少し時間が経って、現場に新たにパトカーが駆けつけてきた。
「目暮警部、お待ちしておりました!」
「おお、毛利君。君も大変だな、こうも事件に遭遇するとは。まあ、今回は場所が場所だから仕方がないが」
他の刑事と共にパトカーから出てきた茶色の帽子とコートを被った小太りの男性が、それを迎えた毛利探偵と話をしている。どうやら、彼が目暮という警部のようだ。
ちなみに、現場をうろついていた眼鏡の少年は、警部の到着を待っている間に毛利探偵の娘である蘭に学校に遅れると言われて引っ張られていってしまった。少年は最後まで抵抗していたが。
好奇心旺盛なのはいいが、さすがに人が死んだばかりの現場を子供がうろつくのは駄目だろう。
「それで、これが事故ではなく事件だと?」
「ええ。被害者のバイクには、ブレーキに細工された痕跡が残っていました。何者かによって、仕組まれた事故……いえ、殺人だったのです」
「なるほど……それで、ガイシャの身元は?」
目暮警部が尋ねると、交通課の女性警官が一課が到着するまでに調べていたことを答える。
「ええっと、名前は桑原誠。ここからバイクで数分ほどのマンションに住んでいたみたいです。経路はほぼ一直線ですから、運悪く停車しているトラックの前で止まろうとするまでブレーキの細工に気付かなかったみたいですね」
「あの……」
その話の中、梓が手を挙げて声を掛けたため、一斉に周りの視線が彼女の方に向く。
「梓ちゃん! 警部、彼女はそこの喫茶店のウェイトレスです。それで、どうかしたのか?」
集まった視線に思わずたじろいでいた梓に、毛利探偵がそう尋ねる。
「あ……その男の人。ウチの常連さんなんです。それで、その……」
「ちょっと、アンタ!!」
梓が言い淀んでいると、先ほど泣き声を漏らしていた女性が突然梓を指差して怒鳴り始めた。
彼女とは面識がないようで、梓は困惑した表情をしている。
「アンタが……アンタが誠を殺したんでしょ!?」
いきなりとんでもないことを言い出す女性。刑事達は驚き、周りの野次馬はざわめき始める。
彼女の名前は大谷華子。
被害者である桑原誠と付き合っていたが、最近は関係が悪くなってきており、かれこれ一ヶ月はまともに会話もしていなかったらしい。
それを梓のせいだと声高に主張している。そして、彼氏が梓に好意を向けていたことを知っていたらしく、それが迷惑で事故に見せかけて殺したんだろう、と。
「全く何なんだあの女は。アズサ殿がそんなことをするはずないだろう」
モルガナはそう言うが、目昏警部と毛利探偵の疑惑を持った目が梓に向けられる。
毛利探偵は梓と顔見知りなので、多少の動揺が顔に含まれていた。
「梓ちゃん……今の話は本当なのか?」
「し、しつこく迫られていたのは本当です。一ヶ月ほど前から……でも、私ブレーキに細工なんかしてませんし、ましてや殺そうなんて……!」
疑いの視線を向けられた梓は慌てて弁解し始めるが、女性がそれを許さない。
「嘘ばっかり! アンタが殺ったのよ!」
そう迫る大谷に対して、梓はそんな人ではないと主張する暁。
まだ会って数日しか経っていないが、彼女が殺人を犯すような人ではないことぐらいは分かる。
伊達に人間の汚い部分を幾らも見てきてはいない。
「暁君……」
「誰だ、おめぇ?」
「ん? 君は、確か……」
毛利探偵が訝しげな顔をし、目暮警部は暁の顔を見て何やら見覚えがあるというような目を向けてくる。
暁は前髪をいじるフリをしながら顔を隠し、四日前からポアロでバイトをしている者だと答えた。本当なら受験して春には大学生になる予定だったが、この世界では例の事件の影響でそれも難しいだろう。
梓に動機があるということは事実だ。
