ある日の陽が落ちてまだ間もない夜。場所は下野公園にある東都国立博物館。
窓からの明かりが館前の池を照らす中、厳重な警備のもと、ある宝石の展示準備が慌しくかつ慎重に進められていた。
その宝石の名は、ホープダイヤ。
約45.5カラットのブルー・ダイヤモンドで、ある伝説故に世界中で有名となっている宝石。
それが、薄暗いホールの中心で二重の防弾ガラスの中に運ばれる。降り注ぐ照明を浴びて煌びやかな燐光を発するその姿は、さながらスポットライトで照らされる舞台の主役のようだ。
いや、その表現では不十分だろう。なぜならば、周りで警戒の目を光らせる警備員の存在が、
「慎重に扱えよ。お前達の生涯年収でも手が届かない価値を持った宝石なんだからな」
その警備体制の様子を、少しばかり離れた場所から眺めて満足気に頷いている若く身なりの良い男が一人。
「ほお、それがかの有名なホープダイヤとかいう宝石ですか。杉村殿」
そんな彼の元へ、スーツを着た髭面の中年が近づく。警視庁捜査二課に所属している中森銀三警部だ。
中森警部はホープダイヤを守る警備員に目をやり、次いで杉村というその男に対して不満を顔に描いたような表情を見せた。
「しかし……この警備員達は何なんですか? 警備なら我々が――」
「申し訳ないですが、あまり貴方達警察を信用していないものでして。何度も奴を逃がしてしまっているという確かな実績があるようですからね」
杉村は皮肉を込めた態度をこれでもかと言うほど顔に出して、中森警部をあしらった。
この厳重警戒態勢を敷いている警備員達は、杉村が雇った民間の警備会社に所属している者達だ。警備専門なだけあって、それに当たっては機動隊等を除けば一介の警察官以上の活躍をしてくれるだろう。
であれば、なぜわざわざ自分達警察を呼んだのだと、中森警部は眉を潜める。
「このホープダイヤには、手にした者をことごとく破滅させるという不吉な伝説が纏いついていましてね……」
警備対象であるホープダイヤのことについて、頼まれてもいないのに語り始める杉村。
「実際に何人もの人間が不幸になったそうで。そうして様々な人間の手に渡り、その青き輝きを発する場所を転々としてきたこの宝石は、『呪われた宝石』と世界中からまことしやかに呟かれているんですよ」
「はぁ……しかし、あくまで伝説でしょう?」
「もちろん、そうですが……前の持ち主が病に倒れたということもあって、ネガティブな印象がさらに顕著になってしまったのですよ」
そこまで言って、杉村は懐から一枚のカードを取り出した。
「そんな中で届いたのが、この怪盗キッドからの
そのカードには『次の満月の夜、ホープダイヤを頂きに参上する』という文章と、コミカルなマークが描かれていた。
「僕はこのホープダイヤをあのオクムラコーポレーションの奥村社長から譲り受けました。彼のためにも、そんな負の伝説を祓い清めたいんです」
杉村はわざとらしく憂うような仕草を見せる。
「であれば、キッドの予告状はまさに好都合というもの。奴を負かすことができれば、宝石に纏わる不吉な噂などすっ飛ぶことでしょう。だからこそ、こうしてホープダイヤを特別展示して出迎えの準備をしているわけでしてね」
腕時計を確認した杉村は、そこで話を切って展示準備が完了した宝石の元へと足を向け始めた。通り際に、中森警部の耳元で口を開く。
「……お前達警察もわざわざ呼び寄せて協力させてやっているんだ。キッド逮捕の手柄にあやかれるんだから、せいぜい感謝するんだな」
杉村は嫌味な目つきを中森警部に送って彼の横を通り過ぎていく。
「――っ、あ、あの若造! 下手に出てれば好き放題言いやがってぇ……!」
「お、抑えてください! 警部!」
