薄暗い中、揺れが収まったのを見計らって目を開けた暁は、自分の下にいる青子に大丈夫かと声をかける。
「え? う、うん……」
青子は戸惑いの目を見せつつも、こくりと頷いた。
背中にかかった小さな瓦礫を払い、青子に手を貸しつつ立ち上がる。埃と塵が立ち込めているせいか、咳き込む声が周囲から聞こえてくる。生存者がまだ他にもいるようだ。
蘭は無事だろうか? 暁は辺りを見回してみたが、蘭の姿はどこにも見当たらなかった。まさか……と思ったところで、積み重なって壁となっている瓦礫の山が目に入る。
もしかしたら、この瓦礫の向こう側にいるのかもしれない。暁がそう考えた矢先、青子が瓦礫の向こう側へ向けて呼びかけた。
「あのー! 誰か、いますかー!?」
「――いるわ! こっちは大丈夫!」
その呼びかけに答える声が返ってくる。蘭だ。無事であったことに暁は心の中で胸を撫で下ろす。
「貴方、さっきの子よね!? そっちは、新一は無事!?」
蘭が瓦礫越しに新一――暁のことを聞いてくる。
「えっと、無事だけど……その、やっぱり人違いだと思う!」
どう返したものかと暁が思っていると、代わりに青子が答えた。
「そんなはず……だって――」
戸惑うような蘭の声。その時、どこかから電話の着信音が鳴り始めた。瓦礫の向こう、蘭のいる方から聞こえる。ロビーに置かれた電話からだろう。足音が響き、遠のいていく。蘭が電話に出るために向かったようだ。
改めて周囲を見渡す。どうやら、暁達はロビーの入り口付近にいるようだ。その入り口もまた瓦礫が重なって壁となっているが、こちらは脱出する隙間はありそうである。
入り口側には暁と青子以外誰もいない。ほとんどの者は蘭と同じくロビー側に閉じ込められているようだ。快斗は恐らく、入り口の向こうにいるのだろう。
暁は襟に忍ばせたスピーカーフォンで快斗の安否を確認しようとした。しかし、そこで青子がこちらをじっと見つめていることに気づく。その視線を受けて、暁は黙って彼女と顔を合わせる。
「……貴方、快斗じゃないわね?」
しばし沈黙した後、暁は小さく溜息を吐いた。
先ほど暁自身の声で話したせいだろうが、例えそうでなくともいずれ気づかれていただろう。こういう時の女性は妙に勘が鋭いものだ。
「さっきの子が言ってた……新一って人でもないわよね?」
気まずげに頷いて答える暁。
青子は特に怒りもせずに「そう……」とだけ呟く。
その時、再び別の場所で爆発が起きたのか、ビルが地響きを起こした。
今度は天井が崩れ落ちることはなかったが、小さな瓦礫と塵埃が暁達を襲う。咄嗟に暁は青子を抱き寄せてその場に伏せた。蘭のいるロビー側から悲鳴が耳に届く。
しばらくして、揺れが収まった。
蘭や他の客も助けたいが、この瓦礫は崩すのは無理だ。それ以前に崩そうとすれば逆に危険だろう。レスキュー隊がどうにかしてくれるのを期待するか、あるいは……
とにかく、青子だけでも早く脱出させなければ。暁は青子を起こそうとした。しかし、彼女は床に塞ぎ込んだまま立ち上がらない。
「……ぐすっ……快斗……」
彼女は、泣いていた。
嗚咽を漏らしながら、小さく快斗の名前を呼んで助けを求めている。
暁は彼女の肩に手を置いて慰めようとした。しかし、途中で肩に触れる前にそれを止めてしまう。
――これは、自分の役目じゃない。
暁は着けていたマスクを投げ捨てて、傍らに置いてあった青子の手提げ袋を持ち上げた。袋の中身は予想通り、チョコレート。
「あっ……ちょ、ちょっと!」
それに気付いた青子が動揺した顔を向けてくる。
――申し訳ありませんが、お嬢さん。この贈り物は私が頂戴いたします。
暁のその言葉を聞いて、青子はハッとして目を見開いた。
「貴方、もしかして……怪盗キッド!? でも、それは宝石なんかじゃ……」
女性の想いが籠った贈り物は、どんな宝石よりも価値があるものですよ。
そう言い残して、足早に瓦礫の隙間を縫って入り口から廊下に出て行く暁。
「……あっ、待って!」
青子は少しばかりその場で呆然としていたがすぐに我に帰り、床に転がる瓦礫に足を取られつつもその後を追い始めた。
廊下に出て少ししたところで、暁は急いでいる様子の快斗と鉢合わせた。暁達の元へ向かう途中だったのだろう。彼と一緒にいたモルガナも暁の姿を見て安心した顔を見せる。
「アキラ! 無事だったんだな!」
「わりぃ、マイクどっかに落としちまって探すのに手間取ってたんだ! ……それで、青子は?」
暁は快斗の問いには答えず、持っていた手提げ袋を快斗に押し付けた。
「っと……何だよコレ?」
疑問の声を上げる快斗。
――本来の持ち主の元へ戻すのが、怪盗キッドなんだろう?
