「イゴールめ……戯言では、なかったか……」
渋谷を中心に世界中を騒がせた心の怪盗団"ザ・ファントム"。
ペルソナという人間の持つ可能性の力。理不尽な世に対する反逆の意思によって覚醒した、困難に立ち向かうための人格の鎧であり、もう一人の自分。
その力を駆使して人々の認知世界を巡り、歪んだ心を盗む。そうやって彼ら怪盗団は腐った大人達を
しかし、そんな彼らの最大の敵となったのは、手を差し伸べた相手である大衆そのものであった。
大衆の圧倒的支持を得て総理大臣目前であった野党議員、獅童正義。人々の暴走や廃人化が相次いで事件となっていたが、獅童こそがその黒幕であると突き止めた怪盗団。
獅童を改心させ、その罪を自白したことで彼を支持する大衆も目を覚ますと信じて疑わなかった。
だが、何も変わらなかった。
獅童のようなカリスマ性を持つ人物が他におらず、他力本願な大衆は相も変わらず獅童を支持し、果ては自分には関係ないと吐き捨てた。
事態に焦った怪盗団は大衆の認知を具現化させた
大衆の持つ怠惰や被支配願望といった集合的無意識から生まれた悪神。全て、彼が用意した勝ち目の無いゲームであったのだ。
悪神は大衆の負の願望を叶えるべく認知を現実に侵食させ、世界の破滅を目論んでいた。その存在を討つため、彼らは奮闘した。
だが、奮闘空しく怪盗団は敗れてしまう。十にも満たない人数の怪盗団では、億まで及ぶ大衆による保護を破ることができなかったのだ。
悪神に敗れた怪盗団は人々から忘れられ、認知上からも消し去られる。
それは、認知が現実に侵食した世界での消滅――死を意味していた。
精神と物質の狭間に存在するベルベットルームの住人の力を借りることで消滅を逃れた怪盗団は、悪神を打倒すべく再び現実世界へと戻る。
そして、怪盗団の協力者達や、怪盗団に救われた者達。彼らの声援により、その者達の宿す希望が大衆に浸透していく。怪盗団は真の意味で現実世界に復活したのだ。
大衆の声援を背に、その希望の力で生み出したペルソナが放った弾丸が、悪神を撃ち抜いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ここも正解だな……なんだ、大体出来てるじゃないか」
もう一つの故郷となった渋谷を離れ、地元へと戻ってきた怪盗団のリーダー、来栖暁。
見事悪神を討ち倒し、歪みの大元であるメメントスを消滅させた怪盗団。
人の認知が現実に侵食した世界は復元された。悪神の支配から解放された人々が、ほんの少しでも希望に目を向ける世界へと。
それと同時に、活動を行えなくなった怪盗団は解散となった。
リーダーである暁は他の仲間に捜査の手が行き渡らないよう自ら警察へ出頭し、少年院に収容された。
だが、それも一年前のこと。仲間達や協力者達の働きかけによって無事に出所がかない、こうして地元に戻ってきている。公安にマークされてはいるが、自由を手にした暁達にとってそんなことが悩みの種に入ることはなかった。
仲間達からは最後まで本当に戻るのかと聞かれたが、両親とも一年間ろくに連絡を取れていなかったし、何より一つの区切りとして一度戻っておきたいというのが暁の意見であった。
もちろん普段仲間に会えなくなってしまうのは寂しいが、休みの日などには十分遊びに行ける距離だ。
それに、離れているからといって簡単に疎遠になってしまうほど、仲間達との絆は薄いわけではない。
怪盗団として、あれだけのことを共に活動してきたのだから。
「さすがはアキラだ。まあ、ワガハイの弟子なのだからこれくらいは当然だな」
そう言って、暁を賞賛する声。その声の主はどう見ても人間ではなく黒猫である。
名前はモルガナ。先の戦いで、ベルベットルームの主が暁というトリックスターを導くために生み出した存在だ。
あれから一年の時が過ぎた一月。培ってきた知識でセンター試験を終えてきた暁。
十分な手応えを感じていたので、自己採点でそれに間違いがなかったことに満足する。モルガナの賞賛にも、余裕だったと答えて頷く。後は願書を出して受験の日を待つのみだ。
