名探偵コナン×ペルソナ5   作:PrimeBlue

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FILE.22 心の怪盗団VS怪盗キッド  中編

 時は少し戻って、東都国立博物館でホープダイヤの展示準備が完了する前日。

 米花町の喫茶店ポアロでは、学校から帰ってきた暁は梓と一緒に仕事帰りのお客へコーヒーを振舞っていた。

 

「そういえば、梓ちゃん。知ってる?」

 

 その内の常連の女性が会計の最中、対応をしている梓に声を掛ける。

 

「? 何をですか?」

「キッドよ、キッド。また予告状出したんだって。今度の標的(ターゲット)はなんと、あのホープダイヤよ」

「はあ……?」

 

 女性は少しばかり興奮した様子で語るが、それを聞いている梓の反応は薄い。

 

「これよ! これ!」

 

 見かねた女性が、その展示会のであろうパンフレットを取り出す。それには、夜空に浮かぶ月をバックにして輝きを放つブルー・ダイヤモンドの写真が掲載されていた。

 

「へ~。これって、すごい宝石なんですか?」

「ええ、知らないの? すっごく有名な宝石なのよ」

「すみません。光り物って綺麗だな~とは思うんですけど……」

 

 苦笑いで答える梓。どうやら、宝石の類は見るだけで満足なタイプらしい。

 

「そういえば、二階の毛利さんは前にキッドと対決したことがあるのよね? ほら、例の鈴木財閥の『漆黒の星(ブラックスター)』の奴で」

「らしいですね。でもお二階さん、明日から旅行に行くみたいですから今回は出番ないと思いますよ……ねえ、暁君は知ってる? 怪盗キッド」

 

 梓はその話を傍らで洗い物をしている暁に振る。それに対して、歯切れの悪い曖昧な返事で返す暁。

 

 同じ怪盗を名乗っている者として、暁も怪盗キッドの存在は一応把握している。まるで姿を隠す気のない純白のタキシードを着た、主に宝石を標的(ターゲット)にした怪盗であるが、大胆不敵な手品で警察を翻弄するその手口は怪盗というよりも奇術師と呼んだ方がいいかもしれない。

 

 しかし、そうやって手間隙かけて盗んだ宝石も、ほとんどは持ち主に返しているらしい。その持ち主が宝石を不当な手段で手に入れていた場合は、正統な所有者に引き渡すなど義賊めいたこともしているという情報もチラホラ見受けられたが、然程は世間を騒がすだけに終わっている。

 はっきり言って、何が目的なのがよく分からない人物だ。警察は世間を騒がしたいだけの愉快犯と決め付けているらしいが、果たして本当にそうだろうか?

 

 いずれにせよ、今現在怪盗キッドは怪チャンの標的(ターゲット)ランキングでトップを飾っている。掲示板の方も逐一チェックしているが、これも当然の如くキッドに関するレスばかり。大衆はキッドを改心させろと、怪盗団に求めているということだ。

 いや、恐らく本心で改心させろと思っている者は少ないだろう。大半の連中は、謎の存在同士であるザ・ファントムとキッド、両者の対決を望んでいるだけなのである。

 

 ランキングに従うのであれば、次の標的(ターゲット)はキッドということになるが……

 

 何気なしに暁はいつもの隅のカウンター席でコーヒー片手に本を読んでいるラヴェンツァへ視線を寄越す。その視線に気付いた彼女も、ただ肩を竦めるだけであった。 

 

 

 

 それから暁が洗い物を続け客の注文に対応している内に、段々と客足は減ってきていった。

 客がいなくなったところを見計らって、伸びをしている梓が暁に話しかける。

 

「ねえ暁君、せっかくだから明日午前中だけポアロを休みにして、さっきの展示会に行ってみない? ラヴェンツァちゃんも一緒に」

 

 その提案を、暁はすみませんと謝り断った。そして、明日はそれとは別に用事があるから休みをもらえないかと梓に頼む。

 

「え、そうなの? う~ん、分かった。もうこの際だから明日は一日休みにしちゃおっかなぁ……」

 