それに、この宝石は自分が持っていても価値はない。そう言って、暁はモルガナに目配せをしてそのまま快斗の脇を通り過ぎようとする。
「あ、ちょっと待てよ! このビルを爆破しやがった犯人は恐らく――」
快斗の言葉を、暁は分かっていると言って遮った。
「……なら話は早い。奴はこのビルを完全に破壊することが目的のはずだ。つまり、まだ爆弾は残ってるってことなんだよ!」
頷く暁。
それはこちらで何とかする。お前は自分の心配をしろ。もうすぐ彼女がここに来るぞ。
「……は? ちょ、彼女って――おい、このガキの姿じゃ会えねぇだろ!」
快斗がバタバタと慌て始める。
問題ない。
そう言うと、青白い光が暁を包む。
快斗の変装をしていた暁の姿は、瞬く間に
――もう訳分かんない! 頭がパンクしそう!
青子はこんがらがる頭を必死に抑えながら、廊下を目指して瓦礫の隙間を潜る。あの怪盗はスルリと潜っていたのに、青子は予想外にも手間取っていた。
快斗がちゃんと待ち合わせ場所に来てくれたと思ったら、でも実は快斗じゃなくて、正体はまさかの怪盗キッド。それだけならまだしも、あろうことかそのキッドは青子が快斗のために作ったチョコレートを持ち去ってしまった。
(どうしてキッドが私のチョコレートを? いや、理由なんてどうでもいいからとにかく返して欲しい。あれは、快斗のために作ったんだから!)
青子は無我夢中で身体を動かし、ようやく瓦礫の中から廊下へと抜け出すことに成功した。乱れた息を整えつつ、立ち上がってキッドを追いかけようと顔を上げて走り出す。
「――わっ!?」
と、そこで眼前に人がいることに気づき、思わず仰け反る。
目の前には立っているのは、快斗であった。もちろん子供の姿ではない、いつもの快斗だ。しかし、先程のこともあってキッドかと身構える青子。
「良かった! 無事だったんだな青子! 遅刻しちまって急いでたらこんな大惨事になっちまって……」
だが、心底安心という様子を見せる快斗に、青子は快斗本人だとすぐに理解する。
(……ちゃんと来てくれてたんだ、快斗)
青子はこんな状況にも関わらず、それが嬉しくて顔をほころばせる。
「あっ、そうだ。これ――」
と、快斗が持っていた手提げ袋を差し出した。
「っ! それ、キッドに盗られた私の……」
袋を見た青子がそう声を漏らす。
「やっぱオメーのか。オレが取り返しといてやったぜ。感謝しろよな」
ぶっきらぼうに答える快斗。青子は少し驚きつつも、「あ、ありがとう……」とそれを受け取ろうとする。
しかし、快斗はわざとらしく青子の手を避けて袋を取れないようにした。
「ちょっ……快斗!」
怒る青子を余所に、快斗は袋に何が入ってるのかと手を突っ込む。そして、取り出されたのは丁寧に包装された箱。
「これは……」
「えっと、その……今日、バレンタインデーだから」
顔を真っ赤にした青子が誤魔化すように続ける。
「い、いつもは学校で色んな子からクレクレってせがんで食べ飽きてるだろうけど、今年は休日だし、どうせ一つももらってないんだろうから――」
早口で捲し立てる青子の唇を、快斗が人差し指で止めた。
「……確かに、コイツはオレにしか価値がない宝石みたいだ。ありがとな、青子」
いつもと違う真剣な顔付きの快斗に、青子は先ほどとは違った意味で赤面してしまう。
「……うん」
その時、青子が通ってきた瓦礫が崩れ始めた。青子の腕を抱いてそれを避ける快斗。
「ヤベッ! とにかく、早くこっから出よう!」
「でも、まだ中に人が……」
「オレ達だけじゃどうにもならねぇ! レスキュー隊に任せるしかない!」
後ろ髪引かれている青子の手を取り、快斗は瓦礫を避けてビルの外を目指した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