中森警部は憤慨して怒鳴り声を上げようとしたが、部下に抑え込まれてしまう。そんな彼らを尻目に、杉村は警備員を退かして宝石の目の前に辿り着いた。それを見計らったかのように、外で待機していた記者の大群がホールの中に入ってくる。
「「うおおっ!?」」
記者の集団は警部達を弾き飛ばし、続々と杉村にカメラとマイクを向けた。どうやら、このホールを即席の会見場とするようである。今回の展示が急に決まったというのもあって、記者会見の準備はあまり優先されていなかったのだ。
「杉村さん! キッドから予告状が届いたというのは本当なんですか!?」
「ホープダイヤを狙っているとのことですが――」
「今回の展示はどういったご意向によるものなんでしょうか!?」
カメラのフラッシュを浴びながら、槍の如く突き出されたマイクに向けて杉村は口上を述べ始める。
「仰る通り、僕の元にかの有名な怪盗キッドの……ホープダイヤを頂戴すると書かれた予告状が届きました。僕としては、奥村社長から譲り受けたとても大切な品をむざむざ盗まれるわけにもいきません。故に、真っ向から立ち向かうために今回の展示を決断したのです」
続けて、記者達はお互いを押し退けてマイクを揺らしつつも質問を投げ掛ける。傍から見たら何とも滑稽であるが、本人達は怖いほど真剣である。
「しかし、ホープダイヤには呪われた伝説があると――」
「前所有者である奥村夫人も病に倒れ亡くなられましたが、それに続く形で今回のキッドからの予告状! これについてはどう思われているのですか!?」
記者達からのダイヤの伝説に関する質問に対して、杉村はなんでもないかのように余裕げな笑みを浮かべた。
「ダイヤの呪いなど存在しませんよ。ご安心ください。所詮はただのコソ泥……見事キッドを返り討ちにして、それを証明してみせましょう!」
カメラに向けて怪盗キッドを挑発するような言葉を投げ掛ける杉村。
シャッター音が途切れることなく鳴り響く中、中森警部は自分を羽交い絞めしていた部下の腕を振り払い、ホープダイヤを囲む警備員達に目を配った。見た目頑強そうな男達であるが、力があればキッドをどうにかできるというわけではない。
神出鬼没で正体不明。誰もが予想だにしない方法で
今まで幾度もキッドを取り逃がしてきた警部は、この警備態勢を見て不安を感じずにはいられない。余計な真似はするなと言われているが、正式に協力要請を受けている以上、いざとなれば杉村側の指示を無視してでもキッドを追い詰めねばならない。
(状況がどうであろうと、関係ない。見てろぉ、今度こそキッドを捕まえてみせる……!)
乱れたスーツを直した警部は、明日の満月の夜に現れるであろうキッドと対峙するその瞬間のことを考え、期待に胸を膨らませる。
が、それとは別に、妙に自信有りげにしている杉村の存在が、警部の心に多少の不安を覚えさせたのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
昨今、米花町を中心にして世間を騒がせている心の怪盗団ザ・ファントム。
米花町にある帝丹高校の校長と、巷を騒がせた10億円強奪事件実行犯の改心。それらによって一気に知名度を増した怪盗団。
今では「悪いことをすれば怪盗団に改心されてしまうぞ」というような文句をあちらこちらで聞くようになるくらい、怪盗団は世間から認知される存在となっている。
その噂は、練馬区にある私立江古田高等学校にも当然広まっていた。
学校の生徒達が怪盗団の話題を度々交わして怪盗お願いチャンネルを覗いている中、極一部の生徒だけはそのトレンドに興味を示していなかった。
江古田高校の2年B組に所属している、黒羽快斗もその一人だ。
彼の場合は興味を持っていないのではなく、興味を持たないように努めているというのが正しいのかもしれないが。
「快斗~。すっごい人気だね、怪盗団」
