赤き魔女は怒りに震えていた。
東京のどこにあるかも分からない、痩せ細った老婆のような枯れ木に囲まれた古ぼけた屋敷。魔女の怒りに応えるようにして噴き上がる不吉な気配が靄という形で現れ、足を踏み入れれば切り傷を負ってしまうかのような錯覚を起こしてしまうほど鋭利な空気に包まれている。
魔女は再び問い掛ける。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん? この世で一番美しいのはだぁれ?」
鏡は答える。
『それはもちろん、紅子様でございます。その魔性の如き美貌に並ぶことができる者など、どこにおりましょうか』
聞くまでもない。そんな者がいるはずもないのだから。
魔女の妖艶たる美貌を前にして、心を奪われずに済む男はいない……はずであった。
魔女――小泉紅子は苦々しげに親指の爪を噛む。思い浮かべるのは、月下の奇術師と世間を騒がせる怪盗キッド。だが、紅子にとっては忌まわしいだけの小生意気なコソドロでしかない。
以前、鏡は答えたのだ。怪盗キッドだけは紅子の虜にならないと。それと同時期に、紅子は学校で唯一自分に靡かない人物を見つけた。黒羽快斗だ。彼をキッドだと見定めた紅子は、彼の心を奪わんと勝負を挑んだ。しかし、追い詰めはすれど結果は敗北。彼の心は未だ奪えず仕舞いである。
なぜあの男は自分に靡かないのか。どうすれば自分に振り向くのか。苛立たしげに腕を組みながら考える紅子。
『――あ~、その、紅子様……?』
そんな彼女の刺々しい顔を明瞭に映し出している鏡が、妙に言い辛そうにしながら言葉を濁している。
「何? 言いたいことがあるなら早く言いなさい」
それに気づいた紅子が、苛立ちをぶつけるようにしてそう命令する。鏡は吃りながら答えた。
『その……キッドの他にも、紅子様に魅了されない男がいるみたいで――アヒャッ!?』
紅子の拳が振るわれ、鏡に亀裂が入る。
たった一人でも悩みの種だと言うのに、もう一人いるだと?
「誰なの!? それは!」
両手で枠を握り、眉間を歪ませた額を鏡面に押し付ける紅子。慌てた様子の鏡が自らの身体に映る紅子の姿を消し、入れ替わりに一人の男性の姿を映し始めた。
それは、黒のロングコートに夜会服を着こなした男であった。その目元は白いドミノマスクで隠されており、正体は知れない。
「この男は……」
その装いを見て、紅子は最近キッドと同じく世間を騒がせているザ・ファントムという名の怪盗団のことを思い浮かべた。心を奪い、悪人を瞬く間に改心させる謎の組織。巷ではそれを率いるリーダーのコードネームはジョーカーであるという情報が流れている。確か、そのジョーカーの容姿は黒の夜会服に白いドミノマスク。
『――フヘッ!?』
さらにもう一振り、鏡に拳がめり込む。先ほどの亀裂と今しがた生まれた亀裂が繋がって、鏡の一部が枠から剥がれて床に落ち、バラバラと音を立てた。
「なぜ今頃になって、そのもう一人の情報を話したの? まさか、黙ってたなんて言うんじゃないでしょうね?」
あるはずのない鏡の襟首を掴む勢いで問いただす紅子。鏡はしどろもどろに答えた。
『め、滅相もございませんで! 以前は違ったんですが、最近いつの間にか検索に引っかかるようになったんですがな! そ、それこそ、今まで存在しなかったモンがいきなり現れたかのように……』
その言葉を聞いた紅子は、スッと鏡から手を放した。ほっとあるはずのない手であるはずのない胸を撫で下ろす鏡。
「いきなり現れた、ですって……?」
鏡の言葉を反芻する紅子は、しばし腕を組んで考え込み始めるのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
魔女頼み――そんなことを言い出した快斗に、暁は眉を潜めた。
巫女であれば怪盗団の協力者の一人である御船千早が思い浮かぶが、魔女と言われるとそうもいかない。強いて言えば仲間である高巻杏がペルソナの能力も相まって魔女らしいと言える。敵のシャドウの中に魔女の名を冠する者もいたが……とにかく、魔女というのは非現実的体験が豊富である暁でさえ疑問符を浮かべる存在だということだ。
