人の雑踏がひしめくビジネスの中心地、新宿。
そんな街の片隅にある寂れた雑居ビルの一室で、ひっそりと営まれている占い屋がある。今話題の絶対当たるという謡い文句の有名占い師が営むお店とは違って、人の目に留まることのなさそうなお店だ。
今日もいつもの営業開始の時間が近づいてきた。
「さあ、今日も一日頑張りましょう!」
寂れた占い屋の主――御船千早は愛用しているヘアーターバンを金髪の頭に巻き直し、両手を握って気合を入れる。今から準備を始めるわけだが、お店の寂れた外観から察することできるように、彼女は人気の占い師というわけではない。なので急ぐ必要はないだろうと、千早はのんびりとした動作でテーブルに黒い布をかけた。
それにしても、ビルの一室で一人静かに客が来るのを待つというのは何とも心細いものである。今でこそある支援者のおかげでこうして雑居ビルの一室を間借りすることができているが、それまでは路上で占い屋を営んでいたのだ。その頃であれば、目の前を通る人の往来が寂しさを紛らわせてくれただろう。
はっきり言って、稼ぎは右肩下がりの状況だ。こんな目立たないビルの一室では、それも当然である。宣伝費などもちろんないのでSNSで自分なりに広めようとしているが、効果もたかが知れている。支援者のおかげで最低限お客が来てくれるということが、唯一の救いである。
最初のお客は何時頃来るだろうか。暢気にそう考えながら、スマホのブラウザを開く千早。最近の話題は、もっぱら怪盗団のことについてばかりだ。怪盗お願いチャンネルなるサイトまで作られたということが、話題性に拍車をかけているようである。
その怪盗お願いチャンネル――改め怪チャンでは、色々な改心候補の書き込みが何件も行われている。千早はそれを見て、細い眉を潜めた。書き込みが行われるということは、それだけ周りを省みない悪意を持った人間がいるということである。もちろん、それには書き込まれた相手だけでなく、書き込んだ本人も含まれている。イタズラや逆恨みで、何も悪いことをしていない相手を改心候補として書き込む輩のことだ。
怪チャンは、まるで日本中の人々が持つ悪意を一箇所に集めているかのような雰囲気を醸し出していた。
だが、そうであっても、千早は怪チャンを完全に否定することはできなかった。どうしてかは分からないが、怪盗団という存在を嫌うことができずにいる。それどころか、ある種の親しみのようなものを感じているのだ。事実、怪チャンには本当に救いを求めている人の書き込みも存在している。
千早が怪チャンの書き込みを眺めていると、扉をノックする音が聞こえてくる。
「あっ! は、はい!」
千早が慌ててスマホを閉まって返事をすると、ゆっくりと扉が開く。眼鏡を掛けた長い黒髪の女性が入ってきた。こういった場所に来るのは初めてなのか、キョロキョロと店内を見渡している女性。
千早の店には、びいどろの花瓶や星形の装飾品が飾られている。こういった占いの店では、オカルト的な装飾があちらこちらに飾られているものと思われるが、生憎千早はそういった物をあまり好まないので飾られている物は全て彼女の趣味だ。
「いらっしゃいませ~。どうぞ、そちらの席にお座りください」
そんな彼女を、千早はテーブルを挟んだ向かい側の椅子に座るよう促した。女性は頷いて千早の言葉に従う。
「初めまして、御船千早といいます。お客さんのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「……広田雅美です」
しかし、彼女の名前を聞いた千早は、細い眉を八の字にして困った様子を見せた。
「あの、どうかされましたか?」
「え? あっ、すみません! なんでもないです……」
その様子を見た広田雅美がそう聞くと、千早は笑って誤魔化した。
