になりながらも、女性はサングラスを外してそう名乗った。
毛利探偵は数秒ほど硬直していたが、再度蘭を押し退けて事務所内にとんぼ返り。「ちょっと、お父さん!」と、文句を投げ掛ける彼女も目に入らないといった勢いで奥に引っ込んでしまう。
扉の隙間から埃が舞い出てくるほどドタバタ何かしていたかと思うと、奥の扉がガチャリと開いた。
先ほどの乱れた髪やシャツはどこへやら。結婚式で着るような白いスーツでポーズを決めた毛利探偵が姿を現した。
「お待たせしました……お話を伺いましょうか、お嬢さん」
毛利探偵の着ているスーツよりも白い視線が彼に集まり、暁の鞄からモルガナも顔を出す。
「……誰だ、このオッサン」
なんと、女性の正体は今現在探偵事務所のテレビに映し出されている人物、沖野ヨーコというアイドル歌手であった。
事務所に彼女のポスターが貼られているのとあの反応からして、毛利探偵は彼女の大ファンのようだ。
暁もルブランの屋根裏に杏からプレゼントしてもらったアイドルのポスターを飾っていた。が、仲間からのプレゼントだから飾っていただけで、生憎とそのアイドルの名前すら覚えていない。
「私……誰かに監視されてるみたいなんです」
そう言って、ヨーコは己を悩ます問題について話を切り出す。
監視されているという話だが……帰宅すると家具の位置が変わっていたり、無言電話や隠し撮りした写真が送り付けられたりしているらしい。
「先日、担当のマネージャーが私を家に送ってくれた帰りに刺されてしまって……私、怖くてしょうがないんです」
そして、ついには被害者まで出てしまったようだ。件のマネージャーは重症だったようだが命に別状はなく、今は入院しているらしい。
今日の午前中に病院で暁と出会ったのは、そのマネージャーの見舞いに来ていたからだったのだ。
「マネージャーが刺された? それは、警察には連絡したんですか?」
「いえ……意識を取り戻したマネージャーから騒ぎになったらいけないと言われて、連絡はしてません」
仮に騒ぎになって色々と噂されれば、国民的アイドルとしてのクリーンなイメージに汚れが付いてしまう。マネージャーはそれを危惧し、刺された自分を発見した通行人にも救急車だけ呼んでくれと頼んだといったところか。
犯人をヨーコのファンと推測し、大好きなヨーコ自身を殺そうなんて真似はしないと考えてのことだろうが、それでも警察に連絡しないのは考え物だ。
「なるほど、それで私に依頼を! では、まずは何か手掛かりがないか、ヨーコさんのご自宅に……ん? おめぇ、なんでここにいるんだ!?」
そこまで話して、毛利探偵はヨーコと一緒にいる暁にようやく気付いたらしい。
昨日の一件で暁のことは覚えていたようだが、まさか今の今まで同席していることに気付いていなかったとは……ヨーコのことしか目に入っていなかったようだ。
「あ、この方は下の喫茶店の前でお会いして……えっと」
そういえば、まだ名乗っていなかった。
来栖暁ですと名乗り、たまたまヨーコと出くわして探偵事務所に入りづらそうにしていたから、付き添いを買って出たと伝える暁。
しかし、大好きなアイドルと一緒にいるのが気に食わないのか、毛利探偵の顔がみるみる歪んでいく。
「じゃあ、もう用はねえな。おめぇはさっさとウチに帰れ!」
ウチといっても、今それにあたるのはこの下にある喫茶店なのだが。
ストーカーの類は怪盗団として活動していた頃に関わっている。そのこともあって、暁はできれば手助けしたいと言うも、毛利探偵は帰れの一点張り。
「あの、毛利さんも依頼を受けてくださるみたいですし、大丈夫ですよ。これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないですから……」
当のヨーコにそう言われてしまうと、さすがにお暇するしかない。
暁は来客用のソファから腰を上げようとする。
「小五郎のおじさん! このお兄さんにも手伝ってもらおうよ!」
――暁が腰を浮かせたところで、今の今まで黙って話を聞いていた眼鏡の少年が急にそう声を上げた。
