私だって甘えたい。【完結】   作:イーベル

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私だって悩む。

 ベッドから体を起こして時計に目をやると時刻は六時。いつもより一時間早く起きてしまったようだ。カーテンの隙間から見える景色は深い闇。まだ日が出ていない。

 普段なら二度寝を決め込むところだが、意識は冴えていたのでどうもそんな気にはなれなかった。

 最近は起きる時間が遅くなっていたけど、高校生の頃は今の時間にはグラウンドに出て練習を始めていたっけ。がむしゃらに白球を追いかけていた頃が懐かしい。

 そんな事を考えているとなんだか体を動かしたくなってきた。最近は運動不足だったからな……。たまにはランニングにでも行ってみようか。

「そうとなれば、善は急げってな」

 ジャージを引き出しの奥から引っ張り出して着替える。温まっていない生地が肌を冷やした。

「冷たっ……あー炬燵の中に入れて温めておけば良かった」

 そう呟きながら着替えを終え、運動靴を靴箱から取り出して靴を履く。ネックウォーマーを(かぶ)って俺は外へと繰り出した。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 怪我をして仕事が出来ないなんてことになったら目も当てられないので準備運動を忘れずに行う。屈伸から始めて手首足首。しっかりと体の筋肉をほぐす。最後に数回その場でジャンプして外周へ走り出した。温まり切っていない空気が頬を撫でた。

 やっぱりこの時期の朝は肌寒い。外に出るのはよっぽどの変わり者だ。その中でもグラウンドの水抜きをしろとか指示する奴は人間じゃない(個人的な感想です)

 あれ終わった後、手が動かなくなるし結構辛いんだよな。

 そんな事を考えていると、そんな変わり者を発見した。白のジャージに長い髪を一つに束ねた後姿はテンポよく足を進めている。間違いなく千冬さんだ。

 体も温まってきたし少しペースを上げれば追いつけそうだな。声をかけて見よう。

 俺は歩幅を広げてペースを上げた。千冬さんは朝だからか全力で走っている訳じゃ無く、体をほぐしているって感じだった。そのため二十秒ほどで追いつく事ができた。

 ポニーテールを揺らしながら悠々と走る千冬さんは上機嫌なのか鼻歌を歌っていた。走っているというのに随分と余裕がある。流石は元世界王者と言った所か。隣に並走して俺は声をかけた。

「何か良い事でもありましたか? 千冬さん」

「うわっ!?」

 声をかけられたことに余程驚いたのか肩をビクっと跳ねさせた。そこまで驚く必要ないだろうに。

「なんだ准か、どうしたんだ? こんなに朝早く。珍しいじゃないか」

「千冬さんこそ珍しいじゃないですか。鼻歌を歌っている所なんて初めて見ましたよ」

「き、聞いてたのか……頼むから忘れてくれ」

 恥ずかしいのか千冬さんは視線を逸らしてそう言った。恥ずかしがっている千冬さんは中々見られないから少し(いじ)ってみるか。

「いやー、良いものを聞かせて貰いました。CD出しても売れると思いますよ」

 嘘はついていない。千冬さんは一部の女性たちにカルト的な人気を誇るので売り出し許可さえ出ればオリコンチャートで上位は確実と言っていいだろう。

 握手券を付けたら一位は決定だな。CHY48としてデビューしたりして。48とか分身しちゃうのかよ……。

「准、私は弄られるのが嫌いだ。それ以上言ったら、」

「はい、すいませんでした!」

 俺は千冬さんの睨みに耐え切れずに言葉を遮って謝った。

 ただでさえ鋭い目つきを細める。あの目つきはヤバイ。視線で人を殺せそうだ。流石の俺でも命は惜しかった。

「分かればいい。それで? 准は何で走り込みをしてるんだ」

 千冬さんは俺の行動に付いて質問してきたので俺は答える。

「別に、これと言った理由は無いですよ。強いて言うなら運動不足解消ですね」

「その割には良く動けてるじゃないか。今年の一年にも見習わせたいくらいだ」

「腐っても元高校球児ですから、運動にはそこそこ自信がありますよ。それに、女性と男性を身体能力で比べるのはどうかと思います」 

「そんなことは無い。気合が足りんのだ。気合が」

「そんな精神論で何とかなるのは千冬さんくらいですよ……」

 そう言えばここに男子と遜色は無いどころかそれ以上の人がいましたね。

 全盛期の千冬さんは凄まじく、ウィキにのっていた情報によると、剣を空振りしても相手はエネルギー切れになるとか、睨んだだけで試合に勝利するとか、手刀でも零落白夜(れいらくびゃくや)が使えるとか……確かそんな感じだったはず。