千早は女性が名乗った"広田雅美"という名前が偽名であることを
そう、彼女は千里眼の能力を宿した正真正銘本物の超能力者なのだ。
その能力を用いることで、占いも百発百中の結果を導き出せるのである。本来ならもっと有名であってもおかしくないほどの実力なのだ。そんな千早に対して、嘘を吐くことはできない。
だが、千早はあえて知らないフリをした。
何か事情があるのだろう、と。それさえも、彼女は察していたのだ。
「あの、私、人を探してるんです。少しでも何か手掛かりが得られればと思って、有名な占い師さんのお店を伺ったんですけど、予約制だったみたいで……それで、こちらを紹介されたんです」
「むむむ、人探しですか。分かりました、早速占いますね! あ、御代は5000円ですので」
「え? あの、相手の名前とか、写真はお見せしなくてもいいんですか?」
「大丈夫です、任せてください! はい、確かに。それでは、始めますよ~」
千早は雅美から御代を受け取ると、テーブルへ裏にしたタロットカードの山を置いた。彼女の行う占いは、タロットカードを使った所謂タロット占いというヤツだ。
タロットカードは、"大アルカナ"と呼ばれる二十二枚のカードと"小アルカナ"と呼ばれる五十六枚のカードの計七十八枚で構成されている。杖、杯、剣、硬貨の四つのスートが存在する小アルカナを用いれば、より具体的にカードが象徴する問題などが見えてくるようになるが、千早は主に大アルカナのカードのみを用いて占いを行っている。小アルカナのカードまで使えば、能力故に知る必要のないことまで知ってしまうからだ。
早速、雅美の探し人の居場所を占い始める千早。
二十二枚の大アルカナのタロットカードを扇形に広げ、それを両手でバラバラにしてシャッフルする。十分混ぜ終えると、再びカードをまとめて山を作り、その山の一番上から一枚一枚、合計七枚を手に取っていく。最初の一枚をテーブルの中心へと運ぶと、残りの六枚を最初の一枚を囲むようにして並べて六芒星を作り上げた。
カードを並べ終えた千早は一つ深呼吸をすると、真ん中の一枚を表に返した。
そのカードに描かれていたのは、太陽――成功を意味しているアルカナだ。千早は笑みを浮かべた。
「探し人は無事に見つかるようですよ。安心してください!」
「ほ、本当ですか!?」
千早の言葉を聞いて、雅美も嬉しそうに微笑んでいる。彼女の笑顔に千早はうんうんと頷くと、続けて手前に並べたカードを表に返した。
そのカードは先ほどの物と違って逆を向いており、月桂樹の冠を被った女性が玉座に腰掛けている様子が描かれていた。それが意味するアルカナは、"女帝"。逆位置を向いているそのカードをじっと眺める千早。
「むむむ……これは、探し人は若者が大勢入れ混じった場所にいるみたいですね。恐らく、杯戸町のどこかだと思います」
「すごい、そこまで分かるんですね。でも、若者が大勢いる場所ですか……」
考え込む雅美に目をやりながら、千早は自分から見て左手前のカードを表に返す。そのカードを見て、思わず身体を引いてしまう。
そのカードのアルカナは、"塔"であった。
塔は困難や崩壊を意味するアルカナ。タロットの中でも、最悪のカードとして扱われているものだ。つまり、探し人は見つかるが、その先にあるのは――
千早は彼女が何らかの事件に巻き込まれてしまうのではないかと思い、椅子から立ち上がった。
「あ、あの! その人を探すのは、諦めた方がいいと思います!」
「え? あ、あの……いきなりどうしたんですか?」
「探し人は見つかるでしょうけど、その先にはきっと……不幸な未来が待っています!」
そう捲くし立てる千早に雅美は目を丸くして驚いている。彼女は少しばかり考え込んだが、結局「それは、できません」と首を横に振った。
