傲慢の秤   作:初(はじめ)

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八十、誰か

 

 

 

 教室にある、三つの空いた席。

 

 一つはつい最近まで学校に来ていた平子真子のもの。一つは入学時から空いているもの。そしてもう一つは、いつから空いているのかも分からないもの。

 教室の端の席が余っているのならまだ分かる。しかしその三つ目の席は、端ではなく中途半端な位置にあった。そこだけ空いているのが不自然に思えるくらいだ。

 

 一護がその不思議な席に気づいたのは、仮面の軍勢の元で虚化の修行を始めて一ヶ月が経過し、久々に登校した時のことであった。

 

 しかしどうやらその席のことがやけに気になっているのは一護ただ一人らしく、誰も席のことなんて気にしていなかった。あんなにも不自然であるにも関わらず、である。

 

「あっ! 黒崎くんだ、おはよう!」

「よう。久しぶりだな」

「うんっ!」

 

 席についた一護に話し掛けてきたのは、クラスメイトの井上織姫だった。一護がそれに応えると、彼女はやけに顔を輝かせて頷いた。何か良いことでもあったのか。

 

「そういや、尸魂界(あっち)から、ルキアたちが来てるみてーだな」

 

 仮面の軍勢との修行場所である廃工場から出た時から、朽木ルキアを始めとした死神たちの存在には気づいていた。そのことについて触れると、井上は不思議そうに訊ねた。

 

「黒崎くん、まだ皆には会ってないの?」

「あぁ」

「そっか、修行してたんだもんね」

 

 井上は納得したように、うんうんと頷く。その言葉に違和感を覚えて、一護は井上に訊ねた。 

 

「なぁ、井上。俺お前に『修行してた』って話したっけか」

「ううん、されてないと思うけど。……あれ?」

 

 じゃああたし何で知ってるんだろ、と井上が首を傾げた。まただ、と一護は密かに考える。教室の座席といい、この話といい、普段なら見過ごしてしまうような小さな違和感だ。

 

 そもそも、仮面の軍勢の元で修行をしているという状況が不可思議だった。あんなに怪しんでいた平子に急についていくことになり、あまつさえその仲間である仮面の軍勢の面々ともいつの間にか打ち解けていただなんて。

 

「なぁ、何か変じゃねーか?」

「え? 何が?」

「何って言われても、よく分かんねーけど……」

 

 どうやら井上に心当たりはないようだった。既に教室に来ていた石田雨竜や茶渡泰虎にも、死神のことを知らないクラスメイト達にも、変わった様子は見られなかった。やはりこの小さな異変に気づいているのは、一護だけのようだった。

 

 その後は、さほど変わったことは起こらなかった。担任の越智先生に雷を落とされたり、友人達に心配されたり、授業内容についていけなかったり。どれも想像の域を出ないもので、一護の中に芽生えた疑念を晴らすようなものではなかった。

 

「なるほど。それで、ここに来たと」

「あぁ。浦原さんなら何か知ってんじゃねえかと思ってな」

 

 普段なら『気のせい』で片付けるような些事が、何故だかどうしても気に掛かる。しかし誰にでも気兼ねなく相談できるような内容でもない。

 

 結果として一護は、以前修行をつけてくれた浦原喜助の元を訪れたのだ。

 

「残念ながら、アタシは何も知りません。ただ、アナタと同じ違和感を抱いているのは事実っス」

「浦原さんも……?」

「えぇ」

 

 浦原商店の居間で、その店主はいつになく神妙に頷いた。「そうだな……」と呟いて考え込み、浦原は一つの例えを挙げた。

 

「例えば、『誰かを忘れている』……そんな気はしませんか」

「そう、それだ!」

 

 一護は思わず膝を打って、腰を浮かせた。

 まさにその通り、何かを忘れている気がしてならないのだ。三つ目の空席にも、不自然な現状にも、何かの理由がある。ただ、思い出せないだけで。根拠は何処にもなかったけれど、一護はそう確信していた。

 

