とりあえず、浦原商店の地下に場所を移した。
長くなるからとストーリーを大幅に端折りつつ、私の知っている限り全ての出来事の始終を話した。喜助さんは、私の夢物語のような話全てを信じた。信じてくれるだろうと、分かっていた。その上で、私を受け入れてくれるだろうということも。
だから言わなかったのに。信じてもらっては困るから、告げないようにしていたのに。
「これで、物語の歯車は完全に狂ってしまった。もう取り返しはつかない。……だから私は、できるだけこのズレが小さい間に姿を消しておきたかったんだ」
とは言いつつ、これもただの建前だったのかもしれないけど……と私は内心で自嘲した。
きっと最もらしい理由を見つけて、それをもってこの厳しい状況から逃げる口実にしていたんだ、私は。
「いっそのこと『物語の中の話なんだから』って、死も犠牲も割り切られたら楽だったんだろうけど――」
「あの、ちょっと良いスか?」
私の呟きを聞いている間中、ずっと何か言いたげな表情で黙っていた喜助さんが、やっと口を開いた。
「さっきから物語の中とか言ってますけど……違いますよ、それ」
「ん……?」
「ここは物語の中なんかじゃないっスよ」
「同じこと、斬魄刀にも言われたけど……」
きみはこの世界を物語だと勘違いしている――そんな感じのことを言われたのを覚えている。
何故あの少年はあんなことを言ったのか……その理由は、未だに分からないままだ。
「そりゃ、喜助さんから見たらそうかもしれないけど……私から見ればここは『BLEACH』の中でしかないんだよ」
「いや、そういうことではなく。桜花の言ってる漫画の中に、桜花自身の存在はなかったんでしょう?」
「うん、まぁ……」
喜助さんは私の返答に満足げに頷いて、人差し指を立てた。
「ということはつまり――桜花の命が母親の胎内に宿ったその瞬間から、今のこの世界は『BLEACH』とやらの世界線から分岐したってことなんスよ」
「平行世界ってこと……?」
「似たようなもんっス。誰かに作られた漫画の中とは言え、桜花がいない世界というものが存在したのは事実――ということは、です。桜花が産まれたことによって、この世界は漫画の中の流れの定められた物語から外れた……こちらの方がしっくりくるとは思いませんか?」
「確かに……」
「つまり
「あ……そっ、か」
「自殺なんて、アナタにしちゃ珍しい軽挙でしたね。どっちみち手遅れなら、その記憶を元に対策を立てる方が余程建設的でしょうに」
考えてみると、確かに軽挙。
しかし、手遅れだからと言って一体何になるんだろうか。私が自殺に逃げた一番の理由は、自らのせいで人が死ぬ辛さから逃げたかったからだ。これじゃ、逃げられない根拠はできても、どうやってその辛さと向き合えばいいのかが分からないじゃないか。
「でも、さ……仮に世界が物語じゃなかったとしても、何の解決にもならないんじゃない?」
私がとある人を見捨てた事実はなくならないし、親友を死なせてしまった原因になってしまった現実は消去できないし。
「これから私は、どうやって生――」
言葉にしかけて、はたと気づいた。
「――あー……ごめん、今のナシ」
私の抱えているもの全てを分けてくれ……なんて、誰も言っていない。誰にも頼らないやり方はあまり褒められたものではないが……だからといって、何もかも誰かに投げるのは違うんじゃないか?
少なくとも今のは、私が自分で考えなければならないことだった。決して、人に訊くようなことじゃない。
「危なかった……今のセーフだよね」
「セーフってことにしておいてあげます」
「ありがとう。……情に流されたくらいで、喜助さんが見境なく人に優しくする訳がないもんね」
「もちろん。極めて重大な情報を握っているアナタが『とりあえず生きてみよう』って気にさえなってくれれば、もう後は知ったこっちゃないんスから」
「うわ……私から言っといて何だけど、そういう所は流石だと思うよ」
「惚れてもいいんスよ」
「遠慮しとく。でも……とりあえずは、私の気を紛らわせてくれてありがとう、って言っておく」
「いずれは撤回するんスね」
「そりゃ、喜助さんが私の知ってることを使って何を企んでいるのかによるから」
身内の生き死にを、将来のための備えの一部として、手のひらの上で転がすような人だ。きっと、この人も覚悟をして生きているんだ。
――覚悟?