 梓は残念そうにしながらも、そう言って了承する。

 実質、彼女はオーナー代理であるから特に問題ないとは思われるが、それでいいのだろうか? 休みをもらっている身としては何も言えないので、暁は苦笑いするだけに留めた。

 

「ようし、アキラ。明日はいよいよ決行だな」

 

 そんな暁にモルガナが声を掛けた。ラヴェンツァも本を読む手を止めて、暁の方を見ている。

 

 暁は静かに、こくりと頷くのであった。 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 そして、キッドが予告した満月の日。土曜日の夜。

 

 東都国立博物館への一般入場は既に午前中で終了している。

 昨日までは夜も入場でき、その際にはプロジェクションマッピングを使って博物館全体をダイヤモンドの輝きで演出し、此度の展示を華やかに彩っていたらしい。

 

 だが、今日の夜はキッドがホープダイヤを頂戴しに現れるということもあってその演出も行われず、夜闇を照らす照明は外灯と博物館の窓から漏れる明かりのみ。

 博物館の敷地を囲うようにして張られた黄色い立入禁止テープの外には、キッド見たさに大勢のマスコミを含む野次馬達がカメラやスマホ片手に集まっていた。その様はまるで博物館の明かりに群がる虫のようで、それらがこの場を彩るという表現は些か適当ではないだろう。

 

 そんな野次馬達の中には、江古田高校の生徒で中森警部の娘である青子の姿も見えた。しきりに背伸びをして、厳重な警戒態勢にある博物館の様子を伺おうとしている。

 

「あーもう! 全然見えない!」

 

 黒髪だったり金髪だったりテカッていたり、千差万別な後頭部の群れが青子の視界を阻み続け、足の限界が来た青子は悪態を吐いて背伸びを止めた。止めてしまうと、背の低い青子の目の前には野次馬の背中しか見えなくなる。

 途端に、青子の胸に心細さが湧き上がってきた。

 

(ったく、快斗の奴どこ行っちゃったのかしら……)

 

 今日の午前中にホープダイヤを見学しに東都博物館を訪れた青子。実際に見学していた時は快斗も一緒であった。ダイヤの話題を出してきた本人である恵子も誘ったのだが、「わざわざお邪魔虫になりに行くわけないでしょ~」とニヤついた顔で断られたのだ。

 

 そして、今は一人。父親がホープダイヤの警護に当たるということで、一般入場が終了して辺りが暗くなってもこうして入り浸っていた。が、ふと気がついたら一緒にいたはずの快斗はその姿を消してしまっていたのである。

 キッドのファンであるはずの快斗は、なぜかそのキッド本人をお目にかかれるという時は決まってどこかに行ってしまう。間が悪いのかわざとなのか、相変わらず何を考えているのか分からない奴だ。

 

 

 ……それとも、そんなに自分と一緒にいるのが退屈だったのだろうか?

 

 

(……快斗のバカ)

 

 青子は地面を見やり、心の中でどこかに行った幼馴染を毒吐く。周りの喧騒音は大きいはずなのに、どこか遠くから聞こえるように感じる。この場に自分一人でポツンと立っているような、そんな気分に苛まれるのであった。

 

「きゃっ!?」

 

 その時、横から勢い良く押されてしまった青子は、バランスを崩して背中からその場に倒れ込みそうになった。何かを支えにしようと手を伸ばすも、空振りに終わる。次の瞬間に来るであろう衝撃を前に目を閉じる青子。

 

 しかし、青子の体は地面に叩きつけられることはなかった。丁度青子の倒れ込んだ先にいた人物が、受け止めてくれたのだ。

 

「あ……す、すみません」

 

 背中から抱えられている状態となり、肩越しに助けてくれた人物を見る青子。その人物は不規則なクセ毛をした眼鏡を掛けた男性で、身長は快斗と同じかそれより少し高いぐらいだろうか。

 

 そんな風に考えながらぼうっとしている青子に、男性は小首を傾げて疑問符を投げ掛ける。ハッとした青子は顔を赤くし、慌てて姿勢を戻した。

 

「ごっ、ごめんなさい! 助けてくれてありがとうございます!」

 

