傲慢の秤   作:初(はじめ)

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四十五、気安い関係

 

 

 

 あの真面目な隊長が、仕事を無理矢理切り上げて帰ってしまったと聞いて、六番隊副隊長の阿散井恋次はひどく驚いた。

 

 どうやらキリの良いところまでは終わらせていたらしいが、それにしてもこれは異常事態だ。誰とは明言しないが、どこぞの隊長は書類仕事から逃げてばかりだと聞いたことがある。が、自分の所属する隊に限ってそんなことはありえない。

 恋次の尊敬する上司は、職務をきちんと全うする人だ。だからこそ、書類仕事を好まない恋次もきちんと書類を完成させるよう日々努めているというのに。

 

 何かあったのだろうか? だとすれば、どうして副隊長である自分に一言もなかったのか?

 

 朽木隊長が帰ってしまったと部下から報告を受け、最初に恋次が考えたのはそれだった。しかし、そんな思考は報告してくれた四席から手渡された一枚の紙によって霧散することとなった。

 

『阿散井副隊長は本日の終業時刻以降、翌朝の始業まで自宅にて待機すること。詳細は追って説明する。朽木』

 

 間違いない。確実に、何かがあったようだ。

 

 まさか、ルキアの罪状に変化があったのだろうか。

 もしくは旅禍の侵入時、恋次が門の近くに居たことがバレた……とは考えたくないが、旅禍を危険視して警戒レベルが引き上げられたという可能性はそれなりに高いかもしれない。

 そのどれが正解なのか、恋次には判断がつかなかった。とりあえずは、隊長の指示に従う他なかった。

 

 そうして、恋次は今日の仕事をつつがなく終わらせた。もちろん終業後は指示通り帰宅して、部屋で待機していた……のだが。

 

「……い、起き……! あば……れ……じさん!」

 

 遠くから、何やら声が聞こえる。

 囁いたような声量のそれを上手く聞き取ることができなくて、恋次は重たいまぶたを上げようと努力する。

 

「起き……下さ……って」

 

 そういえば、朽木隊長に自宅待機を命じられて、指示通りに自宅で知らせを待っていて、それから……知らぬ間に寝て……

 

「あぁもう! 起きろってば! この赤パインが!」

「誰が赤パインだ……」

 

 何となく懐かしいような気のする悪口に、寝ぼけたままぼやくように反論する。そして、気づく。その声に、聞き覚えがあることに。

 

「……ルキアか?」

 

 本当はもう一人候補がいた。けれど、数十年前に忽然と行方をくらましたその友人が、今ここにいるはずがない。だからといって、朽木ルキアが今ここにいるはずもないのだけれど。

 

 そこに至ってやっと、完全に目の覚めた恋次は勢い良く飛び起きる。

 目に飛び込んできた、その姿は。

 

「違います。残念ながら」

「お、お前っ……何で……?」

「初めまして……いや、その様子だと『久しぶり』の方が適切なのかな」

 

 先ほど候補から外した、昔の友人。

 朽木白哉の一人娘にして、朽木ルキアの姪っ子である少女。

 

「じゃあ改めて。お久しぶりです、阿散井恋次さん」

 

 朽木ルキアによく似た顔で、少女はどこかよそよそしい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 あんぐりと口を開いたまま私から視線を外そうとしなかった阿散井恋次は、我に返った途端に凄まじい形相で私を質問攻めにし始めた。

 

 それがもううるさいのなんのって。

 

「何ぃ?! 記憶喪失?!」

「えっと、もう少し声を落としていただけると――」

「記憶喪失ってなんだよ!! じゃあお前は俺たちのこと覚えてないってのか?!」

 

 うるさい。

 私、夜陰に紛れてこっそり接触しようとしてたんだけど。人の話も聞かないし。何なのこいつ、馬鹿なの?