東京の大学を受験することを決めている暁は、大学への進学に伴って再び東京へと移り住むつもりである。以前お世話になった四軒茶屋にある喫茶店ルブランにまた居候する予定だ。
暁が一時期東京に移り住んでいた理由は、冤罪によって保護観察処分となってしまったからだ。そんな暁を引き取って保護司を担当してくれたのが、喫茶店のマスターである佐倉惣治郎である。
最初は無愛想で印象はお世辞にも良いとは言えなかったが、一年間の内に色々な出来事を経てきた。今では、彼の娘で怪盗団の仲間でもある佐倉双葉を含めて、家族同然の仲となっている。
惣治郎が経営するその喫茶店の屋根裏で、保護観察中の一年を過ごしてきた暁。広くはあるもひどく埃っぽい部屋であったが、住めば都。惣治郎は家の方に招くと言っていたが、暁は再びあの屋根裏を借りるつもりである。何だかんだで、あそこでの生活を気に入っているのだ。
自己採点を終え、チャットアプリを起動する。暁のセンター試験の結果に、元怪盗団の仲間達が一喜一憂している様子が画面に映る。暁以外の同学年の者達は進路的にセンター試験の成績が関わるわけではないため、そもそも受けてすらいない。
とある事件でスポーツ推薦という道を潰されてしまった坂本竜司は、スポーツインストラクターとなるべく体育系の専門コースがある私立大学を。
プロのファッションモデルを目指している高巻杏は、その夢の実現の助けとなる知識と教養を得られる専門学校を。
若手の芸術家として名が売れ出している喜多川祐介は、指定校推薦により芸術系大学への入学が確定しているも同然だ。
暁が受験する予定の大学には、一年先輩である新島真と奥村春が在学している。暁の普段の成績から特に問題はないと思っていたようだが、実際に試験結果を聞いて安堵している様子だ。
対して、双葉は去年から高校に通い始めた身で、今年の四月から高校三年生となる。それまでは、所謂引き篭もりであった。とはいえ、母譲りの天才的な頭脳を持つ彼女であれば、仮にどこかの大学を受験することになったとしても大して問題になりはしないだろう。対人コミュニケーションに難はあるだろうが。
アプリを閉じ、伸びと同時に欠伸をする暁。
夜に自己採点を始めて、時刻は既に23時を過ぎている。マークシート方式とはいえ、問題数が問題数なので思ったよりも時間がかかってしまったようだ。
「すっかり夜も更けちまったな。明日は久しぶりに東京へ行くんだし、今日のところはもう寝ようぜ」
モルガナの言葉に頷いて照明を消し、屋根裏の寝床とは違って柔らかいベッドに潜り込む。
明日は仲間達と久しぶりに会う予定となっている。受験を控えているとはいえ、息抜きも必要だ。
早朝の東京行きのバスに乗る予定である暁は、寝過ごすことがないようスマホのアラームを確認して目を閉じた。
寝入ってからしばらくして、暁は唐突に目を覚ました。
目の前の群青色の装飾に彩られた空間を見て、目覚めたのは現実でなく夢の中であることを理解する。
ここは、ベルベットルーム。夢と現実、精神と物質の狭間。
かれこれ一年、最後の戦いから訪れなくなって久しい場所だ。もう二度と訪れることは無いだろうとすら思っていた。
監獄を模した様相をしているが、円周上に並べられた牢獄は全て開け放たれている。
「ようこそ……我がベルベットルームへ」
声のした方を見ると、見慣れた長い鼻の奇怪な老人が椅子に座り、両肘を机に突いていた。
彼の名はイゴール。このベルベットルームの主だ。ここで彼の力を借りて、ペルソナの強化や新たなペルソナを生み出すなどのことを行ってきた。
最も、暁とやり取りしていたイゴールは悪神が化けていた偽者であったのだが。今相対しているのは悪神から解放された本物である。
「お久しぶりでございますな。お変わりないようで、私としてもお客人として貴方様を迎えることが出来たことを大変嬉しく思っております」
見た目に反して高い声で、そう歓迎するイゴール。
以前は偽者によって囚人としてこのベルベットルームに投獄されていた暁としても、再びあのような扱いを受けるのは御免被りたい。
しかし、なぜ自分は今になってまたベルベットルームに迎えられたのだろうか?