 男性は問題ないとばかりに首を横に振ると、青子の手を取って群集の中から出ようと歩き始めた。

 

「え? あ、あの……」

 

 女の子が一人じゃ危ないから、帰った方がいい。群集の外に出てから、そう青子に勧める男性。

 

「でも、青子……じゃなくて私、父が警察関係者なんです。いっつも無茶ばかりするから、今日の展示が終わるまでは心配で帰れなくて……」

 

 青子の事情を聞いた男性はしばし顎に手を添えて考える。

 暫しして、自分は用事があるから、離れている間連れの面倒を見ててくれないかと青子に頼んできた。一人でいるよりかはいいだろうと。

 見ると、男性の後ろの方で外国人の少女と黒猫が青子のことを見上げている。

 

 まるで不思議の国のアリス――絵本から出てきたような子だ。少女の身なりを見て、青子はそんな印象を受けたのであった。

 

 

 

 

 

 

 一方、高台から博物館の周りに集まる野次馬達を見下ろす影が一つ。

 その影は、乾いた闇夜をまるで上塗りするかの如く純白に染められていた。

 

 肌寒い冬の夜風でたなびく白いマントにシルクハット。そして、右目に掛けられた片眼鏡(モノクル)

 

 その顔は――青子の幼馴染、黒羽快斗その人であった。

 

 そして、彼の正体こそ、今宵行われる演目の主役の一人にして、ホープダイヤの所有者に予告状を届けた世を騒がす奇術師――

 

 

 

 平成のアルセーヌ・ルパンこと、怪盗キッドである。

 

 

 

 

 

「 レディース・アンド・ジェントルメーン! 」

 

 突如、どこからか大勢の観客に挨拶するかのような声が博物館の周りに響き渡った。集まっている野次馬や警備員達が一斉にどよめき始める。

 

「あ、あそこ!」

 

 その内の一人が、大声と共に博物館の屋根の上を指差した。

 

 

 その指が差す先、そこには彼らが待ち望んだ白き奇術師――怪盗キッドが悠然とその姿を月明かりの元に晒していた。

 

 

「キッドだ! キッドが現れたぞ!」

 

 色めき立つ群集を尻目に、中森警部率いる警察関係者達がすぐさま屋根の上へと向かう。

 

 キッドは自分を捕まえようとしている者達に目もくれず、博物館の庭先に集まる野次馬という名の観客達に向けて、声明を述べ始める。

 

「盛大な歓迎、ありがとうございます。予告通り、ホープダイヤを頂戴しに参上しました」

 

 観客達が一斉に「わー!」と歓声を上げる。

 

「怪盗キッド! 今回の相手はその界隈でやり手と名高い杉村氏ですが、自信のほどはいかがでしょうか!?」

 

 周りを無理矢理押し退ける形で前列に出て、キッドに向けてマイクをかざしてインタビューするマスコミ。

 

「らしいですね。しかし、関係ありません。私は泥棒である前に、マジシャンですから。今回も皆さんがあっと驚くようなマジックで――」

「おい、なんだこれ!?」

 

 キッドが律儀にインタビューに答えていると、群衆の中からまた別の声が上がった。

 

 その声の上がった箇所を避けるようにして丸い空間ができており、その中心には一枚の赤いカードが落ちていた。最も近い人物が恐る恐るといった様子でそのカードを拾い、書かれた内容を読み上げる。

 

 

 

 私利私欲で悪戯に世間を騒がせる奇術師、怪盗キッド殿。

 

 月下において行われるその大体不敵で巧妙な手口は、標的が違うとはいえ

 

 一同業者として賞賛に値する。が、お前の断罪を望む大衆の存在を無下にはできない。

 

 日輪の下にその姿を晒させてみせよう。今宵、その欲望を頂戴する。

 

                 心の怪盗団『ザ・ファントム』より

 

 

 

 誰かが、「怪盗団からの予告状だ!」と叫ぶ。

 予告状のカードはそれ一枚ではなく、周辺にも何枚か散らばっていた。その内の一枚は、博物館の屋根の上に立つキッドの足元にも落ちている。

 