「んだよ。青子……」
そんな彼に対して、怪盗団の話題を振ってくる幼馴染の中森青子。何を隠そう、彼女の父親はあのキッド逮捕に執念を燃やしている捜査二課の中森銀三警部である。そういう関係で、怪盗に関する話題は自然と耳に入れてしまうのだ。
「ねえねえ、快斗は怪盗団のことどう思ってるの?」
ぶっきらぼうな態度をしている快斗に、そんな質問を投げ掛ける青子。快斗が怪盗キッドのファンであるということを知っているからだ。盗む標的《ターゲット》は違えど、同じ怪盗。比較の対象にされるのは当然である。
「……別に、どうも思っちゃいねえよ」
快斗は面白くなさそうにしながら、そっけなく返した。
「ふ~ん? そう? 青子からは気になってしょうがないって感じに見えるけど」
「バ、バーロー! んなわけねぇだろうが!」
そんな彼の態度を見てか、青子は顔をニヤつかせからかい始める。普段から彼にイタズラをされてばかりなので、その仕返しのつもりなのだ。そのイタズラというのは彼の得意な
黒羽快斗の父親――盗一は世界中で有名な
「はいはい、夫婦漫才はその辺にしてね~」
「「誰が夫婦だ(よ)!」」
そこへ、眼鏡を掛けたツインテールの女子生徒が二人の元に近づいてきた。彼女は青子の親友で、桃井恵子という。
「相変わらず息が合ってる……まあそれよりさ、見てよこれ」
恵子がニュースサイトを開いたスマホの画面を見せてきたので二人が覗いてみると、そこには世界中で有名なホープダイヤの写真と、それが期間限定で東都国立博物館に展示されるという内容が書かれていた。
「すごーい! これって一般の人も見れるの?」
「入場料支払えばね。でも、土曜日の午前中までみたい。午後からは例の怪盗のための準備があるらしいから」
画面をスクロールさせる恵子。なんと、ホープダイヤを頂戴するという怪盗キッドからの予告状が届いているらしい。ダイヤの現所有者である杉村という有力議員の息子がそれを迎えたんと今回の博物館への展示を決断したという。
「え~、休日しか見に行けそうにないのに、キッドのせいで午前中までしか見れないの?」
「バーロ。キッドが予告状を出したから展示が行われるんじゃねえか。むしろ感謝しろよ」
「アハハ……それでね、このダイヤの持ち主の杉村って人のこと調べてみたんだけど――」
何でも、あのホープダイヤは元々あのオクムラコーポレーションの社長が結婚前の今は亡き夫人のために贈った宝石なのらしい。
とある事件によってオクムラは経営が傾いてしまったのだが、杉村がそんな状態のオクムラに出資し、有力議員である父親と共に色々と手を回したおかげで窮地を救い上げられた。そのお礼として、ダイヤを譲り受けたのだという。
「へ~、すごい人なんだね。その杉村って人」
「キッドを迎え撃つ理由は、宝石にまつわる悪い噂を断って元の持ち主である社長夫人を弔うためらしいよ」
「噂って?」
そのまま女子二人はホープダイヤの伝説についての話で盛り上がり始める。
一方、傍らで机に頬杖を突いて話を聞いていた快斗は、終始どこか納得していない様子であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日の午前。オクムラコーポレーション本社ビルにて。
その最上階にある一室で、薄茶色のショートボブの髪型をした少女が物憂げな表情でドレッサーの椅子に腰掛けていた。その手に握って見つめているのは、写真立て。入っている写真には、眼鏡を掛けた男性と彼女によく似た女性が仲睦まじい様子で写っている。
そんな静かな空間に、ノックもなしにドアが開かれる音が横から割って入るようにして鳴り響いた。入ってきたのは、例のホープダイヤ現所有者である杉村だ。
「ようやくホープダイヤの展示準備が完了したよ」