それに、彼女は先日、いつの間にかエプロンのポケットに男性の住所が書かれたメモを入れられていた。
彼のバイクは派手にカスタムされており、そのバイクに乗ってポアロに通っている。メモに書かれた住所へ赴き、駐車場に置かれたその目立つバイクを見つけて細工をすることは十分可能だろう。
だが、それは桑原と付き合っていたという大谷も同じである。暁はそう指摘した。梓にうつつを抜かしていた桑原に対して、恨みを抱いていたとしても不思議ではないだろう。
大谷は余計なことを言うなといわんばかりに暁を睨み付けてくる。
「あのぉ……そういえば、梓さん。今日は珍しく出勤してくるの遅かったですよね?」
しかし、そこでポアロに来ていたお客の一人が、梓が珍しく遅刻していたことを零してしまう。
「そうなんですか? なぜ遅刻されたんです?」
「そ、それは……」
目暮警部に問い詰められて、梓が言い淀んでいる。何やら暁の方をチラチラと見ているが……
そこへ、向こうから一人の刑事が駆け寄ってきた。
「目暮警部! 被害者が住んでいたマンション前の防犯カメラを調べたのですが……まだ明るくない早朝の時間帯に、マンションの敷地内に入っていく怪しい女性の姿が映っていました! ……あ、あれ? 貴方、防犯カメラに映ってた……」
調べてきた内容を報告している最中、梓を見たその刑事が驚き、防犯カメラに映っていた女性が彼女であることを漏らした。
「何ィ? それは本当かね、高木君!」
「は、はい……映っていたのは、間違いなく彼女です。ええと、正確な時刻は――」
高木と呼ばれた刑事は言うには、梓が映っていた時刻はポアロの開店時間より一時間ほど前。
そのせいで、一気に梓への疑いが深まる。そんな時間に、彼女が男性の住んでいたマンションに行く理由などないはずだからだ。もちろん、ブレーキに細工をした犯人でなければの話だが……
「ち、違います! 私犯人なんかじゃありません!」
「梓ちゃん……」
毛利探偵は困惑した様子であるが、状況が梓が犯人であると伝えている。
「私、このメモをいつの間にかエプロンのポケットに入れられていて――」
梓が言葉を切って、件のメモを取り出して目暮警部に見せる。
モルガナは気付かなかったのだろう。メモには住所の下に、"今日の夜に来て欲しい"と小さく書かれていた。
「夜はさすがに怖いんで……朝、そのマンションに寄ってみたんです。でも、ブレーキに細工なんてしてません!」
「し……しかし、どうしてマンションへ行ったんですか? 言い寄られて迷惑していた相手だったんでしょう?」
目暮警部にそう問い詰められるが、梓は言葉を濁している。
なぜマンションに……いや、今はそれより梓の身の潔白を証明するのが先だ。
結局どうしてマンションに向かったのかは答えなかったが、それでも梓は必死に容疑を否認している。
だが、警部は事情聴取のために署までの任意同行を求め始めた。何とか止めたいのだが、暁は何かが引っかかってしょうがない。
「うにゃ~~!」
その時、警察に問い詰められている梓を見て笑みを浮かべていた大谷に向けて、モルガナが威嚇の声を上げた。
「な、何よこの猫! あっち行きなさい! ……全く、飲食店で猫なんか飼うなんて、頭おかしいんじゃない!?」
大谷は動物が嫌いなのか、梓を睨みながらそう憎々しげに怒鳴る。
その言動に、暁は少し違和感を覚えた。
ポアロに以前来たことがあるなら、梓のことを知っていたこと自体は不思議ではない。だが、モルガナは別である。
モルガナと暁がポアロに住み始めたのはつい最近だ。だが、彼女が来店したことは住み始めてから一度もない。なぜ飲食店――ポアロに住んでいる猫だと知っているのだろうか?