快斗達が脱出を開始したその頃、ジョーカーとモナは既にビルの外に出ていた。一階に出さえすれば、脱出は比較的容易であったのだ。
外では消防士達が懸命にビルの消火を試みている。何人もの怪我人が担架に乗せられて救急車に運ばれているのも見えた。怪我人が多すぎて、手が回っていない様子だ。
その光景を見て沈痛な思いをしつつも、ジョーカー達は見つからないように素早い動きで移動する。
「それで、この空間についてだが……お前が擬似認知空間を展開させたわけじゃないんだな?」
モナの問いにジョーカーは頷く。
そう、こうして彼らが怪盗姿に変身し、快斗が元の姿に戻ることができたのは、ジョーカーがアルカナの力を使って疑似認知空間を展開したからではない。爆破が起こる前、立ち眩みを覚えたあの時にこの空間がこの周辺一帯を覆ったのだ。こほぼジョーカーの疑似認知空間と同質と言っていいが、ジョーカー以外の者がそれを展開したという事実が問題なのである。
そうやってモナと会話を交わしながら場所を移動している最中、ジョーカーは目暮警部の姿を見つけた。数台のパトカーも見える。近くの物陰に隠れて様子を伺うと、警部とその部下である白鳥警部補の会話が聞こえてきた。
「まだ見つからんのか! 工藤君が言っていた場所はちゃんと探したのか!?」
「そ、それはもちろん。しかし、その……どういうわけか分からないのですが、向かった部下達がなぜかビルの中が迷宮になっていて奥に進めないと……」
「何を訳の分からないことを言っているんだ! とにかく、何が何でも見つけるんだ!」
必死な形相の目暮警部の言葉を受けて、白鳥警部補は急いでパトカーに乗り込む。
「全く、肝心の工藤君とは連絡がつかないし……森谷教授は見つからない。一体どうなっているんだ……!」
やはり、この爆破事件の犯人は森谷教授のようだ。このビルも完全な
モナの鼻を使って教授の居場所を探ろうとしたところで、ジョーカーのスマホが振動する。
『マイトリックスター、今どこにいるのですか?』
出ると、相手はラヴェンツァであった。丁度連絡を取ろうとしていたところだ。米花シティビル前にいると伝え、そういうラヴェンツァは一体今どこにいるのかと聞く。
『近くにいるのですね。私と梓は今、米花シティビルの地下一階にいます』
予想外の返事にジョーカーとモナは驚く。まさか、彼女もこのビルに来ていたとは。しかも梓と一緒に。
エレベーターは動かず、一階へと続くエスカレーターは瓦礫で埋まって登れない。非常口の扉もひん曲がってしまって開けられない状況にあるらしい。今はスタッフと他の客が力を合わせてその扉を何とかしようとしているようだ。
ペルソナで何とかできないだろうか? 今召喚が可能なことはラヴェンツァも把握しているはずだ。
『もちろん、私もそう考えましたが……肝心の扉をどうにかしようとしている者達が邪魔でペルソナによる魔法を使おうにも使えない状況なのです』
確かに、それでは無闇にペルソナを使えない。構わず使ってしまえば、巻き込んでしまうのがオチだろう。
ジョーカーはモナにラヴェンツァ達を助けに向かってくれと頼んだ。瓦礫ならともかく、扉ぐらいながらペルソナで何とかできるだろう。それに、確か蘭が閉じ込められているロビーも非常口に繋がっていたはずだ。もしかしたら、蘭も助けられるかもしれない。
「分かった。だがジョーカー、お前一人で大丈夫なのか?」
モナはジョーカーのことを心配した。彼が今から向かうところは、この爆破事件を起こした犯人の元なのだから。
大丈夫だと答えるジョーカー。それに……と目を閉じて思い浮かべる。変わり者だが、真の芸術家であると誇れる仲間のことを。
こんなことをしでかす人間を、芸術家などとは断じて認めない……!
