では、最新話更新です
二月中頃、入試を終えて今年のピークを乗り切ったかと思いきや、予想だにしていなかった出来事が職員を襲った。
世界で初めてISを男性が動かしたのである。それも千冬さんの弟の一夏君がだ。
そのニュースが世間の注目を集めない訳が無く、職員室で付けられているテレビでも彼の事が繰り返し報じられている。
それに触発されたのか、職員を苦しめる『問い合わせラッシュ』が発生した。
休む暇など与えないとばかりに鳴り響く呼び出し音。電話に出ると発せられる分かり切った質問。「答えられない」という事を丁寧且つ機械的に対処する職員一同。
それは徐々に、そして確実に、気力を削ぐデスマーチ。終わりが無いのが『終わり』の作業。こんな経験は全然ゴールドじゃない。むしろブラックだ。ああ、これ以上働きたくない……。
俺はぐでーと上半身を机に預ける。この状況が続くのなら、俺は海を漂う海藻になりたい。そう思うほど今の業務は苦痛だった。
「倉見さ~ん、大丈夫ですか?」
体が揺さぶられて顔を上げると山田先生が心配そうな顔で俺を見ていた。普段は癒し効果のある彼女でもここ数日の激務でやつれていた。
「山田先生こそ大丈夫ですか? くま出来てますよ」
「へっ!? 嘘っ! 隠してきたはずなのに」
山田先生は顔を両手で覆った。相変わらず慌てふためく様が面白い。
「嘘ですよ。鎌かけました」
「心臓に悪いですから、冗談でも止めて下さい……」
ふぅ、と息を吐いて胸をなでおろした。大きいですね。
「疲れてるならこうやってだらけてみるのもいいですよ。山田先生もやってみませんか」
「え?」
「ほら机が冷たくて気持ちいーです」
自分の顔の横をペチペチと叩く。
「じゃあ少しだけ……」
山田先生は俺と同じように体を机に預けて、顔を机にひっつけた。
「――――本当に気持ちいいですね、これ」
「でしょう?」
「でもこんな所を織斑先生に見られたらなんて言われるか分かったもんじゃないですね」
「それは無いですよー。だって今日は千冬さん非番ですよ。何でも弟の様子を見に行くんだとか」
まあ、あんな事があった後じゃあ様子を見に行かざるをえないだろうし、千冬さんに注意される心配が無い。鬼の居ぬ間に洗濯というやつだ。
「それじゃあ心配要りませんねー」
「そうですねー」
「「ハハハハ」」
「ほう、随分と楽しそうじゃないか」
それは本来ここにいる筈のない声だった。俺はまるで古いブリキの人形の様にゆっくりと振り返る。
後ろにいたのは、両腕を組んで俺達を見下ろす千冬さん。一瞬空気が凍り付いたかのように思えた。
「私の前で堂々とサボるとは、随分偉くなったものだな准」
「いや、これはその、あれです。働き蟻と同じです」
「蟻だと?」
千冬さんは眉をぴくっと動かして俺への視線を強くした。
「サボっている様に見えて実はこれも必要な行動なんです。疲れた人のヘルプだったり、脱落した人の代わりだったりと、欠員が出たとき、すぐ代われるよう、自分のコンディションを整える行動なんですよ。ねえ? 山田先生」
「はい。こちらIS学園です。はい……」
俺が同意を求めようとした山田先生は既に持ち場に戻り、電話対応を再開していた。
逃げられた……だと!? 裏切ったな山田先生! 絶対に許さねぇ!