そういえば、あの大谷華子という女性……昨日来店していた帽子とサングラスを着けた女性に風貌が似ているような気がする。
暁は梓を連行しようとしている警察を止めて、大谷に対してなぜモルガナがポアロの猫だと知っているのか、と問うた。
「え……? そ、それは……」
困惑している大谷を尻目に、暁は梓に彼女が最近ポアロに来たかと聞く。自分は見覚えがあると付け加えて。
「うん……桑原さんの後ろの、隅の席に座ってた女の人がいたでしょう? あの人……大谷さんだと思う」
予想通り、梓も彼女の風貌に覚えがあったらしい。しかも、あの隅の席の女性が大谷であると確信しているようだ。十中八九、彼女で間違いないだろう。
そして、証拠はないが恐らく、桑原のバイクのブレーキに細工をしたのも……
「わ、私は店に行ってなんかないわよ! そう、猫のことはSNSで知ったの! ポアロの猫だって写真が投稿されてて……」
大谷はそう言って、店に行っていないことを証明しようとしている。
「写真か……そういえば、昨日も写真を結構撮られたな」
モルガナがそう言うのを聞いて、暁はそれをそのまま梓に伝える。
「昨日……? あ、ちょっと待って! 確か……」
急に梓がズボンのポケットからスマホを取り出して、何やら操作し始める。
「昨日来た子連れのお客さんがモナちゃんの写真を撮ってたみたいで……ほら、この写真!」
そう言って、SNSアプリの開かれた画面を見せる。
心底嫌そうな顔をしたモルガナが写った写真がポップアップされている。
そして、その後ろには、カウンター席に座る桑原と、隅の席に座っている帽子とサングラスを着けた女性が写り込んでいた。
「この女性です。これ……やっぱり大谷さん、だよね? 暁君」
「ふむ……確かに、風貌はよく似ているみたいだが……」
毛利探偵や目暮警部も、スマホを覗き込んで写真の女性と大谷を見比べている。
「そ、そんなの、他人の空似よ!」
苦し紛れな様子で反論する大谷。
そんな大谷に向けて、暁は話を続ける。
少し前の梓の話によれば、被害者である桑原誠がポアロに通い始めたのは一ヶ月ほど前から。そして彼女、大谷華子はここ一ヶ月ほど彼とまともに会話すらしていないと言っていた。
仮に写真の女性が彼女ではないとしよう。それならば、店に行っていないと主張する彼女は、どうやって桑原が梓に好意を寄せていたことを知ったのだろうか?
「なるほど……この写真のように、コソコソと彼を付け回っていたということか」
そう納得して頷く目暮警部。
よし、梓に向けられていた疑惑が少し薄らいでいる。暁は続けて大谷の怪しい言動を指摘しようとするが――
「――ちょっと、いい加減にしてよ! その写真の女が私だとして、それが何だって言うの!? 防犯カメラに映っていたのはそのウェイトレスでしょう!?」
いい加減我慢ならないと大谷が大声を上げたことにより、暁の大谷への指摘は中断させられてしまう。
「……確かに、その通りだ。暁君、と言ったかね? すまないが、この女性が仮に大谷さんだったとしても、一番疑わしいのが梓さんであることに変わりはない……ですが大谷さん、念のため貴方も後日署まで事情聴取を受けに来てもらいますよ」
必死に梓を庇おうとしている暁に申し訳なさそうな視線を送りつつ、目暮警部は他の刑事を連れ立って梓をパトカーへ乗せようとする。
確かにそうだ。大谷が嘘をついていたからといって、それが犯人である証拠となるわけではない。
だが、引っかかるのだ。そうであるはずなのに、どうしてああも彼女は店に行っていないと主張し続けているのか?
パトカーのドアが開かれたところで、梓が暁の方を振り返った。
きっと大丈夫。すぐに誤解が解ける……無理をして作っているその笑顔が、そう言っていることを暁に伝えてきた。
――諦めるのか?
