傲慢の秤   作:初(はじめ)

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六十四、許してやれるか

 

 

 

 "花霞"(はながすみ)という技には、いくつか段階がある。

 

 浅打ちの時は、霊圧の遮断のみ。

 始解では、霊圧遮断と刀身の透過。

 卍解では、霊圧遮断と身体全体の透過。

 

 そして最後に、私という存在そのものの消去。

 

 私が東仙に殺されそうになった時に無意識に使ったのは、卍解の全身透過。そして藍染に対して使ったのが、同じく卍解でのみ使える存在消去だった。

 

 その中の霊圧遮断だけを行使しながら、上から"曲光"(きょっこう)を重ねて姿も消して、私は朽木家の邸宅へと向かっている。

 

 病室で目覚めて身支度を終えてすぐに、私は父様のいる部屋へと向かった。けれど父様はまだ眠っていて、会話をすることはできなかった。

 あの藍染に直接やられたのだから、そうなるのも無理はない。むしろ生きていたことの方が奇跡だ、と言っても過言ではないだろう。確かめる術はないが、もしかしたらこれも崩玉の影響によるものなのかもしれなかった。

 

 

 

 貴族の邸宅が並ぶ地区に入ると、道を行き交う死神たちの数も減ってくる。それは朽木家の敷地に近づくにつれてさらに数を減らし、ついには誰もいなくなってしまった。その癖やたらと幅の広い道を、瞬歩も使わずのんびり歩く。

 四大貴族ともなれば、その敷地面積は広大なものになる。初めて瀞霊廷(せいれいてい)の地図を見た時は、本当に驚いたものだ。ドームが何個分、とかいう例えはよく分からないが、これだけの区画が全て朽木家の名義で保有されているだなんて。

 

 朽木家の屋敷を訪れるのは、尸魂界に帰ってきてからこれで二度目だった。一度目は藍染に追い詰められていたために、屋敷をゆっくり懐かしむ余裕なんてなかった。しかし、今回は違う。

 姿を消しているため騒がれることもなく、何の遠慮もなく屋敷内を歩き回ることができる。そもそもが私の家でもあるのだから、遠慮なんて不要なのかもしれないけれど。

 

「ただいま」

 

 当主やその家族さえいないにも関わらず、屋敷内では多くの召使いたちが忙しなく立ち働いていた。彼らに対して、しかし彼らには気づかれないよう、小さな声で帰りを告げる。

 当主はおらずとも、住み込みで働く者たちはこの屋敷内で生活をしている。彼ら自身の寝食の準備や広大な屋敷の管理清掃の仕事は、どんな状況であろうと継続する必要がある、ということなのだろう。

 

 私が向かったのは、屋敷内で一番広い和室だった。記憶にある中では頻繁に迷っていたとはいえ、可能な限り隅々まで走り回った場所だ。間取りはある程度、把握している。

 

 程なくして目的の部屋を見つけ出して、私はその部屋へと滑り込んだ。後ろ手で障子を閉めつつ、そっと顔を上げる。

 

「……お久しぶりです」

 

 明かりを消し、障子を閉め切ったこの部屋は、真昼だというのに妙に暗く感じられた。その中で壁沿いに配置された祭壇、供え物。そして、遺影。薄暗い部屋の中で、その遺影だけが特別はっきりと克明に見えたような気がした。

 

 今まで、考えないようにしていた。その場しのぎで、頭の隅に追いやろうとしていた。

 それは、頭で理解していただけのことを目の当たりにして実感してしまった時、自分が動けなくなってしまうことを知っていたからだ。先日この屋敷に来た時は、そうやって動けなくなっている場合ではなかった。

 けれど、今は。

 

「遅くなってすみません……かあさま」

 

 薄いガラス板越しに笑う、その人の名は朽木緋真(ひさな)

 

 朽木家現当主の妻であり、私の母親である女性だった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 時間の感覚がすっかりなくなってしまった頃、ふと後ろから声を掛けられた。

 

「やはり、此処に居たか」

 

 ルキアだ。

 

 わざわざ振り返らずとも、その声と霊圧ですぐに分かる。そのくらいには、私は彼女と打ち解けていた。いや、打ち解けてしまっていたと言うべきか。

 

「……見えるの?」

「何だその、(プラス)のような台詞は」

 