「そんな……どうして!」
なぜ諦められないのかと取り乱しかける千早だが、思い止まる。一旦深呼吸して、椅子に座り直した。
運命は変わらないわけではない。やりようによっては、変えることだってできる。
千早は、いつもそれを信条として占いを行ってきた。誰から何を言われても、それだけは曲げることはなかったのだ。気を取り直して、左奥のカードを表に返す千早。
カードのアルカナは……"愚者"。
描かれているのは一人の旅人と一匹の犬。全ての始まりを意味し、自由を象徴するかのようなそのカードに対して、千早はなぜだか分からないが特別な親しみを持っていた。
トリックスターの存在……それが雅美に迫る最悪の運命を変えるための手掛かりに違いない。千早はそう判断した。そして、愚者のカードに対して抱いている感情が、怪盗お願いチャンネルに対して抱いているそれと同じであることに気づく。
「そうです! 怪盗団にお願いしてみたらどうでしょうか!」
「……は?」
千早は思わず頓珍漢なことを口走ってしまった。雅美も千早の言っていることを理解できていないのか、困惑気味だ。自分の言っていることのおかしさに気づき、千早は自分の口を手で覆う。
「あの……怪盗団って、最近噂の心の怪盗団のことですよね? でも、あれって悪人の改心が目的みたいですし、人探しで頼るような相手ではないと思うんですけど……」
ご尤もである。
しかし、千早は彼女の言葉に納得いっていない様子だ。
「あ、悪人の改心は手段であって、目的じゃないと思います! きっと、怪盗団は救いを求める人に手を差し伸べようとしているんですよ!」
また思わずそう口走ってしまう千早。彼女とてそんなことを言うつもりはなかったが、自分の意思に反して口が勝手に動いてしまったのだ。
「……すみません。私、そういった話には興味がないので、これで失礼しますね」
「あ、ま、待ってください!」
雅美は付き合っていられないと言わんばかりに、席を立った。どうやら、変な勧誘か何かと勘違いされてしまったようだ。千早は慌てて彼女を引き止めようとするが、彼女は応じずそのまま店を出て行ってしまう。
バタリと、無情に閉まる扉。
「……あ゛~、なしてあねぇなこというちゃったんよ。うちのバカ~!」
一人残された千早は、頭を抱えてテーブルに突っ伏すのであった。
千早の店を出た広田雅美は、深く溜息を吐いた。目の前を通り過ぎる人の往来と聞こえてくる雑音も、どこか遠くに聞こえてくる。
店は出たが、他に当てがあるわけでもない。これからどうするべきか……
先ほどの千早の占いが、雅美の頭の中で繰り返し響くのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
数日後の土曜日、米花町の毛利探偵事務所。
まだ午前中、朝食を食べ終えたもののまだ眠気の残っている毛利探偵こと小五郎は、それを取り除こうと蘭の用意したコーヒーを飲んだ。
彼の目の前では、蘭とコナンが来客用のソファに座って朝のニュースを見ている。ニュースの内容は、数週間前に起きた10億円強奪事件についてだ。未だ犯人は捕まっておらず、単独犯なのかどうかさえ分かっていない。
「例の10億円強奪事件の犯人、まだ見つかってないんだね」
「みたいだね……」
コナンと蘭の会話を聞いて、小五郎は捜査をしているだろう目暮警部のことを考える。警視庁は今頃大変だろうなと思いつつ再びコーヒーを啜った。そこへ、来客を知らせるノックの音が小五郎の耳に入る。
「は~い」
コナンと一緒にニュースを見ていた蘭が、テレビの電源を消して客を出迎えにいく。扉が開けられると、そこには帽子にコートといった黒尽くめの格好をした身長の高い男が立っていた。
(く、黒尽くめの男!?)
