物憂げなルキアが、何も気づいていない一護と帰宅するのをこっそり見送ってから、私も浦原商店へと帰宅した。
店先に大人三人の姿はなく、ジン太と
「お、帰ってきたか」
「おかえりなさい……」
「ただいま。大人組は地下?」
「あぁ。何か知らねーけど、ピリピリしてるぜ」
どーしたんだよ一体、と問うジン太の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。反対の手で、同じように雨を撫ぜる。
「うわっ! 止めろよ桜花!」
「えへへ……」
照れたように頬を染めて私の手を受け入れた雨と違って、ジン太はすぐに手を振り払ってしまった。
「そんなんじゃ、誤魔化せねーからな!」
「あら残念。いけると思ったのに」
「おい!」
「はは、冗談だよ。冗談」
この子たちもどんどん成長して、賢くなっていく。
だからこそ、全てを黙っている訳にはいかない、か……
「そうだなぁ……じゃあ、
「うん……それは、何となく」
時間はある。
少しだけ話をしても、今夜の邂逅には間に合うハズだ。
私は、離れて座っていた二人の間に腰掛けた。
「実はね、今朝から尸魂界の死神がこの町に派遣されてるの」
「はぁ? 何で?」
「ルキアを捕まえるため」
「え……」
二人の顔が驚愕に染まる。
「何でだよ、アイツ何かしたのか?」
「あー……そこからか」
いつものごとく、喜助さんは秘密主義らしい。
子どもたちに伝えていないだけではなく、共犯者の私にも隠し事をしていることも多々あるから本当に笑えない。報連相、大事。
「死神の力を人間に渡すのは、尸魂界において重罪。ルキアは、その罪を犯してしまった」
「もしかして、その人間って一護っつー奴のことか?」
「そう、黒崎一護。私の幼馴染だよ」
「……すごい、偶然だね」
雨がぽつりと呟いた。
その言葉に、ジン太がハッとした顔をする。
「そうだよ! そんな偶然あるか? たまたまこっちに来た死神が叔母さんで、ソイツがお前の幼馴染に力を渡すなんてよ!」
「うん。普通はないよね。だからこそ、それが本当に偶然かどうか調べなきゃならない」
BLEACHの悪役は、藍染惣右介だ。
一護が死神になったのも、一護がルキアに出会ったのも、全て藍染の計画によるものだ。だから、それらの事象は偶然ではない。
けれど、イレギュラーな私が『この時期にこの町にいる』という事実まで、藍染のせいにすることはできない。
だから、調べなければならない。
「尸魂界だって馬鹿じゃないから、いつまでもルキアを隠しておくことはできない。だから今回は様子見のつもりでいるんだよ」
「え? 止めないの……?」
「うん、止めない」
「それって……アイツを見捨てる、ってことか……?」
「簡潔に言えば、そうなるね」
血の繋がった身内を見捨てる。
その言葉は、子どもたちに少なからずショックを与えてしまったようだった。
「そんな……」
雨が悲しげに俯いた。ジン太は、複雑そうに目を彷徨わせていた。
しかし、「優しい子ね」と二人の頭に再度伸ばしかけた手は、すぐに止めざるを得なくなってしまった。
次いで放たれた、雨の言葉が原因だった。
「じゃあ……私たちのことも、いつか見捨てちゃうの?」
「っ……!?」
――私たちのことも、いつか見捨てちゃうの?