「やっぱりそうなんスね。……黒崎サン、ちょっと来てください」

「え?」

 

 浦原は突然思い立ったようにそう告げ、一護を商店の二階へと案内した。これまで幾度となく浦原商店を訪れていた一護だったが、二階にまで上がらせてもらったのは初めてだった。年季の入った階段を登り、廊下に面した部屋の一つに招き入れられる。

 

「この部屋を、どう思いますか」

「どうって言われても……」

 

 そこは、質素な和室だった。畳張りの床、小さな座卓、書籍の詰まった本棚、ハンガーラック、それから小振りな衣装箪笥。そんな飾り気のないシンプルな家具ばかり並ぶ、ごく普通の和室だった。

 

 そんな中に、一つだけ目を引くものがあった。

 

 空座第二高校の制服、それも女子学生のものだった。

 

「制服……これ、誰の部屋だ?」

「さあ」

「さあって、アンタん家だろ」

 

 浦原が寄越したのは、そんな他人事のような返答だった。自分の家に自分の知らない者の部屋があるだなんて、そんなおかしな話があるはずもない。しかし浦原は、至って真面目な様相だった。

 

「この部屋の存在はもちろん把握していました。アタシの記憶が正しければ、ここは物置部屋だったハズなんス」

 

 再び部屋をぐるりと見渡す。どうしたって物置部屋には見えない。つい最近まで誰かが暮らしていた、そんな生活感のある個人部屋だ。

 

「しかし……一ヶ月前のある日から、急に今の状態に変わってしまった」

「あり得ねぇだろ、そんなの」

「それが有り得たから困ってるんスよ」

 

 現代っ子の黒崎サンは知らないかもしれませんがと前置きして、浦原は部屋の一角を指差した。

 

「畳ってのは上にものを置くと跡がつくものなんです。重いものを置けば凹みますし、そのまま長期間置いておくとそこだけ日焼けによる変色が起こらない」

「知ってるよ、馬鹿にしてんだろ」

「まぁまぁ、これを見てください」

 

 浦原が示したのは、衣装箪笥の足元だった。先程は気づかなかったが、設置場所をずらしたのか色の違う畳が少しだけ覗いていた。

 

 それの何がおかしいのか、ようやく思い至った一護が呟く。

 

「……一ヶ月じゃ、こうはならないよな」

「そういうことっス」

 

 一ヶ月家具を置いていたくらいでは、ここまではっきりと色に差異が出るはずがない。つまりこの部屋は一ヶ月以上、恐らく年単位で昔から、誰かの私室として使用されていたということになる。

 しかし家主たる浦原の記憶では、ここは一ヶ月前まで物置だった。明らかなる矛盾である。

 

「物置にしてた時から置いてる箪笥だったり?」

「いいえ、見覚えすらないものっス」

「そうか……」

 

 とすれば、いよいよ迷宮入りだ。

 一護は頭を抱えそうになったが、浦原はその事実に対して一つの予測を立てたようだった。

 

「そこで出てくるのが、先程の話です」

「『何かを忘れている』気がするってやつか」

「ハイ」

 

 一ヶ月前まで物置だった部屋が、唐突に何者かの私室に変わった。

 家主に模様替えをした記憶はなく、置いてある家具にも見覚えはない。

 床に敷かれた畳には、長年に渡って家具を置いていた跡が残っている。

 

 そして、『何かを忘れている』という直感。

 

「アタシ達は、とあるヒトの存在を忘れてしまっている。敵の手によるものなのか、何か他の要因があるのかは分かりませんが」

「そんな、まさか……」

「こうして一緒に暮らしていたアタシらはともかく、黒崎サンまで異変に気づくとは。余程親しかったんスね、そのヒトと」

 

 浦原の顔は、どこか切なげだった。

 それほどまでに親しかったヒトを、忘れてしまっているかもしれない。思い出したい、何としてでも思い出さなければならない。でないと、きっと後悔するから。

 

 そんなもどかしい思いが痛いほど理解できて、それなのにどうすることもできなくて、ひとまず一護は話を逸らすことにした。ふと思いついたことを、何の気なしに口にする。

 

「そういや、桜花はどこに――」

 

 

 

 今、俺は何と言った?