彼がそう告げるが、対する少女は写真立てをデスクに置いて少し杉村の方へ目を向けただけで、反応は芳しくない。
「婚約者が疲れて戻ってきたんだ。少しくらいは労ってくれてもいいんじゃないか? なあ、春?」
杉村は馴れ馴れしく少女に近づいて、椅子の背もたれ越しにその肩を抱いた。
少女――奥村春はビクリと震え、条件反射的な動きで自分の肩を抱く杉村の腕を払い除ける。そのまま椅子から離れて、杉村を睨みつけた。
「おいおい、何だ? その態度は? 僕が何かしたかい?」
「しらばっくれて……! 貴方が……貴方が、お父様を嵌めたんでしょう!?」
おどけた様子で対応する杉村を、春は涙混じりの声で糾弾した。
春の母親が病に倒れてこの世を去って以来、父親であり社長の奥村邦和は多少憔悴気味になりながらも今までと変わらず経営を続けてきた。
だが、ある日を境に各所から急にクレームが相次ぐようになってきたのである。仕舞いにはチェーン展開していたビッグバンバーガーで集団食中毒事件が起こり、大勢の被害を出してしまう。
そして、最終的には倒産寸前にまで追い込まれてしまった。主な原因は、今まで不祥事など起こしたことがなかったために十分なマスコミ対応を行うことができなかったことにある。
そんな時に手を差し伸べてきたのが、有力議員である父親を伴ってやってきた杉村であった。彼らは会社に出資することと、自分達の伝手を使ってオクムラのイメージ回復を取り計らおうと提案した。
しかし、その条件として、奥村社長が結婚前の妻へ贈ったホープダイヤ――彼女が亡くなってからは娘である春に受け継がれた――を譲って欲しいと言ってきた。加えて、あろうことか杉村はまだ高校生である春との婚約もついでとばかりに要求してきたのである。
奥村社長は、ダイヤだけならまだしも、娘との婚約を持ち出されてはさすがに渋り始めた。娘のことを考えて、その口から断りの言葉を返そうとした時、話を聞いていた春が自ら進んで申し出を受けたのだ。
そうして現在に至るわけだが……
「でも、全部貴方が仕組んだことだった……!」
ある日、春は会社の社員の中に杉村の息のかかった者が紛れていることを知ってしまった。その者達が隠れて話し込んでいるところを偶然にも盗み聞きしたのだ。彼らが、クレームや食中毒の原因を作っていたのである。
「……それで? 僕が奥村社長を嵌めたという証拠でもあるのかい?」
「っ、それは……」
「あるわけがないよなぁ? あったとして、お前みたいな子供にどうにかできるわけでもないさ」
問い詰める春を、杉村は醜く口を歪ませてあしらった。
「となると……やはり、あの怪盗お願いチャンネルに僕のことを書いたのはお前か?」
そしてお返しとばかりに、そう問い質し始める。数日前に怪チャンへ杉村を改心させてくれという書き込みがあったのである。
春は俯き、ただ無言で返す。
「……ふん、まあいいさ。どうせあんな拙い書き込みじゃあ、怪盗団も動きやしない」
鼻を鳴らし、それ以上追求することは止める杉村。
言ってることからして、彼は怪盗団の存在を信じているのだろうか? 意外な事実に目を丸くする春。
「それよりも、見ろ」
杉村は春に近づいて再びその肩を抱く。今度は逃がさないように力を込めて。嫌がる春を余所に、弄っていた自分のスマホを見せ付ける杉村。
開かれているサイトは先ほど話に出た怪盗お願いチャンネル。そこには、『怪盗キッドを改心させろ』という書き込みが大量に書かれていた。
「これは……」
「予告状が届いた後で、僕のことが怪チャンに書かれていることを知らされてね。そこで思いついたんだよ。あの怪盗キッドを改心させろという書き込みをしたらどうなるか……それで実際に書き込んでみたら、どうだい。多くの人間が僕の書き込みに同調してくれたんだよ!」
