私だって甘えたい。【完結】   作:イーベル

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私だって甘えたい。

 仕事の疲れと憂鬱な気分を誤魔化すために、今日も俺は自室で晩酌を行っていた。

 コンビニの袋に缶ビールを入れてやって来た隣人を招き入れ(させられて)気が付いたら、俺の右腕は温かく、柔らかい彼女の肢体に包まれていた。首元には彼女の黒髪が触れてくすぐったい。何だか甘い香りもして、本能で襲い掛かってしまいそうだった。 

「千冬さん。その、離してくれませんか?」

「……嫌だ」

 アルコールによって赤らめた顔を二度横に振ってそう答えた。どうやら言う事を聞く気はないらしい。

 理性で何とか踏みとどまっているが、あと少し押せば割れてしまう薄氷のような物。いつまで持つか分からない。いや、何としても持たせなくてはならない。空いている左手で炬燵(こたつ)の中の太ももをつねった。

 この女尊男卑社会が成立した現代で織斑千冬、ブリュンヒルデに手を出したと知れ渡れば今の仕事『IS整備士』として働いて行くのは厳しくなるだろう。それどころか再就職できる未来が見えない。二十代にして無職になるのは避けたかった。

「ほら、右手が使えないと箸が使えませんよ」

「ビールなら左手でも飲める。つまみは楊枝(ようじ)があるから箸はいらないだろう」

 適当にでっち上げた理由で説得を試みたが間髪入れずにそう答えた。

 天板の上にある缶ビールと、枝豆、から揚げなどといった食べ物は基本的に一口サイズ。箸を使うまでも無いものばかり。知らず知らずのうちに自ら逃げ道を塞いでいるとは思わなかった。

 自分のうかつさに呆れつつ開き直って、から揚げに楊枝(ようじ)を刺して頬張った。カリッとした衣を噛み切ると中からアツアツの肉汁が溢れる。うん、おいしい。適当に作ったにしてはいい出来だ。

 

 さて、現実逃避をやめよう。

 

 このまま抱き着かれ続けるのは精神衛生上良くない。文句言うなって? まあ聞いてくれ。俺だって男だ。世界中の誰もが憧れる美人に抱き着かれて嬉しい気持ちも勿論ある。だがそれと同時にいつクビになってもおかしくないリスクにストレスを感じるのもまた事実だ。今の俺の精神状態を説明するなら『上半身はマッサージ、下半身は鞭打ち』きっとこんな感じ。

 そんな事を考えていると俺の右腕を締め付ける力が強くなった。まるで万力に締め付けられているみたいな強烈な痛みが走った。

「今ろくでもない事を考えていただろう?」

「痛いです! 痛いですって千冬さん!」

「余計な事を考えるからだ」

「すみませんでした」

 激しい痛みに耐えかねて机に顔を伏せると同時に締め付ける力が弱まった。

 これからは気を付けよう。次やられたら俺の腕が割りばしみたいにへし折られてしまいそうだ。

 肩を軽く揺すられて顔を上げる。そこには申し訳なさそうに頬をかく千冬さんがいた。

「済まない。やり過ぎたな」

「本当ですよ。俺の右腕を間違っても壊さないで下さいよ。大切な商売道具なんですから」

「ああ、分かってる」

 千冬さんは少しばかり弱気になっているように見えた。普段は誰に対しても強気の彼女にしては珍しい。孤高で完璧で美しい彼女の弱い面を垣間見て不覚にもドキっとしてしまった。

 ここでもう少し彼女をいじめたらいったいどのような反応をしてくれるのだろう? 更に可愛らしい一面を見せてくれるのだろうか? 俺はその疑問を解消するために行動を起こした。

