傲慢の秤   作:初(はじめ)

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十九、覚悟しろ

 

 「人生とは選択の連続だ」とはよく言ったものだが、私の前に現れる選択肢はちょっとばかりハードすぎやしないか。

 

 神様は私のことが嫌いなのか。この世界に神様なんているのかという問題は別にしても。

 

 

「アンタ、新入生のクセに生意気なんだよっ!」

「地毛ですぅ、じゃねーんだよ。ぶりっ子しやがって!」

「やめてっ……痛っ……!」

 

 中学校に入って以来、私はとある少女のことを意図的に避け続けていた。

 話しかけられたのを無視するなんてことはできないと自分が一番よく分かっていたから、そもそも話し掛けられないように。そして、関わらないように。

 

「便器の水ブッかけてやろうよ。そしたらコイツだって反省すんじゃない?」

「アハハ! それ名案!」

「マキってばアッタマイイー!」

 

 あぁ胸糞悪い。だから、この子とは関わらないって決めてたんだ。

 

 だって、分かってた。

 こんな場面に出くわして、放置なんて選択ができる訳ないって。

 

 私は大きく息を吸った。

 

「センセーこっちです! 早くしないとイジメてる犯人逃げちゃう!」

「なっ……ヤバくない?! 逃げようよマキ!」

「チッ、行くよ!」

「アンタっ! 後で覚えときな!」

 

 私が物陰から大声を上げると、上級生達は悪役……それも雑魚中の雑魚みたいな捨て台詞と共に、女子トイレから飛びだして走り去って行った。こういう手合は得てして頭の悪いやつらばかりだから、捨て台詞だってひねりのないワンパターンになってしまうんだ。

 

「……だ、誰?」

 

 私と同じ学年の少女が、恐る恐るといった体で問いかける。

 

「あのね、えっと……助けてくれて、ありがとうございます」

「…………」

 

 さて、ここで再び選択肢。

 この子の言葉に応えて姿を現すか、そのまま何も言わずに立ち去るか。前者を選びたい……当然のようにそう思ってしまった自分の甘さに、ため息をつく。

 あぁもう、だから関らないつもりだったのに。

 

 

 私は黙ったまま女子トイレに背を向けて、歩き出した。

 

 その女子生徒の名前は井上織姫。

 

 私はこれから、盾舜六花(しゅんしゅんりっか)という彼女特有の能力のためだけに、その兄を見殺しにしようとしている。

 

 

 

 見殺しがどうのと考えると、やはり思い浮かぶのは真咲さんのことだ。

 

 もちろん真咲さんを守ったこと、それに後悔はない。

 けれど反省もないかと問われると、そんな訳ないじゃないかとすぐに答えるだろう。

 

 真咲さんが生きることのデメリットは、一護の『護る理由』がなくなってしまうかもしれないという一点に尽きる。そしてそれは、結果的に命をかけた私と真咲さんの二人がその理由になることで解決することができた。

 

 しかし、それはただの結果論でしかない。

 

 あの時はたまたま上手くいってデメリットをなくすことができた。けれど仮に喜助さんの到着がもっと早くて、私が死にかけなかったとしたら? 真咲さんと一緒に逃した一護が河原に戻って来ていなかったら? そう……一つでもパズルのピースがズレていたら、こうしてデメリットが消化されることもなかったかもしれないんだ。

 そんな博打みたいな行動、再び取れるはずがない。

 

 バタフライ効果とは恐ろしいもので、私の身の回りでそれが分かりやすく表れているのが(ウルル)とジン太である。

 原作が始まるまで夜一さんの存在を知らなかったはずの二人が、何故か現段階で夜一さんが猫に変身できる人だということを把握している。それどころか二人揃って夜一さんに懐いている。

 具体的に何がその結果を招いたのかは分からない。けれど、この浦原商店には私というイレギュラーな存在がいる。原作とこの世界の差異が私だけな以上、原作との乖離が生まれたらそれは全て私のせいだと言っても過言ではないんだ。

 

 だからこそ私は、井上織姫の兄を見捨てることにした。

 

 井上織姫が盾舜六花の能力を手に入れられたのは、それこそ全てを補うには多すぎる数のピースが組み合わさった結果だ。

 彼女が盾舜六花に目覚めたのは、死神化した一護の霊圧を魂魄状態で浴びて彼女自身の霊力が一定以上に上昇した後に、滅却師(クインシー)の石田雨竜による虚の撒き餌で命の危機に陥り、竜貴達を護ろうとしたからだ。井上織姫があれほどまでに竜貴を護りたいと思ったのは、兄を亡くした穴を埋めたのが竜貴の存在だったからとも言える。

 そして、彼女が魂魄の状態で一護の霊圧を浴びるなんて状況に陥ったのは、亡くなった後に(ホロウ)と化した兄に襲われたからだ。

 霊力も何もなかった井上織姫が虚に狙われるには、その虚が井上織姫の親族であることが条件……つまり井上織姫の兄が死んだことが、彼女の盾舜六花の開花の間接的な理由になっているんだ。