ふいに、暁の耳に懐かしくも聞き慣れた声が届いた気がした。
思えば、こちらの世界に来てからというもの……どこか気持ちが沈んでいるというか、消極的になっていたような気がする。
だが、今目の前には、前の自分のようにやってもいない罪で人生を棒に振ってしまいそうになっている人間がいるのだ。
訳の分からない状況に立たされて、弱気になっている場合ではない……!
ブチッという音と共に、元怪盗団リーダーとしての矜持が、元々持ち合わせていた有り余る正義感が、暁を奮い立たせた。
その身に纏う雰囲気を変えた暁は、その場で"サードアイ"を発動させる。
一瞬、暁の目の色が変わったかと思えば、視界がフィルターがかかったように薄暗くなる。
悪神から得た能力である"サードアイ"。心の眼を開き、あらゆる物を見透かす賊の技だ。元の世界で認知世界を駆け巡っていた時には大いに役に立った。
この力はペルソナと違って、認知世界でなくとも発動できる。
研ぎ澄まされた感覚で辺りに視線を巡らせると、今まさにパトカーに入ろうとしている梓が目に入る。
その手に持っている例のメモが、黄色い光で照らし出された。
――暁の口元が、ニヤリと歪む。
「ん? 暁君。まだ何かあるのかね?」
「おい、いい加減にしろ坊主。梓ちゃんを助けたいのは分かるが……」
待ってください、と再び声を上げてパトカーに乗り込もうとする目暮警部達を止めた暁。
毛利探偵はそんな暁を嗜めようとするが、暁は堂々とした態度でそれを無視して言葉を続ける。
梓のエプロンのポケットに忍ばされていた例のメモに、梓以外の指紋が付いていないか調べてくれ、と。
それを聞いた女性は、余裕気な顔をして暁を小馬鹿にするように笑った。
「バッカじゃないの? まさか貴方、あのメモは誠じゃなくて私が忍ばせたなんて言うんじゃないでしょうね。どうぞ、好きに調べれば? どうせ付いているのはそのウェイトレスの指紋
だが、暁はそれを聞いて、口端を歪ませながら返す。
なぜ指紋が付いていないなんて思うのか?
それに、付着しているか調べたいのは、大谷華子の指紋ではない。
――被害者である、桑原誠の指紋だ。
例のメモは、桑原誠が梓のエプロンのポケットに忍ばせたものと思われている。実際、暁もついさっきまではそう思っていた。
だが、桑原は来店中、バイクグローブの類は着けていなかったのを記憶している。
ならば当然、桑原の指紋が付いているはずだ。それが付いていないということは、明らかにおかしい。
そして、指紋が付いていないということを知っている大谷も、また然りである。
メモを仕込んだのが桑原ではなく、昨日いつの間にか退店していた大谷だったとしたら……梓は彼女に誘導されたということなのだ。
暁がそれを指摘すると、警察関係者や毛利探偵が大谷に疑惑を向ける。
その中でも一際、射抜くような鋭い視線を向けている暁に恐れのようなものを抱き、大谷は反論しようにも何も言葉が浮かばずにいた。
「ちがっ……さっきのは、勘違いで――」
大谷が苦し紛れに言葉を濁していると、目暮警部の携帯に着信が入る。
「目暮だ。どうした? ……何ィ?」
警部はうんうんと頷いて電話を切ると、大谷を見据えた。
「今朝、眠気覚ましにベランダに出ていた者が、被害者宅のマンション裏からコソコソ抜け出そうとしている怪しい人物を目撃したそうです。目撃者はその人物と知り合いだったようで、誰であったかも答えてくれました……貴方ですよ、大谷華子さん」
目暮警部がそう告げると、周りの野次馬の目が一斉に大谷へと集まる。
――どうやら、チェックメイトのようだ。
「……ほ、本気じゃなかったのよ。大体、あんなメモで、本当にマンションに来るその女がいけないんじゃない!」
夜の内にマンションの敷地内に隠れて、しばらく待っても来なかったら、ブレーキに細工せずにそのまま帰るつもりだったとか。気が付いたら寝ていて、朝になる頃に目を覚ました丁度その時に梓が来たとか。大谷はあれこれ聞いてもいないことを口にし始める。
「もういいから。詳しい話は署で伺いましょう。大谷さん」
目暮警部とその部下達はそれに耳を貸さず、大谷に近づいて連行しようと近づく。