◆◇◆◇◆◇◆◇
紙袋を片手に持ったラヴェンツァはジョーカーとの電話を切ると、傍で非常口の扉をこじ開けようとしている人達を心配そうに見つめていた梓に声をかけた。
「暁お兄様と連絡が取れました」
「えっ、ほ、本当に? よく繋がったね。私の方は全然繋がらなくて……」
梓は電波が混雑しているこの状況で電話が繋がったことを驚きつつも、暁と連絡が取れたということを聞いて少しばかり安心したような顔を見せた。
梓はラヴェンツァの目線の高さに合わせるために腰を下ろし、彼女の小さな手を両手で優しく握って語り掛ける。
「大丈夫だよ、ラヴェちゃん。きっと助けが来るから、心配しなくていいからね」
しかし、梓の両手は小刻みに震えていた。彼女も他の客同様、怖くてしょうがないのだ。当たり前だ。こんな状況、例え初めてでなかったとしても慣れるものではない。それでも、身近な大人として子供であるラヴェンツァを不安にさせまいと、懸命に恐怖と戦っているのだ。
ラヴェンツァは持っていた紙袋を床に置き、その震える手に空いたもう片方の手を置いた。
「大丈夫です。必ず、助かりますよ」
いつもの凛とした顔でそう答えるラヴェンツァに、梓は数瞬呆けてしまう。
(この子はこんな状況でも変わらないなぁ……)
梓はラヴェンツァが傍らに置いた紙袋に目をやった。そして、ラヴェンツァに悪戯げな笑みを向ける。
「早くこんなところから抜け出して、暁君にチョコを渡さないといけないもんね」
「は、はい……」
ラヴェンツァは少しばかり顔を赤らめつつも、こくりと頷く。
その時だった。非常口の扉をこじ開けようとしていた者の一人が、扉に体当たりをかました。その衝撃が伝わった影響か、丁度ラヴェンツァと梓のいる場所の天井のヒビが大きく割れ、そのまま瓦礫となって二人の頭上目掛けて落下し始めた。
「――ラヴェちゃん!」
梓が咄嗟にラヴェンツァを抱きかかえ、そして――
◆◇◆◇◆◇◆◇
米花シティビルの騒動とは打って変わって、暗く静かな階段に急ぐ足音が響き渡る。
モナと別れたジョーカーは、モナの嗅覚によって特定した
このビルは、どうやらパレス化しているようだ。
しかし、このビルが森谷教授と関係のある建物とはとてもじゃないが思えない。元の世界の例からして、パレス化の対象は
歪みの大本はオタカラにある。そして、こちらの世界では
そしてこのパレス、森谷教授の趣向に沿って内装がことごとく
何度か警察が侵入を試みようとしていたが、迷いに迷って気が付いたら外に出ているということを繰り返していた。これまでに経験してきたパレスと同様、迷宮のような構造になっているからである。
ジョーカーは非常口の扉から直接侵入したのだが、先の警察のように迷うことはなかった。それは侵入経路が理由ではないだろう。もちろん、サードアイが使えるからというわけでもない。
恐らく、
やがて最上階に足を踏み入れ、ビルの屋上へと出る扉の前に辿り着く。
モナのような嗅覚がなくても分かる。この先に、
今までの
しかし、だからといって立ち止まるわけにはいかない。快斗が言ったように、まだビルを完全に崩壊させるだけの爆弾が用意されているはずなのだ。彼を改心させれば、それを解除させることができるかもしれない。
ジョーカーは意を決し、扉を開けようとノブに手を掛けた。
だが、かかりが悪くなっていたのか、扉はジョーカーがノブに手を触れただけで独りでに開き始めた。まるで、向こう側から開けられたかのように、ゆっくりと。
視線の向こうに、煙草の煙を燻らせている背広を着た男の背中が見える。
「――待っていたよ。心の怪盗君」
男――森谷教授は、咥えていたパイプを口から離しジョーカーの方へと振り返った。
予告状を出していないにも関わらず、まるで来るのを知っていたかのような口振りだ。ジョーカーはドミノマスクの下で僅かに眉を潜めた。
この
「……ノーコメント、と言っておこうか」
クツクツと笑う教授。彼自身にジョーカーと同じ能力があるわけではなく、バックに誰かがいるということだろうか? いや、今はその辺りを気にしている場合ではない。
まだ爆弾は残っているのか? と問い詰める。
「もちろん。タイマーが0時になると爆発する仕掛けの、一番デカい奴をね」
やはり、爆弾はまだ残っているようだ。
……そういえば、コナンの話では教授は自分の作品に責任を持たなければならないと言っていたらしい。
これがお前の責任の取り方なのか? ジョーカーが再び問う。
「その通りだ」
教授は笑みを絶えさせず続ける。
「建築に愛は必要ない。生みの親である私が
ビルを爆破し大勢の死傷者を出したにも関わらず、一切悪びれもしていない。己の完璧主義な建築精神のためなら人の命など露ほども考えない目の前の男に、ジョーカーは拳を握りしめた。
「ところで、予告状も無しに現れるというのは怪盗としてマナー違反ではないかね? 加えて、来たのは一人だけ。お粗末に過ぎるな。心の怪盗団というのは」
嘲笑うよう教授をジョーカーはその紅い目で睨みつける。
生憎、形式に従っているほど余裕のある状況ではない。予告が欲しいというなら、今ここでくれてやる。ジョーカーは赤い手袋を直し、告げる。
お前のその歪んだ欲望を、頂戴する――!
今更ですが、ラヴェンツァの口調って難しいんですよね。P5本編で出番が少なかったのもあってイマイチ把握し切れなくて。
P5Dのラヴェンツァの紹介映像を見ると大人びた感じですし、マーガレットに対してあの反応するところからして、恐らく常識人枠なのかなと。
本作のラヴェンツァは全体的に丁寧口調で堅苦しい感じですが、特に修正はせずこのままで行こうと思います。