「……貴方様に一つ、依頼したいことがございます。それが、今回貴方様をベルベットルームにお迎えした理由です」
依頼? 暁は首を傾げた。
課題であれば彼の従者から色々と出されたことはあるが、依頼としての形は初めてである。
「貴方にしか頼めないことなのです。マイトリックスター」
イゴールの陰から現れたプラチナブロンドの長髪の少女。暁のことをマイトリックスターと呼ぶ彼女の名はラヴェンツァ。
悪神によってベルベットルームが乗っ取られていた際は、彼によって二つに裂かれ、ジュスティーヌとカロリーヌという双子に成り代わっていた。イゴールに扮した悪神に従っていたが、暁によって本来の記憶と身体を取り戻し、悪神討伐の助けとなってくれた。
暁はベルベットルームにこそ訪れていなかったが、彼女自身は暁の部屋に扉を作って度々彼の元を訪れていた。その度に現実世界の本屋や映画などに連れて行ったりしたものだ。
その時の彼女はうきうきしているのを顔に出さないように努めているのが丸分かりであった。そんな彼女が真面目な顔で話を切り出そうとしているのを見て、暁は少し噴き出しそうになるが、得意のポーカーフェイスで何とか凌いだ。
それに気付いていない様子のラヴェンツァが説明を始める。
「……実は、現実世界を再び歪みが蝕み始めたのです」
彼女の言葉に、暢気なことを考えていた暁は驚きに目を開く。
平和ボケしていた自身を叱咤して、ラヴェンツァに詳しい説明を求めた。
「歪みが生まれた場所の名は東京に存在する"米花町"。その場所を中心に、歪みが徐々に広がり始めているのです」
米花町。東京都にあるという話だが、暁には全く記憶にない地名であった。
東京中を全て網羅したというわけではないが、聞いたこともないとなると余程小さい町なのだろうか?
「このまま放っておけば、確実に世界は破滅への道を辿ることとなるでしょう。大衆の集合的無意識から生み出されたメメントスが無くなったとはいえ、人々の認知や負の感情自体が消えたわけではありません。歪みは次元を狂わせ、認知上の存在が現実にその姿を現し始めます」
認知世界にはメメントスの他に、人の負の感情そのものであるシャドウという化物が存在する。それらが現実に現われれば、確実に宿主を襲うこととなるだろう。
何とかしなければならない。依頼というのは、その歪みをどうにかすることだろうか?
「さすがはマイトリックスター、その通りです。とはいえ、我々も独自で調査を進めておりますが、主も悪神に負わされた傷が完全に癒えておりません。ですので、極めて情報が少ない状態なのです。先ずは、現実世界の方から歪みの調査を始めていただければと」
暁は頷いた。丁度、明日は東京を訪れる予定だ。仲間達にも相談して、早速調査に取り掛かろう。
「先の戦いで尽力され、我々をも救っていただいた貴方様に再び助力を求めるのは私としても心苦しい。しかし、そうせざるをえないのでございます……」
皿のように見開かれた目を伏せるイゴールに、暁は気にする必要は無いと返した。
自分達の未来に関わることだ。わざわざ依頼という形でなくとも、協力するつもりである。
「そう言ってくださると思っておりました……心配めさるな、我々もできる限り助力いたします。貴方様ならば、きっとやり遂げるでしょう……」
イゴールがそう言い終えると、暁の意識が朧げになり始める。
最中、ラヴェンツァの口元が動き、何やら呟いているのが聞こえた。
「……しも……すぐに……ちらに……ります……」
それを聞き取ろうとしている内に、暁の意識は完全に闇に落ちていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、暁はスマホのアラーム音で目を覚ました。
同じように目を覚まして欠伸をしているモルガナを布団の上から退かし、冬の凍える寒さに耐えながら部屋の照明を付ける。
まだ5時前、カーテンの隙間から覗く外はまだ暗い。6時発のバスに乗って東京へと向かうのだから、仕方がない。
寝巻きから着替えて身支度を整えていると、ベルベットルームで聞かされた話が頭を過ぎる。息抜きに仲間達に会うはずであったというのに、とんだ爆弾が潜んでいたものである。できれば、不発弾であって欲しいところだが、そう都合の良い話になりそうもない。
ふと思い立って、スマホのマップアプリを起動する。ラヴェンツァの言っていた米花町が本当に存在するのか、確かめるためだ。
案の定、東京にそんな町はどこにも見当たらなかった。だが、彼女が間違いを教えたとも思えない。
まさか、認知世界上に存在する架空の町なのだろうか? 今までのケースからいって、その可能性は捨て切れない。
「ん、どうした? もう準備は出来たんだろう? 呆けてたらバスに乗り遅れるぞ」
物思いに耽っていると、既にショルダーバックの中に入ってスタンバイしているモルガナに急かされる。
歪みのことについてはバスの中で伝えようと決めた暁は、モルガナの入ったバックを肩に掛けて、忘れ物がないことを確認してから部屋を出た。
両親には今日東京へ行くことは既に伝えている。まだ寝ているであろう彼らの部屋へ向けて、心の中で行ってきますと声を掛け、東京行きのバスに乗るべく駅へと向かった。
「むぅ……しかし、なぜ主とラヴェンツァ殿はワガハイもベルベットルームに招かなかったんだ? ワガハイも主に生み出された存在であるというのに」
バスの中でモルガナにベルベットルームで伝えられたことについて話すと、モルガナは事態の深刻さに唸った。それと同時に、ベルベットルームに招かれなかったことに不満を漏らす。
確かにこうして説明する手間もできてしまうのだから、モルガナも一緒に招いて欲しかったものである。どうして暁だけを招いたのだろうか?