男の姿を見たコナンは目を見開き、顔は蒼白となる。まさか、ついに自分の正体が工藤新一であると断定されてしまったのかと、警戒心は露わにして男を見据えるコナン。
「お前か? 眠りの小五郎っちゅう探偵は?」
「はあ……いかにも、私が毛利小五郎ですが」
口髭の目立つその男は小五郎を見てフンッと鼻を鳴らし、続けて蘭とコナンの姿が目に入るとあからさまに顔をしかめた。子供がいることへの苛立ちを隠そうともしていない。
「あ~っと、蘭、お茶の用意を。仕事のご依頼ですよね?」
小五郎に言われて、台所へと向かう蘭。男は乱暴に返事をすると、来客用のソファにドサリと腰掛けた。コナンはなおも警戒心を解かずに小五郎の仕事机の影に隠れている。
「この男の居所を突き止めて欲しい」
男はそう話しながら、懐からある写真を取り出した。写真には、無精髭が生えていてあまり清潔感のない男性が写っている。
「ふむ……それで、お名前は?」
「……コイツの名前は杉本裕樹や」
「いえ、貴方のお名前を聞いているのですか……」
「…………ッち、
小五郎から名前を聞かれて、男――手木来蔵はこれ見よがしに舌打ちをして答えた。
「この杉本という方と、貴方のご関係は?」
「そないなもん教える必要ないやろが。お前は杉本がどこにおるか突き止めればええんや」
続けて小五郎が詳しい話を聞こうとするが、手木は突き放すような物言いで応じようとしない。
(よーし。この発信機を……)
コナンは腰を低くしたまま机の物陰から出て、足音を立てないよう手木の傍に忍び寄った。阿笠博士が新開発した発信機を取り付けようとしているのだ。これを取り付ければ、コナンが掛けている追跡メガネを使って半径20km以内のどこにいるのかが確認できる。
そーっと、コナンはシール型の発信機を手木の靴に近づけていく。
「ああ? なんや、このクソガキ!」
「うわぁっ!!」
しかし、後もう少しといったところで手木に見つかってしまった。四つん這いになっていたコナンはその腹を強烈な勢いで蹴り上げられ、事務所の玄関の方へ吹き飛ばされてしまう。
その時、ある女性が事務所の扉を開けて中に入ってきた。蹴り飛ばされたコナンは、その女性に受け止められる。
「ボク、大丈夫?」
「うう……」
女性はコナンのことを心配げな様子で見ている。慌てて蘭が彼女に支えられているコナンの元へ駆け寄ってきた。
「コナン君! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫だよ。蘭姉ちゃん……」
蘭の問い掛けにしっかりと受け応えするコナンを見て安心した様子を見せた小五郎は、客向けの態度を一転させて手木の胸倉を掴む。
「おいアンタ、子供相手に何しやがるんだ!」
「へっ、躾がなってねえガキなんざしばかれて当然やろ」
小五郎が手木を怒鳴っているのを目に入れつつ、痛む腹を左手で抑えるコナン。その時、彼は右手に握っていたはずの発信機がないことに気づいた。どうやら、発信機は蹴り飛ばされた衝撃でどこかに飛んでいってしまったようだ。コナンは慌てて周囲を確認する。
蘭はそんなコナンの様子に気づいた様子もなく、彼を支えている女性に頭を下げた。
「ありがとうございます。あの、貴方は?」
「広田雅美です。すみません、そこの手木来蔵とは知り合いでして……」
「なんや、何でお前こっちに来よったんや?」
広田雅美と名乗った女性は、コナンを蘭に預けると手木に近づいて何やら耳打ちし始めた。その間、コナンは事務所中を見回して飛ばされた発信機を見つけようとしたが、どこにも見当たらない。
「……フンッ、依頼の件はもうええ。邪魔したな」
雅美は何を話したのか。彼女の話を聞いた手木は杉本の写真を回収して、開いた扉から事務所を出て行ってしまった。雅美も小五郎達に頭を下げると、手木に続く形で事務所を出て扉を閉めた。
「ったく……何なんだ、あの連中は」
「ホント。コナン君、お腹大丈夫? 湿布持って来るね」
「う、うん。ありがとう」