たったそれだけの言葉が、胸の中で重石となってのしかかってきた。
私は息をするのも忘れて、二人の顔を凝視することしかできなかった。
血の繋がった身内を見捨てるつもりでいること……それから、血の繋がった身内を騙して崩玉を埋め込んだこと。
私のやっていることの非人道性を、改めて叩きつけられた思いだった。
お前がやったこと、やろうとしていることは、そういうことなんだぞと警告された気分だった。
「雨……ジン太……」
私が、二人を見捨てるハズがない。
浦原商店の皆、クラスの友人たち、黒崎一家、そして尸魂界の父様と母様。彼らのことを、私は見捨てることができない。
しかし……果たしてその中に、朽木ルキアは含まれているのだろうか。
「これだけは、信じてほしい。私には、雨とジン太を見捨てることはできない」
「でも……本物の家族のことを見捨ててんのに、偽物の家族を見捨てないってのもオカシイだろ! だから――」
「おかしくないよ」
ジン太の言葉を遮って、言った。
おかしくない。
おかしいのは私の思考であって、私と子どもたちの関係は何もおかしくないんだから。
「確かに、私のやっていることは赦されることじゃない。でも……だからといって、私たちの関係が紛い物だとは限らない。それとこれとは、別の話なんだよ」
「別の、話……」
「そう。例えば、喜助さんと知らない他人が
「他人だろ」
「え……即答?」
「だって……キスケさんなら、虚くらい倒せるもん」
「あぁ、そりゃそうだ」
例えが悪かったか……じゃあ、これなら。
「単純に……喜助さんと他人、どちらかが死ななきゃいけなくなったら、どっちに生きててほしい?」
「そりゃキスケさんだろ」
「私も……」
「でしょ? それと同じで、私にも絶対に見捨てられない人たちがいる。その中にはもちろん、血の繋がりのない人だっていて……雨とジン太も、その中に入ってる」
だから、不安に思う必要はない。そんな、捨てられた仔犬のような
そんな思いを込めて、両腕で二人を抱き寄せた。
今回はジン太も、私の腕を拒絶しようとはしなかった。
「そっか……ならいいや」
「……うん、分かった」
二人が頷いた感触が両肩に伝わってきた。
そして、ジン太が言った。
「……なあ。あのルキアってやつは、その中に入ってないのか?」
「…………」
私は、その問いには答えられなかった。
◇ ◇ ◇
時刻は深夜一時を回り、草木も眠る丑三つ時まであと少し。喜助さんと私は、空座町上空に佇んでいた。
霊圧を完全に隠蔽できる私は普通の死覇装姿で、喜助さんは霊圧を遮断する外套姿で。さらには"曲光"まで掛けて、準備は万端だ。
これで、私たちがここにいることは誰にも判別できない。
「いよいよっスね」
「うん」
「大丈夫っスか?」
「うん」
「彼らに話し掛けちゃ、駄目ですからね」
「うん」
「……えーっと、桜花サーン?」
「うん」
朝からずっと捕捉していた二人分の霊圧は、今もなお動き続けている。それらが止まるその時を、私たちはこうして待ち続けている。
「……喜助さん」
「ハイ」
「私が変な真似したら、止めてね」
「何スか、変な真似って」
「…………」
「はぁ……しょうがないなぁ……」
「ありがと」
うんざりしたようなため息が聞こえた。
私は呟くように礼を言って……そして、気づいた。
二つの気配が一箇所に留まっているということに。
「……行きますよ」
「うん」
私たちは、ほぼ同時に宙を蹴った。
二つの気配にぐんぐん近づいていく。
一つは知らないもの。恐らくは、阿散井恋次のものだ。
そして、もう一つは――
「とう、さま……」
姿が見えた。
屋敷でよく見た、隊長羽織なしの死覇装。
僅かに残った記憶の中のものと、同じだった。
何も、変わっていない。
あの時の姿形のままの朽木白哉が、そこにいた。
◇ ◇ ◇
父様に抱きかかえられて隊舎を訪れたことが、一度だけあった。
本当は何度も行ったことがあったのかもしれない。けれど、私の記憶の中に残っているのは、その一回のみだった。
あれは、私が尸魂界に生を受けて二年ほど経った頃だった。まだ早くは歩けなかった私は、父様の腕の中の高い目線から、立ち並ぶ隊舎の様子をまじまじと見つめていた。
「あれ? 隊長、今日は非番では?」
「あぁ、野暮用だ。気にするな」
「こんにちは!」
「あら、こんにちは。娘さんですか? 可愛いなぁ……」
「当然だ」
話し掛けてきたのは、恐らく六番隊の上位席官だったのだろう。でなければ、私服姿の父様を六番隊隊長だと判別した上で、とっつきにくい父様に気軽に話し掛けるなんてことはできないハズだ。
父様は親馬鹿な台詞を素っ気なく吐くという器用な真似をしてから、また歩き始めた。私が肩越しに彼女に手を振ると、席官らしき女性死神は笑顔で振り返してくれた。
「どこにいくのですか?」
「十三番隊舎だ」
「じゅうさん?」
「そうだ。浮竹隊長が連れてこいと喧しくてな」
浮竹隊長!