「まあ、それはともかくとして、その歪みの原因を調査しなければならないな。普通ならば人間達の無意識が原因のはずだが、たった一年で歪みが再発生するなんて……ワガハイとしても信じたくない。別の原因が存在するというケースも視野に入れるべきだとワガハイは思う」
モルガナの言葉に、暁は頷く。
世界は怪盗団によって倒された悪神からの干渉が消え、支配から解放された人々は自らが主体性を持って生きる世界へと再構成された。文字通り、世界を頂戴したのだ。
だが、人間の認知で構成される世界というものは本当に歪みやすい存在でもある。だからこそ、悪神を倒すことで世界を復元することができたのだ。
悪神という存在を再び生むことも、それ以外の外部の存在によって歪みが作り出される可能性も十分ありえる。
そうこうしている内に、バスは東京都内に入った。
暁はポケットから取り出したスマホを起動させて、マップで現在位置を確認してみる。
しかし、画面に映るマップに対して、暁は奇妙な違和感を覚えた。駅などは、目立つようにその名前が他と違う色でポップアップされているものである。その名前が、おかしいのだ。
品川駅が、川品駅に書き換えられている。
マップアプリのバグだろうか? はたまた、双葉のようなコンピューター技術に長けた者による悪戯か?
だが、マップアプリは多くの人が利用するアプリだ。こんな現象ならば、他の者も気付いて既に話題になっているはずである。暁はそう思ってSNSアプリを開いてみたが、どうしたことかマップアプリの駅名がおかしいといった呟きは全く見当たらなかった。
自分の見間違いだろうかと、再びマップアプリを起動してみる。そこで、暁は一つの地名に目を引き寄せられた。
――米花町
家から出発する前に確認した時には見当たらなかった地名が、暁の目の前でその存在を自己主張している。
一体どういうことだ? 奇妙な現象に、暁の顔から汗が滲み出る。
「アキラ、そろそろ新宿に着くみたいだぜ」
混乱している暁を余所に、モルガナがアナウンスを聞いてそう伝えてくる。
それを聞いた暁は、四軒茶屋への道順を確認すべくマップアプリでルート検索を行う。
しかし、四軒茶屋が見つからない。調べてみると、四軒茶屋に当たる場所は
そういえば、今日は仲間からの連絡が一つも来ていない。いつもならば、竜司あたりがそろそろ着いたか? などとチャットアプリで連絡を寄越してくるはずだ。
嫌な予感が過ぎった暁は、そのチャットアプリを起動してみた。
――アプリには、フレンドが一人も登録されていなかった。
ここは、この世界は……自分のいた世界ではない。
それに気付いた暁は、ただただ呆然とするしかなかった。
自分の置かれた状況が信じられず、目的地に到着したというアナウンスにも、どうしたと問いかけながら肉球を押し付けてくるモルガナにも反応できなかった。
元の世界によく似ているがどこか違う世界に、暁は閉じ込めれらてしまったのだ。
見切り発車な上、筆者多忙のため、続くかどうかについては期待しない方向でお願いいたします。