彼は確か、先日の事件で現場をウロチョロしていた好奇心旺盛な子だったか。
「コナン君?」
「ああ? 急に何言い出すんだこのガキは」
蘭にコナンと呼ばれた少年――えらく変わった名前だ――は、暁を指差して続ける。
「だって、昨日の事件ってこのお兄さんが解決したんでしょ? 一緒に来てくれたらすごく心強いと思うんだけどな~」
「え、そうなの? お父さん」
「ま……まあな。オレほどじゃねえが、人並み以上には頭が回る坊主だ」
梓を救おうと懸命だったことから、暁のことを多少は認めているらしい毛利探偵は素直にそう答えた。
「……事件を解決した? あ、あの……でしたら、申し訳ないんですけどご一緒していただけますか? 人が多い方が安心できるので……」
暁が事件を解決した経験があると聞いて、ヨーコは暁の手を両手で握ってそう懇願してくる。本当に不安でしょうがないのだろう。
元より、協力しようと思っていたのだ。暁はもちろんですと答え、ヨーコを落ち着かせるべく、自分の右手を握る彼女の両手をもう片方の手でそっと包む。
「ぐぎぎぎぎぎッ……!」
それを見ていた毛利探偵はさらに顔を歪ませ、周りに音が聞こえてくるほど激しく歯軋りをする。睨み付けるその血走った目は、どう見ても探偵がしていい目じゃない。
暁は身の危険を感じ、慌ててヨーコの手を離した。
「ほら、お父さん! ヨーコさんが住んでるマンションに行くんでしょ? 早く支度してよ。コナン君もね」
「ぐぎっ……って、蘭! おめぇらまで付いて来るつもりか!?」
「だって、アイドルの部屋って滅多に見ることできないし。ヨーコさんも人が多い方がいいって言ってるんだもの。そうですよね?」
ウキウキした様子の蘭の問い掛けに、ヨーコは「は、はい」と頷く。
まるで友達の家に遊びに行くような雰囲気だが、不安そうにしているヨーコを元気付けようとしているのか、それとも素なのだろうか。
とにもかくにも、ヨーコの同意を得られては毛利探偵も断ることができない。
「……ったく、絶対に捜査の邪魔をするんじゃねえぞ。分かったな!?」
「「はーい」」
毛利探偵の言葉に、揃って答える蘭とコナン。
子連れの探偵なんて聞いたこともないが、なんとも愉快な三人である。探偵事務所とは思えないほど和やかな空気だ。ヨーコも最初の時と比べて顔色が少し良くなっている。
……それにしても、ヨーコはどうしてこの探偵事務所を訪れたのだろうか? 毛利探偵も最近名が売れてきているが、他にも実力のある探偵はいそうなものだが。
「おい坊主! ぼうっとしてねえでさっさと行くぞ!」
早々に支度を終えた毛利探偵に急かされ、暁は彼らに続いて探偵事務所を出る。
すっかり暗くなってしまった星空の元、一行はヨーコの自宅であるマンションへと向かうのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ヨーコの自宅は、タワーマンションの25階にある部屋。
その部屋に向かう中、あまり縁の無い場所に暁はついキョロキョロと辺りを見回してしまう。
高い所と言えばスカイタワーに何度か赴いたことはあるが、それとは違った高揚感がある。窓から覗く夜景はまさに絶景だ。
「暁兄ちゃん、そんなにキョロキョロしてどうしたの?」
コナンにそう指摘され、暁は自分が都外から来たということと、こういった華やかな場所に馴染みがないということを告げた。
それを聞いたコナンは「ふ~ん」とだけ口にして、何事もなかったように廊下を進んでいく。
それにしても、妙に幼げな口調で話す少年だ。
暁が事件を解決したことを話す彼の言葉には確かな知性を感じさせたが、その口調のせいで少し奇妙な印象を受けてしまった。周りの人間はそこまで気にしていないようだが……
先日の事件でバイクのブレーキに細工がされているのを見つけたのも、そういえば彼であった。
蘭によると、彼は毛利探偵の息子というわけではなく、事情があって預かっている居候らしいが、一体どんな親だったらあのような子供――決して悪い意味ではない――に育つのだろうか?