 

 そんな複雑なものに下手に手を加えて、それを補いきれず……いざ原作が始まったものの盾舜六花の能力は目覚めませんでした、では洒落にならない。

 盾舜六花の能力は必要だ。後にそれがキッカケで虚圏(ウェコムンド)に連れ去られることになるとしても、それを補って余りあるほどの価値がある。井上織姫がいなかったら、一護は原作を乗り越えられずに死んでしまっていたかもしれないと言えるほどに。

 

 それに何より、会ったこともない井上織姫の兄の命か幼馴染の命か――どちらが大事かなんて天秤にかけるまでもない。

 

 だから私は一人の人間の生き死にを、デメリットがあるとか価値があるとか、勝手に理由をつけて決めることにした。そうすることを選んだ。

 

 

 果たして神様とやらが本当に存在するなら、私のこの選択を傲慢だと断ずるだろうか。

 

 

 ――それは、傲慢だよ。

 

 

 心のどこかで、誰かがそう言って嘲笑した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 十一歳で死神になって……いや、死神の力を取り戻して以来、私は心の中で声を聴くようになった。その声はいつも同じ幼い少年のものだった。そしてそれは、私の心の声にしてはやけに物事を客観的に捉えているように思えた。

 

 最初は気のせいだと思っていた。けれど、同じことが何度も続くと流石に気味が悪くなってくる。どうすべきか考えに考えた挙句、私はそれを喜助さんに相談した。

 

「あぁそれ、斬魄刀じゃないスか?」

「私の?」

「えぇ。名前さえ聞き出せば、そこまで頻繁に声を掛けてくることはなくなりますよ」

 

 そして勧められたのは『刃禅(じんぜん)』という、斬魄刀の解放には欠かせない修行だった。

 最初は鬼道の詠唱に初めて挑戦した時のような恥ずかしさがあったものの、手本だと言って喜助さんが大真面目に抜き身の刀を両手に持って座禅を組んだのを見て、認識を改めた。オッサンに片足突っ込んだ人がやるより、小柄な女の子である私がやった方がまだマシってものだ。

 

 小柄といえば、死神化してから私の身長が急に伸びなくなってしまったことが、今の私の悩みでもある。あれから二年も経つのに私の背はほとんど変わっていない……つまり未だに小学四年生の平均身長の枠から出ていないんだ、悲しいことに。

 

 

「精が出ますねぇ」

「今日も聞こえたから……いい加減鬱陶しくって」

 

 イジメの現場に出くわしてしまった日の、放課後。特に部活動に所属している訳でもない私は、教室で同じく帰宅部の由衣と駄弁った後で家に帰った。

 

 それからいつも通り刃禅をしようと地下に降りると、喜助さんが修行部屋にある研究室から顔を出したんだ。

 

「まぁまぁ。向こうから語り掛けてくれるってのは、要するに桜花に興味があるってことっスから」

「それはありがたいんだけどね……」

「それより、終わったらちょっと手伝ってもらいたいことがあるんですけど、良いスか?」

「良いよ。今は何作ってるの?」

「マトモな性格の改造魂魄っス」

商品(アレ)がマトモじゃないってのは分かってたんだね……」

 

 基本的に、死神の感覚は人間のそれとはかけ離れている。そのズレがはっきりと表れているものの一つとして挙げられるのが、尸魂界(ソウル・ソサエティ)特製の改造魂魄である。

 理想的な性格の改造魂魄を作るために、投票をしたとかアンケート調査をしたとか言われているが……あれがその結末なら、死神は人間のことを何一つ理解していないということになる。それくらいぶっ飛んでいると思う。

 

「ちなみにそれ、どんな性格?」

「ざっくり言うと、ボクと夜一サンを足して二で割ったみたいな性格っスね」

「……それ多分、どう頑張ってもマトモにならないやつだと思う」

 

 何て化け物を作り出そうとしているんだ、この人は。二人共が怪物級の個性の持ち主なのに、足してどうする。足した数で割ったくらいで緩和されるようなヤワな性格じゃないんだから、足した分だけ化け物に近づいていくということに何故気づかないんだ。

 

「まさか! もともとがベクトルの違う性格なんだから、足して二で割って丁度良くなるハズなんスよ」

「いやならないから。二で割った上で十倍くらいに希釈してかろうじて世間にお見せできるレベルだから」

 

 そもそも何で、一番常識人な鉄裁さんを使わなかったんだ。その鉄裁さんでさえ、時々頭のネジが飛んだような行動を取ることがあるのに……

 

「ましてや頭のネジなくしたまま数百年生きてるような人の性格を二つも足すなんて……」

「……酷くないスか? 夜一サンに言いつけますよ」

「ごめん謝るからそれだけは止めて」

 

 

 そうやっていつものように喜助さんとじゃれ合ってから、私は義骸を脱ぎ捨てた。研究室から少し離れた岩山の上に登り、刀を持って座禅を組む。

 