笑いながらそう答える杉村に、春は複雑な表情を浮かべる。
怪盗キッドは多くの若者達から人気を得ているが、それと同時にいたずらに世間を騒がせ続けるその怪盗行為を迷惑がっているアンチ的存在も多く存在する。そういった者達が、杉村の投稿を見て自分達も同意見だと書き込みをしたのだ。それどころか、なぜ今までキッドの名が怪チャンに書き込まれていなかったのかとまで言われる有様である。
おかげで、最近怪チャンに実装された改心の
この男は超常的存在である怪盗団を味方につけようとしているのか。春は信じられないとばかりに眉を上げた。
「……まさか、怪盗団を当てにしてあそこまで強気な態度を? 本当に、現れると思ってるの?」
「はっ。お前がそれを聞くのか?」
自分も怪盗団に助けを求めているということを暗に指摘され、春は黙るしかなかった。
「正直に言って、怪盗団が現れようが現れまいと関係ないんだ。現れればキッドを改心させて、勝利した僕は注目を浴びる。怪盗団と繋がりを持っていると恐れる者も出るだろう……そして、現れなかったとしても、僕の勝利は変わらない」
そこで言葉を切ると、杉村は懐からある物を取り出した。目の前に差し出されたそれを見て、目を見開く春。
「それは……!」
「そう。博物館に展示しているホープダイヤは偽者なんだ」
杉村が取り出したそれは、青く輝く宝石が備え付けられたペンダント。見間違うはずがない、春の両親が大事にしていたホープダイヤであった。
「僕は優秀だからね。あの捜査二課の連中みたいに、馬鹿正直に本物をわざわざ用意して出向くなんて真似はしない。キッドの敗北は確実なのさ」
杉村は語りながら、抱いていた春の肩から離れる。春はすぐさま杉村から離れ、鳥肌の立った肌をさすった。
「どちらにせよ、世間に僕の名を知らしめることができる。ホープダイヤにまつわる不吉な伝説を覆したという事実は、将来父上と同じく政治家として活躍するための売名行為として大いに期待できるだろう……全く、ホープダイヤ様々さ」
春の目の前で本物のホープダイヤに口付けをする杉村。
「……そういえば、奥村社長は体調を崩して休んでいるらしいね。もしかすると、これも呪いの影響かな?」
「貴方……!」
わざとらしく聞く杉村に、春は怒りを露わにする。
「ふん、僕はそんな呪いなどには屈しない。このホープダイヤは、僕にこそ相応しい宝石だ。お前達が持っていても、豚に真珠といったところだろうからね。ククッ、ハハハハ!」
春が嫌悪感と怒りに震える中、高笑いを響かせながら杉村は部屋を出ていくのであった。
離れていく杉村の笑い声。聞きたくないとばかりに両耳を手で塞いでその場に蹲る春。
きっと、あの男は将来的にオクムラコーポレーションも乗っ取るつもりなのだろう。いや、父は既に杉村一家に逆らえない状態だ。もう乗っ取られていると言っても過言ではない。
(どうしてこんなことに……)
不快な笑い声が聞こえなくなってしばらくした後、春はふらりと起き上がってドレッサーの前に立った。そして、先ほど眺めていた写真を再び手に取る。
写真に写っている父と母を見て、昔聞かされた二人の馴れ初め話を思い出した。
春の父親、邦和は小さい頃は今となっては信じられないほど貧しい生活をしていた。喫茶店を経営していた祖父が少々度の過ぎた人情経営をしていたからだ。が、そんな中で祖父が無理をして買ってくれたプラモデルがきっかけで、邦和は玩具会社の社長になって自分のような貧しい家庭にも玩具を提供したいという夢を持った。
かくして、大学を卒業した邦和は若くしてそれを実現させた。その後も、新たにオクムラフーズという別会社を設立して飲食業にも手を出し始める。社員待遇の良いファーストフードチェーンを展開し、さらには祖父の店と同じ名前のコーヒーチェーンも作り上げた。