――その様子を悲痛な眼差しで見ている梓が、大谷の視界に写った。
心臓がドクンと波打ち、彼女の視界が真っ赤に染まっていく。
「……アンタが、アンタさえいなければーーッ!!」
まるで抑えている感情が一気に爆発したかのように突如叫び声を上げた大谷は、鞄に忍ばせていた折り畳みナイフを取り出し、油断していた警部達を振り払って梓目掛けて突っ込んでいく。
「いかんッ! 誰か止めろー!」
目暮警部の声を皮切りに、毛利探偵を含め周りの警官はそれを止めようとするが、突然のことに動き出すのが遅れたために間に合いそうにない。
――梓の近くに立っていた、暁以外は。
今までの戦いで仲間達が何度かそうしてくれたように、暁は咄嗟に梓の前に出て庇う。
大谷のナイフが暁の腹から僅か数ミリのところまで達する。背後から梓の悲鳴が耳に届くが……それは、どこか遠くから聞こえてくるに感じた。
次の瞬間には来るであろう衝撃と痛みに身構える。
――が、それは一向に訪れなかった。
数秒、時が止まったかのような錯覚に陥いる。
頭の中で何かが弾けたような、まるで初めてペルソナが覚醒した時のような感覚が暁の身体全体に走り、目の前がフラッシュを焚いたかのように白くなった。
気が付くと、大谷は目の前に座り込み、ナイフは暁の足元に落ちていた。
ぼうっとした頭で警察が急いで未だ暴れようとする大谷を取り押さえるのを眺めていると、慌てた様子で梓が暁の身体を揺らしてきた。
「暁君! 大丈夫!? 怪我は!?」
「あ、コラ! 落ち着くんだ梓ちゃん!」
近づいてきた毛利探偵が、暁の肩を掴む梓を止める。
意識がはっきりしてきた暁は、自分が刺されたと二人は思っているのだとようやく理解する。
だが、自分で確認してみても特に身体に異常はない。
凶器のナイフを足元から拾い上げ、ベルトのバックルに当たっただけだから大丈夫だと二人に言い聞かせた。
「そ、そうなの? ……良かったぁ」
ほっと胸を撫で下ろし、安心して腰が抜けてしまったのか梓はその場にへたり込んでしまった。
「全く、大した度胸と運してやがるな」
そう言って、舌を巻く毛利探偵。
暁は毛利探偵に対して、ニュースでの高笑いを見たのもあって少し頼りない印象を持っていた。だが、本気で心配してくれていたことを察して少しばかりその印象が変わる。
本当はベルトのバックルに当たってなどいないし、ポアロのエプロン越しに腹にナイフが当たる冷たい感触を覚えている。だが、
まさか、ペルソナが? しかし、ここは認知世界ではない。現実でペルソナを召喚することはできないのだ。
……一体何が起こったというのだろうか。
「それでは、梓さん。今回は疑いをかけてしまい申し訳ありませんでした。ただ、一応事件の参考人として後日署で詳しい話を伺いたいのですが、よろしいですかな?」
「はい……分かりました」
「暁君。君もありがとう。君が色々と推理して時間を稼いでくれたおかげで、真犯人を捕まえることができた。あのまま梓さんを犯人として連行していたら、捜査に出ていた他の刑事もその時点で帰していただろうからね」
暁が首を振ってとんでもないと返すと、目暮警部はうんうんと頷いてパトカーに乗り込んだ。
大谷が警察に連行されていくのを見送ると、急激に暁の身体を疲労感が襲う。
額に手を添えてその場に膝を突く暁を見て、梓が暁の身体を支えた。
「だ、大丈夫!?」
少し疲れたにしては凄まじい疲労感だが、心配する梓に大丈夫だと返す。
気付けば、周りの野次馬も少なくなってきている。
「おい、一応病院に行った方がいいんじゃねえか?」
毛利探偵にそう言われたがその場は遠慮し、礼を言って暁は一旦梓と共にポアロに戻ることにした。
遅れて、毛利探偵の娘である蘭に連れて行かれた眼鏡の少年が事故現場に戻ってきた。
(ちくしょう! 蘭の奴、オレが小学校に入っていくのを確認するまで一緒にいるもんだから、戻ってくるのがすっかり遅れちまった)
しかし、現場は既に人だかりが無くなっていた。残っているのは後部が凹んでいるトラックと大破したバイク、それに事後処理をしている道路管理者の人達のみである。
(あれ? もう事件は解決しちまったのか?)
