本来半年掛かる修行を二週間で終わらせようなどという、ちょっと頭のおかしい提案をしてきた喜助さんの言葉を遮って、本来の半年という期間で修行することになってから今日でやっと一ヶ月だ。
毎日の習慣となった修行場での走り込みにも慣れてきて、先週やっと霊圧感知の練習を始めた訳だけど。
「夜一さん夜一さん、霊力とか霊圧って本当にあるの?」
「あるに決まっとろうが。普通そこを疑うか?」
夜一さんと二人でこの修行を始めて五日ほど経ったのに、私はまだ霊圧のレの字も感じ取れていないのだ。きっかけさえ掴めれば、行ける気はする……が、何かが引っ掛かっていた。
そもそも、この修行自体に無理がある気がするんだ。
だって、今まで感じたことのないものを指して「霊圧は存在します、では実際に感じ取ってみてください、ハイ瞑想スタート!」なんて急に言われても、感じ取れるようになる訳がないでしょ。普通に考えて。
「どう見ても一緒じゃん、この紙……」
「どう見ても違うじゃろう。普通の紙と霊力でできた紙じゃぞ?」
私に課せられた修行はごく単純。一日一時間、霊体になった夜一さんの隣で瞑想をして、霊力でできた紙と普通の紙を見分けられるようになれば合格だ。
「え? 具体的に
「うむ……そうじゃな、普通の紙はただ単にカチッとしておるだけじゃが、霊力の紙はフワッとしておる割にカチッとしておる。全然違うではないか」
「うわぁ……全然分かんない……」
それのどこが具体的だ。擬音しかないじゃないか。これだから感覚派は……
一年ほど前に、流石に全裸は止めろと痺れを切らした私が突っ込んでからしぶしぶ服を着るようになった夜一さんだけれど、今日は黒猫の姿だ。そしてまだ幼い私は、部屋を出入りする際には
つまり全裸再び。
「そもそも見るんじゃなくて感じるんじゃ」
「……はあ、そうですか」
どこの熱血漢だ、と声を大にして言いたい。
やはり、こういう時は理論派の喜助さんに頼るに限る。
「夜一サンは頭が良い割に感覚派スからねぇ」
修行部屋を出て、一連の会話を喜助さんに伝えてみた。喜助さんは特に驚くこともなく、からからと笑ってそう言った。
「しかし霊圧感知に限っては感覚の問題スから、今回ばかりはアナタを手助けする訳にもいきません」
「そっか……残念」
助けてくれないなら仕方ない。相手が喜助さんの場合は粘っても勝てないと、この数年で学んでいる。
あっさりと諦めて背を向けた私に、しかし喜助さんはつけ足すように声を掛けてきた。
「そういや、一つ良いお話があります……アナタはもう霊体を見ることができる。それはひとえにアナタが霊圧を
「っ……!!」
ガバッと勢い良く振り返る。
喜助さんはいつもの含みのある笑みを浮かべていた。
「……そっ、か」
腑に落ちた気がした。喉元に突っかかっていた何かをちゃんと飲み込めた、そんな感じだ。
……手助けできないとは、よく言ったものだ。
「……ありがとう、よく分かった」
「そりゃ良かったっス」
お礼を言うと、私はすぐに踵を返した。そして、私達の会話を隣で楽しそうに聞いていた夜一さんと共に、再び修行部屋に戻ることとなった。
◇ ◇ ◇
――霊圧なんて感じたことがない?
どうやら私は、とんでもない勘違いをしていたようだ。
「何か、掴んだようじゃな」
「うん……ちょっと、やってみる」
「うむ」
今度は裸体のままあぐらをかいて岩の上に座った夜一さんの近くで、私もあぐらをかいて地面に座り込む。
そもそも霊圧とは何か。目を閉じて考える。
霊圧とは霊力を持つものから発せられる力そのもの、もしくはその力による圧力のようなものだと、私は勝手に理解している。喜助さんが一ヶ月前にしてくれた霊圧と霊力の説明と照らし合わせても、それほど的外れな理解ではないと思う。
さて、常人には感知することができない超常的な感覚である霊圧だけれど、何故か私はそれを
対してこの五日間、私がやろうとしてきたことは何だったか。
霊圧が既に感じ取れているなんて考えもせず、未だに感じ取れていない
霊圧を感じ取れるのが当たり前すぎて、そんな単純なことにも気づけなかった。馬鹿なのか阿呆なのか知らないが、少なくとも間抜けだったのは間違いない。
今現在当たり前のように感じている感覚の中から霊圧という存在を見つけ出すこと……それこそが、今回喜助さんから課された修行だったんだ。
意識を、全身の感覚に集中させる。
まずは触覚……ズボンを履いているとはいえ、土と石ころの硬い感覚があぐらをかいた足やお尻に伝わってくる。
嗅覚は……土と、あとは私の髪のシャンプーの香り。
味覚は……ここ三時間ほど何も食べていないから、特に何も感じない。
視覚は……目を閉じているから、何も見えない。
聴覚は……何も聞こえない。近くに夜一さんがいる気配はするけれど、服を着ていないからか衣擦れの音すらしない。
あ――そうか、気配だ。
霊圧とは、今感じているこの気配に近いものなのかもしれない。ならばと、夜一さんの気配に集中してみる。
夜一さんの気配。確かに今、夜一さんは私の隣にいる。さっき目で見たから分かるんじゃなくて、今そこにいることが何となく分かる。夜一さんはさっきと変わらず、近くの岩の上に腰掛けて――あれ?
