三十九、わからない
目が見えない。
音が聞こえない。
匂いが分からない。
霊圧さえも、感じられない。
なにも、わからない。
「……最悪だ」
ポツリと呟いた……が、そんな自分の声すらも耳に届かない。果たして私は本当に呟いたのか。それすらも知りようがない状況下で、私は妙に冷静な頭に思考を巡らせていた。
「っ……!」
恐らく、背中を袈裟斬りにされた。
今までとは桁の違う激痛に、触覚は消えてても痛覚は消えないんだな、と今更なことに気づく。
私の五感が『こう』なる前から、傷はいくつも負っていた。だから、その分の疲労や痛みが重なって、とうとう足の力が抜けてしまった。直後、膝と胴体に響くような痛みを感じたから、恐らく私は地面に倒れ込んでしまったんだろう。
――私、死ぬのかな。
この度の騒動はどう終結するんだろう?
その時ふと、左胸にチクリとした痛みを感じた。
刃先を突き立てられたのか。
そう気づいたものの、抵抗できるほどの体力も気力も残ってはいなかった。抵抗したってやられるのは時間の問題だ。こんな、相手の独壇場じゃ、もうどうしようもない。もう、諦めるしかない。
「ねぇ、本当にそれで良いの?」
不意に、声が聞こえた。
何だ、
どうやら斬魄刀の声は、消されてしまった五感には含まれないらしい。
「諦めるの?」
完全に止まってしまった体感時間の中、真っ暗な世界で声だけが響く。
「諦めるも何も、死神だって死ぬ時は死ぬんだよ」
「死んでも、良いの?」
だって仕方ないじゃん。だって、だって。
言い訳じみた「だって」が空回る。
一体私は何から逃げようとしているのだろうか。
「いなくなっても、良いの?」
私がいなくたって、世界は正常に廻り続ける。
「きみは、生きたくないの?」
だから、大丈夫だ。私がいなくても、大丈夫。
「きみは、死にたいのかい?」
大丈夫だから……
「私は――」
◇ ◇ ◇
土埃が落ち着いてきた頃を見計らって、私は織姫と共に地面へと降り立った。
「おーい皆、生きてる?」
「生きてるわっ!!」
流石は一護だ。特に怪我もないようで、地面に胡座をかいて私を睨みつけていた。石田とチャドも無事のようで、のそのそと起き上がっているところだった。
「お前、普通あそこで攻撃するか?! 自由落下だぞ!? 死ぬわっ!!」
「ごめんごめん。でもピンピンしてるじゃん」
「結果的にはな!」
ずいぶんと不満げな様子だけど。でも、ちょっと考えてほしい。
「右手に一護、左手に織姫。そのうちどちらかしか支えられないあの状況で、織姫を振り落とす訳がないでしょ。ねぇ二人共」
「……ああ」
「確かに、仮に僕でも黒崎を落とすだろうな」
「ぐっ……」
「えっと……何か、ごめんね?」
「……いや、井上は悪くねぇよ」
チャドも石田も、私に同意して頷いた。
一護も私の言葉に同意してはいるようで、謝った織姫に「まぁ、お前が無事で良かった」と少しだけ照れたような声で言った。
それをニヤニヤしながら眺めていたら、一護に頭をはたかれた。女の子になんてことを。
「あ! そういえば夜一さんが……」
「そうだ、夜一さん! 大丈夫なのかよ、猫なのに――」
「誰の心配をしとるんじゃ」
「夜一さん!」
猫の姿の夜一さんが、何食わぬ顔でひょいと現れた。こういう場面で夜一さんの心配をするのはお門違いだ。何せ、"瞬神"だし。
「夜一さんは私より速いから大丈夫だよ」
「……は? 猫なのに?」
「猫なのに。速度で勝てた試しがないし、これからも勝てる気がしないし」
「へぇ、そうなんだ!」
感心した織姫が楽しそうに笑った。
そんなやり取りをしつつ、私はそれとなく周りの様子を伺っていた。あちらこちらから人の気配が感じられるものの、誰一人として姿を現そうとしない。警戒しているんだろう。それも当然だ。
「じゃ、私そろそろ行くから」
「は? 行くってどこに?」
一護が素っ頓狂な声を上げた。
「あれ、言ってなかったっけ? 私、今回は別行動なんだよ」
「はぁ? 聞いてねぇよ」
そりゃ、聞いてないだろう。言ってないんだから。
「なぁ、今度は何を企んでんだ?」
「やだなあ、企むだなんて人聞きの悪い。そんな後ろ暗いことはしないよ。ただ、ちょっと暗躍しようかなって」
「暗躍の方が後ろ暗いだろ」
「どっちでも良いじゃん」
「お前が言ったんだろうが」
図らずもツッコミ役に徹することの多い一護が、いつものように雑な私の返事に突っ込んだ。それから、呆れたような表情のまま言葉を続ける。
「お前さ、前から思ってたけどよ」
「ん?」
「浦原さんに似てるとこ、あるよな」
「…………」
何てこった。心外だ。
いろんな意味でそれはない。そう信じたい。
だって喜助さんだよ? あのマッドで変態な科学者と、私が似ているだって?