 群集から少しばかり離れた場所で、青子も予告状のカードを拾う。

 

「本当に怪盗団の予告状だぁ。ほら、見て見て」

 

 青子は興奮した様子で、傍らにいる先ほどの男性が連れていた少女にカードを見せた。少女はなぜか妙に得意げな顔をしてそれを見ている。

 

 

「なんと、どうやら最近巷で有名な心の怪盗団が私の改心を目的にここへやってくるようですね」

 

 突然の横入りにも態度を崩さず、おどけた様子の口調で怪盗団について言及し始めるキッド。

 

「これは面白いことになってきました。ショーの標的(ターゲット)はホープダイヤですが、今回私は杉本氏やいつもの警察の方々に加えて、かのザ・ファントムも相手にしなければならないようです」

 

 キッドは右手の人差し指を立てて、続ける。

 

「……では、観客の皆さん。此度の演目を変更することにしましょう。私がダイヤを頂戴する前に改心されれば、怪盗団の勝利。逆に、改心される前に見事ダイヤを頂戴することができれば私の勝利、という怪盗対決にね!」

 

 恐れた様子もなく堂々と怪盗団を迎え撃とうとしているキッド。その言葉に興奮したファン達が、黄色い声を上げて応援し始める。

 いつもの警察との対決ではなく対抗馬と思われている怪盗団との勝負ということで、マスコミはここぞとばかりにカメラと集音マイクをキッドの方へと向けた。

 

「キッド! そこを動くなよぉ、観念しろ!」

 

 そこへ、屋根を登ってきた中森警部達がキッドを捕まえようと一斉に飛び掛かる。

 しかしその瞬間、キッドの体から煙が勢い良く巻き起こった。煙が晴れると共に、キッドの姿は見えなくなってしまう。

 

「っくそ! おい、奴の狙いはダイヤだ! 中央ホールへ向かうぞ!」

「「「はい!」」」

 

 部下達に命令し、飛び降りる勢いで屋根を降りていく中森警部。

 それに続く部下達の数が一人増えていることにも、気付かないでいた。

 

 

 

 

 

 

 ホープダイヤの展示してある中央ホールに辿り着いた中森警部達。

 そこでは、杉村が雇った警備員達がダイヤの入ったガラスケースを囲むようにして見張りを続けていた。

 

 ダイヤ展示用の特注ガラスケース。まるでビルのように縦に伸びたデザインをしており、二階まで吹き抜けとなっているホールの天井と台座との間を直接繋げている。これは、博物館の外装演出も飾ったプロジェクションマッピングを有効利用するための設計である。

 ケースは四桁の暗証番号によってロックが施されており、それを解除することによって台座が床に埋もれる形で下の方に駆動し、中身を取り出すことができる構造になっている。暗証番号を知っているのは、ダイヤの所有者である杉村だけだ。

 

「ダイヤは……まだケースの中か」

 

 中森警部はダイヤが無事なことに安堵しつつ、周りの警備員達に問い掛ける。

 

「おい、キッドがここへ向かってきているはずだ。異常はないか?」

「連絡は受けています。今のところ、特に異常はありません」

 

 

 その時であった。突然照明が落ち、カーテンが閉じているホールは暗闇に包まれる。

 

 

「な、何だ! どうした!?」

「停電か!?」

 

 何事かとざわつき始める警備員達。

 

「キッドだ! どこから来るか分からんぞ! とにかくダイヤの周りを固めるんだ!」

 

 瞬時にキッドの仕業だと理解した中森警部は、そう周りに伝えて警戒態勢に入った。

 

 

 ――しかし、キッドは現れない。そればかりか、信じられない現象が警部達の目の前で起き始めた。

 

 

 

 なんと、ケースに入っているホープダイヤが独りでに宙へと浮き始めたのだ。

 

 

 

「な……な、何ィ!?」

 

 一体どういうことかと、ホールにいる全員が驚愕の声を上げる。あまりのことに、動くことさえも忘れてしまうほどに。糸でも吊るされているのかと目を凝らす者もいるが、そんな物は見当たらない。

 

