私だって甘えたい。【完結】   作:イーベル

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彼は忘れない。

 千冬さんから送られてきた位置情報。それを確認してからすぐ返信をして、俺はその場所へと向かう。身体全体が痛んで、走るのは無理だったけどなるべく早く歩く。大した距離も無い筈なのに、酷使した肉体には酷く長く感じられた。

 そうしてたどり着いた岬には彼女がいる。崖に設置された柵に寄りかかって、髪をなびかせ、どこか遠くを見つめる彼女は美しく、気高く、そしてどこか儚げな雰囲気を放つ。いつまでも見ていたい気持ちもあったが、それを振り切って声をかけた。

「千冬」

「……早かったな」

「たまたまスマホを見てたので」

「そうか」

 千冬さんは多くは語らず、自分の隣をトントンと軽く叩いた。隣に来い、と言う事なのだろう。俺は彼女の隣に並んで柵に腕を預ける。

 肌を撫でる生暖かい浜風、降り注ぐ月光。沈黙の中にも温かみのある、そんな光景が目の前には広がっていた。

「なあ、准」

「はい」

「本当に、私でいいのか?」

 その問いは今日の告白についてだろう。俺は迷うことなく即座に言葉を返す。

「俺は、千冬じゃなきゃ嫌です」

「自分で言うのもなんだが、面倒な女だぞ。家事はまともできないし、片付けもしない。今日だって、情けない所を見せた。幻滅、したりしない……のか?」

 言っていて辛くなったのか、だんだん言葉に詰まる。少し呆れた。俺がそんなので嫌いになると思われていたなんて、がっかりだ。だから改めて、自分の気持ちを伝えることにする。

「しませんよ。俺が好きになったのは、完全無欠、誰もが憧れる織斑千冬(ブリュンヒルデ)じゃない。そんなのが好きだったら機械と結婚しますよ」

 笑いながら続ける。

「俺が()れたのは、不器用で打たれ弱くて、意外と臆病だけど、いつだって真っ直ぐ、直球勝負の織斑千冬だ。そんな貴方が、ずっと前から好きなんだ」

 一度想いを告げたからには隠す必要も、ためらう必要も無い。恥かしかったけれど、思いっきりぶちまけた。

 きっと今、俺の顔は夕焼けさながら、真っ赤に染まっているだろうな……。千冬さんの視線が海へ向いていて本当に良かったと思う。

「そうか、ありがとう。嬉しい。他の誰かじゃ無くて、准がそう言ってくれて、本当に嬉しい。夢みたいだ……」

 横を見ると千冬さんは親指で目を拭っていた。まさか泣かれるとは思わなくて、どうしたらいいか分からず、あたふたしてしまう。

 そんな俺を見て千冬さんは笑みを漏らした。

「ああ、悪い。別に悲しくて泣いてる訳じゃない。単純に嬉し泣きって奴だ。准に改めてそう言って貰えて、泣くほど嬉しかった」

 そう言って、フゥ……と一呼吸置いて元のニュートラルな状態に戻る。体の向きを変えて俺の方に向けた。俺もそれに習って彼女を体の真正面に捉える。

 じっと俺の顔を見つめてから、彼女は俺に抱き着いて、耳元で(ささや)く。

 

「お前の事が好きだ……愛してる。私と、恋人になってくれないか」

 

 長い間、望んでいた瞬間だった。諦めようとしたときもあったけれど、最後まで手を伸ばしてようやく夢に届いた瞬間だった。じんわりと視界が滲む。

 腕を回し彼女を力強く抱き返す。そして――

 

「はい……もちろんです」

 

 そう答えると俺は(こら)えられなって、彼女の肩に顔を(うず)めて上着を濡らす。千冬さんは俺の頭をそっと撫でてくれた。俺が落ち着くまで、ずっと。

 その温もりをきっと、俺は忘れることは無いだろう。

 

 ★ ★ ★

 

「ねえねえ、お母さん」

「ん? どうした千秋(ちあき)

 休日。食後にコーヒーを飲んでいると、もう十歳になる一人娘に声をかけられた。カップを机に置いて彼女と目線を合わせる。

「えっとね。どうしても聞きたい事があって……」

 両手の人差し指をひっつけたり離したりしながらそう言った。何やら聞きづらい事なのだろうか? 悩み事があるのなら親として、しっかりと聞いてやらないとな。

「いいぞ。何でも聞いてくれ」

「そうなの? じゃあ聞くよ? お父さんがね。嘘ついてたみたいなんだ」

 チラッとキッチンで洗い物をしている准を見た。どうやらこちらには気が付いていないらしい。どんな嘘かは分からないが、聞き出すなら今しかない。再び目線を千秋に戻す。

「嘘? どんな嘘をついてたんだ?」

(うち)はさ、毎年、七夕になるとお父さんがケーキ買ってくるよね?」

「そうだな。でも、それがお父さんの嘘にどうつながるんだ?」

「うん、お父さんがね。『七夕は年に一度しか会えない夫婦が、ケーキを一緒に食べてお祝いする日だから、俺達もそれに習ってケーキを食べてるんだ』って言ってたから、この間友達に教えたの。そしたら笑われちゃって……」

 予想の斜め上だった。てっきり私は浮気かなんかだと思ったが、そんな心配は必要無かったらしい。疑って申し訳ない気分なる。

 でも、それと同時にまた准の面白い所を見つけた事が嬉しくて、頬がほころぶ。まさか娘にすら言えないなんて、本当に恥ずかしがりやだな、准は。

「……ニヤニヤしちゃって、お母さんまでチアキを笑うの?」

「ああ、面白かったからな。いや、でもお父さんがそんな面白い嘘ついてたのか……」

 堪えきれなくて、吹き出してしまう。あの准が千秋にこんな嘘を必至になって付き通したのだと思うと、笑わずにはいられなかった。

「ああもう! お母さんばっかりずるい! チアキにもホントの事教えて!」

 そう言ってドタバタと足踏みする千秋。まあ、隠していたとはいえ、相手が娘なら別に教えても構わないだろう。そう判断して話すことにした。

「そうだな……お父さんにはナイショに出来るか?」

「うん! 絶対に約束する!」

「そうか、なら話そう。だいたいはあってるんだが、その夫婦がケーキを食べるって言うのはお父さんの嘘だ」

「うん。それは友達から聞いた。じゃあどうして家ではケーキを食べるの? 教えて! 教えてよお母さん!」

「そう慌てるな。ちゃんと言うから」

 興奮気味の千秋の頭を撫でて、落ち着かせてから言葉を続ける。

 

「今日、七月七日、七夕はな、お父さんとお母さんが恋人になった日なんだ」

 

 今はもう遠い出来事になってしまった彼の告白を、岬での私の返事を思い返しながら、そう告げた。

 

 

 

 

『私だって甘えたい。』 完




あとがきは活動報告にて。

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