 苦笑混じりに言われて、何気なく自らの腕を見る。確かにルキアの言う通り、"曲光"が解けてしまっていた。

 

「全く、心配したぞ。病室を離れるなら、伝言くらい残して――」

 

 ルキアの声が近づいてきて、そして私のすぐ右で不自然に途切れた。そこに至ってやっと、私は視線を遺影から外した。目だけ動かして右を窺うと、ルキアは私の顔を覗き込んだ姿勢で静止していた。

 

「なに?」

「あ……いや、その……」

 

 紫の大きな瞳をいっぱいに見開いていたルキアは、私の問いを聞いて慌てたように目を逸らした。

 

「……済まぬ」

 

 そして何故か、最後は謝罪に辿り着いた。

 

 不思議だった。気を遣うようなことは、何もないだろうに。

 

「もっと早くに、伝えるべきだった」

 

 あぁ、なんだ。そういうことか。

 それなら、ルキアが気にするようなことではない。

 

「大丈夫」

「だが……」

「家系図、見たことあったから」

「……そう、だったのか」

 

 ルキアはもう一度、「済まぬ」と呟いた。どうやら、さらに気を遣わせることになってしまったらしかった。

 

「ルキアは悪くないよ。知ってて受け入れられなかったのは、私だから」

 

 「嘘だ」とか「そんなはずはない」とか。そうやって現実逃避をして誰かの死を拒むのは、感情ある生き物として当然のことだ。

 

 しかし私の場合は、それとは少し事情が異なるのだ。

 

「私ね。何にも、覚えてないんだ」

 

 葬儀のことも。

 皆の思いも。

 私自身の思いも。

 

「最期の言葉さえ、分からない」

 

 ヒュ、と空気を吸い込む、ルキアの呼吸音が聞こえたような気がした。それの意味するところにまで頭の回らない私は、流れるように言葉を重ねていく。

 

「記憶の中ではちゃんと生きてたのに、家系図には死亡って書いてあるの。訳分かんないよね」

 

 商店の大人たちは、恐らくそれを知っていた。私の記憶が三歳までしか残っていないことと、朽木家の家系図に死亡したと記載されていること、その二つを併せれば誰だって分かる話だ。

 

「そんな急に『死にました』とか言われても、実感湧かないし。あぁそうですか、なんて受け入れられるはずがないし。だからって『そんなの嘘だ』とか言ってみても、書類上そうなってるんだから実際そうなんだろうし」

 

 けれど彼らは、一度たりともそのことに触れようとしなかった。私が知っていることに気づきながらも、父様やルキアのこと以外の話は全く振ってこなかった。

 

「だから一旦、考えないことにしてた」

 

 その気遣いが、ありがたかった。

 

「全部忘れて、頭から消して、今すべきことにだけ集中してたんだ」

 

 そうしないと、ルキアを救えないかもしれない。これまでいくつも取りこぼしてきたというのに、また失うかもしれない。

 

 それは、それだけは、どうしても避けたかった。

 

「母様ならきっと『構わない』って笑ってくれるだろうけどさ」

 

 私がどんなに酷いことをしても、母様はきっと怒らない。「貴女がそれで幸せなら」と笑って許してくれる。そんなことは分かりきっていた。それでも、私は。

 

「でもね。もしそうだとしても、私は……」

 

 そこから先を口にするのは何だか躊躇われて、私は言葉を呑み込むように黙り込んだ。

 

 その沈黙を、ルキアが破った。

 

「桜花」

「ん? うわっ」

 

 右からひょいと伸びてきた腕が、私の胸倉を掴んだ。死覇装が引っ張られて、無理矢理に右を向かされた。紫の瞳が、私を射抜く。

 

「良いか、よく聞け」

「ルキア? 何を――」

「おぬしの記憶は必ず戻ってくる」

 

 それは、断固とした言葉だった。

 絶対にそうなる、そうならなかったとしてもそうしてみせる。そんな宣言じみた言葉だった。

 

「だからもう、自分を責めるな。桜花は何も悪くない。そうだろう?」

「…………うん」

 

 しばらく間をあけて、私は小さく頷いた。その拍子に涙が一筋、頬を伝って落ちた。

 

 それを見て、どこまでも真剣で真っ直ぐなルキアの表情が、少しだけ緩んだような気がした。

 