そういえばこの人、いつの間に猫に変化して――
「夜一さんっ!!」
「うおっ! 何じゃ急に」
咄嗟に目を開いて、夜一さんの方を振り返る。
夜一さんは、
「夜一さんって、猫の姿と人間の姿で霊圧が変わったりしない?!」
「何じゃ、急に」
「いいから!」
先程と同じ言葉を繰り返した夜一さんに詰め寄る。
夜一さんは数秒、猫のアーモンド形の目をパシパシと瞬かせた後、口を開いた。
「霊圧の本質は当然変わらぬ。じゃが姿形が大きく変わっとる分、その形態は多少なりとも変動するじゃろう」
「よしっ!」
「何か分かったのか?」
「うん! もう一回やってみる!」
私の喜びように驚いたらしい夜一さんの問いに、思いきり頷いて応える。ようやくだ。ようやく糸口が見つかったんだ。これが喜ばずにいられるもんか。
私は再び座り込み、あぐらをかいて目を瞑る。
集中するのは夜一さんの気配――何故だろう、さっきよりも鮮明に感じ取れる気がする――その姿が猫であることを確認する。間違いない、普段の夜一さんとは明らかに形の違う気配をしている。
さて、今感じているこの気配こそが霊圧というものなら、私の中にも同じものが存在するはずだ。それが判別できれば、修行は大きく前に進むに違いない。
集中する。
さっき感じた夜一さんの気配。
あれと同じもの。
私の中……いや、私の中じゃなくて。
私の存在そのものから発せられるのが霊圧だから。
私自身に集中して、集中して、集中して……
――そして私は、
これって、もしかして……
私の身体から出ている、どこかモヤのようなモノ。集中力を保ったまま、意識を夜一さんの方へ向けてみる。すると、夜一さんからも同じモノが出ていた。
そうか、これが。
これこそが、今まで感じたことのない……いや、今まで当たり前のように感じていたせいで、特に意識したことのなかった――
「霊圧……見っけ」
◆ ◆ ◆
先程よりもぐんと上昇した少女の霊圧に、夜一は丸くなっていた猫の身体を伸ばして立ち上がった。
桜花が切羽詰まったように自らに詰め寄ってきた時は、何がどうなったのかと思ったものだが……これなら心配しなくても良さそうだ、と夜一は大きくあくびをした。
ここで桜花と生活を共にするようになってから早三年。出会った時から既に常人の域を逸していた桜花の霊圧は少しずつ、しかし着実に上昇し続けていた。浦原が本人には言わずに
全く……そういうやり方は、昔から少しも変わらない。
「相変わらず、不器用な男じゃのう」
するりと人間の姿に戻った夜一は、笑みと共に小さく
そして、未だ霊圧を垂れ流し続ける桜花に歩み寄り――その頭に拳骨を落とした。
「いったぁ!! 夜一さん何すんの?!」
「霊力切れでぶっ倒れるよりマシじゃろう」
「だからって殴らなくても……」
「で、どうじゃ? 何が霊圧か分かったか?」
涙目でぶつぶつ文句を言う桜花だったが、夜一がその隣に屈み込んでそう訊ねると、しかめっ面だったその顔が一気に輝き始めた。
「そうっ! 私やっと霊圧がどれか分かったんだ! 夜一さんのおかげだよ、ありがとう!」
「儂のおかげ?」
「うん。私が瞑想してる間に夜一さんが猫の姿になってて、それに目を閉じたままでも気づけたから、もしかしてって」
「あぁ、なるほど。それであのようなことを訊いてきたのじゃな」
「うん!」
桜花は、それはそれは嬉しそうなきらきらとした笑みを浮かべて大きく頷いた。
時たま大人びた態度を見せてもやはりまだ子どもか、と夜一は先程拳を振り下ろした少女の頭に、今度は軽く手のひらを乗せた。そして思う。
もし儂に娘がおったら、この子のように愛らしいものに違いあるまい……と。
霊圧に関しては自己解釈かなり入ってます。原作で描写がないなら創作するしかないじゃない?てな感じです。