「千冬さんも謝れるんですね」

「ほう……喧嘩を売っているのか?」

「いいえ事実ですよ。生徒を注意する時に出席簿で叩いてますけど、その後一回も謝っている所を見た事が無いです」

「そ、それはだな……」

「入学当初は憧れの目線で見ていた生徒も今はどう思っているんでしょうね?」

 千冬さんは顔を伏せて肩を震わせている。心なしか抱き着かれる力が弱まっている気がした。

 このまま行けばひょっとすると俺から離れてくれるかもしれない。勢いをそのままに口を動かす。

「『暴力教師織斑千冬』なんて思われているかも」

 嘘ではない。俺から見ればそういう風に見えるときもあるだけの事。大半の生徒は『ご褒美』と思っているふしがある。それでいいのかIS学園……。

「本当か? 本当にそんな風に思われていたら私は……」

 両手で俺の右手を握って、俺を見上げるようにして千冬さんはそう問いかけてきた。その目にはうっすらと涙が滲んでいて妙に色っぽい。破壊力抜群だ。自分を逆に追い詰めてしまった気がする。息子が炬燵の中でウォーミング・アップを始めていた。

 これ以上はマズイ。抑えがきかなくなりそうだ。自分の精神を安定させるために先程の言葉を訂正する。

「冗談ですよ。安心して下さい。千冬さんは優しい人だって、俺は知ってますから」

 今度はさっきと違って慎重に言葉を選んでしっかりと目を合わせてそう言った。

「私だって傷つく。あまりそういう冗談は言わないでくれ」

 千冬さんは右手の親指で目に溜まっていた涙を(ぬぐ)った。

「すいません。(へこ)んでる千冬さんが可愛いかったのでつい……」

 話している途中で右腕が抱き込まれた。再び女性特有の柔らかさと香りが俺を襲った。

「……馬鹿者」

 呆れたように俺を半目で睨み付ける。

「すいません」

「謝罪の言葉はいらん。行動で示せ」

「行動ですか? 具体的に言うとどのような」

「そ、そうだな……笑わないか?」

「笑いませんよ」

 そうは言ったが、正しくはどんな厳しい要求をされるのか恐くて笑えない。

「…………」 

 俺の返事の後に千冬さんは何やら言葉を発したのだが、聞き取ることは出来なかった。

「えっと、すいません聞こえなかったのでもう一度お願いできますか?」

「何度も言わせるな! あの、その……頭を撫でて欲しい」

 最初の大声から段々と小さくなっていき最後の方は虫の囁きの様だったが今度は聞き取ることが出来た。

 なんか思った以上にあっさりとした要求で拍子抜けだった。もっとこう、『コンビニまで酒を買って来い』とかそういった方面を想定していたので、俺はすぐに動けずにいた。

「は、早くしてくれ」

 何度か右腕の袖を引っ張られて催促される。俺の腕はいつの間にか解放されていたようだ。腕は正座をしていた足の様に痺れていた。

 その痺れに抗って千冬さんの頭に移動させる。サラサラとした黒髪に触れた。それを乱さないように優しく撫る。

「んっ……」

 千冬さんは目をつむってされるがままに頭を撫でられている。言葉にしたら失礼なんだろうけど飼い犬を撫でているかのような、そんな気分になった。

 

 ▼ ▼ ▼

 

「寝ちゃったか」

 撫で続けていると千冬さんは俺の腕に抱き着いたまま寝息を立てていた。俺以上に担任、寮の監督としてがむしゃらに働いている彼女の疲れがピークに達したのだろう。寝ているその姿は無防備でいつもの凛々しい彼女からはかけ離れていた。

 緩くなった腕の拘束を外して、横に寝かせた。座布団を半分に折って枕代わりに彼女の頭の下に敷く。

 炬燵から抜け出して空になった食器を手に取り重ねる。キッチンにそれらを運び、水につけてから戻った。

 未だ肉親以外に見たことが無いであろうその寝顔。それを躊躇(ためら)い無く見せてくれている。俺に対してそれだけ心を開いてくれているのは嬉しい。

 その反面、クビがどうとかは置いておいて、一介の整備士である俺といて彼女は幸せなのだろうか? もっとふさわしいパートナーがいるのではないないか? と、そんな事ばかり考えてしまう。

 いつかその答えが分かる時が来るのだろう。

 彼女を幸せにするのは俺ではないのかもしれない。

 例えそうだとしても今はただ、もう少しだけ……彼女の寝顔を眺めていたかった。

 




何とか連休中に書き終えた事に安堵。
続く……?

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