傲慢の秤   作:初(はじめ)

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七十五、理不尽な力

 

 平子さんが高校にやってきた、翌日。

 

 訳あって早めに登校すると、教室に一人の生徒がぽつんと座っていた。平子さんだ。

 

 退屈そうに頬肘をついて、机から飛び出すように両足を投げ出して、ぼんやりと宙を眺めている。完全に油断しきっている訳ではないが、まさか急に命が脅かされるとまでは思っていない。そのくらいには気が緩んでいるようだった。

 

 私は無言で自分に"曲光(きょっこう)"を掛けて、足音を立てないよう空中に足場を作った。そのまま平子さんに忍び寄って、丁度良いアングルで伝令神機(でんれいしんき)のシャッターを切った。

 うん、良い感じ。長い年月を生きた者の醸し出す気怠げな雰囲気と、若々しい制服姿とのコンビネーションが絶妙にちぐはぐで面白い。後でひよ里に送ろう。

 

 平子さんは全くこちらに気づいていないようで、そのままの体勢でぼんやりしている。藍染相手でも通用した"花霞(はながすみ)"はやはりずいぶんと高性能で、中級縛道の"曲光"とやたら相性の良いものらしい。

 

 私が本気で隠れたら、きっと誰にも見つからないんだろうな。そんなどうでも良いことを考えながら、私は一旦教室を出て縛道を解除した。それから改めて教室に入った。

 

「早いんですね」

「ん? あぁ、桜花ちゃんか」

 

 通学カバンを下ろして、自分の椅子を横に向けて座る。そのまま後ろの席を見やると、意味ありげに口角を上げる平子さんと目が合った。

 

「昨夜はまた、派手にやったようで」

「まぁな。なかなか警戒心の強い奴やで、一護っちゅうんは」

 

 昨夜、平子さんは死神姿の一護に接触した。その言動の怪しさといったら、もう。

 

「よく言いますよ。あんな怪しげじゃ誰だって警戒しますって」

「何やねん、見とったんかい」

「もちろん。手伝いましょうか?」

 

 手伝うと言っても、一護の害になるようなことをするつもりはない。仮面の軍勢(ヴァイザード)か一護か、どうしてもどちらかの味方につかなければならない状況になれば、私は迷わず一護につくだろう。

 

「アホか、要らんわ」

 

 少し笑いながらそう返した平子さんは、一護を優先したいという私の意思に確実に気づいている。だからもちろん、断られるのは想定内だ。それでも私にだって譲れないラインというものがあって、それを超えるようなら仲裁に入ることは告げておかなければならない。

 

「でも変に揉めてたら、勝手に割って入るんで。悪しからず」

「何やそれ、あかんで」

 

 仮面の軍勢のことは、あくまで仮面の軍勢自身でやる。そういうつもりでいるのだろう。

 

 私は尸魂界(ソウルソサエティ)出身の死神で、人間に対してもしっかり肩入れしている。だからといって今更仮面の軍勢と敵対することはないけれど、どうあがいても完全な身内にはなれない。それを「寂しい」と思う時期は既に通り過ぎた。私には私の身内がいて、彼らには彼らの身内がいる。ただそれだけの話なのだから。

 

「駄目でも入ります。私にも私の目的と、護りたいものがありますから」

 

 真っ直ぐ、平子さんの目を見据える。

 視線を先に逸したのは、平子さんだった。

 

「ハァ……ったく、しゃあないなぁ……」

 

 彼が妥協してくれたところで、教室にクラスメイトが入ってきた。大して話したことのない男子生徒だったけれど、だからといってこの会話を聞かせる訳にはいかない。

 

「ありがと、助かるよ」

 

 私はすぐに口調を変えて、にこり、と笑みを浮かべてみせた。人間の友達に向けるのと、同じように。

 それに合わせてくれたのか、平子さんの顔から真剣な色が消えた。こういうところは一護と違ってやりやすいな、と思う。

 

「……やっぱエエな」

「は?」

「こっちのが親しみやすくて俺は好きやなぁ」

「え、何の話?」

 

 雰囲気をがらりと変えた平子さんが、机に肘をついて笑う。昨日初めて会った人との距離感じゃないよなぁなんて思いながら、私は椅子の背もたれに身体を預けた。

 

「喋り方や、喋り方。いっつも『裏がありますぅー』みたいな感じやし」

「裏は……まぁ、なきにしもあらず」

「せやろ。俺は別に、タメ口でもかまへんけどなぁ。ひよ里にもタメやし?」

「えぇー……」

 