「ああっと、比喩なんかじゃないぜ? 信じられないだろうが、アイツは正真正銘本物の魔女なんだよ」
そんな暁の心中を察したのか、快斗がそう続ける。彼自身、魔女の魔法をその身で経験したことがあるらしい。
「むしろ、心を奪うなんて魔法のようなことをしているお前らだから、てっきり既に知っているものかと思ってたぜ」
まあ、そう思うのも無理はない。まだまだ世界は広いということなのだろうか。
とにかく、その魔女に頼めば組織のことについて何かしら情報が得られるかもしれない。
「善は急げですね。その魔女がいる所まで案内しなさい」
ラヴェンツァが快斗に催促する。無駄に偉そうなその態度はどうにかならないのか。
「……あ~、まあ、案内したいのは山々なんだが……」
しかし、言い出しっぺの快斗は頭を掻きながら何やら言い難そうにしている。どうした、と暁が問うた。
「いや、実はよ……アイツの居場所がはっきりとしねえんだ」
その魔女は小泉紅子という名で、快斗と同じ学校に通っている同級生らしい。一度彼女の住処と思われる場所で相対したことがある快斗だが、その時は魔術の影響で意識が朦朧としていたのもあって住処までの道程をはっきりと覚えていなかった。
そのため、今後に備えて相手の情報を探ろうと快斗は下校中の彼女をつけたことがある。しかし、何度試みても人里離れたところの川辺辺りで彼女は忽然と姿を消してしまい、結局住処を突き止められず仕舞いとなっていたのだ。
「ここ数日は家の都合だとか言って学校も休んでるから、明日学校で待ち伏せるってのは無理だろうな……そういえば、オレ学校どうしよ」
話を外れて、学校のことを心配し始める快斗。その気持ちは分かるが、とりあえず今は置いておこう。
「ではどうするのですか? そもそも、襲われたということは貴方と魔女は敵対関係にあるということではないですか? そんな敵対している関係で頼み事など聞いてもらえるのですか?」
「ま、まあまあ。ラヴェンツァ殿」
容赦なく文句を並べるラヴェンツァをモルガナが肉球で抑える。ちなみに、快斗にはモルガナの声は猫の声にしか聞こえていない。
「まあ、最後まで聞けよ。オレ一人じゃ、紅子の家は突き止められなかった。だが、今は違う。魔女と同じく現実から逸脱した能力を持った心の怪盗団っていう協力者がいる。だろ?」
「……そうだな。確かに暁の力を使えば可能性はあるかもしれない」
幾分か落ち着いた様子のラヴェンツァに押し付けている肉球を払われながら、モルガナが言う。快斗には聞こえていないので、代わりに暁が頷き試してみようと答えた。
「それじゃあ、嬢ちゃんの言う通り善は急げだ! 話に出した例の川辺まで案内するぜ」
椅子から飛び降りて店を後にする快斗に続く形で、暁は立ち上がった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
幾つか電車を乗り継いで、一行は件の川辺へと辿り着いた。時間にして一時間強かかる距離だ。高校生の身分では少しばかりキツイと言える距離だが、都内の学生の通学時間としては平均的でもある。
川の反対側には痩せ細り枯れ果てた木々が散見した空き地が広がっており、その向こうには禿山が見える。周辺に魔女の住処らしき建物はもちろんなく、姿を隠せるような場所も見当たらない。こんな場所で尾行相手を見失うのは逆に難しいだろう。
「さて、頼んだぜ。暁」
先頭に立っていた快斗がそう言って暁に目配せした。暁は片手の平を目元の前にかざし、サードアイを発動する。
「おおっ!」
目の色が変化した暁を見て、感嘆の声を上げる快斗。だが、暁はそんな声も耳に入らないほどの光景を前にして目を見張っていた。
まるで大昔からそこに存在していたかのような蒼然たる森林地帯が、暁の目の前に広がっていたのである。