「その時のことも、いつか必ず思い出せる」

「うん」

「そうしたらまた改めて、姉様に会いに来よう」

「うん」

「それに……」

 

 ぐい、とルキアはこちらに顔を近づけた。その目は、いたずらっぽく輝いている。先程まで私に気を遣って謝罪していたようには思えない、活力に満ちた表情だった。

 

「すぐに記憶が戻らずとも、おぬしには兄様や私がいる。芦谷も、同期の死神たちもいる。現世にだって、一護や級友がいる」

 

 一瞬思案して、それから付け加える。

 

「あとは……浦原商店の連中も、おぬしの拠り所なのだろう?」

「え……いいの?」

「良いも悪いもあるか。おぬし自身のことだろう」

 

 とはいえ以前のルキアは、私が『浦原桜花』として生活していることに対して、不快感を示していたはずだ。直後ある程度は認めてくれたけれど、それでも『朽木桜花』らしさの薄れた私に対しては、複雑な感情を抱いているに違いない。

 

「兄様も芦谷も恋次も皆、おぬしを否定したりしなかっただろう?」

「まぁ……そうだね」

 

 彼らは揃って、生きていて良かったと言ってくれた。芦谷に至っては、私が私であれば何だって良いと全肯定だった。「ありがたいが、むしろその方が異常なのでは?」と首をひねっていると、ルキアが私の死覇装から手を離して苦笑した。

 

「要するに私が未熟だっただけなのだ。おぬしがおぬしであれば、それで良いというのに」

「そんな……」

「本当に、良く帰ってきてくれた」

 

 染み入るような声で、ルキアは続ける。

 

「助けに来てくれて、ありがとう。危険な目に遭わせて、済まなかった」

 

 ルキアは謝らなくて良いと、そう言いそうになってすぐに止めた。

 謝罪も感謝も、それが心からの言葉である限り、受け入れないという選択肢は存在しない。相手が本気であればあるほど、それを断るのは失礼にあたるからだ。

 

「……うん」

 

 まずはそれらを受け入れる。その上で私は、私の思いをルキアに告げることにした。

 

「ねぇ、ルキア」

「何だ」

「私も一つ、謝らせてくれるかな」

「……崩玉、とやらのことか」

 

 その言葉だけで、私が何を言おうとしているか察したらしい。ルキアが先んじて、『崩玉』という言葉を出してきた。

 

「……知ってたんだ」

「浦原から、おおよその話は聞いている」

 

 ルキアによると、喜助さんは私から崩玉を抜き取った直後にこう言ったそうだ。

 

『藍染サンが持ち去った崩玉は偽物っス。本物はこの通り、朽木桜花の中に』

 

 そして付け加えたのだ。

 

 朽木桜花は何も知らない、全て自分の策略によるものだ、と。

 

「……へぇ」

「お、桜花……?」

 

 神妙だった思いが、一気にひっくり返ったような気がした。私の冷ややかな感情に気づいたのだろう、ルキアが恐る恐るといった体で私の中を呼ぶ。

 しかし、今の私にルキアを気遣う余裕はない。

 

「ふぅん。そういうことするんだ、あの人」

 

 全部自分で考えたことだと? ルキアに酷いことをしたのも、尸魂界に侵入したのも、全部が全部自分のせいだと?

 

 そうやって全ての罪を被るつもりなのか。

 大衆の面前で、私を利用していた証拠を見せつけることによって。私も含めて何もかもが自らの掌の上だと、周りに告げることによって。

 

 あぁ、そうか。そのために崩玉のこと、黙ってたんだね。最初からそのつもりだったんだね。

 

 そっかそっか。

 

「どうしたのだ……?」

「何でもないよ」

 

 ただ、喜助さんに飛び蹴りをかます計画に『馬乗りになってタコ殴り』が加わっただけで。

 

「よ、よく分からんが殺すなよ」

「まさかぁ、殺すわけないじゃん」

「おぬしのその言い方は信用できないのだが……」

「流石にそれはないってば」

 

 ボッコボコにはしてやるけど。全力で。

 

「まぁとりあえず、尸魂界的には()()なってる訳ね」

 