そんな邦和は、昔祖父の喫茶店によく通っていた幼馴染の女性――後の春の母親である――と友達以上恋人未満な付き合いを何年も続けていた。事業を成功させた邦和も女性の扱いは慣れておらず、それ以上の関係に踏み切ることを躊躇していたのだ。彼女も邦和を立てるためか、彼の方から踏み出してくれるのを待っているようであった。
あくる日、彼女が実は良家の娘であることを知った邦和は、結婚を前提に告白するために思い切って例のホープダイヤをプレゼントしたのだ。そのダイヤは社交界の付き合いで参加したオークションで衝動買いした物であり、当時はそのダイヤが『呪いの宝石』として有名であることを知らなかった。ただ、社長という立場にある自分が良家の娘と結ばれるには、それくらいの物を用意できなければならないだろうと思っていたのだ。
だが、返ってきたのは強烈なビンタであった。
彼女はプレゼントされたダイヤを歯牙にもかけなったのだ。彼女が邦和を好きになったのは、貧しさで心が荒れてしまう子供達を救いたいと自分の夢を熱く語っていた邦和のキラキラと輝く瞳に惹かれたからであった。そんな彼が金に物を言わせたプレゼントを贈ってきたことに腹を立ててしまったということである。
結局、彼女から話を聞いた邦和は薄れ気味であった自分の夢を思い出し、度々貧困地域でのチャリティイベントなどを開催するようになった。それから紆余曲折ありつつも、最終的に彼女と仲直りして告白し結婚に至ったのである。
その時の思い出として、ホープダイヤは大切に残されていた。
……あの杉村が現れるまでは。
写真立てを置いた春は、桃色の上着のポケットからスマホを取り出す。そして、真っ赤に染まる画面。怪盗お願いチャンネルを開いたのだ。赤色の光に照らされる春の顔は、先ほどよりもどことなく血色が良い。
画面には、もはや過去ログに追いやられてしまった春の書き込みが映し出されていた。
――オクムラコーポレーションを倒産寸前にまで追い込んだのは杉村議員とその息子です。
どうか、彼らを改心させてください。
ノワール
本当に、短い文章であった。
それだけ、春の精神状態が追い込まれていたということである。藁にも縋るような気持ちで、書き込んだのだ。
しかし、その書き込みへの返信は同意というよりも興味本位の質問ばかり。それに一つ一つ答えるような気力は、今の春に残ってはいなかった。
(これじゃあ、来てくれるわけないよね……)
春は僅かに残っていた期待と共に小さく溜息を吐き、目を閉じてスマホのロックボタンを押した。
そんな春の様子を、開いた窓から密かに眺めている視線が一つ。
高層ビルの最上階には似つかわしくない、純白の鳩だ。その足には、超小型のカメラと集音マイクが取り付けられている。
しかし、そんな鳩を見つめる視線もあった。猫だ。何時の間に侵入したのか、白い鳩とは対照的な黒い猫が春の部屋の中から鳩を見ていた。
お互いの視線が、交差する。
やがて、鳩の方がその白い羽を散らしながら空へと飛び立っていった。
猫は目を細め、翼をはためかせてビルを離れていく鳩の姿を、ただじっと見つめているのであった。
というわけで、導入編です。
ひとまず書き終えてるところだけを投稿しました。
本当は全部書き終えてから投稿しようかと思ってたのですが、またしばらく間が空いてしまいそうでしたので……
さて、内容の方ですが、当初はまじっく快斗原作にあるサブリナ公国の王女様の話を土台にしようかと考えてました。
しかし、キッド→宝石→金持ち→ペルソナ5で金持ちと言えば→春という思考に至って、このような形になったわけです。
もしかしたら、次話を投稿する際に導入編の方を編集するかもしれませんが、その際は前書きに書いておきます。