 私は別に構わないけど……とはいえ元隊長に対してそれはなぁと考えて、私はすぐにそれを改めた。その理論でいくと、喜助さん夜一さん鉄裁さんにも敬語で話さなければならなくなる。

 

「敬語やったら、喜助とよう似てんでぇ」

「それは止めてお願いだから」

「めっちゃ嫌がるやん」

 

 けらけらと平子さんが笑う。その辺りで、私と仲の良いクラスメイトたちが次々と登校してきた。話題を休み明けテストに切り替えて談笑し続けていると、案の定友人たちは私たちに近づいてきた。

 

「おはよ。あんたらいつの間にそんなに仲良くなったの?」

「あ、おはよう」

「おはよーさん。えーっと……」

「有沢竜貴な」

「おっけー、竜貴ちゃんな。カワイイ名前やん、よろしく!」

「かわ……まぁ何でも良いんだけどさ……」

 

 私からすれば、『竜貴』は漢字を含めて可愛くて格好良い、竜貴にぴったりの名前だ。わざわざ平仮名で表記するのは勿体ない、とすら思うくらいだ。

 しかし本人は、女の子らしくないからと自分の名前の漢字を嫌っている。よって名前を「可愛い」と形容されたことに対して、どう反応すべきか分からないようだった。

 

「しっかしこんなチャラついた奴が、桜花と気が合うとはねぇ」

「気が合ってる? そうかなぁ」

 

 ただ単に付き合いが長いだけだと思うが、そう返す訳にもいかない。そんな私の返答を聞いて、平子さんは無害な笑みを浮かべながら、机越しに身を乗り出して私の肩に腕を乗せた。

 

「えぇー? 何や冷たいなぁ。桜花ちゃんとはマブやで、マ――」

「おい」

 

 流石にそれは不自然だと私が振り解くより早く、平子さんの腕を掴んだ者がいた。登校してきた一護だった。

 

「桜花を、離せ」

「はぁ?」

 

 おちゃらけた空気をそのままに、平子さんは一護を見上げる。

 

「何でお前に、そない指図されなあかんねん。桜花ちゃんはお前の彼女と違うやろ、やったら別に――」

「離せ」

 

 眉間のシワが五割増な一護は、不機嫌なオーラを撒き散らしている。いつもよりずっと恐ろしげな雰囲気に、クラスメイトたちは揃って恐れ慄いていた。一般人を怯えさせるなっての。

 

 一護は、力づくで私から平子さんを引き剥がしてしまった。そして平子さんの腕を掴んだまま、無理矢理に引っ張って立ち上がらせる。

 

「痛っ! ちょ、何すんねん!?」

「いいから来い」

「うおっ!?」

 

 呆気にとられる私を置いて、一護は平子さんを引きずって連れていってしまった。

 

「何あれ」

「やっぱり黒崎ってさぁ……」

「絶対好きじゃん、あんなの」

 

 クラスの女子たちがひそひそと話している。小声のつもりだろうが私には丸聞こえである。まぁ、『やめて! 私のために争わないで!』みたいな状況に見えることは認めよう。不本意ながら。

 

「そういうんじゃないと思うけどなぁ」

「……幽霊(そっち)関連か?」

「多分ね」

 

 これまた小声で話しかけてきた竜貴に応える。ちょっと様子見てくるね、と私は席を立った。

 

 登校したばかりの織姫やチャドも、この一部始終を目撃したらしい。教室の入口付近に立って、どことなく心配そうな顔をしていた。そんな二人に向けて「大丈夫だよ」と頷いて、私は教室を後にしたのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 だだ漏れな一護の霊圧を目指して歩くと、案の定高校の渡り廊下に辿り着いた。

 

 口論をしているというより、一護が一方的に怒鳴っている。そんな二人の間に入り込んで、一護の手を解いた。いつまでも胸倉を掴まれていては、いくら平子さんでも息苦しいだろう。

 

「はーい、そこまで」

「桜花……!? おい、コイツは――」

「うん、知ってる。平子さんの正体も、一護の中にいる虚のことも」

「なっ……!?」

 

 意表を突かれたのだろう、一護が息を呑んだ。その間に体勢を立て直した平子さんが、困ったような表情で私に声を掛ける。

 

