傲慢の秤   作:初(はじめ)

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十七、桜舞う庭園で

 

 桜の花びらが舞う庭園で、私は空を見上げていた。

 

 澄み渡った快晴の空を横切るのは、数多の花弁。視界の中、青と薄桃色が幾度となく入れ替わる景色に、私はただ静かに見とれていた。

 

「何をしている、桜花」

 

 ふと、後ろから声を掛けられた。振り向く。その声の主、それは私の父様だった。

 父様は庭園に面した縁側に立って私を見ていた。

 

「あっ! とうさま!」

 

 父様が声を掛けてくれた。

 珍しいこともあったものだと冷静に考えながら、しかし自然と頬が緩むのは止められなかった。

 

「さくら、とうさまもいっしょにみましょうよ!」

「……そうだな。私も丁度、休憩をと思っていた所だ」

 

 縁側に静かに腰を下ろした父様のもとへ駆け寄る。すると父様は私を抱き上げてその膝に乗せ、私の頭を撫でてくれた。こうしてもらうのも久しぶりだった。

 

 そこでふと、父様に話があったことを思い出して口を開く。

 

「あのね、とうさま。わたし、おはなしがあるの」

「何だ、言ってみろ」

「わたし、しにがみのしゅぎょうをしたいんです」

 

 でも、かあさまはまだはやいっていうの。

 そうつけ加えて、口を尖らせる。

 

 私だっていずれは死神になる身だ。何事も、早めに備えておくに越したことはない。

 

 しかし、私の父様はそうは思わないらしく。

 

「死神の修行か……確かに早すぎるな」

「もう、とうさままで……」

「良いか、桜花」

 

 私の身体がくるりと回転させられて、死覇装を着た父様の膝の上に横向きに座る格好になる。

 目が合った。

 

「死神になるには厳しい鍛錬を積まねばならぬ。しかし、桜花はまだ三つだろう?せめて後五年は待て」

「五ねん?ながいなぁ……」

 

 やっぱり、父様と母様はちょっと過保護だ。

 他の家では七歳で真央霊術院に入った人だっているという話なのに、八歳まで鍛錬もさせてもらえないなんて。

 

「五年など、あっという間よ」

「……そうでしょうか?」

「そうだ」

 

 そりゃあ、父様にとっては五年なんてあっという間だろう。その若々しい見目に反して、一世紀近くは生きている存在なんだから。

 

 髪に触れられて、父様の顔を見上げる。どうやら父様は私の髪についた桜の花弁を取ってくれたようだった。

 一体いつからついていたんだろうか。桜を見上げていた時からだろうか。全く気がつかなかった。

 私は少し照れくさくなって、それを誤魔化そうとはにかんだ。

 

「ありがとうございます、とうさま」

 

 早くから修行ができないのは残念だけれど、何もかもが思い通りになるはずもないのはよく分かっている。

 それに……何よりこれは、父様と母様が私を愛してくれているからこその結論でもある。

 

 だから、私は文句なしに幸せだった。

 

 

 ――そう、幸せだったのに……

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 変な夢だった。

 

 初めて見るにしてはやけに懐かしく、それでいてリアルな夢だった。

 

 出てきたのは私と、見知らぬ男性。顔は全く思い出せないが、夢の中の私は彼のことを『父様』と呼んでいた。その父様は死覇装を着ていて、真央霊術院の名を出していた。

 

 次に気になるのが、『母様』の存在をほのめかすような私の言動。

 

 そしてもう一つ、引っかかることがあった。

 夢の中の私は幼かった。三つ、などと言っていた。

 そして私が喜助さんに拾われたのは、私の外見年齢が三歳程度だった頃であった。

 

 果たしてこれは、偶然なんだろうか。

 

 

「ふわぁ……」

 

 大きく欠伸をして、布団の上で手足を伸ばす。

 何がともあれ今日は土曜日、学校は休みだ。そう思ったその時、指先に何が硬いものがぶつかった。カチャン、と硬質な音がした。

 

「何だ、もう……またジン太が――刀?」

 

 刀だ。刀が枕元に置いてあった。

 

 ――え、ごめん。ちょっと意味が分からない。

 

「か、刀……えっと、本物……?」

 

 いや、本物のはずがない。落ち着け。

 きっとこれもジン太による新手の悪戯に違いない。

 

 ジン太は、半年前からうちで一緒に暮らすことになった改造魂魄だ。例のマッドサイエンティストが性懲りもなくやらかした結果とも言う。

 あの子は(ウルル)と違って手の掛かる子だからなぁ。根はいい子なんだけどね……

 

 私はのっそりと起き上がって、再度刀に手を伸ばした。

 

 ここで、違和感が一つ。

 

「……服、いつ着替えたっけ」

 

 寝る前に来ていたパジャマとは明らかに違う。あのパジャマは水色で、今私が着ているのは黒い着物。

 

 そう、黒い着物。

 

 黒い着物?