会ったこともないコナンの両親に少しばかり興味を持った暁であったが、今は関係ないと窓にやっていた視線をヨーコ達の方へと戻した。
「ここが私の部屋です。どうぞ、上がってください」
自宅の扉の鍵を開け、暁達を部屋に案内しようとするヨーコ。
「え……? き、きゃあああああッ!!」
しかし、部屋の中を見たヨーコが恐怖に顔を歪ませ、甲高い悲鳴を上げた。
それを聞いた毛利探偵が「どうしました!?」と、後ずさるヨーコを庇うように前へ出て部屋の中に入る。
部屋には、バスローブを着た茶髪の女性が、包丁で背中を刺された状態で倒れていた。
「坊主! 警察に連絡しろ!」
すぐさま容態を見た毛利探偵は既に女性が死亡していることを確認するや否や、そう暁に声を投げ掛けた。
蘭は携帯を持っていないらしい。急いで暁はスマホを取り出して警察に連絡した。
ほどなくして、暁の連絡により目暮警部が部下を引き連れてヨーコの部屋に駆けつけ、現場検証が開始される。
「また君かね、毛利君。一度お祓いでも受けた方がいいんじゃないかね?」
「何を言うんですか、目暮警部! 事件に遭遇するのは名探偵の宿命という奴ですよ! なっはっは!」
目の前で人が死んでいるというのに、よく笑えるものである。元刑事だから死体など見慣れているのかもしれないが、不謹慎には変わりない。
暁や蘭、それにコナンの咎めるような視線に気付いたのか、毛利探偵は一つ咳払いをする。
「ん? 君はもしかして、暁君じゃないかね!? 昨日ぶりじゃないか。一体、どうして毛利君と一緒に?」
暁のことを覚えていたらしい目暮警部。暁は頭を下げ、ヨーコの依頼のことやそれに協力していることを伝えた。
「その坊主のことはどうでもいいでしょう、警部! それよりも、被害者と現場の状況についてご説明します!」
続いて、毛利探偵がヨーコから聞いた情報を警部に説明する。
殺害された女性の名前は池沢ゆう子。死亡推定時刻は今日の夕方過ぎ頃で、ヨーコと同期デビューした女優らしい。
バスローブの他、耳にイヤリングを付けた彼女の遺体は、入り口の扉の方を向いた状態でうつ伏せに倒れていた。恐らく、犯人から逃げようとしたところを背中目掛けて包丁で刺されたのだろう。
だが、部屋の扉には鍵が掛けられていたし、窓も同様だ。ヨーコの話では、自分の他にこの部屋の鍵を持っている人はおらず、マンションの25階にあるこの部屋に外部から侵入するのは特殊な道具でも使わない限り不可能……つまり、密室殺人ということになる。
それにしても、昨日に立て続けて殺人事件に遭遇してしまうとは……しかも、今回は密室殺人と来た。
まるでサスペンス物の漫画や小説の中の世界に入ってしまったみたいだと、暁は心の中で一人ごちる。
「しかし、なぜこの女性は沖野ヨーコさんの部屋に? よく遊びに来ていらっしゃったんですか?」
「いえ、彼女がヨーコさんの部屋に来たことはないそうです」
自分の部屋で人が殺害されたことにショックを受けているヨーコは、蘭に付き添われる形でソファに腰を下ろしている。顔色の悪い彼女の代わりに、毛利探偵が目暮警部の質問に答えた。
「……ふむ。ひとまず、現場検証の方を始めましょうか」
目暮警部のその言葉を皮切りに、彼の部下達や鑑識課員、それに毛利探偵が部屋中を調べ始めた。
暁も鑑識課員が被害者の物と思われる鞄を漁っているのを覗き見るなどして、控えめに現場検証に混じる。
死体のあった部屋は、人が争ったような痕跡がそこかしこに散らばっている。
警部達は、他の部屋に何か変わった様子がないか調べ始める。
「なっ! こ、これは!?」
家具を調べていた目暮警部の部下の一人が、何かを発見したのか大声を上げた。
それは、女性の部屋には似つかわしくない――拳銃であった。
「ヨ、ヨーコさん! この
「あっ、そ、それは……マネージャーが役作りのために用意してくれたモデルガンです。以前、出演した映画で女スパイの役を任されて……あの、有名な工藤有希子さんが出演していた映画のリメイク作ですよ」
「おお、あの映画ですか! 私も見ましたよ! いやぁ、有希子ちゃんに負けず劣らずといった感じで実に素晴らしかったっす!」
警部達は銃口が埋められているのを確認して一安心し、その拳銃を手近なテーブルに置く。
どうやら、見つかった拳銃はモデルガンだったようだ。遠目から見たら本物にしか見えないことからして、役に成りきれるよう極めて精巧に出来ているに違いない。
暁はトカチェフじゃないのか? と首を傾げつつも、そう思案した。
横で話を聞いていたコナンの口が引きつっているように見えたが、どうかしたのだろうか?