「あっ……覚悟だ……」
「へ?」
そうだ。そうだった。
去年、斬魄刀に言われたじゃないか。人を死なせるなら、それ相応の覚悟を決めなければならない……って。
「――そうだ……多分、モヤモヤを取っ払おうとするから、行き詰まるんだ」
正直、今の私はまだ現実を受け入れられていない。由衣のことも井上織姫の兄のことも、考えるだけで苦しくなる。そしてそれは何年、何十年経とうと変わらないだろうと思う。
「だから、『受け入れられないこと』を受け入れろってことか……キッツいなぁ……」
自分のせいで人が死ぬ。それを永遠に忘れず背負い続けることが、覚悟だ。
井上織姫の兄を見殺しにした時、人を死なせる覚悟とはどういうものか、ちゃんと認識したはずだった。認識して、受け入れていたつもりだった。
「覚悟したつもりが、できてなかったんだろうね」
故意だろうが事故だろうが、私のせいで死ぬという括りの中に身近な人が入るかもしれない、ということ。斬魄刀はそこまでひっくるめて助言してくれていたのに、私は気づけなかった。
でも、今は分かる。
「全部が全部、救える訳じゃないからなぁ……」
「漫画の中で死んだ人全てを覚えてるハズもないでしょうし。全く、えげつないもん抱えてますねぇ」
「ホント、勘弁してほしいよ……」
私が何をしたんだ、ってんだ。
人生最初からやり直したいとか、物語の中に入りたいとか言う人はたくさんいるけれど、実際はそんな良いものじゃないってのに。
「それでも……死ぬはずだった人を護れる可能性があるんだから、それだけはありがたいんだけどね……」
「黒崎真咲サン……ですか?」
「えっ、そんなすぐに具体例がでてくるとは……そんなに違和感あった?」
「違和感しかないっスよ。あれで隠してるつもりなら笑える話だ」
「ちょっと言い過ぎじゃない?」
「夜一サンも違和感は抱いていたみたいですし、鉄裁サンも桜花が何か隠していることには気づいてます。演技は上手くとも、詰めが甘いんじゃあバレるのも時間の問題っス」
そんなに分かりやすかったか。
しかしそこまでバレかけているなら、夜一さんと鉄裁さんにも知らせておくか……? いや、やっぱりそれは止めておいた方が良さそうだ。
「――喜助さん。このことは、二人には隠し通すつもりだから」
「それは、二人のために? それとも――」
「両方だよ」
知らないなら、知らないままでいた方が楽に違いない。彼らにとっても、そして私にとっても。
「なるほど、じゃあ共犯者はボクだけっスか」
「いいじゃん。好きでしょ、そういうの」
「……否定はしませんが」
喜助さんにも私と同じ選択を強いてしまうことになるのが申し訳ないが、そこはもう弱っている所を突いてまで私から聞き出した喜助さんの自己責任。本人も理解した上で私を死から引き戻してくれたんだろうから、しっかり協力してもらうつもりだ。
◇ ◇ ◇
大人二人は私に何かあったのは把握しているみたいだったけれど、子ども達は何も知らないようだった。よかった。この子たちには変な心配は掛けたくない。
腫れてしまった目を回道で治して、それから上で休息と食事を済ませ、私と喜助さんは再び地下へ降りてきた。
二人で両手いっぱいに抱えた
「この部屋の存在は夜一さんと鉄裁さんしか知りません。まぁ、入り口を知ってるのはボクだけなんスけどね」
私だって、こんな廊下のど真ん中の壁に隠し扉があったなんて知らなかった。間取りから考えても、こんなところに部屋一つ入るような隙間はないはずなんだけど……相変わらずよく分からない技術力だ。
「で、崩玉はこの部屋のどこにあるの?」
「やはり、この部屋にあると思います?」
「……ないの?」
「さぁ、どうでしょう? あると言えばありますし、ないと言えばないっスねぇ」
「…………」