 世界一位になるのもある意味当然だったな。

「そうですよ織斑先生。私にもう少し優しくして下さいよ~」

 いつの間にか隣に並走していた水色の髪に赤目の少女がそう言った。その姿はここ数か月で何度も見たもので、誰なのかすぐに分かった。

 更識楯無。生徒最強の生徒会長にして、ロシアの国家代表。

 まるで猫のような印象を受ける彼女にはよくISの動作確認を手伝って貰っていた。この学園では珍しく俺と交友がある生徒の一人だった。

「現役代表のお前がそんなこと言ってどうする。もっと厳しくしてもいいくらいだ」

「え~そんな~。倉見さんも何とか言って下さいよ」

「逆に言えば、君はそれだけ期待されているという事だ。誇っていい」

「そう言うものですかね?」

「そう言うものだ」

 更識さんはわずかに眉間にしわを寄せて不機嫌になったかと思えば、何かを思いついたのか、晴れやかな笑顔になった。表情がコロコロ変わる。相当な気分屋気質のようだと察した。 

「ところで倉見さんと織斑先生ってどんな関係なんですか?」

 千冬さんは少し顎に手を当てて考えているような仕草をすると、口を開いた。

「――答えてやれ准」 

 答えるのが面倒になったのか、またとんでもないキラーパスを……。

 俺はいきなりピンチに陥ってしまった。どんな関係……か。また答えるのが難しい質問だな。下手な答え方をすると千冬さんの機嫌を損ねてしまう。しかし更識さんにからかわれる情報を提供するのは避けたい。ここは慎重に答えなくてはならないな。

 彼女とは一応、小中高校は同じだが、そこまで仲が良いと言えるほど交流があった訳でも無い。しっかり話したのはIS整備士になって代表所属になってからだ。まあ、それからは現在に至るまで仲良くしている。となると、

「仕事仲間ってところかな」

 これが一番無難な選択肢。今の千冬さんとの関係はこれが正しい。これなら更識さんにからかわれることは無い。

「へぇ、こっちの情報とあまり差異は無いんですね~。てっきり付き合ってたりするんじゃないかと思ってましたが」

「ば、馬鹿な事を言うな」

「そうだよ更識さん。あんまり大人をからかうものじゃない。一介の整備士の俺と千冬さんじゃあ、釣り合わな過ぎてそこら辺の女性に刺されかねない」

「ハハッ、倉見さんは面白い冗談が得意ですねー」

 ケラケラと笑う更識さんの隣で千冬さんは浮かない顔をしていた。機嫌を損ねてしまっただろうか? 

「千冬さん、どうかしましたか?」

 俺は千冬さんの機嫌を取るために呼びかけた。千冬さんは束ねた髪を揺らしながらこっちに振り向く。

「へっ!? いや済まない、何だ?」

「いえ、何だか浮かない顔をしていたので。どうかしましたか?」

「いや……何でもない。ペースを上げるぞ」

 突然ペースを上げて俺の前に飛び出した。

「ちょっ、はやっ!?」

 まさに目にも止まらぬ速さで千冬さんはペースを上げた。そして更識さんも俺の隣から前へ踏み出す。

「じゃあ私もペース上げるね。倉見さん。また私のISのメンテしてくれたら嬉しいな♪」

 更識さんと千冬さんは一気に俺を引き離していった。

 それに俺は対応する事が出来ず取り残されてしまった。運動不足の一般人とアスリートの差なのか。

 俺は自分の運動不足を嘆き、これからは定期的に運動をしておこうと心に誓った。

 

 ☆ ☆ ☆

 

 汗を吸ったジャージを洗濯機に放り込み、シュシュを取って束ねていた髪を解いた。

 浴室に入って熱いシャワーで汗を流す。外気によって冷えた体を少しずつ温めながら今朝の出来事を思い出していた。

「仕事仲間、か」

 准が言った言葉を呟く。

 あの時の更識の質問を利用して准に私をどのように思っているのか聞いた結果がそれだった。

 改めて言われると結構キツイな。分かっていたはずだったのに。

 今や私は国どころか世界の英雄扱い。准は一般の整備士。良くも悪くも立場が違い過ぎる。私と仲睦まじい様子を見て、いい顔をしない者は星の数ほどいるだろう。それを恐れて准は一定の距離をおいて接してくる。いつまでたっても『さん』付けなのが良い証拠だ。

 でも、それでも、私は准が好きだ。准が私の背中を押してくれたあの時から。

 この気持ちに嘘は付けない。本当にずっとそばにいて欲しいと思う。今まで以上に親密な関係になりたい。そのためには…… 

「どうしたらいいんだろうな……」

 私が呟いた声は小さいながらも浴室に響いて、シャワーにかき消されていった。




真面目な話、この世界だったら二期ED(織斑千冬鼻歌Ver)とか売り出したら世界中で大ヒットすると思うんよ……。

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