 そのまま輝きを放ちつつ音もなく上昇していったダイヤはホールの二階を通り過ぎ、天井にぶつかる寸前にまるで溶け込むようにしてその姿を消してしまった。

 

「――ッハ!? し、しまった!」

 

 それが切欠となってようやく正気に戻った警部達は、ダイヤはどこへ行ってしまったのかと慌てふためき出し、ケースへ近づこうとする。

 

「どうも、中森警部。早速で悪いですが、ホープダイヤは頂いていきますよ」

 

 そこへ警部達の耳に、そんな響きのある声が聞こえてきた。キッドだ。

 

「キッド! どこだ! どこにいる!?」

 

 姿の見えないキッドを探して、辺りを見回す中森警部。

 

「警部! あれを見てください!」

 

 二階にいた部下の一人がホールのカーテンを開き、その先を指差して叫んだ。

 窓の向こうには、白い飛行物体が博物館を離れていっているのが見える。それは、キッドが移動に使うハンググライダーに間違いなかった。

 

「くっそぉ……キッドめ! 逃がしてなるか!」

 

 わなわなと拳を震わせた中森警部は弾かれたように走り出し、キッドを追ってホールを出て行った。警部の部下と警備員達もそれに続く。

 

 

 

 ……そして、ホールには誰もいなくなった。

 

 

 

 警部達の走り去る足音が聞こえなくなると、ホールにある柱の影から警察関係者の服装をした者が姿を現す。

 その人物は、カーテンを開き、飛び去っていくハングライダーを指し示した男であった。

 

 男は服に手を掛け、破るようにして一気に脱ぎ去る。瞬きもしない間に、男の姿は白いシルクハットを被ったタキシード姿に変貌した。

 

「……ふう、毎度毎度お疲れさん。中森警部」

 

 そう、怪盗キッドは中森警部の部下の一人に化けていたのだ。

 変装の名人であるキッドには造作もないことであった。つまり、さきほどのハンググライダーはダミー。警部達を博物館から遠ざけるための囮で、警部達はまんまと騙されてしまったのだ。

 

 もちろん、まだダイヤは頂戴していない。ダイヤは未だケースの中。先ほどの現象は、プロジェクションマッピングを用いて投影された映像に過ぎない。いわゆる、バーチャル・マジックだ。予め、その映像が再生されるよう仕込みを入れておいたのである。

 

「さて、と……」

 

 キッドはダイヤの入っているケースに近づき、白い手袋を擦り合わせてから暗証番号の入力にかかる。彼は展示準備が始まった頃から鳩を使って杉本の監視を続けていた。杉本が暗証番号を入力しているところもしっかりと覗いていたのだ。

 入力が完了しロックを解除したキッドは、ケースの中から解放されたホープダイヤを頂戴する。

 

 その時、どこからともなく拍手がホールに鳴り響く。 

 キッドが音のする方へ振り向くと、そこにはダイヤの所有者である杉村が立っていた。

 

「お見事、怪盗キッド。まさか、こちらが演出として用いた技術を利用してくるとはね」

 

 厭らしげな笑みを浮かべつつ、キッドを褒め称える杉村。

 

「それはどうも。貴方の博物館全体を輝かせるという俗な演出よりも、楽しめたでしょう?」

 

 キッドの皮肉の言葉に眉をピクリと歪ませた杉村は、右手を上げて親指を鳴らした。それが合図だったのか、杉村の背後から大勢の警備員がバタバタと現れ始める。

 

「残念だがキッド、そのホープダイヤは偽者だよ。本物は、僕が肌身離さず持ち歩いている」

 

 お返しとばかりに、杉村は胸元からペンダントにしているホープダイヤを取り出して見せた。

 

「お得意のマジックは警察相手に使い果たし、この警備員の数相手にもはや逃げ場はない。君の負けだよ、キッド」

 

 状況から考えて、キッドに勝機はないのは目に見えている。

 しかし、キッドは焦るような態度も見せず、逃げようともしない。それどころかシルクハットを目深に被り、笑いを押し殺すように肩を揺らし始めた。そのせいで、有利であるはずなのに勝った気になれない杉村は眉を潜める。