目線を合わせると、片手で拝むようなジェスチャーをしながらウィンクをしてきた。
畜生……! 可愛いから許そう。やっぱし可愛いは正義だね。
「なら休みの私の分まで働け馬鹿者!」
「つあっ!」
拳骨が頭に振り下ろされ、激痛に耐えかねて変なうめき声が出る。
世界一位の拳は今までに受けた事が無いもので、ハンマーで殴られたのかと思うほどだった。自業自得なので文句は無いが。
「今回はこれで手打ちにしてやる。次は無い」
「はい。すみませんでした……」
もうサボるのは控えよう。少なくても職員室では。
「でも千冬さんはどうしてここに? 今日は休みでしょう?」
「いや、准に話があってな。上の許可は貰っているから来てもらっていいか?」
「分かりました」
上から許可を貰ってでもしたい話、いったい何なんだろうな? 疑問に思いながら俺は千冬さんの後に続いた。
▼ ▼ ▼
応接室に二人きり、机に向かい合って座った。千冬さんは真剣な面持ちで俺に話し始めた。
「准には頼みごとがあってな」
「頼み事ですか?」
千冬さんが頼み事とは珍しい。俺の助けがいる事なんてほとんど無いだろうに。考えられるとすれば、また部屋を掃除して欲しいとか? でもそれって上が許可を出してまでする頼み事ではないしな。
「うちの愚弟がISを動かしただろう?」
「おかげでこっちは大忙しですよ」
「サボっていたお前がそれを言うか……」
千冬さんは頭に手を当て、ため息をついた。「まあいい」と話題を元に戻して続ける。
「それでここ数日、日本政府が保護、というか軟禁しているんだ」
「世界初の人材ですから、それぐらいは仕方が無いでしょうね」
「分かってはいるんだがな……。私としては心配でならん。この状態は精神的にも良くないだろうしな」
健康面はある程度管理してくれるとは思うが、精神的には不安要素しかない環境だ。親代わりを務めてきた千冬さんとしては心配だろう。
「そこでだ。一足先にIS学園側で身柄を引き取るように掛け合って、受け入れさせた」
「国相手に個人で交渉できちゃうんですね」
というか交渉にすらなっていない。一方的な押し付けだ。それを鵜呑みにしてしまう方もどうかと思うが……。
「まあ、日本にはいくらでも貸しがあるからな。――では本題に入ろう」
俺は組んでいた腕を崩して机に肘を立て、口元を隠した。俗に言う碇ゲンドウのポーズだ。
「准には一夏に会ってやって欲しいんだ」
「はい? どうしてですか?」
俺が一夏君に合わせる。その意味がいまいち俺には理解が出来なかった。
「ISを動かしてしまった以上、一夏はIS学園に入る事になるだろう」
「逆に入れない訳には行かないですしね」
「ああ、今の所一夏の他に適正者は見つかっていない。となると女子高に一人放り込まれることになる。あいつも年頃の男だ。それはキツイだろう」
「想像に難しくは無いですね」
「そこで、IS学園にいる男の知り合いを作っておいた方が、ある程度は気が楽だと思ってな」
「それで俺、ですか」
「ああ」
俺以外の男性ってなると轡木さんぐらい、轡木さんは七十代だから年の近い俺の方が適任か。
「――引き受けてくれるか?」
答えは決まっていた。他でもない千冬さんの頼みだ。断る理由など有りはしない。
「任せて下さい」
俺は二つ返事で了承した。
「助かる。ありがとう准」
千冬さんは安心したのか、ふぅと息を吐いた。
「まあ、俺がほどほどに頼る様にと言いましたからね。頼ってくれて俺は嬉しいですよ」
「そうか、嬉しいのか」
「ええ、だからもっと頼って下さい」
「何だかお前といると私がダメ人間になっていく気がするな……」
頬杖をついて俺の顔をじっと見る。前に垂れた髪を掻き上げて耳にかけた。
「別にいいんじゃないですか? 完璧な人間よりも多少欠点がある人物の方が好感が持てます」
「そういうものなのか?」
「まあ、少なくとも俺にとっては」
「ふむ……」
千冬さんは頬杖を崩して顎に手を添える。何か考え事をしているみたいだ。下を向いてブツブツと何か呟くと、軽く深呼吸をして、俺に目を合わせた。
「准、もうすぐ定時だろう? 夕飯に付き合え。奢ってやる」
「別に奢って貰わなくても、」
「今回の礼だ。気にするな」
俺の言葉を遮るようにして千冬さんがそう言った。でも女性に奢らせるのはどうかと思った。特にこんな世の中で、それも千冬さんに奢らせてしまっては女性に目の敵にされてしまう。
俺はそれを避ける為に反論する。
「でも、千冬さん、」
「千冬」
またしても俺の発言を遮った。鋭い目線が俺に突き刺さる。威圧感に屈して先程の言葉を修正する事にした。
「……千冬」
「なんだ?」
「女性に奢って貰うっていうのは世間的に気まずいです」
「私の礼が受け取れないって言うのか?」
「そういう訳じゃ……」
「なら決まりだな。行く店は私が決めておく。終わり次第連絡を寄越してくれ」