「参考までに……どの辺が?」
「喋り方とか、言い回しとか。緩い感じが、何となく」
「…………」
え? 私って人から見るとあんな感じなの? 嘘だぁ。
「そんなに嫌そうな顔をしてやるな。喜助が泣くぞ」
全自動地雷製造機の本領発揮だ。私がこれを食らうのは、小学生の頃の夏祭り以来か。
だなんて下らないことを考える私を見上げた夜一さんが、猫の顔でも分かるくらいニヤニヤ笑いながら言った。
そして、そんな私たちを複雑そうな目で見る人が三人ほど。
「桜花ちゃん、大丈夫なの? 一人じゃ危ないよ」
「確かに、敵地で単独行動はちょっと……」
織姫は不安げに私を見つめ、石田は「それは駄目だろう」と眉をひそめる。黙ったままなチャドも、なにか言いたげではあった。
「現状、おぬしらの中で一番強いのは桜花じゃ。隠れて動くだけなら、むしろ一人の方が楽なくらいじゃろうて」
織姫やチャドはその言葉を聞いて納得したようだったけれど、石田はさらに眉間のシワを深くさせていた。さらっと足手まとい扱いされたことが不満なんだろう。
「じゃ、そういう訳だから。そろそろ行くね」
「気をつけろよ」
「うん、ありがとう」
そんな彼らに私は軽く手を振って、瞬歩でその場を離れた。
離れるなり、懐から取り出した霊圧遮断型外套を頭から被った。そして――
「ちょっとヒドくないっスか?」
「だって嫌だし」
思いの外近くから聞こえた声に驚きつつも、その問い掛けには正直に答える。
「流石のボクも泣きますよ」
「嘘つけ」
泣く、だなんて。言葉面だけ見るとは悲しそうだけれど、実際その声色に負の感情は含まれていなかった。むしろ楽しげですらあるくらいだ。
「ま、その様子なら大丈夫そうっスね」
「うん。大丈夫みたい」
「では作戦通り、頼みますね」
「了解」
短く返して、それから“
外套がなくとも霊圧を隠すことはできるが、姿を消すことはできない。以前雲透が「できなくもない」といったことを仄めかしていたから、もしかしたら将来的にはできるようになるのかもしれないが。
「……気をつけて、くださいね」
足を一歩踏み出したその時、独り言のような小さな声が聞こえた。私は振り返りもせず、足を止めようともしなかった。
ただ、五歩目に一言。
「……喜助さんもね」
お久しぶりです。
お待たせしてしまって、すみませんでした。
尸魂界篇を全部書き終えてからまとめて投稿しようと思っていたのですが、このままではいつまでたっても終わりそうにないと判断したので、今できている分だけでも小出しにしていくことにしました。
今後も投稿は続けていくつもりです。
よろしくお願いします。