既に落ち着きを取り戻している現場を見て驚いているところを、コンビニで朝食を買ってきた様子の毛利探偵に見つけられる。
「コラッ、コナン! おめぇ何でここにいるんだ! 学校はどうした!」
「あ、おっちゃ……小五郎のおじさん! 事件はどうなったの?」
「こいつ話を……事件は解決しちまったよ。おめぇと同じ眼鏡をかけた、ポアロでバイトしてるっていうくせっ毛の坊主がな……ま、まあ、オレも事件の真相は分かっていたんだが、今回は梓ちゃんを助けようとしたあの坊主に花を持たせてやったというかだな……」
小五郎がぶつぶつと嘯いているのを尻目に、コナンと呼ばれた少年はCLOSEDの札が掲げられたポアロへと目を向けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
今日はもう仕事はいいから休めと言われ、仕方なく地下室で休んでいる暁。
疑いをかけられて梓も疲れているだろうに……
「しかしオマエが探偵の真似事とはな……だが、さっきは焦ったぜ。ワガハイも飛び出そうとしたが、この身体じゃ吹き飛ばされるだけだっただろうしな……それにしても、どうして助かったんだ? どう見ても腹に当たってたじゃないか」
元怪盗としては、こういうのもたまにはいい。
それは置いておいて、先ほどの不可思議な現象についてモルガナに話す。
「ナイフが滑った? どういうことだ? う~ん……でも、確かにペルソナ能力を発動している時に雑魚から殴られた時のような感じだったな」
そう、ペルソナ能力を発動すれば、宿主の身体能力は大幅に向上する。
シャドウの攻撃や銃による攻撃ならまだしも、あんなひ弱な女性が扱うナイフでの攻撃ではびくともしない。俗に言う、痛くも痒くもないという奴だ。
「だが、ここは別世界ではあるが認知世界というわけじゃない。ペルソナが召喚できるはずがないんだが……」
そこまで話したところで、淹れ立てのコーヒーを持った梓が地下室に入ってきた。
「大丈夫? 暁君。コーヒー淹れてきたよ」
礼を言い、暁は彼女の両手を塞ぐコーヒーを受け取って、梯子を降りるのを手伝う。
店はいいのかと聞くと、梓に疑いを向けるきっかけを作ったお客が謝って退店していくのを見届けた後、店仕舞いにしてしまったらしい。騒ぎの影響で今日一日はろくにお客は来ないだろうと判断して。
そこで会話が途切れ、二人の間に沈黙が流れる。
「あのね……実は私、暁君がポアロに住み込みで働くこと、正直言って不安だったんだ」
暁がコーヒーに口を付けていると、湯気が立っている自分のコーヒーを見つめている梓がポツポツと話し始めた。
妃先生の活躍により無罪判決が出たことで同じ罪に問われることはないだろうが、灰色である以上暁が実の両親を殺して放火したという疑惑は完全に拭えたわけではない。
未成年故に名前や顔は公表されていないが、世間は所詮他人事と面白がり、未だに暁が真犯人だろうとまことしやかに囁いている。
「でも、数日一緒に仕事して、そんな不安すぐに吹っ飛んじゃった。暁君、絶対そんなことする子じゃないもの」
梓がコーヒーに向けていた顔を上げ、ゆっくりと暁の方へ向ける。
「今日なんか、命を救ってもらっちゃった。本当に、ありがとう」
暁はそれに首を横に振って答える。自分が助けたいと思ったから助けたのだ。
それに、礼を言うのはこっちの方である。
マスターや梓のおかげで、こうして住む所に不自由していないのだから。