それから、続けて現場検証が進められた。
台所は足元の戸棚が開け放たれ、四本ある内の包丁差しは二本の空きが出来ていたが、その他の部屋は特に荒らされた形跡は見当たらなかった。密室を作り出すための仕掛けといったものも、また然りである。
「あれれ? お風呂、誰か使ってたみたいだね」
そんな中、現場検証に混じっていたコナンがそう幼げな声を上げる。
コナンが覗いているバスルームは換気扇が回されており、隅に腰掛けが倒れた状態で転がっていた。被害者の池沢ゆう子がバスローブを着ていたことからして、恐らく彼女が使用したのだろう。
「コラッ! ガキは大人しくしてろ!」
それを見咎めた毛利探偵が、コナンの服の襟を掴んで蘭や暁達のいる方へ放り投げてくる。
飛んできたコナンを、暁は咄嗟に受け止めた。
「あ、ありがとう、暁兄ちゃん。ねえ、暁兄ちゃんは何か見つけた?」
床に降ろしたコナンにそう聞かれるも、離れたところから警察の現場検証を見ていた暁は、これといって手がかりになりそうなものは見つけていない。
「おい、暁。ソファの下に何か落ちてるみたいだぞ」
と、そこへ、部屋を歩き回っていたモルガナが、ソファの下に何か落ちているのを暁に伝えてきた。
「わあ、かわいい! ヨーコさん、猫飼っているんですね!」
モルガナの猫声を聞きつけた蘭。現場検証の邪魔にならないようにとモルガナを抱き上げ、そうヨーコに問い掛けた。
首を横に振っているヨーコに代わって、暁は自分が飼っている猫だと答える。
「え、ええ! この子、来栖さんの猫なんですか!?」
「おまッ、こんなとこに猫なんか連れてくんじゃねえよ!」
モルガナがポアロの猫だと知っている毛利探偵にそう注意されるが、暁はそれに待ったをかけてソファの下を覗く。
そこには、派手な装飾をしたイヤリングが落ちていた。
そのことを皆に伝えると、目暮警部がソファの下からそのイヤリングを取り出す。
「これは……ヨーコさんのイヤリングですかな?」
「い、いえ、違います。それ……ゆう子さんの物です!」
イヤリングを見たヨーコは、そう断定した。以前、仕事先で会った時に付けているのを見たことがあるらしい。
しかし、遺体の両耳にはしっかりとイヤリングが付けられたままになっている。恐らく別に持っていたものなのだろうが、どうしてそれがヨーコの家のソファの下に落ちていたのだろうか。
皆が首を傾げている中、暁はゆう子がヨーコに嫌がらせをしていた犯人ではないかと、自分の考えを口にした。
このイヤリングは、以前侵入した時に落とした物だろう。替えのイヤリングを落としたという可能性もあるが、覗き見した遺体の持ち物の中には替えのイヤリングを仕舞うようなポーチや袋は見当たらなかった。
「……そういえば、マネージャーからゆう子さんが私のことを恨んでいるって話を聞いたことがあります。ドラマの主役を、私に取られたからって……」
暁の話を聞いていたヨーコが、力無い声でそう話し始めた。
さらに聞くと、以前ヨーコは家の鍵を失くしてしまったことがあるようだ。忙しくて、鍵の交換をする暇もなかったらしい。
そして、失くしたその日は仕事で件の池沢ゆう子と一緒だったと、ヨーコは付け加えた。
「失くしたと思っていた鍵は、恐らく池沢ゆう子に盗まれた……そして、その鍵を使って、彼女はヨーコさんの自宅へ不法侵入を繰り返していた。辻褄も合いますし、十中八九嫌がらせをしていたのも彼女と見て間違いないでしょうな」
それから、粗方現場検証が終わって、大勢いた警察関係者も方々へ捜査に向かっていった。
そのまま一息つき、色々と考え込んでいる目暮警部や毛利探偵にしばらく付き合うことにする。
「はぁ……こんな時、新一がいてくれればあっという間に解決してくれるのに」
蘭が溜息混じりにそう呟いた。その呟きを聞きつけた暁が、新一? と聞く。
「工藤新一。私の幼馴染で、さっき話題に出た工藤有紀子さんの息子なんです。同じ高校二年生なんですけど、探偵やってて……これまで色んな事件を解決してきたんです」
それはすごい。高校生という年齢で探偵として実際に事件を解決するというのは、普通できることではない。
暁の知る高校生探偵も数々の事件を解決していたが、それは自作自演によるものであった。だが、それでも彼の頭脳は暁達怪盗団メンバーの誰よりも優れていたのは確かだ。彼もその工藤新一のように、真っ当な探偵を志していれば良かったのだが……
「でも新一、数週間前から行方が分からなくなってて……今どこにいるのかしら」
そう言って、俯いた蘭の顔に影が差した。