 

「…………」

 

 視線を下にずらしていく。

 黒い着物、黒い袴、白い足袋、そして草履。

 

「…………」

 

 いや、そんなはずはない。見間違えただけだ。もう一度、視線を上から滑らせる。

 

 黒い着物、黒い袴、白い足袋、そして草履。

 

「……はは」

 

 おもむろに、刀を手に取る……プラスチックの重さではなかった。

 数センチだけ抜いた刃に掛け布団の端を滑らせてみる……あり得ないくらいスッパリ切れた。刃を収める。

 

「……は、はは」

 

 喉から乾いた笑いが溢れる。

 

 つまり、である。

 

 私が着ているのは死覇装。

 手に持っているのは浅打(あさうち)

 

 

「喜助さんかっ!!?」

 

 

 とりあえず、叫んだ。

 まず間違いなく元凶であろう男の名を。

 

 鞘に入った刀を引っ掴んで、扉を壊れるほどの勢いで開けて、それから全力疾走。数秒も経たない内に喜助さんの寝室に辿り着いた私は、ノックもせずにその扉を開け放った。

 

「ちょっと喜助さん!! 私に何したの?!」 

「……何スかもう。朝から騒々、し……い……」

 

 眠そうに身を起こした喜助さんが、言葉を不自然に途切れさせて目を見開いた。

 

「桜花……それって、まさか……」

 

 しかし、喜助さんの様子がおかしい。

 私の目には、彼が驚いているように見える。

 

「えっ……喜助さんの仕業じゃないの……?」

「いえ、ボクは何も……」

 

 あの喜助さんが本気で戸惑っている。珍しい。

 それだけ喜助さんにとってもよく分からない現象だと、そういうことなんだろうか。

 

 だんだんと、頭に冷静さが戻ってくる。

 

「身支度を整えたらボクも向かいますんで、先に居間に行っておいてください」

「……分かった」

 

 喜助さんは布団をはねのけて立ち上がると、口を開いた。

 私は素直に頷くと、それに従って居間へ向かった。

 

 

 喜助さんは、思っていたよりすぐにやって来た。猫の姿の夜一さんと鉄裁さんを連れて。

 

「おぉ、本当に死覇装じゃな」

「やっぱり死覇装なんだね……」

「見間違い、などということはないでしょうな」

 

 元死神達にそう言われたんだから、もう間違いないだろう。

 

「桜花のベッドの上に、これ()()が」

 

 そう言って喜助さんが差し出したのは、昨晩まで私が着ていた水色のパジャマだった。

 

「私のパジャマ……いつ着替えたんだろ」

「まさかおぬし、気づいとらんのか?」

「何が?」

 

 夜一さんが尻尾をゆらりと振って言う。

 

「この服は器子。今のおぬしは霊体じゃぞ」

「……あ」

「今問うべきはそれではなく、おぬしの()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃろうて」

 

 そうだ。人間が死神化した場合、元の器子でできた肉体はその場に残るものだ。けれど、喜助さんは私のベットの上にはパジャマしかなかったと言った。

 

 だとしたら、私の身体はどこへ……?

 

「消えた。そう判断するのが妥当でしょう」

「消えたって、そんなことが……」

「桜花は寝る時、いつも上の服をズボンの中に入れていますよね。お腹が冷えるからって」

「え、気持ち悪。何でそんなこと喜助さんが知ってんの」

「その状態のまま、置いてあったんスよ。まるで、ベッドに横たわっていた身体だけが消え失せてしまったかのように」

「無視か」

 

 それは確かに気味が悪い。

 そして、何故か私の癖を把握している喜助さんも気味が悪い。

 

「恐らく桜花は、もともと()()()()()()()人間の身体に入っていた。そしてその身体が()()()()()()()消えてしまった……そういうことでしょう」

「『何らか』ばっかりじゃん」

「仕方ないでしょ、ボクだってまだよく分かってないんスから」

 

 そうは言っても、喜助さんなら前からこれを想定していたと言っても驚かないし、既に予測の一つや二つは立てているに違いない。具体的なことを言わないのはきっと、私が入っていた人の身体が消えてしまった理由を口に出すには、まだ確証が足りないからだ。

 

「……ん?」

 

 そこで、引っかかりを覚えた。

 

 私が入っていた人の身体?