 

「ちょっと、静かに――」

「じゃあルキアのことは?! まさか、隊長のことまで――痛ェ!!?」

 

 簡潔に言うと、手が出た。グーで思いっきり。

 疲れやストレスのせいで、気が立っていたのかもしれない。そうやって自分を正当化して、私は再び拳を握り直した。

 そして記憶上初対面という被るべき猫をかなぐり捨てたまま、阿散井恋次の前に仁王立ちする。

 

「うるさい。人の話を聞け」

「お、おう。悪い」

 

 よし、これで話がしやすくなった。

 満足して大きく頷く。すると懐かしむような、それでいて呆れ返ったような表情を向けられた。

 

「お前……変わらねぇな……」

「へ? 何がです?」

「キレたら手足が出るの」

 

 おっと。記憶上とはいえ初対面の人に対してこれは良くない。

 初対面で上下関係ができてしまった、一護の二の舞は避けなければ。

 

「あー……ごめんなさい。私、昔からこうなんですね」 

「昔からっつーか、お前はずっとそうだろ。まぁ、ルキアも同じだけどな」

 

 どうやら記憶をなくす前かららしい。

 駄目でしょ。朽木家の令嬢だろうに。いや、今もだけど。

 

「ていうか、その気持ち悪ィ口調をなんとかしろよ。何で敬語なんだよ」

「いやぁ、記憶では初対面の人に対してタメ口はどうかと思いまして……砕けた方が良いですか?」

「当たり前だ。気持ち悪ィ」

「じゃあ阿散井さんって呼ぶのも?」

「止めろよ、気持ち悪ィ。恋次でいい」

「……気持ち悪い気持ち悪い言わないでよ、流石に傷つくから」

「んなもんで傷つくようなタマかよ」

「ちょっと、扱い雑じゃない?」

「いいんだよ、お前はこんなもんで」

「…………」

 

 彼とは真央霊術院の同期だったということは、現世で名簿を目を通したから知っている。彼だけじゃない、ルキアと吉良イヅルと雛森桃、それから本来は別のタイミングで入学していたはずの()()()()も、私の同期だった。

 だから、私が阿散井さんを恋次と呼び捨てにしていたというのは何も不思議なことではない。

 

 しかし、こんなに雑な感じで応えられるとは……一体昔の私は恋次に何をしたんだ。記憶がないことにはずっとモヤモヤしているけれど、これはそれとは違う方向性のモヤモヤだ。かなり気安い関係だったみたいだけど……少なくともただの同期というだけではなさそうだ。

 

「なあ」

「何?」

「ホントに桜花なんだよな」

「え? うん、まぁ……」

 

 少しの沈黙の間にどんどん真顔になっていった恋次が、大真面目にそう訊ねてきた。

 入れ墨だらけの派手な見た目に反して、真摯な眼差しだった。急にそんな目を向けられると、面食らってしまう。

 

「隊長には会ったのか?」

「……会ったよ」

「ルキアには?」

「うん」

「そうかよ」

 

 恋次はついと視線を逸らして、ぶっきらぼうに言った。

 そして、結ばれた髪が邪魔になっているのを気にも留めずに、再度畳の上に仰向けに寝転がる。

 

「あーあ、ったくよ……」

 

 腕が乱雑に投げ出される。

 私は何も言わずに、そんな恋次を見下ろした。

 

「帰ってきたら思いっきり怒って、思いっきり説教してやるつもりだったのによ」

「…………」

 

 つもりだった。ということは、今は。

 

「散々心配掛けまくって、ルキアを泣かせて、隊長を追い込んでよ。それなのに何食わぬ顔でひょっこり帰ってきやがって。挙げ句、記憶喪失だったとかとんでもねぇこと抜かしやがって。何かもう、怒ってんのが馬鹿らしくなってきたぜ」

「……ごめんなさい」

 

 容赦なく抉ってくる言葉を、ただ静かに受け止めようとした。けれど、口をついて出るのは安易な謝罪のみ。この手の追求は何度もされているはずなのに。慣れることはできないらしい。

 

「ちげーよ。ホンット馬鹿だなぁ、ルキアといいお前といい」

「……へ?」

 

 違うって、何が?