行方不明ということだろうか? だったら、目暮警部に相談した方が……と、暁が口を開きかけるが、傍らで何やら落ち着かない様子だったコナンが急に騒ぎ出す。
「あー! 蘭姉ちゃん、ボク喉渇いちゃったなぁ!」
「そ、そう? ヨーコさん、ジュースか何かありませんか?」
妙なわざとらしさに声を掛けられた蘭は不思議がっているが、ヨーコから冷蔵庫にジュースが入っているのを聞いて台所へ向かおうとする。
そこへ、警部の部下――確か、高木という刑事だ――彼が指紋鑑定の結果を報告しに来た。
「目暮警部! 包丁の柄から採取した指紋の鑑定が終わったと、鑑識から連絡がありました」
「おお。それで、どうだったのかね?」
「はい。家主であるヨーコさん以外の指紋は見つかりませんでしたが、指紋とは別に手袋痕が付着していたようです」
「手袋痕か……」
報告を聞いた毛利探偵が、そう呟く。
手袋などをしていれば、もちろん指紋は検出されない。しかし、その手袋で触った痕跡は残るのだ。犯人を特定することはできないが、重要な手がかりと成りえる。
状況としては家主であるヨーコが怪しいと考えていた目暮であったが、その報告を聞いた時点で彼女を犯人の候補から外した。わざわざ手袋を着けて指紋の付着を防ぐ必要がないからである。
もちろん、そう思わせるためにわざとそうしたという線もあるが……
「ねえ! ゆう子さんとヨーコさんって、後ろ姿がそっくりだよね!」
その時、遺体の傍に近づいていたコナンが、大きな声でわざとらしくそう口にした。
それを聞いた暁達は、うつ伏せの遺体とヨーコを見比べてみる。
同じウェーブのかかったロングの茶髪。背格好も似ているし、後ろから見たら確かにそっくりに見えるかもしれない。
「そうか! 分かりましたよ、警部! 池沢ゆう子を殺害した犯人と、ヨーコさんのマネージャーを刺した犯人は、同一人物なんです!」
コナンの言葉を聞いた毛利探偵は、得意気にそう声を上げた。
そして、自分の考えを述べ始める。
「常日頃ヨーコさんのマンションを見張っていた犯人は、池沢ゆう子がヨーコさんのマンションに入っていく姿を見て、彼女をヨーコさんと勘違いしてしまったんです。入った部屋もヨーコさんの部屋とくれば、その勘違いもさらに深まる。大ファンであるヨーコさんに近づきたいと、頃合を見計らって犯人は鍵が開いたままの部屋に侵入しましたが、自分を拒否して抵抗する池沢ゆう子にカッとなって、台所の包丁で逃げる彼女の背中を刺してしまった! そこで、殺害した相手がヨーコさんでないことに気付いた犯人は、彼女が持っていた鍵を使ってこの密室を作り出したんです」
この寒い中、外でマンションを見張っていたのであれば、手袋などをしていたとしても不思議ではない。衝動的な殺害である場合、証拠を残さないために包丁に触る前に手袋を付ける、なんてことはできないが、そういうことであれば包丁に付着していた手袋痕にも説明が付く。
「なるほど……それならば、そのマネージャーを刺した人物について捜査しなければならないな」
毛利探偵の話を聞いた目暮警部はそう呟くが、その顔は少し浮かない。
それもそのはず、マネージャーが刺されたのは数日前だ。証拠が残っている可能性は低い。それはつまり、事件の捜査が行き詰まる可能性が高いことを示していた。
しかし、毛利探偵はそれには及ばないとばかりに首を横に振る。
「いえ、警部。その必要はありませんよ」
「何ィ? ま、まさか毛利君、犯人の目星が付いているのかね!?」
驚きに目暮警部はそう声を上げる。周りの人間も同様だ。
暁も毛利探偵の話に集中して耳を傾ける。一体、その犯人とは誰なのだろうが?
毛利探偵は、勿体ぶるように含み笑いをし、左手をポケットに入れながらゆっくりと右手を挙げ始める。
「ヨーコさんのマネージャーを刺し、池沢ゆう子を殺害した犯人……それは――」
その右手の人差し指が立てられ、
「来栖暁! お前だッ!」
誤字報告をしてくださった方々、ありがとうございます。
誤字報告といえば、感想からではなく運営側で用意された機能を使って誤字報告することもできるようです。
最近その機能を使って報告してくださった方がいらっしゃり、私もそれで存在を知りました。
誤字箇所と報告者による修正文がDiffソフトのように比較されて表示されるので、便利な機能だと思います。
こちらもなるべく推敲して誤字を無くすよう努めますが、それでも誤字を発見された方は、申し訳ないですがそちらの機能を利用して報告をしてくださると助かります。