千冬さんは立ち上がって、応接室の扉に手をかけた。ドアノブをひねって振り返る。
「待ってるからな、絶対に連絡しろ」
いや千冬さん、そんなに釘を刺さなくても俺は約束を守りますよ……。
▼ ▼ ▼
「ここだ」
「ここ、……ですか」
仕事を終えて校門前で千冬さんと合流し、歩くこと数十分。たどり着いたのはラーメン屋だった。
こじんまりとした店に擦り切れた看板が立てかけられて、その下には暖簾が垂らされている。
俺自身としてはこの寒い季節により美味しく感じるラーメンというチョイスは嬉しくはある。だがそれを女性が選択するということは予想外であった。
「千冬はラーメンが好きなんですか?」
「好きだな。ただ……女性同士だと誘いづらいし、かといって一人で入るのもなんだか抵抗があってな」
「それで俺に白羽の矢が立った訳ですか。寒いですし、早く入りましょうか」
右手で引き戸を引いて店に入ると気前の良さそうなおっちゃんが「いらっしゃーい」と独特のイントネーションで声を出して、カウンター席に水を二つ置いた。俺達はそこに並んで座る。
「注文何にしましょうか」
挨拶をしてきたおっちゃんが俺達に問いかける。
壁に貼ってあるメニューのリストを見た限りではこの店のオススメは豚骨醤油であるようだ。
「じゃあ、俺は豚骨醤油で。千冬はどうします?」
「やたら決めるのが早いな。なら私もそれで。あ、あと餃子。以上で」
「はーい。では。確認お願いしまーす……」
おっちゃんは俺達が頼んだメニューを繰り返して読み上げて確認すると、奥の厨房へ引き上げて行った。
「准はラーメンは豚骨醤油が好きなのか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「注文が早かったからな。豚骨醤油には目が無いんじゃないかと思ったんだ」
「ああ、成程。ラーメン屋って店によって特色があるじゃないですか。それも数えきれない程多種多様に」
「そうだな」
「作っている人が違うんですから得手不得手があるのも当然です。だから一回目はその店のオススメを頼む事にしてます」
千冬さんは納得したようで腕を組んで頷いた。
「逆に千冬は何かこだわりとかありますか?」
「どのラーメン屋に行っても必ず餃子を頼んでいるな。ここは譲れない」
「確かに餃子の美味しい店は魅力的ですね」
「だろう?」
その後もラーメン談義を続けていると厨房からおっちゃんが出て来た。両手で二つのどんぶりを乗せたトレーを持っている。
「ヘイ、豚骨醤油二つと餃子! お待たせしやしたっ!」
カウンターに器が置かれる。濃厚そうなスープに浮かぶ二切れのチャーシューと味玉、ほうれん草。そしてそのしたに眠るちぢれ麺。セオリーに沿ったシンプルな一品だった。
箸立てから箸を二膳取り出して、千冬さんに手渡す。
「ありがとう。では頂きます」
両手を合わせてから千冬さんは食べ始めた。俺もそれに習って手を合わせた。
添えられていた蓮華を手に取ってまずはスープを掬う。底が透けて見えないスープは濃厚で、まろやか。のど越しが素晴らしい。ほうれん草、麺、チャーシューと均等に食べ進め半分ぐらいまで食べ進めた所でお酢を投入。味わいがサッパリとしたものに変わり、さらに箸が進む。
夢中で食べている途中でシャツの腰辺りが引っ張られた。
「准、こっちの餃子も旨いぞ、一つやろう」
餃子が乗った皿を俺に向けて押し出してきた。
俺は一つ箸で取って醤油にお酢、少量のラー油を組み合わせた「千冬ブレンド」のたれに付けて頂く。
パリッと焼きあがった皮を嚙み切ると中からジューシーなアツアツの肉汁があふれ出る。口の中を軽く火傷するかと思った。餃子を飲み込んで、コップを手に取って水を口に含んだ。
「熱かったか?」
「いえ、大丈夫です」
心配そうにこっちを見てくる千冬さんを手で制した。
「そうか、ならいい」
千冬さんは素っ気無い態度で耳に髪をかけると、再びどんぶりに意識を向けた。本来千冬さんは基本的に食べるときは口数が多くないタイプなのかもしれない。いつもうちで食べるときは基本的に酒入っているから気がつかなかった。
そんな事を考えながら、二人とも残さず完食、店を後にした。
隣で白い息を手に吹きかけていた千冬さんに話しかける。
「美味しかったですね」
「ああ、今回は当たりだった。他のメニューが気になるな……」
「じゃあまた誘って下さい。予定が空いていれば付き合いますよ」
「そうだな、また行こう。約束だ」
そう言って千冬さんは俺の少し前を歩いて行く。
今日はただラーメン屋に行っただけだったが、この世界中でラーメン屋に行きたがる千冬さんを知っているのは俺や親族だけだと思うと何だかすごい貴重な体験をした気がした。
元々は一夏君と初会合させる予定で書き始めたのにいつの間にか千冬さんとラーメンを食べに行く話になってた事に驚きを隠せない。