私だって甘えたい。【完結】   作:イーベル

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では、大変長らくお待たせした16話です。




私だって遊びたい。

 今日は早く起きた。具体的に言うと五時半には。

 どうしてこんなに早く起きてしまったのかと言えば、連休初日であった昨日、ハードワークの疲れを取るために一日中寝ていたからだ。

 そんなこんなで、想像以上に暇になってしまった休日をどう過ごしたものかと、コーヒーを飲みながらまだすっきりとしていない頭を動かす。

 せっかく暇なのだから運動をしたい。結局、この間のジョギング以降まともに運動は出来ていないしな。

 だが、ジョギングと言ってもフルマラソンみたく四時間以上も走る訳ではない。長くやってもせいぜい一時間弱。そうなると時間が余ってしまう。

 いい具合に時間を潰せる運動は何かないかと考えて、ふと、バッティングセンターへ行ってみたくなった。社会人になってからは一度も行っていないし、移動時間で時間も潰せる。それに何となく元野球少年らしくていい。

 早速身支度を済まして、押し入れで埃を被っていたバットケースを手に取り外に出た。

「ん? 准じゃないか。おはよう」

 鍵をドアに差し込んでいると少し遠いところから話しかけられる。顔を上げるとジャージ姿の千冬さんが首にかけたタオルで汗を拭いながら俺の方に歩いて来た。

 髪が水気を含んでいて、何となくこの間の相合傘を連想してしまう。

 気まずくて俺は鍵を閉めるふりをして目を逸らす。

「お、おはようございます、千冬。どうしたんですか? こんな朝早く」

「私は日課のジョギングの帰りだ。准こそ珍しいな、こんなに時間に」

 千冬さんは俺を頭からつま先まで見ると、気になったのか、背負っているバットケースを指差した。

「その細長いケース、中身は竹刀か? 稽古なら付き合うぞ」

「違います」

 ……そんな事したら俺が死んでしまう。

「ならなんだそれは?」

「バットですよ。久々にバッティングセンターに行こうと思いまして」

「バッティングセンターか……。楽しいのか?」

 顎に指を当てて、少し間を空けてそう口にする。少しずれている言葉に、俺はしばらく考えて一つの疑問が浮かんだ。

「……もしかして行った事が無いんですか?」 

「い、いや、存在は知っているが行ったことは無い。……変か?」

「いえ、別に変じゃありませんよ。むしろ行った事の無い人の方が多いんじゃないですかね」

「そうか」

 俺の言葉を聞いた千冬さんはホッと息を漏らす。

 でも、行ったことが無いのならこれを機に連れて行ってみるのも面白い。野球なら俺の得意分野だし、運動で千冬さんに負けっぱなしの俺でも良い所を見せられる。

 そんな下心ありきで千冬さんを誘ってみることにした。

「ええと、千冬さん。この後、

「ああ、空いている。だが、身支度に少し時間をくれ」

 千冬さんは食い気味でそう言った。……俺まだ何も言ってないのに何で分かったんだろう。

「そうですか。なら外で待ってるんで、準備が出来たら声をかけて下さい」

「ああ」

 俺の隣の部屋に入る千冬さんを見送ると、外に出るために階段を下った。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 千冬さんと合流した後、車を走らせる事数十分。グーグル先生が示した最も近いバッティングセンターにたどり着いた。自動ドアを並んでくぐり入店する。

 店内にはバッティングマシンの他にエアホッケーや卓球台が立ち並び、俺の地元にあったものよりもスポーティな印象を受けた。

 客もそこそこ入っているようで、既に何人か打席に立ち心地のいい金属音を響かせている。

「ああやって機械が投げたボールを打つわけか」

「ええ。ちなみに的に当てるとそれに応じて景品が貰えたりします」

 俺が『ヒット』とか『ホームラン』と書かれた的を指差しながら説明すると、千冬さんはわずかに口角を上げた。

「そうか。なら准、それで勝負しよう」

「勝負、ですか?」

「ああ、ただ打つだけなのはつまらない。だから一ゲームで的に当てた数で勝負だ」

「それは別に構いませんが……いいんですか?」

「何がだ」

「俺、勝っちゃいますよ」

 仮にも経験者、打撃には自信がある。それにバッティングセンターに来たことすらなかった千冬さんに負けるとは到底思えなかった。

「ほう、自身満々だな。なら勝者は敗者に一つお願いができるという事にしようか」

「まあ、いいですけど。千冬こそ負けても文句は言いませんよね」

「当然だ」

 先行と後攻をジャンケンで決める。俺がチョキ。千冬さんがグー。

「フッ、では私からだな」

 千冬さんは硬貨を投入して、バッティングケージに入った。

 後ろから見ていても、ダメージジーンズに白いシャツのすらっとした立ち姿、ジーンズの隙間から見える生足が眩しい。その美しさは、俺だけではなく横のケージに立っていた人達の視線をも奪っていた。

 千冬さんがじろじろ見られるのは少し嫌な気分だ。千冬さんのラフな姿は他の誰にも見せたくない。そんな気持ちなった。

 独占欲。いや、結局のところ自分に自信を持てないからなのだろう。

 見せびらかしたら取られてしまいそうだから。俺の近くにいる千冬さんではなくなってしまいそうだから。

 ……情けない。ここで俺が『そうなったら奪い返してやる』と言えるぐらい強気で自信のある人間だったらこんな気持ちにならないのに。

 自己嫌悪に陥りそうな気持ちを息を吐いて切り替え、視線を戻す。

 すると千冬さんは左打席に立っていた。……左打席? 確か千冬さんは右利きだったはずだ。もしかして打席の立ち方を知らないのだろうか? まあ初めてだって言ってたから仕方がないか教えてあげよう。