しかし、梓はなぜ被害者である桑原の住むマンションへ行ったのだろうか? あのメモには、大した脅し文句も書かれていなかったというのに。
「ああ、そのこと? 実はね……」
聞くと、実は梓は桑原が店に来ている時、彼の背後から見張るような視線が向けられていることに気付いており、隅の席に座っている大谷が桑原と交際している女性だと感づいていたらしい。
このままだと絶対に良くないことが起きるんじゃないかと薄々思っていた梓は、それを伝えるという名目でメモに書かれた住所に向かった。だが、部屋の前で怖気づいて結局何もせずに帰ってきたのだ。
「やっぱり……私が行かなければ、あんなことにはならなかったのかな?」
自分が行かなければ事件は起きなかったと後悔している梓を見て、梓のせいじゃないと励ます暁。
全てはあの女性に責任がある。それに、色々と運が悪かったのだ。あんなガバガバな殺人計画が成功してしまったのだから。
「……うん、そう……そうだよね。ありがとう暁君」
今まで悩みを持つ人間を幾人も立ち直らせてきた実績のある暁の言葉に、梓は気を取り直したように微笑んだ。
――梓から疑いの一切無い信頼を感じる。
「なんだか暁君、慣れてる感じだよね。まあ暁君だし、こうやって人の相談に乗ること、よくあるんでしょ? ……もしかして、その相手は女性ばっかりとか?」
微笑みながら、半目で暁の方を見てくる梓。
暁はそれに苦笑いで答えつつ、話題を変える。どうして、マンションに向かった理由を警察に言わなかったのか?
「え? まあ、昨日まではマンションに向かわずに警察に相談するつもりだったんだけど……」
それならばなぜ、と聞くと、梓は意地悪気な顔をしだした。
「……暁君。この前私が賄いで出したカレー、物足りないって思ってたでしょう?」
言われて、ギクリとする暁。
ポーカーフェイスには自信があるのだが、バレていたようだ。
女性はこういうところは感が鋭い。観念して、暁はそうだと答える。しかし、どうして分かったのだろうか?
「だって、私がカレー作ってる間、何か言いたげにしてるんだもん。それで、自分が作るカレーの方が美味しいって思ってるんだろうなあって」
そこで、何も言わず自分から進んでカレーを作ろうとしない暁にカレーを作らせるため、あえて今日は遅刻したのだ。
そのため、開店時間まで暇を持て余していた彼女は、例のメモのことを思い出して、ズル休みをしている時のようなテンションのまま被害者宅のマンションへ向かったのだ。良くないことが起きるのでないかと警告しに行ったというのは、建前だったらしい。
それにしても、警部に遅刻した理由を問われた時、暁の方をチラチラ見て言い淀んでいたのは、それが原因だったのか。
そのことは伏せて話せば良かったのにと言うと、梓は「あ、そっかぁ!」と笑いながら舌を出した。
ところで、時刻は既に昼時。
色々とやっていた梓は朝食を食べ損ねてしまったらしい。
「丁度いいから、暁君の作ったカレーをご馳走になろうかな。暁君も食べるでしょ?」
お手並み拝見と、準備しに地下室を出ていく梓。
「今回の居候先の主は、中々茶目っ気があるようだな。暁」
モルガナにそう言われて、暁は主じゃなくて上司だと、肩を竦める。
後日、暁の作るルブランカレーは喫茶店ポアロの名物兼人気メニューとなった。
次回、アイドル密室殺人事件
Next Joker's HINT 「換気扇」