生まれてこの方、ほとんど家から出たことがないから実感がなかったけれど、ここは瀞霊廷だ。さらには父様が隊長だから、他の隊長や貴族とも関わることができる。
あぁ、もっと産まれるのが早ければ、四楓院夜一とか浦原喜助とか、
まぁ、だからといって現状に不満がある訳ではないんだけど。
父様の歩くスピードは、その高身長に見合うだけ速い。だから、私がそんな脳天気なことを考えているうちに、目的地に到着してしまった。
「邪魔をするぞ」
「白哉か、いらっしゃい」
「よく来たねぇ。お、その子が娘さん?」
庭園の池に面した離れにいたのは、ストレートな白髪の男性と、癖毛な黒髪の男性の二人だった。
「……何故、兄まで居るのだ」
「別に良いじゃない、ボクも会いたかったんだよ」
呆れの混じった父様の言葉にへらりと笑うのは、八番隊隊長の京楽春水だ。まさか、この人にまで会えるとは思わなかった。
「はじめまして、くちきおうかともうします」
「おぉ、そうかそうか! 偉いなぁ、挨拶もできるなんて」
ともかくまずは挨拶だと小さく頭を下げると、二人の隊長は分かりやすく相好を崩した。
「俺は浮竹十四郎。十三番隊の隊長をやってるんだ」
「ボクは京楽春水っていうの。よろしくね」
二人の雰囲気はひたすらに柔らかい。父様以上の実力者であることを忘れさせるくらいだった。
「うきたけさまと、きょうらくさま?」
「そうそう。あ、ボクのことは春水でも良いよ」
「え? しゅんすいさ――」
「桜花、普通に京楽と呼べ。それから『さま』ではなく『さん』で構わぬ」
「あ……はい、わかりました」
被せるように注意した父様に、大人しく頷いてみせた。言葉遣いを綺麗にしろと言われることはあっても、「この程度で構わない」と言われることは初めてだった。
「あらら、残念……」
「余計な真似はしないでいただきたい」
「はは、お前も人の子だな」
立派な親馬鹿じゃないか、と浮竹さんが笑う。
確かに『春水様』っていうのは、ちょっとアレかもしれない。だからといって『様』呼びを回避させた父様も、ちょっとアレだと思う。
これは将来、私が夫となる人を見つけた時に「娘が欲しくば、私を倒してみよ」とか言いそうな感じだ。何だか嬉しいような、大変なような。
「あぁそうだ。お菓子はいるかい?」
にこにこ笑っていた浮竹さんが何かを思いついたように手を打った。
「はいっ!」
お菓子はほしい。私は元気良く頷いて、父様の腕からするりと抜け出した。「あ」と小さな声を漏らした父様を尻目に、畳に並ぶ湯呑みを蹴飛ばさないように浮竹さんの元へ駆け寄る。
「大福は……まだ早いか。喉に詰まらせたら大変だからな。他には、煎餅と饅頭と金平糖と羊羹と……あとは苺もあるけど、どれがいいかい?」
「……ちょっと多過ぎやしないかい、浮竹」
「そうか?」
浮竹さんの膝に乗せられて見ていると、まぁ出てくる出てくる。和菓子だけでなく果物まであるとは流石に思わなかったが。
それだけ種類があると迷ってしまう。私は少しだけ考えて、手を汚さず簡単に食べられる金平糖を選んだ。
「えっと、じゃあこんぺいとうください」
「金平糖か。ほら、どうぞ」
「わぁ! ありがとうございます!」
浮竹さんが開けてくれた瓶には、色鮮やかな金平糖がぎっしり詰まっていて、食べるのがもったいないくらいに綺麗だった。
