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「倉見准さん、ですね」
いつもの様に整備室で仕事をこなしていると、突然ドアが開いて話しかけられた。振り返ると小動物の様な体躯に腰まで伸びた銀髪。左目を覆う眼帯といった特徴的な外見の人物が背後に立っている。
この生徒を俺は見たことがあった。それもついこの間、あのアリーナでのいざこざで。彼女の名前はラウラ・ボーデヴィッヒさん。転校してきたばかりのドイツの代表候補生。かつて千冬さんがモンドグロッソの後、ドイツで教鞭を取っていた時の教え子。ついこの間、騒動の後にそう聞かされていた。
「ええ、俺が倉見です。そういう貴方はボーデヴィッヒさん、で合ってるかな?」
「……私の事を知っているのですか?」
「少しだけね。織斑先生から話は聞いているよ」
「教官がですか?」
教官、違和感がある呼び方だったが、ドイツではその様に呼ばれていたのだろう。俺はその言葉に
「それで、教官は私の事を何と言ってましたか!?」
ボーデヴィッヒさんは興奮気味に問いを投げかけてきた。俺は聞いた通りに「ドイツにいた時の教え子と聞いた」と返す。それを聞いた彼女は少しシュンとして、うつむく。
てっきり、ああいった騒ぎを起こしたりするほどだから、もう少しツンケンした問題児を想定していた。だけれど、こうしてみると年相応というか、むしろ幼い印象を受ける。
「えっと、それよりも俺に何か用があったんじゃないかな」
「……そうでした」
頭をフルフルと二度振って、元のシャキッとした表情に戻る。
「あなたの事は教官からよく話を聞きました。『私の中で一番の整備士』だと」
「前置きは良いよ。別に、ご機嫌取りをするために来た訳じゃ無いんだろう?」
「では、単刀直入に」
そう言って一拍開けると、
「倉見さん、ドイツでご指導をお願いできませんか?」
思わぬ発言をしたのだった。
それに対して俺は言葉を返すことができなかった。面倒だったから会話を急かしたが、まさかスカウトだったとは想定外だ。行動の真意が、彼女の狙いが全くもって読めない。
「……どういうことかな?」
俺は聞き返す。
「言葉のままですよ。貴方の技術は素晴らしい。それはこれまで開かれた二度の大会からも読み取れます。まさに、世界で一番の整備士と呼ぶにふさわしい」
「そんな事はないよ。たまたま、偶然にも、織斑先生と組むことになったからそう言われているだけだ。俺自身はそこまで腕がある訳じゃ無い」
それは俺自身がよく知っていた。
俺よりも上の存在は星の数ほど、とは自信を無くすから言わないけど、両腕両足で数えきれない程にはいる。「自分が一番だ」なんて、恐れ多くて口にはできなかった。
「……だとしても、その卓越した技術がこのような極東の地で活かされず、眠っているのは惜しい。間違っている」
だから、とボーデヴィッヒさんは続ける。
「ドイツに来て頂きたい。貴方が本当に活躍すべき場所に」
「……ありがたいね」
思った事をそのまま告げる。組織として、国として、自分を評価してもらえるとは思っても無かったからだ。
「でも、その誘いは受けるつもりは無いよ」
「なぜ、ですか」
「俺は今に満足しているからさ。これ以上を望むつもりは無いよ。それに……」
「それに?」
「いや、何でもないよ。ところで用事はそれだけかな? 俺もそろそろ仕事に戻りたいんだけど」
失言をかき消すために、話題を切り換える。卑怯な手口だが、根掘り葉掘り聞かれるのは避けたかった。
「は、はい……。失礼、しました……」
俺に断られた事がこたえたのか、弱々しい口調でそう言うと頭を下げてから整備室から出て行った。
何だか悪い事をしたような気分になったが、俺にだって「譲れない物」があるのだ。それを具体的に、上手くは言えないけれど、他人の頼みなんて、比べるまでもないだろう。
▼ ▼ ▼
「准、いるか?」
あれから作業を進め続けて、日も沈み切った頃に千冬さんが整備室に姿を現した。職員室からそのまま帰った方が近いのに、どうしたのだろうか。
「いますけど、千冬はどうしてここに?」
「いや、な。様子が気になって。最近はトーナメントの準備で忙しいとか言ってたじゃないか」
そう言えばそんな事を言ったような気がした。実際に今回のトーナメントでは前回のクラス対抗戦とは異なり生徒全員が参加する。故に、訓練機の調整量は莫大であり、面倒なのだ。
でも、あの千冬さんが気にかけてくれた事は嬉しくて、気分が高まる。
我ながらちょろい。
「まあ。忙しいですけど何とかやってますよ」
「そうか。今日は後どのぐらいかかるんだ?」
「今やってるのは撤収作業なので五分もかからないと思いますよ」
「なら良かった。じゃあ、一緒に帰ろう」
「了解です。超特急で片付けますね」
なるべく感情を出さないようにそう答えた。内心ではゴールを決めたJリーガーの如く、膝立ちでスライディングをしているのだけれど、決して表には出さない。だって恥かしいし、ドン引きされるのが目に見えていた。
宣言通りに五分未満で残りを片付けて、机の横にあったバッグを手に取る。
「じゃあ、帰りましょうか」
「ああ」
整備室のあるアリーナから出て、教師寮に向けて並んで歩く。お互いに今日あったことや、苦労した事なんかを話ながら。その途中で、一番印象に残った彼女の話をする事にした。