言う気はない、か。煙に巻かれた感じがしてちょっと腹が立つけれど、喜助さんが言わないと判断したならそれに従うのが吉だ。
そんな私を見て笑いながら、喜助さんは資料の山に手を突っ込んで一冊の本を引っ張り出した。
「これが現在の護廷十三隊席官名簿っス。聞く限り桜花の話と違う名前がいくつかあったと思うんで、一通り確認してもらってもいいスか?」
「え? うん、いいけど……」
渡された名簿のページをパラパラとめくる。まずは隊長副隊長からだ。やはり隊長の名前は私が知っているものと全て一致するが、副隊長の名前は二人ほど知らない名前が――あれ? ちょっと待った。
「私……この人知ってる」
「どれです?」
「ほら、この隊の副隊長」
ひょいと覗き込んできた喜助さんに、一人の名前を指差して示した。
「知らない名前っスねぇ。これがどうしたんスか?」
「おかしいんだよ。この人、ストーリーには一度だって出てきてないのに何で……」
「出てきていないのに知っているんスか? ――まさか、昔の記憶が?」
「それはまぁ、何年も前から思い出してたから。三歳までの、それも断片的な場面だけなんだけどね」
「…………」
「だから私の本名は朽木桜花……それで間違いないと思うよ」
「……言ってくださいよ、そういう大事なことは」
「それに関しては悪かったと思ってる。でも今はそれどころじゃ……」
『副隊長』のという文字の隣にはっきりと印字された名前を凝視する。この人が副隊長なのはまだいいとして、じゃあ物語開始時に副隊長を務めていた人は一体どこの隊に――
「六番隊四席って……何で……?」
「何をそんなに驚いてるんスか」
「おかしいって……この人が六番隊所属だったはずがないんだよ」
これ、もしかして他にも大前提だと思っていたことが変わってたりするのか……?
「まさか……」
この人と関連して一つ思い当たることがあって、ある隊長のページを開く。
「……やっぱり同じだ」
「本来は違うんスか?」
「違うよ……違うはずなんだよ……」
頭を抱えつつ、再びページをめくっていく。
その時だった。
「……生きてた」
「はぁ?」
喜ぶべきなのか、驚くべきなのか。一体どう反応すればいいのか。
もう訳が分からなくて、私は名簿を閉じたままポツリと呟いた。
「あの、さ……」
本来のストーリーとこの世界の違いは、私が存在するか否か――それだけだ。
だったら。
「こういう違いって、私のせい……?」
「え? まぁ常識的に考えて、そうでしょうね」
「何やってんだ私……」
これだけ前提条件が変わっていたんじゃ、どうしたって違う流れになるのは必定だ。手遅れも手遅れ、まさかこんなことになっているとは……
「こんな重大なことに気づけないって……ホント馬鹿だ……」
下手したら、もっと大きな所が変わっているかもしれない。例えば誰かの性格とか判断基準とか。しかしその辺りは変わっていたとしても、現世にいる私達ではそれを知る術がない。そんなものの対策を立てるとは、なかなか骨が折れる作業に違いない。
「となると、本格的に対策を練っていかないとマズいな……」
「可能性を一つずつ潰していくしかないでしょう……ですが、やることはこれでハッキリした」
「うん」
私は苦笑いと共に立ち上がると、積み上げられた資料に向き合った。
「朽木家についての資料って、この中にある?」
「あぁ、四大貴族についてはこの山の……あったあった、これっス」
「ありがとう」
とにかく、まずはこの資料全てを頭に入れることからだ。
私は喜助さんから受け取った冊子を読んだ。
それが終わってから次の資料を読んで、それからまた違う冊子を――
「――どうやら、頭の整理はついたみたいだね」
そんな言葉で、不意に我に返った。
視界いっぱいに広がるのは真っ青な空。下方には柔らかそうな白い雲海。
……ここ、空の上?