蘭の言葉に頷くコナン。自力で動けないことはないし、吐き気などもないので内臓にダメージは受けていないだろう。しばらくすれば、痛みも引いていくはずだ。
コナンは腹を庇いつつ、小五郎の仕事机の椅子によじ登って窓から大通りを見下ろした。窓から見える範囲には、既に例の二人の姿はなかった。
(チクショウ……奴らの手掛かりが掴めると思ったのに)
蘭が湿布を持って戻ってくるまで、コナンは大通りを悔しげな顔付きで眺め続けるのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ご馳走様です。本当においしかったぁ。暁君、料理上手なんですね!」
毛利探偵事務所に黒尽くめの男がやってきた日。そのお昼時が過ぎた時刻、事務所の下にあるポアロでは暁がとある女性客の対応を行っていた。
「でも、大丈夫なんですか? 人気アイドルがこんなお店に来て……」
「大丈夫です! 帽子を被って髪型を変えれば、わりと気づかれませんから!」
帽子を被り、長髪をその中に納めている女性客は、ハツラツとした笑顔を梓に向けている。対する梓は、複雑そうな顔付きで苦笑いを零した。
そう、暁の目の前にいるお客の正体は、以前事件で知り合いになった人気アイドル、沖野ヨーコである。
今日も撮影の仕事があるみたいだが、少し時間が空いたのでこうしてポアロへ噂のカレーを食べに来たらしい。現在、ポアロにいる客は彼女一人だ。最初から客の少ないこの時間帯を狙って来たのだろう。
「ねえ、ラヴェンツァちゃんも、暁君のカレー好き?」
ヨーコがカウンター隅の席に座って本を読んでいるラヴェンツァに声を掛ける。彼女が人形のように可愛らしい見た目をしているからか、それとも暁の遠い親戚と紹介されたからかは分からないが、ヨーコは事ある毎に彼女に声を掛けていた。
「……ええ、まあ」
しかし、対するラヴェンツァはこのようにつれない態度を徹底している。その顔は読んでいる本に向けられたままで、表情は無関心を絵にしたかのように硬い。
隣に座っているモルガナはやれやれといったように首を横に振り、梓はじとっとした目で暁を見ている。そんな目で見ないで欲しい。
「……ラヴェンツァちゃん、私が暁君と話してるから嫉妬しちゃってるのかな?」
ヨーコが少し残念そうな顔をしながらそう言う。
ラヴェンツァは普段ジュスティーヌのように澄ましているが、時折カロリーヌのように子供っぽい所を垣間見せる。だが、それを差し抜いても、こちらの世界に来てからの彼女は以前よりも人間味があるような雰囲気を纏っている気がしてならない。
「まあとにかく、ヨーコはあの事件からだいぶ回復したみたいだな。良かったじゃねえか」
モルガナの言葉に、暁は頷く。水を飲み干して食後の余韻を楽しんでいるヨーコを見て、心から安心したという笑みを顔に浮かべた。
例の事件で数日は休むかと思っていたが、彼女は退院後すぐに仕事を再開したのだ。あんな事件があって辛かったはずだろうに。それだけ、ヨーコのアイドルに対しての思いが強いということだろう。
それからしばらくした後、彼女は急にテーブルへ身を乗り出した。そして、口元に手を添えて向かいに座っている暁だけに聞こえる声量で何やら話し始める。暁は戸惑いがちに耳を傾けた。カウンターの向こうにいる梓の視線が痛い。ラヴェンツァの視線も痛い。
「あの、前にあげたモデルガンなんですけど……」
ヨーコの言葉を聞いて暁はああと頷き、大事にしていると答えた。
肥谷校長を改心させる際に使っていたあのハンドガンは、実はヨーコの持っていた例のモデルガンだったのだ。スパイ役の練習のために用意されたものとあって、サイレンサーまで持っていてくれたのは実にラッキーであった。
認知世界で利用する場合、見た目の出来が良いほど優れた性能を発揮する。改心実行の前日、懐に余裕がない暁は連絡先を交換していたヨーコに例のモデルガンを貸して欲しいと頼んだ。すると、ヨーコはもう必要ない物だから助けてくれたお礼としてプレゼントすると言ってくれたのである。
助けた礼とはいえ何だか申し訳なかったので、暁は今度カレーをご馳走すると約束していたのだ。