 

 

 

 桜花。確かに今、そう言った。

 

 

 

「おい、嘘だろ……」

 

 もう一度、部屋を見渡す。どう考えても、ここは桜花の部屋だ。入ったのは初めてだが、それでもすぐに分かる。というより、それ以外に考えられない。この家に住んでいる女子高生は、桜花一人しかいないのだから。

 

「浦原さん、この部屋――」

 

 思わず振り返ると、顔を強張らせた浦原と目が合った。この人がこんな顔をしているのは初めて見た。いつもは余裕綽々とした態度をとる浦原が、今はこんなにも余裕のない顔をしている。

 

 幼馴染、友人、仲間、理解者。一つの言葉では形容できない。そのくらい一護と深い関係性の少女の身に、何かが起こっている。

 

「前にも、似たようなことがあったよな。そういう能力なんだろ?」

「……えぇ。でも今回は訳が違う」

 

 尸魂界で、それから現世でも本人から話は聞いた。彼女は自分の存在を消してしまえる卍解なのだと言っていた。今回のこれも同じならば、そう心配する必要はないはずだった。しかし、今回は。

 

「話、聞かせろよ」

「もちろんっス」

 

 下で話しましょうと誘導された廊下に、血相を変えた二人の子どもがいた。桜花が日頃から可愛がっている(ウルル)とジン太だった。

 

「お姉ちゃんが……まだっ……!」

「次の日には帰るって言ってたよな!? あいつ、まだ帰ってきてねぇぞ!」

「雨、ジン太」

 

 ジン太だけでなくあの大人しい雨でさえも、浦原に詰め寄って訴えている。その姿が、自らの妹たちに重なって見えた。

 

「ボクが必ず連れ戻します。大丈夫、あの子は強いんスから」

 

 浦原は子ども達の頭に手を乗せて、それぞれに柔らかに言い聞かせた。先程までの余裕のなさは鳴りを潜め、浦原はいつも通りの緩い笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 儂は反対じゃ。そう言い放って、夜一さんは腕を組んだ。

 

「でも、これが上手くいけば私たちの勝ちだよ」

「上手くいけば、な。博打にも程があるじゃろう」

「……店長は賛成なのですか?」

「もちろん」

 

 鉄裁さんの問いに、喜助さんはあっさりと頷いた。夜一さんはそれを嫌そうに見ていた。

 

「喜助はそうじゃろうな。ここ最近お主ら二人でこそこそやっておったからの」

 

 夜一さんの言う『ここ最近』は、数日くらいの話ではない。どうやら年単位で色々とやっていたことはバレているらしい。まぁ同じ家に住んでいるんだし、バレない訳がないんだけど。

 

「良い加減、()()を教えろ。話はそれからじゃ」

「……バレてましたか」

 

 決まり悪そうにしている喜助さんも、私自身も、いつかこうなるだろうという予想はしていた。そしてそうなっても尚、秘密にし続けなければならないことがあるというのも理解していた。

 

「言えることと言えないことがあるんスよ」

「ほう。それは儂や鉄裁にも言えぬのか」

「えぇ。今は、ですが」

「何故言えぬのかも、言えぬのか」

「……ハイ」

 

 喜助さんが神妙に頷く。呆れたようにため息をついて、夜一さんは「とりあえず話せるだけ話してみろ」と促した。

 

「……藍染が破面たちを率いているのは知ってますよね」

「あぁ」

「その破面一体一体が、護廷十三隊の隊長クラスの実力を持っているんスよ。だから手を打たなければ、こちらが全滅してしまいかねないんです」

「あのレベルが何体も居ると?」

「えぇ。少なくとも、十一体は」

 

 あのレベル、というのはウルキオラやヤミーのことを言っているのだろう。

 

「やけに具体的な数字ですね」

 