「千冬。打席逆ですよ」

「いや、これでいい」

 バットは逆手に持ち、左腰に添えるように、つまりは抜刀術の構えで、球が発射されるのを待つ。

 ディスプレイに表示された投手が振りかぶり第一球を投じると、目にも止まらぬ速度でバットを振り抜く、打球はさも当然の様に的に着弾していた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「フッ、私の勝ちだな」

 満足げに腕を組んで勝ちを宣言する。

 俺も残り一本差にまで差を詰めたのだが健闘も虚しく、千冬さんのサムライ打法(仮)を前に敗れ去った。

 よくよく考えて見れば、勝算も無しに千冬さんが挑んでくるはずも無い。現役時代そばで見ていた俺が良く知っていただろうに。

「ええ、完敗です。煮るなり焼くなり好きにして下さい」

「なら早速だが一緒にカウンターに行こう。詳しくはそこで話す」

 千冬さんは俺が打っている間に何をやらせるか決めていたようで間を空けずにそう言うと、急かす様に俺の手を引いた。そんなに俺に言う事を聞かせるのが楽しみなんですか……。

「すみません。お待たせしました」

 千冬さんはカウンターにいた女性店員に敬語で声をかける。

「お待ちしてました。では記念撮影しましょうか」

「……記念撮影?」

「はい、ここではホームランを打ったお客様に記念品の贈呈と撮影を行っているんです」

 何気なく発した呟きに店員さんは丁寧に答える。

「と、いう訳だ。一緒に写真を撮るぞ」

「良いんですか? そんなので」

「良いも何も、私がそれでいいと言っているのだから、良いだろう」

 俺としては写真を撮る程度でお願いごとを消化できるのならそれに越したことは無い。

「分かりました。じゃあさっさと取りましょう」

「物分かりがよくて助かる。じゃあ、お願いします」

 千冬さんは店員さんに声をかけた。それを聞いて店員さんが今となっては珍しいポラロイドカメラを持って、俺達の反対側へ移動した。

「もう少し体を寄せて貰って良いですか~?」

 その言葉を受けて千冬さんは躊躇(ちゅうちょ)することも無く俺の腕を抱え込む。いくら変装しているとはいえ、(それもサングラスだけの軽い物だ)織斑千冬が男性と……なんて広まったらと思うと、胃が痛かった。

「えっと、その、そこまでひっつかなくてもいいんじゃ」

「ほう、敗者が盾突くのか」

 けん制を兼ねてなのかさらに強く腕を抱きしめられた。わずかな痛みと圧迫感が同居したような感触。挟まれている。俺が持ちえないナニカで。

 強引に断る事もできる。千冬さんは俺が嫌がる事はしないだろう。だがこの感触を味わっていたい気持ちもある。俺だって男なのだ。さらに言うのなら童貞なのだ。こんな美女が、世界でもトップクラスの美女が、その肢体を絡ませてきて、嬉しくないはずがなかった。

「……好きにして下さい」

「分かればいい」

「はーい。じゃあ写真撮りますよ~。はい、チーズ」

声に合わせてシャッターが切られた。

 

 ▼ ▼ ▼

 

 帰り道。

 あの後も千冬さんに付き合ってエアホッケーや卓球で勝負をした。前半はそこそこいい勝負をしていたのだが、後半になるにつれてバテて、叩きのめされ、来る前の『ちょっと良い所を見せられるかも』といった俺の考えは見事に玉砕することとなった。

 運動不足の肉体で無茶をしたからか、ハンドルを持つ腕がビリビリと痛い。

 その傍らで千冬さんは余裕の笑みを浮かべて、最初に撮った写真を眺めていた。

「千冬、そんなにじろじろ見て、なにか珍しい物でも映ってましたか?」

「いや、准のこんなに戸惑った表情は珍しいと思ってな」

「……そうですか」

 否定はしない。ここで写真を取り上げたり、変に恥ずかしがったりはしない。それが一番自分が恥ずかしがっている事を示しているからだ。

 俺が運動だけでなく、精神的な勝負でも負けた気になる。そんなしょうもない理由からくる行動だった。

 そんなつまらない意地を張りながら車を走らせ、赤信号で停車したとき、ふと頭によぎった言葉を口にする。

「そういえば千冬はどうして変装が雑なんですか?」

 そう、さっきも言ったが、千冬さんの変装はサングラスだけ軽いものだ。ちょっとじっと見るだけで見破られてしまいそうなもの。

 近年ではどこで誰に写真を取られるか分かったものじゃないのに、その警戒度は低い。その事に俺は疑問を持ったのだった。

「雑、か。准はこの格好が気に入らなかったか?」

「いえ、むしろ似合ってると思いますよ。それこそ他の人の目を引き付けてしまうぐらいに。でも帽子をかぶるとかマスクをするとかいろいろあるでしょう。ただでさえ千冬さんは有名なんですから」

 その言葉を聞いて千冬さんは小さくため息をついてから切り出した。

「私は変装という行為があまり好きじゃない。何だか自分を偽っているような気がしてな。それに、」

「それに?」

 言葉に詰まった千冬さんを急かす様に俺は相槌を打つ。

「――准には私を見て欲しいから。そのままの、ありのままの私を」

 不意打ち。例えるなら出会い頭にボディブローを食らったような。精神的にはそのぐらいの衝撃だった。

 もちろんそう言ってくれたことは嬉しいのだが、それを伝える口は中々動き出そうとはしない。

「なにか言ったらどうだ?」

 急かされた挙句に俺は、

「――千冬さんのそういう所、ちょっとずるいです」

 自分の気持ちを誤魔化した。


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