「う、うん。大事にしてくれてるのは嬉しいけど……あの、梓さんから聞いたんですけど、暁君って帝丹高校に通ってるんですよね?」
急に話を変えてそう質問するヨーコに、暁は頷きつつも首を傾げた。そんな彼を見て、ヨーコは自分の頭の中にある疑念を頭に巡らせる。
――目の前にいる
帝丹高校の校長が改心されて人が変わったようになったという話を聞いて、ヨーコは自分の元恋人が心中寸前で心変わりしたことを思い出した。これらは状況は違うが、起こったことは似ているように思える。
何より自分が気絶する寸前に見た、白い仮面に黒尽くめの格好をした暁の姿。当初は見間違いかと思っていたが、これがネットに出回っている怪盗団のリーダー、ジョーカーの出で立ちとそっくりだったのだ。その暁は事件が起きた帝丹高校に通っているらしいし、暁がジョーカーであると考えると何もかも辻褄が合う。
あのモデルガンも、怪盗団の活動に必要だから貸して欲しいと言ったのではないだろうか? ガンマニアだと彼は言っていたが、とてもそうは見えない。
考えれば考えるほど、ヨーコの中で暁がジョーカーであるという疑念は深まっていった。
「どうしたんだ、ヨーコは。急に黙りこくっちまったぞ。話しかけてみろよ」
痺れを切らしたモルガナに言われて、暁がどうかしたのか? とヨーコに問い掛ける。
「あっ、はい! えっと、その……」
暁の声にビクリと肩を揺らしたヨーコは、戸惑った様子でその口を開きかけた。その時、来客を知らせるドアベルの音が店内に鳴り響く。
「こんにちはー」
「あ、お二階さん。いらっしゃいませ~」
どうやら、来店してきたのは毛利一家のようだ。この前言っていたように、蘭がカレーを食べに来てくれたのだろう。
「ヨ、ヨーコちゃん! どうしてポアロに!?」
「ど、どうも……」
ヨーコがいることに顎が外れる勢いで驚く小五郎。一般人相手には帽子を被ることである程度何とかなっていたようだが、ヨーコの大ファンに加えて一応探偵を名乗っている小五郎の目は誤魔化せなかったようだ。
「あ、私、そろそろ時間なんでお暇します。暁君、またね。ラヴェンツァちゃんも」
「えっ! そんな、ヨーコちゃあぁん! ……ああ、せっかく会えたのに」
そう言ってヨーコは御代を梓に渡すと、そそくさといった様子で店を出て行ってしまった。それを見送った小五郎は、心底がっかりした様子で肩を落としている。
「ほら、お父さん。いつまでもそんなところに突っ立ってないで。あ、ヨーコさんが食べてたのって、もしかして暁君が作ったカレー? じゃあ、それお願いします。いいよね? コナン君」
「う、うん」
「ちょっと待て、蘭! 俺は坊主が作ったカレーなんか食いたくないぞ!」
テーブル席に座った蘭が暁の作ったルブランカレーを注文しようとしているのを聞いて、小五郎は喧しく声を上げて引き止めた。暁がヨーコと仲良く話していただけでも気に入らないのに、さらに彼が作ったカレーを食べるなんて気が進まないということだろう。蘭はそんな自分の父親へ、責めるような目を向ける。
「あら、お父さん。ヨーコさんの事件で暁君を犯人扱いしたこと、忘れたの?」
「ウッ……しょ、しょうがねえな」
痛い所を突かれて、小五郎は渋々といった様子で蘭の真向かいに座る。ちなみに、コナンが座っているのは蘭の隣だ。
「はい、暁君。お願いね」
梓がよそってくれたルブランカレーを、暁が蘭達のテーブルへと運ぶ。
「ありがとう。いただきまーす」
「「い、いただきます……」」
蘭は元気良く挨拶して食べ始めたが、対照的にコナンと小五郎はあまり乗り気ではない。小五郎はまだしも、コナンはどういうことだろうかと暁は首を傾げた。大抵の子供はカレーが好物であるはずなのだから。
コナン――新一としても、別にカレーが嫌いというわけではない。むしろ、例に漏れず好物の一つだ。ただ、蘭がいつの間にか暁のことを名前で呼んでいることを気に掛けているのだ。そのせいで、暁の作ったカレーも素直に食べる気になれなかった。
(あんにゃろう、いつの間に蘭と仲良くなりやがっ……って、うめええ!)