「おーい、早ないか?」

「全然。こうなったら一護はなかなか渋りますよ。一護は馬鹿だけど馬鹿じゃないんです」

「オイ、誰が馬鹿だよ」

「だから私が『手伝いましょうか』って言ったのに……」

「やってみんと分からんやんか、そんなん」

 

 平子さんは不満があるようだが、このまま放置すれば一週間近く掛かってしまうのは目に見えている。漫画でも長い期間悩んでいた描写があったのだから、なおさらだ。

 

「分かりますよ、何年付き合ってると思ってんですか」

「やっぱ付き合っとるんやないか! 俺の桜花ちゃんと!」

「付き合ってねぇし!」

「誰が平子さんのだよ!」

 

 いや、今はそんなことはどうでもよくて。

 私は一つ咳払いをして「ともかく」と続ける。

 

「場所変えましょ。ほら、一護がやきもきしてるんで」

「……しゃあないなぁ」

 

 二人を促して、屋上に飛び上がる。

 昼休みでもない今の時間帯、この屋上を訪れる者は一人もいない。ここなら丁度良いか、と入り口近くで立ち止まった。平子さんは私の近くの段差に腰掛けたけれど、一護は平子さんから5mほども離れたフェンスにもたれかかった。

 

「お前はこっちに来い」

「え? ……あぁ、はいはい」

 

 警戒し過ぎだろうと思っていると、不意に一護に手招きされた。どうやら平子さんの近くには居るな、と言いたいらしい。やはり、どう考えても警戒し過ぎである。

 

 言われた通り一護の隣に行くと、平子さんが大仰にため息をついた。

 

「どないやねん。カレシか」

「違う、つってんだろ」

「知っとるわ。マジメか」

 

 絶妙に噛み合っていない会話の後、一護が私に問い掛けた。

 

 平子さんと知り合いではないと言ったのは嘘だったのか、平子さんは何者なのか、敵なのか味方なのか、と。

 一つ目はともかく、二つ目と三つ目は本人に訊けと言いたいところだ。しかし一護にそのつもりはないらしい。確かに、そうなるのも理解できなくはないが。

 

「厳密に言うと嘘じゃない、っていうのが答えになるかな」

 

 私が一護に伝えたのは「尸魂界関係の知り合いではない」ということのみだ。仮面の軍勢は元々死神だったけれど、現在は護廷十三隊に所属していない。つまり、嘘は言っていないが本当のことも言っていない、が正解だ。

 

「平子さんたちは、確かに死神の力を持ってる。でも尸魂界に属してはいない、独立した存在なんだよ」

「独立って、どうして……」

「秘密や。色々あんねん、俺らにも」

 

 だから詳細を話す訳にはいかなかったのだと、私が続ける。

 

 人が秘密にしておきたい事柄を、他者にべらべらと話すつもりはない。例えその『他者』が一護のように身近な人であっても、である。

 そしてもし仮に『話しても良いこと』だったとしても、それを教室のど真ん中で口にする訳にはいかない。

 

「だから、話すタイミングを伺ってたんだよ。一護の中の虚が完全に主導権を握る前に、平子さんたちと引き合わせて修行してもらわないといけないからね」

「……そうかよ」

 

 俯きがちな姿勢のまま、一護は小さな声で返答した。やはり、随分と思い悩んでいるようだった。

 

 しょうがないなぁ、私はわざとらしく呟いた。

 

 手を伸ばして、その頭をわしゃわしゃとなでてやる。いつもと違って、抵抗はされなかった。余程、精神的に追いつめられているらしい。

 

「平子さんにはお世話になったけど、でも私は一護の方が大切だから」

 

 普通それを俺の前で言うか、と平子さんがぼやく。言いますよ事実ですもん、と適当に返して私は一護の顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫。何があっても……例え虚に呑まれたって、私はあんたの味方だから」

 

 ね? と笑い掛ける。

 

 計画云々以前に、あまり思い悩ませるのは可哀想だと思っていた。そもそも生まれつき死神の力を持っているのも、内なる虚を抱えているのも、全て一護が好きで選んだことではないのだ。

 16歳の少年がそんな理不尽な力を抱えて、悩んで……ましてやそれが幼い頃から見ている子ともなれば尚更、力になりたいと思うのは当然だろう。

 

「……呑まれねーし」

「うん、そうだね」

 

 幼馴染の精一杯の強がりを、私は笑って受け止めた。もう、一護は大丈夫だ。彼のブラウンの瞳は、以前の力強さを取り戻していた。

 




「……何を見せられとんねん、俺は」

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