「そういえば今日、ボーデヴィッヒさんが俺に会いに来たんですよ」
「ボーデヴィッヒが准にか?」
「ええ、千冬からよく話を聞いたって言っていましたよ」
「そこまで話をしたつもりは無いんだがな……」
千冬さんは視線を逸らして、頬をかく。
「おかげさまで、スカウトされましたよ。ドイツで技術を活かしませんかって」
「……それは本当か?」
その直後、そっぽを向いていた顔を元に戻すと、狼の様な目付きで睨みつけられた。首に氷をいきなり当てられたような寒気が走る。俺は急いで言葉を付け加えた。
「ええ、断りましたけど」
「そうか、なら……良かった」
ふう、と一息着く。腕に寄りかかると、手と手を重ね、指と指を絡めた。じんわりと温かな感触が伝わる。
「い、いきなり何を」
「こうしていないと、また勝手にどこかに行きそうだからな」
「またって、」
「もう一度やったらまた、だろう。忘れてないぞ私は。第二回モンドグロッソの後、会社も辞めて行方をくらました事」
千冬さんは俺の言葉にかぶせてそう言った。
確かに俺はモンドグロッソの後、「責任を取って辞める」だとかそんな事を言って倉持を辞めた。今思えば、その行為ほど無責任な事は無いのだが、その時は最善だと思ったのだ。
自分の気持ちを隠すには。
千冬さんを、諦めるには。
だけど、再会した時に気が付いたのだ。自分の気持ちを隠す事はできても、変える事はできない。できたとしても苦しいだけだ。だったら、素直になった方が良い。
「安心して下さい。二度目はありませんから」
「本当か?」
「ええ」
「絶対だな?」
「だから、そう言ってるじゃないですか」
「――そうか」
食い入る様に俺の目を見ていた千冬さんは、元の通りに視線を逸らして、代わりに手を握る力を強くする。ちょっと痛くて、手がビリっと痺れた。別に嫌という訳ではない。むしろ心地いいと言ってもいい。
これも俺が上手く言えなかった「譲れない物」の一つ、……なのかもしれない。決して誰にも言う気はないが。
▼ ▼ ▼
自室に戻った俺は身支度を済ませて、スマホからヒカルノの番号を呼び出した。二度のコール音の後、いつもの軽い口調がスピーカーから聞こえ出す。
『もしもーし。准が電話してくるなんて珍しいね。何かあった?』
「まあ、一応。報告をしようと思ってな」
『報告?』
「ああ、打鉄弐式はこの間完成したよ」
俺たちの夢であり目標の達成を告げる。ヒカルノが渇望していたであろう情報にどんな反応をしてくるのか、楽しみであったが、帰って来たのは意外な事に素っ気無いものだった。
『そう。准ならやってくれると思ってたよ』
「驚かないのか?」
『それはこの間あったときに十分驚いたし、喜んだよ』
「そりゃあ、そうかもしれないけどよ……」
何と言えばいいのだろうか、俺の知っているヒカルノはもっと感情を抑えるのが下手で、喜怒哀楽が激しい奴だったんだが。この間から、大人っぽくなった所が見え隠れしている。そう思った。
『私は君の事を買っているからね。よっぽどの事が無ければヘマしないでしょ』
「開発からならまだしも、今回は組み立てだけだったからな。時間さえあればミスはしないさ」
『ならいいじゃない』
「……そうだな」
なんというか期待外れ、いや、驚くのを期待し過ぎて空回りしたというのが正しいか。ついこの間まで距離を取っていたから、過去のヒカルノと今のヒカルノ、そのギャップが修正できていないのを感じた。
「予想してたってことは来るんだよな? 学年別個人トーナメント」
『うん。まあどの道、私の立場上は行かなきゃいけないんだけどね』
「ん? どうして?」
『どうしてって、君ね……私は研究所の所長だよ。テストパイロット選抜も仕事の内さ』
「へぇ、随分出世したんだな」
俺が辞める前は副所長ですらなかったし、出世なんて割とどうでもいいとか言っていた気がするが……。きっと、ヒカルノなりの事情があったんだろう。
『まあね。それはさて置き、今回は見学だけになりそうだよ。
「だろうな」
『だから、今回は既存機のデータ取りがメインになるかな。その分打鉄弐式の動きはしっかり見れるよ』
「なら大丈夫か。後は、寝坊とかそういう事やらかすなよ」
『な、そんな事はしないよ!』
「なら、日程は分かってるか?」
『三日後でしょ! いつまでも子供じゃないよ、私は』
「そうか、そうだよな。からかって悪かった」
『はぁ、全く君は……』
しばらくお互いに喋らない時間が続いて、話題が無くなった事を察する。俺から伝えることも、もう特にない。そろそろ寝るために電話を切った方が良いか。
『ねえ』
「なあ」
声が被った。
「先にいいぞ」
『う、うん。えっと、その……ね。あの』
「おい、ハッキリしろヒカルノ。何言いたいのかわかんねぇよ」
『やっぱいいや。また今度会った時にする。准こそどうかしたの?』
「いや、夜遅いからそろそろ切ろうかなって」
『それもそうだね。じゃあまた今度』
「ああ、じゃあな」
通話を終了してスマホを机の上に置いた。
誤魔化した事が気になったけど、次会った時に分かるのなら、変に考えることも無いだろう。その時まで待てばいい。
俺は部屋の明かりを消して、ベッドに横になると、目を閉じて日付を進めた。