心の中で文句を垂れつつカレーに口を付けるコナン。予想外のうまさに目を見開く。見ると、文句を言っていた小五郎もスプーンを持つ手が止まらない様子だ。
「おいしい! 学校で園子も言ってたけど、これなら評判になるのも納得だわ! 暁君、今度の家庭科の実習でも活躍しそうだね」
生憎だが、暁が得意なのはカレーとコーヒーだけである。蘭の期待には応えられそうもない。
しかし、蘭の言葉を聞いた途端、小五郎とコナンが同時に噴き出した。
「ど、どうしたの二人共!?」
「ら、蘭姉ちゃん……もしかして、暁兄ちゃんって帝丹高校に通ってるの?」
「うん。少し前に転入してきて……てっ、あれ、言ってなかったっけ? 私」
どうやら、蘭は暁が帝丹高校に通っていることをコナン達に教えていなかったようだ。無理もない。三島のことで色々と悩んでいたのだから。
暁が三島のために奮闘していた蘭と園子の事を思い出していると、小五郎がその肩をいきなり掴んで引き寄せた。そして、小さく耳打ちしてくる。
「おい、坊主。ヨーコさんだけじゃ飽き足らず、蘭にまで手を出したりなんかしたら……許さねぇからな」
凄みを利かせる小五郎に、暁は苦笑いする他なかった。
もちろん、暁にそんなつもりはない。大体、蘭には新一という恋人がいるという話でないか。
「ちょっ、暁君。園子の話真に受けないでってば! お父さんも何話してるのよ!」
そんな風にしっちゃかめっちゃかな会話を繰り広げながら毛利一家がルブランカレーを食べていると、ポアロに置かれてあるテレビが怪盗団ブームの到来を知らせるニュースが映し始めた。怪盗団のシンボルマークを模したキーホルダーなどのグッズが販売されている様子が暁達の目に入る。
「ふんっ、怪盗団ねぇ……」
「お二階さんは、怪盗団のこと信じてないんですか?」
「当たり前だよ梓ちゃん。そんなのがいたら、商売上がったりってもんだ」
小五郎の言葉に、蘭は少し顔を曇らせる。
「でも、園子は怪盗団の姿を見たって言ってたわよ?」
「んなの、ただの見間違いだよ。でかいカラスか何かだったんだろ」
その怪盗団のリーダー本人としては、小五郎のような解釈で済ませて欲しいものである。そう思いつつ、暁は蘭達の会話に耳を傾けた。
「そんなことはありません。怪盗団は実在します」
そこへ、横から声が割って入る。ラヴェンツァだ。彼女は本を閉じて、隅の席に座ったまま毛利一家を見つめている。蘭と小五郎は、今の今までそこに少女が座っていることに気づいていなかったのか、驚いた顔をしている。
「あ、暁君。誰、あの子?」
蘭の質問に、遠い親戚のラヴェンツァだと答える暁。
ちなみに、ラヴェンツァが今着ている服は梓が選んで買い揃えた物である。白いカーディガンに元のドレスと同じように青を基調としたジャンパースカートを着ている。これなら、街中でも違和感がない。
「怪盗団がいるとやっていけなくなるというのであれば、それは向いてない証拠です。探偵業など止めてしまえばいいのでは?」
「な、なんだと! このガキ!」
「まあまあ、お父さん……」
失礼極まりないラヴェンツァの発言に小五郎が憤慨するも、蘭がそれを押し留める。
さすがの暁も、小五郎に謝るようラヴェンツァに言った。しかし、彼女はぷいと顔を背けてしまう。
「暁君の言うとおりよ。ラヴェちゃん、毛利さんに謝って!」
「私は自分の考えを言ったまでです。軟弱者に謝ることなどありません」
そう言ってラヴェンツァは椅子を降り、トコトコと奥の扉へと向かって地下室にこもってしまった。
「……何だぁ? あのガキ。怪盗団のファンか何かか?」
「すみません、普段はあんな子じゃ……いや、そうでもないかも」
「…………」
一方のコナン。彼は怪盗団を擁護するような発言をするラヴェンツァのことを気にしつつも、カレーを食べる手を止めて何やら考え込んでいる。
怪盗団騒ぎがあったのは、来栖暁が帝丹高校に転入してから数日後だ。怪盗団は明らかに三島の問題を解決するために事を起こしていた。そして、正義感の強い彼ならば、例え知り合ったばかりの三島でも助けようとするだろう。これらのことから、コナンは怪盗の正体は来栖暁なのではと疑い始めていた。そうであれば、親戚であるというラヴェンツァがああも怪盗団を擁護することも頷ける。