私は薄桃色のものを一粒つまみ上げて、じっくり眺める。そして、もったいぶって口の中に転がした。桃風味の優しい甘さが、ほんのりと口内に広がる。
「おいしいなぁ……」
「そうだろう? 俺のお気に入りの店のなんだ」
「岩戸庵のやつかい? ボクももらおうかな」
「白哉もどうだい」
「済まぬが、甘い物は苦手なのだ」
「そうか……なら、この激辛煎餅はどうだ?」
「……頂こう」
私と母様が甘い物好きなのに対して、父様は辛い物に目がない。父様が手に取った煎餅は真っ赤な粉がまぶしてあって、「私は辛いですよ」と激しく主張していた。
そんなのよく食べられるよなぁ、と遠い目をしていた私だったが、急な来訪者の声で我に返ることとなる。
「隊長ー! 休憩中すいません、こないだの書類のことなんすけど――」
ひょい、と離れの簾をめくって顔を覗かせたのは、目つきの悪い黒髪の青年だった。青年は私たちの存在に面食らったように瞬きを繰り返し、そしてバツの悪そうな顔をした。
「あー……失礼しました。隊長方がいらっしゃってるとは……」
「良いよ良いよ、気にしなくて。ねぇ、朽木隊長?」
「あぁ」
「ありがとうございます」
京楽さんが気にするなと笑い、父様は落ち着いた様子で頷いた。二人の怒気のない反応に、死神の青年は安堵したようだった。
「急用かい? 海燕」
「はい、実は――」
カイエンと呼ばれた青年は、さっと真面目な表情になって話し始めた。ただ、未だに浮竹さんの膝の上に納まっている私の存在が気になるのか、ちらちらと私に注意を向けているのはご愛嬌だ。
カイエン、と聞いて思いつくのは志波海燕ただ一人。志波家の長男で、槍型で流水系の斬魄刀を操る十三番隊副隊長だ。
今はこうして何事もなく立っているけれど、彼は十数年、もしくは数十年の後に亡くなってしまうことを私だけが知っている。
何だか複雑だなぁ、とどこか他人事のように感じながら金平糖を口へ運ぶ。何気なく彼の顔を見上げると、目が合った。どうやら急用とやらは片付いたらしい。
「それで、この子はどうしたんです? 隊長の親戚とか?」
やはりずっと気になってはいたようで、志波さん――いや、志波さんだと紛らわしいか――海燕さんが浮竹さんに訊ねた。
「いや、白哉の娘さんだよ」
「……は?」
浮竹さんの隣にしゃがみ込んで私の頬をつついていた海燕さんが、私の頬に指をくっつけたまま静止した。
「くちきおうかともうします。はじめまして」
「お、おう……はじめまして……?」
固まってぎこちなく答えた海燕さんは、数秒で全てを理解したらしく、ブリキ人形のように不自然な動きで父様の方を向いた。そっと頬から指を離す。
「……あの、朽木隊長。すみません」
「構わぬ」
「かまわぬ!」
元より、父様も私も大して気にしていない。
場を和ませようと父様の真似をして胸を張ると、父様を除く大人たちが吹き出した。
「ははは、そっくりじゃねぇか」
海燕さんが、笑いながら私の頭を撫でる。
「俺は志波海燕、よろしくな!」
「はい!」
その笑顔は、まるで太陽だった。
ありふれた表現だけれど、それ以外に当てはまる言葉が見当たらなかった。
おそらくこれが、こういうふとした時の表情が、この世界の主人公とされる少年と似ていると言われる所以なんだろう。
そう密かに思って、私もにっこり笑ってみせた。