 

「な、何がおかしい!?」

 

 対するキッドは、前を向いて吊り上げた口端を見せた。

 

 

「このダイヤが偽者だということは、最初から知っていましたよ」

 

 

 そう告げて、偽者のホープダイヤを眼前に掲げるキッド。

 すると突然、辺りから有色のガスのようなものが吹き出し、瞬く間にホール全体へと広がった。

 

「なっ!?」

 

 杉村が慌ててハンカチで鼻と口を塞いでいる間に、彼の周りにいた警備員達が咳き込み始め、次々と床に倒れ込む。

 

「ご心配なく、ただの催眠ガスです。身体に害はありませんよ」

 

 と、ガスマスクを取り付けたキッド。

 

 ガスは瞬く間にホール全体に充満していく。咳き込みながらその場に膝を突く杉村。そんな彼の元へ、本物のホープダイヤを頂戴するべくキッドが徐々に近づいていく。

 

 

 

「……?」

 

 杉村の目の前まで来たところで、キッドは少しばかりの立ち眩みを覚えた。それと同時に、辺りを包む有色のガスの流れが変わったことに気付く。

 

 足を止めて、ガスの流れる方向を辿り、ホールの二階を見上げる。

 

 

 

 風でたなびく黒いロングコート。

 

 そして、キッドとは対照的な漆黒の夜会服。

 

 白いドミノマスクで顔を隠した黒髪の男が、開いた窓を背にして立っていた。

 

 

 

 昂然たる姿勢の黒尽くめの男は、およそ人間業ではない跳躍力で二階の柵を跳び越えた。

 夜闇に染まるような黒いロングコートをたなびかせ、先ほどまでキッドのいた展示ケースの近くへと緩やかに着地する。ゆっくりと、キッド達の方へ振り返りながら立ち上がる男。

 

「は、はは……本当に来たぞ。怪盗団だ……ジョーカーがやってきたぞ!」

 

 キッドは予告状の件もあって身構えてはいたものの、内心では自分以上に正体不明な上、形のない物を盗むというその不可思議な存在に対して半信半疑な心情を持っていた。

 

 だが、間違いない。目の前の人物はそれを可能とする力を持っている。

 

 錯覚か定かではないが、迸る赤い覇気のような何かが、そう思わせるほどの貫禄を感じさせるのだ。今までに感じたことのないような感覚に、キッドは舌なめずりをする。

 緊迫した空気の中、赤い手袋を嵌め直したジョーカーが、その口を開く。

 

 

 ――頂戴しに来たぞ。その歪んだ欲望を。

 

 

 

(コイツが、心の怪盗団ザ・ファントムのリーダー……!)

 

 対するキッドは、努めて冷静な態度を崩さない。いかなる場合でも表情を変えない、ポーカーフェイスこそがマジシャンとして一番大切なことだ。

 

「お初にお目にかかります、ジョーカー。同業者としては、もっと別な出会い方をしたかったものですが……それはそれとして、予告状を出されていましたね。私としては、そこまで自分が歪んでいるとは思っていないのですが」

 

 ジョーカーは何も答えない。

 ただじっと、キッド達の方を見据えている。

 

(聞く耳持たないってか……)

 

 やれやれと、キッドは肩を竦める。

 見たところ、出向いたのはリーダーであるジョーカーだけのようだが、仲間がどこかに隠れているのだろうか? 一人だけならば、やりようはいくらでもある。

 

「分かりました。どうしても私を改心させるというのであれば、どうぞご自由に――」

 

 そこまで言うと、キッドは徐に懐から何かを取り出し、頭上へ放り投げてみせた。釣られて、ジョーカーが上を見る。

 宙を舞うそれは、ただのトランプカードであった。

 

 

「――やれるもんならな!」

 

 

 相手の出方が分からない以上、後手に回るのは得策でない。

 先手必勝とばかりにキッドは特徴的なフォルムの銃を構え、引き金を引いた。発射されたのは銃弾ではなく、先ほど放り投げた物と同じトランプカードだ。キッドは人殺しはしないという信条を持っているため、実銃ではなくトランプ銃を用いている。