元々、コナンは暁のことを黒尽くめの組織の者と疑っていた。だが、何度考えてみても、やはり人殺しを行うような組織がそれに矛盾するような人助けをするとは思えない。もし彼が、本当にあのような大々的なことを行う怪盗団であれば、なおさら組織の人間である可能性は低くなるのだ。
「ほら、コナン君。早く食べないと冷めちゃうよ?」
「あ、うん」
思考の海に浸っていたコナンは、蘭に声を掛けられて慌ててスプーンを握り直した。
来栖暁……彼が黒の組織の人間でなく怪盗だったとしても、犯罪者には違いない。例え相手が悪人であろうとも、人を無理矢理改心させるなんて、洗脳と同じだ。
コナンはカレーを食べつつも、ラヴェンツァを気にして奥の扉の方を見ている暁に目線をやった。
「ねぇ、あの手木来蔵って人が探してた男の人のことなんだけど……」
「ああ? いいじゃねえか、あんな男の依頼なんて気にしなくても」
毛利一家がカレーを食べ終えると、話題は毛利探偵事務所を訪れた手木雷蔵という男の話に変わった。蘭は手木が探していた杉本裕樹のことを気にしているようだが、写真は男が持ち帰ってしまっている。
「ボク、あの写真をスマホで撮ってたんだ。ほら」
「すごい、コナン君。よくバレなかったね!」
コナンがテーブルにスマホを置いて、例の写真を撮影したものを映した。撮影には、無音カメラアプリを使ったのだ。
「あんな乱暴な人が探してるなんて……何か悪いことが起きそうな気がする。お父さん、私達がこの杉本裕樹って人を先に見つけて、危険を知らせましょうよ」
「んなこと言ったって、手掛かりも何もねえし……この男だって、人相悪いじゃねえか」
話を聞いていた暁は、ひょいと身を乗り出してその写真を覗き見た。そして、その見覚えのある顔に目を見開く。
――うるっせぇんだよっっ!! ぶッ殺されてぇのかテメェッ!!?
間違いない。写真の男は……惣治郎の家に住んでいた、
暁は男に見覚えがあると、蘭達に伝えた。
「えっ! 暁君、この男の人知ってるの!? お、お父さん……」
「……ったく、しゃあねえな。梓ちゃん、ちょっと坊主を借りてもいいかい?」
「は、はい。大丈夫ですけど……」
どうやら、小五郎はその男の元へ行く気になったようだ。蘭がこう言い出したら止まらないということは、実の父親だから分かっているのだろう。それにもしかしたら、先ほどラヴェンツァに言われたことを気にしているのかもしれない。
「そういうことだ。坊主、今からこの男を見たっていう場所まで案内してくれるか?」
元よりそのつもりだ。小五郎の言葉に、暁はこくりと頷いた。
それを見た小五郎は「それじゃあ、行くぞ」と言って席を立った。蘭も立ち上がり、梓の元へ会計をしに向かう。
「あ、園子と占いのお店に行く約束してたんだった……ちょっと、断りの電話入れてくるね」
会計が終わった蘭は、小走りにポアロを出て探偵事務所の階段へ向かって言った。小五郎も外へ出て、蘭が戻ってくるのを煙草を吸って待っている。
「暁君。私、ラヴェちゃんを見てくるね」
蘭から受け取った御代をレジに納め終えた梓も、そう言い残して奥の扉へと引っ込んでいく。その場に残されたのはコナンと暁、そしてモルガナだけとなった。
続けてポアロを出ようとしたコナンが、ふいに振り返って暁を見た。玄関からの光の反射で眼鏡の奥が見えないが、真剣な目で見つめているのは分かる。
そんなコナンに、暁はどうした? と問い掛けた。
「……ボク、分かっちゃったんだ」
小さく、それでいてはっきりとした声で、そう呟くコナン。
暁も子供に向けるような態度を改めて、ポケットに突っ込んだ手をそのままに身構える。何が? と続けて問うた。
「…………怪盗って、お前のことなんだろ? 来栖暁」
名探偵コナン×ペルソナ5 完
というのは嘘です。
やっぱり黒の組織が絡むと慎重になってしまって、案の定遅れてしまいました。体調も崩してましたし。
昨日の22時以降にアクセス数が増えているのを見たのですが、なんというか……すみません。
元々できる限り毎週投稿してましたが、わりといつもギリギリだったので、推敲などの時間も含めてもっと時間を取ってもいいかなと思っています。