 

 疑問を口に出す前に、続けざまに罵倒された。

 何? 今の会話のどこに馬鹿な要素があったの?

 

 何も分かっていない私をじっと正視して、このまま待っていても答えは永遠に返ってこないことに気づいた恋次が、大きなため息をついた。そして、ひょいと軽々起き上がると私に背を向けて胡座をかく。

 

「ちゃんと生きてっから許してやる、つってんだ」

 

 ――あぁ。こういう、関係性だったのか。

 その時、私はやっと理解した。

 

「それくらい分かれ、馬鹿野郎」

 

 不器用な人だなぁ、と思った。

 今の雑な言葉だけで、私の罪悪感をいとも簡単に和らげてしまうなんて。

 

「恋次」

「あ?」

「ありがとう」 

 

 感謝の意を伝えると、ふは、と少しだけ楽しそうに鼻で笑われた。

 

「……うるせぇよ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 私が阿散井恋次に伝えたのは、ルキアを助けるために私や一護たちが尸魂界に乗り込んでいるということ、それから私から聞いた話を誰にも言わないことのみだった。

 

 それ以外には本当に何も言っていない。こんな猪突猛進男に詳細まで伝えたら、それこそ何が起こるか分かったもんじゃないからだ。

 それに、恋次はこれから藍染惣右介に直接声を掛けられる()()だ。もし藍染が犯人だと知っていて「朽木ルキアの処刑の件、不自然だと思わないか」みたいなことを本人に訊かれたら、恋次みたいなタイプは確実に挙動不審になる。挙動不審になった結果、藍染に『知っている』ことを知られてしまい、殺されてしまいかねない。

 

 けど、きっと父様は違う。

 

 そう思っていた。

 

 隊首会で何度も藍染と顔を合わせても、恐らくボロは出さない。いくら存在そのものか化け物じみた藍染が相手でも、親しい者にしか感情を読み取れない、あの鉄壁の無表情を破るとは思えなかった。

 

 『思っていた』。そして、『思えなかった』。

 過去形なのは、つまりそういうことである。藍染は、あの時父様が若干浮かれていたことに気づいていた。そして、そこから生まれた疑念に従って父様の後を追った。私の存在も、藍染からすればただの想定内だった訳だ。

 

『あの状況下で敢えて彼らの名前を出したってのは悪くない策だったと思います。ただ、相手が悪かっただけっス』

 

 図らずも藍染と似たようなことを言った声は、父様とは違う意味で感情の分かりにくい喜助さんにしては、意外なほどに苦々しげだった。

 

 まさか、あそこで本気で仕掛けてくるとは。流石の喜助さんも予想すらしていなかったらしい……いや、それは言い過ぎか。想定し得る可能性の中で最悪から二番目のものがきてしまった、くらいかもしれない。

 

「ねむ……」

 

 ぼそりと呟いて、欠伸を噛み殺そうとした。したけど、できなかった。眠い。

 

 恋次の部屋を辞して、安全そうな場所を見つけて、それから姿と霊圧を隠したまま一眠りしようかと思った訳だけれど。あんなことがあった直後に敵地のど真ん中でグースカ寝こけられるほど、私の神経は図太くなかったらしい。

 だったら夜一さんと喜助さんの秘密の修行場とやらに行けば良い話だが、そうする訳にはいかない。私一人なら寝込みを襲われる程度ですむけれど、あそこが知られてしまうと他の人達にも危険が及ぶからだ。万が一ということもある、止めておいた方が良さそうなら止めるべきだ。

 

 寝ぼけた頭に染みるような朝の陽光に、目を(すが)める。縮こまって外套に包まっていた身体をゆらゆらと起こして、思い切り伸びをする。

 

 私は姿を隠したまま簡単に身支度を整えると、一夜の宿にした茂みの陰から出ていった。

 

 

 向かう先は五番隊隊舎。

 

 敵の親玉の本拠地である。

 

 

 




桜花のすぐ手や足が出るところはルキア似だったり。

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