川辺の向こうに広がる閑散とした空き地は見る影もない。暁達を手招きするかのような奇妙な枝の形をした木々が生い茂っている。一度足を踏み入れれば二度と生きて出ることはできないと思わせるほどの陰鬱とした空気が目に見えるほど感じられた。
「マイトリックスター? 大丈夫ですか?」
呆然としている暁にラヴェンツァが声を掛ける。ハッとして暁は頭を軽く振り、一言謝る。そして、サードアイで見た光景をラヴェンツァ達に話した。
「……なるほど。恐らく、認識阻害や人払いの類の結界が張られているのでしょう」
「ああ、ワガハイもそう思う」
実際に目の前に広がっているのは森なのだが、その結界とやらのせいで常任はそれを認識できないらしい。しかも距離感覚までも狂ってしまうのか、明らかに先程の空き地よりも広大である。
十中八九、この森の中に魔女の住処があるのだろう。しかし、このままではどうしようもない。目の前の森を認識できているのは暁だけなのだ。
「おーい、イマイチ要領を得られないんだが。とにかくどうにかできねえのか?」
快斗のぼやきに、どうしたものかと悩む暁。
「なあ、試しに疑似認知空間を展開してみたらどうだ?」
暁が悩んでいると、モルガナがそう提案してきた。
常人、つまり大衆が空き地と認知しているこの場所は認知空間でも空き地のままだと思われるが、モルガナの言う通り一度試してみる価値はあるだろう。
暁はアルカナの力を行使し、認知空間を展開させた。紅い水飛沫が巻き起こり、それが暁を中心にして放射状に広がっていく。何をするのかと様子を見ていた快斗は、次の瞬間に起きた現象に驚愕する。
たった今まで広がっていた空き地が、まるで上塗りされていくような形で瞬く間に鬱蒼とした森へと変化していったのだ。
どうやら魔女による認識阻害と人払いの効果の影響で、大衆からはこの場所の存在自体が認知されていなかったようだ。それ故に魔女自身の認知情報が認知空間の様相に反映されたということだろう。
「うおーッ!? スッゲー!!」
快斗は興奮した様子ではしゃいでいる。幼児化した今の身なりからして、もはや子供そのものである。キッドとして相対した時は紳士を気取っていたが、元々こういう子供っぽい性格なのだろう。
「間違いねえ。前に来たのはこの森だ! 行こうぜ、暁!」
先行する形でその中へ意気揚々と入っていく快斗。
この疑似認知空間では野良シャドウが現れることはないだろうが、魔女が絡んでいるとなると話は別である。ましてや今は子供の身体なのだ。暁達は怪盗姿に変身し、ラヴェンツァ改めベルベット達と共に慌てて快斗の小さな背中を追いかけた。
森の中は濃い霧が立ち込めており、陰鬱とした空気に包まれている。少しでも目を離してしまえば、逸れてしまいかねない。
「……なんつーか、わかってたけど、改めて見ると本当にオメーがジョーカーだったんだな。さっきまでの眼鏡かけた冴えない見た目じゃ想像つかないぜ」
颯爽と追いついてきた暁――ジョーカーの怪盗衣装を見て、感慨深そうにそう呟く快斗。そして、怪盗姿のモルガナ改めモナの二等身を見て吹き出した。
「おまっ! もしかして、あの黒猫か!?」
「そーだが……なんだよ。文句あるのか?」
「い、いや、ねーけどさ……ククッ、オメーらコミカル集団かよ」
「ジョーカー、コイツ殴っていいか?」
「そのコミカルというのは私も入っているのですか? 私も殴っていいですか?」
落ち着け、とモナ達を窘めるジョーカー。元の世界でもコスプレ集団とか言われていたのだから、今更どう呼ばれようが気にしない。
「お? 何か見えてきたぜ」
そのまましばらく森の中を歩いていると、霧の向こうにぼんやりと建物の影が見えてきた。それは煙突が数本伸びている屋敷であった。外観は若干古びており所々蔦が這っているが、人が住む分には十分問題ないレベルだ。どこか見覚えがあるような気がすると首を傾げるジョーカーだが、まあ気のせいだろうとかぶりを振る。
一行は入り口の扉の前まで行き、快斗がドアノッカーを鳴らす。しかし、反応はない。続けてドアノブに手を掛けてみると、鍵が掛かっていた。留守なのだろうか?