 鉄裁さんが呟く。その通り、私の持つ情報はあまりに具体的すぎる。しかし情報の出処を問われたとして、相手の納得するような答えを返すことができないのだ。「別世界から生まれ変わってきました」なんて言える訳がないし、「未来を知っています」なんて言ってもその訳を説明することもできないし。

 

「えぇ、まぁ。訳も出処も話せませんが、確かな情報です」

「……そうですか」

 

 喜助さんと私の提案に不満げなのは、夜一さんだけではない。いつもはあまり自己主張をしない鉄裁さんでさえ、納得できないと言いたげな態度だった。

 

「おおよその数は分かっているものの、その詳細まで分かっている訳ではない。だから桜花が行って、敵の内情を探ってくる計画なんスよ」

「私はほら、”雲透”で隠れられるからさ。隠れながら始解で斬って回ってくるだけだよ」

 

 こんなことをしなくとも、私は元々破面たちの能力を把握している。けれどそれは、私のいない世界の話だ。この世界の十刃(エスパーダ)は十人じゃないかもしれないし、私の知らない破面が混じっている可能性も大いにあり得る。

 そんなイレギュラーに対応するためには、こうするしかないのだ。

 

「……それで儂らを納得させられると、本気で思っとるのか?」

「いいえ。それでも納得してもらうしかないんスよ」

 

 あくまで私の秘密を守ろうとしてくれる喜助さんに対して、大人たちは冷たかった。隠し事をされているからとへそを曲げるほど、二人は子どもじゃない。それに、危険な計画を実行しようとする私の身をただ案じてくれているだけというには、あまりに剣呑な雰囲気があった。

 

「百歩譲って、お主一人が勝手をするなら理解できる。敵陣に乗り込もうがそこで野垂れ死のうが自己責任じゃ」

 

 それは酷くないっスか……? とぼやいた喜助さんを完全に無視して、夜一さんは言葉を続ける。

 

「しかし、お主の勝手に桜花まで巻き込むのは違うじゃろう」

 

 ……あぁ、なるほど。そういうことか。

 

 それで、二人はこんなに反対していたと。私が喜助さんに半ば騙されるような形で、無茶な計画に振り回されていると思ったのか。崩玉の件もあったし、それを繰り返すつもりかと怒っていたんだ。

 

 二人に大切にされていることが明確に伝わってきて、私は心の底に湧いてきた喜びをそっと隠した。今ここで手放しに喜ぶのはちょっと人としてアレだからね。

 

「あー……あのね、夜一さん。この件に関しては、巻き込まれてるのは喜助さんの方なんだよ。私が、私の都合で、喜助さんを巻き込んでるんだ」

「お主が、喜助をか?」

「うん」

 

 驚くのも無理はない。だって相手はあの喜助さんだ。巻き込むことはあっても、受け身で巻き込まれるはずがないと思っているに違いない。

 

 それを言っちゃって良いんスか? と言いたげな目線に頷いてみせる。良いんだよ。元はと言えば、私の出自が原因で起こっていることなんだから。

 

「夜一さん、鉄裁さん。本当にごめんなさい。でも、もう少しだけ待ってくれないかな」

 

 藍染さえ倒してしまえば、そこから先は私の知らない世界だ。そうなれば私の知識は使い道がなくなる。未来を知っているだなんだで、迷ったり隠し事をする必要もなくなる。だからせめて、それまでは。

 

「私は絶対に生きて帰ってくる。何があっても、這ってでも帰ってくる。帰ってきて、藍染を倒して……全てが片付いたら全部話すよ。これまでのこと、全部ね」

 

 そう言って頭を下げた私と、一切私の話を否定しない喜助さんの様子に、ついに二人は根負けしたようだった。渋々、嫌々、といった態度で頷いてくれた。

 

「……喜助さん。それで良いよね」

「桜花がそれで良いなら、ボクからは何も」

 

 

 




自分で書いといてアレですが、自宅の物置部屋が知らないうちに知らない人の私室に変わってたなんてホラーですよね。怖すぎる。

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