「うわっ! えっ、何これっ?!」
「あのさぁ、足場はいつも通りあるでしょ? 見苦しいから落ち着きなよ」
「――あ、私の斬魄刀……」
金色の天秤は相変わらず宙にぽっかりと浮かんでいるし、私は天秤の皿の上に座り込んでいるし、反対側の皿の上には桜模様の着流しを着た少年が腰掛けているし……つまりここは私の精神世界か。
多分、私は資料を読みながら転寝でもしているんだろう。だから、隠し部屋の中で読書をしている所で記憶が途切れているんだ。
……それにしても、来る度に景色が変わっているのはどうしてなんだろう?
「初めて来た時はきみが力不足だったから真っ白、つまり空ですらなかった。前回は力は足りていたものの、きみの心を反映して新月の夜になっていた……って具合かな」
「あぁ、そういう」
私の心次第で空が変わるなんて、一護の精神世界みたいだ。案外どの精神世界も、感情と空模様は関連しているのかもしれないが。
「そんなことも言われなきゃ分かんない辺り、相変わらず自分のこととなると途端に雑になるよね。きみは」
「雑、かぁ……どっちかって言うと繊細な方だと思ってたんだけど」
「分かってないなぁ。繊細なのに鈍いから、きみは誰にも頼れないんでしょ?」
そういえば前も『自分のことを理解していない馬鹿』って言われたような。
「繊細なのに、鈍い……」
繊細ってのは、分かる。一人でウジウジ悩んで、最終的に自殺を選ぶような私だ。元来、何事も気にしすぎる質なんだろう。
しかし、鈍いってのが分からない。何をもってして『鈍い』なのか……
「今はまだ、分からないだろうね――でも、今はそれでいいんだ」
「はぁ? いいの?」
「いいに決まってるよ。大切なのは、自分で考えて自分で答えを出すことさ。時間が掛かるかどうかは問題じゃないんだから」
「あー……うん、そうだね」
「本っ当に、手の掛かる主だよ。ぼくがせっかくあんなに分かりやすいヒントをあげたのに、あっさり諦めてあっさり逃げ出そうとした。他人に励まされなきゃ、立ち直ることもできなかった。挙句の果てには、自分で気づかなきゃならないことを人に訊ねようとした」
「…………」
耳の痛い話だ。
今更死んでも手遅れなことにも、覚悟ができていなかったことにも、自分一人では気づけず逃げ出そうとした。前者はともかく、後者に気づけないのはマズいだろうに。
「でも……これで始解の条件は満たしたから、とりあえずぼくの名前は教えてあげる」
「えっ……教えてくれるの……?」
「ただし。今度同じことしたら、始解だろうが卍解だろうが何もかもまとめて封印するからね」
「……き、気をつけます」
「本当、頼んだよ?」
目が
「よし」
少年は私が頷いたのを確認すると、流れるように立ち上がった。その左手には、いつの間にか一本の刀が握られていた。金属が擦れる澄んだ音を立てて、それが引き抜かれる。
「――始解の条件は『未来を知っているということを受け入れて、人の生死を握る覚悟を決める』ことだった」
刀の切っ先が、私の方を向いた。
不思議だ。数メートルは離れているはずなのに、刃が眼前に突きつけられているように思える。それくらい近くに刀の気配を感じる。
「過程はどうあれ、きみはそれを達成した。とりあえず、おめでとう」
「……うん」
「情けない主だけど、それでもぼくはきみに生きていてほしい。だから、教えるね」
風もないのに、少年の一つに結わえた髪がふわりと揺れた。
刀の形が、色が、緩やかに変わっていく。
「いいかい? ぼくの名前は――」
少年は――斬魄刀は、いつになく真剣な眼差しで口を開いた。
とりあえず、これで原作開始前のお話は終了です。次回からはやっと原作がスタートします。長かった……
活動報告にこれからの更新について上げてますので、よければ見ていってください。