どうする? とジョーカーが快斗に聞く。
「どうするも何も、こうするに決まってるだろ」
彼は当然とばかりに家の壁を登って屋根に上がり始めた。どうやら、煙突から侵入するつもりらしい。
普段ならそんなことせず待つかまた後日訪ねればいいのではないかと思うところだろうが、今は怪盗としてこの場に立っている。こちらの世界に来て以来侵入らしい侵入をしていないジョーカーは少しばかりの高揚感を覚え、快斗の後に続いた。
「お、来たか」
ジョーカーがモナ達と共に屋根へ登ると、先に登っていた快斗の服装が怪盗キッドのそれへと変わっていた。いつの間に準備したのか、サイズは子供用の物となっている。
それはさておき、煙突の穴は人一人が入れるほどの大きさであった。誰が先に降りるか、話し合いを始めるジョーカー達。先んじて、ジョーカーは自分が降りると提案した。
「いや、オレが先に降りる。もし罠でも仕掛けられていて、オメーがやられちまったらどうすんだ。この場所はオメーがいないと来られないんだろ?」
「それはそうだが……この中はもしかするとシャドウっていうお前じゃ対処できない奴がいるかもしれねぇんだ」
その通りだ。もしシャドウと相対したら、ペルソナが使えないキッドでは太刀打ちできない。
「シャドウ? ……ああ、確か人間の感情が具現化した存在とか言ってたな。そんな危険なのか?」
「説明は後です。私が先に降ります」
「いや、嬢ちゃんはさすがに駄目だろ」
「私が先に降ります」
「……別に嬢ちゃんのスカートの中なんて誰も覗かな――あべし!!」
ベルベットの鉄拳がキッドの横っ面にクリーンヒットし、吹き飛ばされたキッドはそのまま煙突の中を落ちていった。ひゅ~んっという降下音がした後、グシャッという鈍い音が煙突を通って響き渡る。お前もコミカル集団の仲間入りだ。
煙突越しに、ジョーカーが大丈夫かと声を掛ける。
『……あー、問題ねえよ。ちーとばかし首が痛えけど。罠も特に見当たらねえから降りてきていいぞー』
キッドの言葉に従って、ジョーカーは煙突の縁に手を掛けようとする。
『……ん? ぐあぁっ!!?』
その時、キッドの悲鳴が煙突を通ってジョーカー達の耳に届いた。
何かあったのかと、急いで煙突を飛び降りるジョーカー。モナとベルベットもそれに続く。
狭い煙突内を難なく通って着地し煤だらけの中を這い出ると、そこは分厚い本が所狭しと棚に並べられた図書室らしき部屋であった。キッドの姿は見当たらない。魔女、あるいはその下僕に見つかって連れて行かれてしまったのだろうか?
「ともかく、キッドの奴を探さないと……ったく、世話の焼けるヤツだ」
「全くです」
ベルベットが殴ったせいでもあるのだが。
とにかく、ジョーカー達は出入り口となる扉を注意深く開け、誰もいないことを確認して廊下へと出た。廊下は屋敷の外観からは想像できないほど長く、向こう側が霞んで見えるほどであった。
「おかしいぞ。外観から考えて、この廊下は長すぎる」
「そうですね。これは、もしかしたら……」
二人が言うには、どうやらこの屋敷は疑似認知空間故に不完全ではあるもののパレス化しているらしい。以前この空間ではパレスは生まれないと推測していたが、やはり歪みの元によっては例外があるようだ。
そして、パレス化しているということは……ジョーカーの言葉に、二人が頷く。
つまり、強く歪んだ心を持つ者がここにいるということだ。
その歪んだ認知がオタカラの芽を開花させ、パレスを生み出すのである。
とすれば、ここには今まで訪れてきたパレス同様、野良シャドウが現れるのではなかろうか? 彼らは具現化した人間の感情であり、パレスの主の欲望によって歪められた存在だ。それ故に、侵入者を見つけるや否や襲い掛かってくる。
「噂をすれば、ですね」
廊下の奥で赤い水飛沫が沸き起こり、そこから下半身が蛇の姿をした女とナイトドレスを着た身の丈よりも長い金髪の女が姿を現した。シャドウだ。彼女達はジョーカー達の姿を視界に収めると、例に漏れず蠱惑的な笑みを浮かべて躍りかかってきた。
ジョーカーは懐かしい感覚にニヤリと口端を歪ませ、それを迎え撃つ――!
ちょっと上手いこと分けられなくて、前編は短めになってしまいました。後編は来週投稿する予定です。メインPC故障のため、投稿が遅れます。
仕事が忙しくなってきたので、執筆が遅れました。基本休日に一気に書き進めているのですが、ここ最近の休日はドラクエXIを猿のようにプレイしていたので……
基本クロス物が好きなので「ダイの大冒険×ドラクエXI」が書いてみたかったりしてます。そんな時間はもちろんないですけど。
それにしても、これじゃあ「名探偵コナン×ペルソナ5」ではなくて「まじっく快斗×ペルソナ5」ですね……