 今日こそは話せたらいいなぁ、と目を閉じて――

 

 

「――やあ、ようやく会えたね」

 

 

 確かに私は目を閉じた。目を閉じてもなお視界に映るものなんて、真っ暗なまぶたの裏くらいしかないはずだ。

 

 そのはずなのに、目の前に広がるこの景色はもしかして……

 

「驚くのも無理ないよ。きみをここに呼ぶのは初めてだからね」

「誰……?」

「もう、そんなに警戒されたら傷ついちゃうよ」

 

 いつも聴こえていた、少年の声だった。慌てて周囲を見渡す。しかし、声の持ち主の姿はどこにも見えない。

 

 私がいるのは家一軒の大きさはありそうな巨大な天秤の、両端から吊り下げられた皿のうちの一つ……その上だった。

 不思議なことに、ここにはこの天秤しかない。見渡す限り真っ白な空間の中に、黄金色の天秤だけがぽっかりと浮かんでいる。

 

「そっか……きみにはまだ、ぼくの姿は見えないんだね」

 

 年齢で言うと十歳にも満たないであろう幼い声が、寂しそうにそう言った。

 

「あなたは……私の斬魄刀、なの?」

「うん、その通り。よかった、それは分かってるんだ」

 

 少年は、少しホッとしたような声色で肯定した。

 

「今日はね、きみに話があってここに呼んだんだ」

「話?」

「そう。きみには今、悩んでることがある……お友達のお兄さんを助けようかどうか、迷ってるんだよね」

「……友達じゃないけど……全部知ってるの?」

「もちろん! 例えば、きみが前世の記憶を抱えたまま生まれ変わってしまったこと……とかさ」

「……それ、他の人に言わないでよ」

「分かってるって」

 

 斬魄刀は私の一部だ。幼い声をしているからといって、その頭脳まで幼いとは限らない。だからきっと、私のことなんて全てお見通しなんだろう。

 

「それでね、ぼくから一つアドバイスがあるんだ」

 

 少年の声から緩い雰囲気が消えていく。無邪気な声色に知性が宿っていく。

 

「生きていれば、感情論だけではやっていけないこともある。冷酷にならなきゃいけない時は、きちんと冷酷になるんだ。いつまでも半端じゃロクなことにならないからね」

「何を……」

「全てを知っているからって、全てを救うことはできない。きみにとって何が一番大切なのかちゃんと自覚して、取捨選択するんだ」

 

 つまり……デメリットや価値から判断する今回のやり方こそが正解なんだと、そういうことだろうか。

 

「でも、さっきは『傲慢だよ』って……」

 

 こうして刃禅をする前、学校で上級生達を追い払った直後に聴こえた声は、間違いなくそう言っていた。それと矛盾するではないか。

 

「うん、言った。でもね、ぼくはきみに引き下がってほしいからそう言ったんじゃない。きみに覚悟をしてほしかったから言ったんだ」

「覚、悟……」

「そう、覚悟。どんなに傲慢なことでも、自分の決めたことに責任を持って……そしてそれを最後まで背負い続ける覚悟。あの時ギリギリまで黒崎真咲さんを助けるか迷ってたのは、きっとその覚悟ができてなかったからなのさ」

 

 自分の決断のせいで、人が一人死ぬ。そのことを永遠に忘れず、背負い続けることができない者は、そんな重い決断をするべきじゃない。

 

「……厳しいね」

「厳しくないさ、人が死ぬんだから」

 

 少年は、そう言って口をつぐんだ。私も何と返していいか分からなかった。

 

 その時、視界に黒いラグのようなものが走った。

 

「……おっと、時間みたいだね」

「え……もう?」

「今のきみじゃこのくらいが限界さ。……じゃあね。次はぼくの姿、見せられたらいいなぁ――」

 

 少年の言葉が遠ざかると同時に、今まで見えていた景色が掻き消えていく。

 

 そして、視界が再び真っ黒に染まった。そっと目を開く。

 

 

「今のが、私の精神世界……?」

 

 気づけば私は、元いた修行部屋の岩山に腰掛けていた。

 

 不思議な感覚だ。今の今まで違う場所にいたのに、私はこの場から一歩も動いていないだなんて。

 

 手元の斬魄刀を見下ろす。いつも通り、なんの変哲もない浅打だ。剥き出しの刃をそっと鞘に収める。

 

 ――きみにとって何が一番大切なのかちゃんと自覚して、上手く取捨選択するんだ。

 

 少年の言葉が、胸の奥でフラッシュバックした。

 

 ――厳しくないさ、人が死ぬんだから。

 

 

 覚悟をしよう。

 

 自らの決断に責任を持つ覚悟を。

 そして、その結末を最後まで背負い続ける覚悟を。

 

 

 

 

 数ヶ月後、私は中学校の廊下で井上織姫とすれ違った。

 

 彼女は、酷くやつれていた。

 


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