 内容は非常に気に食わないが、喜助さんがそうまでして作ってくれた『設定』だ。その裏に紛れもない善意が一欠片でも存在するのなら、いくら腹が立っても無下にしてしまいたくはない。

 

 となれば私はこれから「喜助さんに完全に騙されていた」ように振る舞えばいい、ということになる。

 

「でも、ルキアには。ルキアにだけは、本当のことを伝えておくね」

 

 唇を湿らせて、決意を固める。腹をくくる、と言った方が正しいか。

 

「私ね、最初から知ってんだ。崩玉をルキアに埋め込んでたこと」

 

 それが実は偽物だったってことも、私の中に本物があったってことは、知らなかったんだけどね。

 

 そう言って、苦く笑う。

 

 ルキアは、何も言わない。衝撃を受けているのか、はたまた怒りの感情を抱いているのか。それは分からないが、今の私にできることは一つだけだ。

 

「私は……藍染を倒すのに都合が良いからって、ルキアに酷いことをしてしまった。本当に、すみませんでした」

 

 ルキアの反応を見ることなく、頭を下げた。

 

 親族とはいえ記憶がなかったから。本来あったはずの情を失ってしまっていたから。理由はいくつも思いつくが、それはそれとしてそもそも人道的とは言い難い行為だ。仮に面識のない赤の他人であっても、やってはならないことなのだ。

 

 そんなことを漫画の中では独断でやってしまった、喜助さんの倫理観は一体どうなっているのだろうか。

 ふと頭を過ぎったそんな思考を、今は関係ないからと打ち消した瞬間だった。黙っていたルキアが口を開いたのは。

 

「……全く、おぬしという奴は」

 

 呆れの混じった、言葉だった。

 

「そのまま黙っておけば良いものを……律儀な奴だ」

 

 次いで顔を上げるよう言われて、私は恐る恐る頭を上げた。

 

「ルキア……? 痛っ!!」

 

 軽くジャンプしたルキアの、勢いをつけた拳が降ってきた。不意打ちで避けることもできなかった私は、それをモロに頭に浴びることになってしまった。痛い。

 

「これで、良いことにしてやる」

「へっ?」

「私は心が広いからな」

 

 涙目で頭を抱えていると、ルキアが胸を張ってそう言った。怒っているようには見えなかった。むしろ、笑っているような。

 

「それに……そんな顔をしている姪を責められる程、私は冷血漢ではない」

「……どんな顔だよ」

「そんな顔だ」

 

 思わず自らの顔に触れるも、いつもと変わらない感触しかなかった。いや、どんな顔だよ。

 

「そうだな……例えばおぬしは、浦原の奴のことを許してやれるか?」

「喜助さんを?」

 

 喜助さんを許してやれるか、かぁ。

 確かに私は今、喜助さんに対してめちゃくちゃに怒っている。それこそ、どう蹴ってどう殴るか計画を立てるくらいには。

 

「うーん、そうだな……気の済むまでボコボコにしたら……許す、かなぁ……たぶん」

「そ、そうか」

 

 けれどそれは、絶対に許さないとか死ぬまで恨んでやるとか、そういう類のものでは決してない。思う存分怒りをぶつけて、二度とそんな真似をしないよう説得することができれば、もうそんなことはさっさと忘れて次のことを考えられるだろう。

 

 私の返答を聞いたルキアは、頬を引きつらせながら言葉を続ける。

 

「まぁ、その……要するに、そういうことだ。私も、今の一発で気が済んだからな」

「あー……なるほど」

 

 私もルキアも、家族と呼べる人に非人道的なことをされた。そして、その人に対する思いもやはり共通している。

 

「私の性格ってさ」

「あぁ」

「もしかして、ルキアに似てる?」

「今気づいたのか?」

「前からそうかなぁとは思ってたけど、確信したのは今かな」

「ならば、これで納得できるだろう?」

 

 似ているのなら、同じ理屈で納得できるだろう。その理屈そのものさえ納得できてしまって、笑ってしまいそうになった。

 

 本当に、私は恵まれている。

 こうやって励ましてもらいながら、許してもらいながら、生きていけるのだから。

 

「……そうだね。分かった」

 

 ほぼ同じ高さにある瞳を見つめて、口角を上げる。

 

「ありがとう……ルキア」

 

 「構わぬ」と短く答えて、ルキアは嬉しげに笑った。

 

 

 




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