 

 風を切って飛んでくるカードを、身を軽く反らすことで避けるジョーカー。通り過ぎたカードが、防弾ガラスの展示ケースに突き刺さる。ドミノマスク越しにジョーカーが目を丸くしているのが見て取れる。

 

 それを好機と見たキッドは、すかさず懐から筒を取り出して放り投げる。

 床を落ちて転がった筒から、煙幕が勢い良く吹き上がり始めた。数秒もしない内に、辺りを視界がなくなるほどの白い煙が包みこんでいく。

 

 だが、窓は開いている。じきに煙は晴れるだろう。

 ジョーカーは何をするでもなく、静かに辺りへ目を配らせている。

 

 しばらくすると、扉を開け放つような音がホールに響いた。

 それから少しもしない内に、杉村がジョーカーの前に煙を掻い潜る形で飛び出してくる。

 

「ぶはッ! ハア、ハア……キ、キッドが……僕のホープダイヤを奪って、ホールから逃げていった! 何してるんだ! 早く追いかけて、改心させろ!」

 

 息も絶え絶えといった様子で捲くし立てる杉村。

 ジョーカーはそれを聞くと、杉村の横を通り過ぎて煙の晴れかかっているホールの入り口へと足を向け始めた。

 

 

 しかし、すぐにその足を止めてしまう。

 

 

「……お、おい! な、何をぼさっとしている!?」

 

 不可解な行動をするジョーカーに対して、杉村は苛立たしげに喚く。ジョーカーはそれに答えるようにして、杉村の方へと振り返る。

 

 その手には、黒光りする拳銃が握られていた。

 

「なっ! 何のつもりだ!?」

 

 青褪めた顔で怒鳴る杉村を、無言で睨みつけて銃口を向けるジョーカー。

 

 

 ――数秒間、いや、数分だろうか。そう感じさせるほどの緊張が続く。

 

 

 やがて、杉村が観念したように両手を挙げた。

 

「……っち、どうして分かったんだよ」

 

 姿は杉村のままだが、声色は先ほどジョーカーが聞いたキッドのそれと同じであった。

 そう、この杉村はキッドの変装だったのだ。本物は……ホールの柱の陰で縛られている。

 

 ――サーマルゴーグルを使って煙の中で行動していたようだが、良い目を持っているのはお前だけじゃない。

 

 ジョーカーの言葉を聞いて、乾いた笑いを出すキッド。

 

「オレの負けだよ。そら、杉村から奪ったホープダイヤだ。返すぜ」

 

 ポケットに手を入れ、杉村が身に付けていたであろうホープダイヤを取り出し、差し出した。

 それを受け取ろうと、ジョーカーは手を伸ばす。

 

 

 

 その瞬間、キッドの手の上にあるホープダイヤが眩い閃光を放ち始めた。

 

 

 

 思わず、ジョーカーは銃を持った方の腕で目を庇う。

 すぐに光は止んだが、ジョーカーの目の前からキッドの姿は掻き消えている。

 

 ジョーカーが辺りを見回していると、頭上から笑い声が聞こえてきた。

 

「どこ見てるんだジョーカー。オレはこっちだぜ」

 

 二階を見上げると、変装を解いたキッドがポケットに手を入れてジョーカーを見下ろしていた。

 

「予告通り、ホープダイヤは頂戴しました。わざわざご足労頂いた怪盗団には申し訳ないが、私はまだ怪盗をやめるわけにはいきません。改心とやらを実行される前に、お暇させてもらいましょう」

 

 そう告げたキッドはハンググライダーを展開し、開いた窓から外へ出ようとする。

 

 その間際、ジョーカーはガラスケースに刺さった先ほどキッドが放ったトランプカードを手に取り、それを縦に引き裂いてみせた。

 

 それを見たキッドは、訝しげな目をしつつ動きを止める。

 

 そのまましばらくジョーカーと視線を交わすが、キッドはやがてその身を窓から放り出し、夜闇の星空へと飛び立っていってしまった。

 

 

 




次回は既に書き上がっているので、一週間後に投稿します。









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