 

「あれ、ちょ……ちょっと待って。人間の身体に入ってたって……それじゃ私はもともと人間じゃなかったって、そういうことなの?」

「やはり気づきましたか。……そこに関しては、()()()()()()()

「そんなっ……!」

 

 私が人間じゃなかった?

 そんなこと……だって、私は拾われた時から人間で――

 

「いつから……」

「はい?」

「……いつから、私が人じゃないと?」

「可能性として考慮していたのは、アナタに初めて会ったその時からです」

「最初からって……」

「もちろん、確信したのは先程ですが……」

 

 拾われた時の私は、身体は器子なのに着物は霊子という歪な状態だった。その時点で喜助さんは、私が人間ではないかもしれないと当たりをつけていたんだそうだ。

 

 そして、成長するにつれて異常な増大を見せた私の霊力も、その仮説を支える要因の一つになっていたんだとか。

 

「五年前、桜花が初めて虚に襲われた以前からボクらは桜花に虚避けの結界――つまり、霊圧を虚から隠す結界を張っていました」

 

 そうでもしないと、虚を無尽蔵に呼び寄せてしまいかねなかったから。それほどまでに、私の霊力は常人の域を逸していたんだそうだ。

 

「最初は身体の成長に伴う霊力上昇だと考えていましたが、それにしては伸び方が普通じゃなかった。だから、思ったんス……成長ではなくて、()()なのではないかと」

「回復……もともとあった霊力が何かの理由で急激に減って、それが元に戻ろうとしていた、ってこと……?」

「そういうことっス」

 

 それが事実なら、私の霊力が増えて最終的には死神になってしまったことの説明()()はつけることができる。

 

「ともかく、桜花が人間ではないかもしれない可能性に行き当たった時点で、ボクは瀞霊廷における行方不明者名簿を調べて『桜花』の名を持つ者を探しました」

「――あったの?」

「ありました」

 

 ヒュ、と自らが息を吸い込む音が、どこか他人事のように遠くから聴こえた。

 

「しかし、不可解な点が一つ。その方が行方をくらましたのは三十五年前……当時彼女は十五歳だったそうっス」

「え……でも、私は……」

「そう、明らかに年代が合わない」

 

 私が浦原商店で世話になることになったのは八年前……私がおおよそ三歳だった頃の話だ。行方不明になった時期も、その時の年齢も、その人とは合致しない。

 

「知っての通り、死神は人間とは違う速度で成長します。ですから彼女も人間の十五歳の外見ではなかったはず……しかし霊力を持ち、数十年間生きた彼女が、幼児の見た目のままなんてことは流石にあり得ない」

「そう、なんだ……」

「よって彼女とアナタが同一人物かどうかは、今の段階では断言できない……それに――」

「当然、別人かもしれぬ。そもそもおぬしの本来の名前が『桜花』であるとも限らんじゃろうしな」

 

 そう言ったのは夜一さんだった。

 

「考えてもみろ。おぬしが『桜花』足り得る証拠が、その首飾り以外に存在するか?」

「それは……ない、ね……」

 

 常人には見えないからと、学校でも常に身につけていたペンダントに触れる。どうやら霊子で構成されたこれは、死神になってもつけたままでいられるらしい。

 

「私……一体、何なんだろうね」

 

 前世の記憶があって、それなのにこの世界での幼い頃の記憶がなくて……さらには人間ですらなく、その身元ははっきりしない。

 

 このペンダントも、私自身の物であるとは限らない……いや、仮にその人と私が別人なら、私の物であるはずがない。

 だって、それほどありふれた名前ではない『桜花』がその行方不明者と同じなんて偶然、そうそう起きることじゃないはずだから――

 

 

「さて! ここらでちょっと昔話でもしましょうかね」

「……ったく」

 

 唐突に場にそぐわない能天気な口調で話し始めた喜助さんを、夜一さんがやれやれといった目で見やった。鉄裁さんは相変わらず真顔だ。

 

「……え? どうしたの急に」

「そういう気分なんスよぉ、今は」

「何それ」

「いいからいいから」

 

 考え込んでいたせいで反応が遅れてしまった。どうしたんだろう、こんなにあからさまに話題を切り替えるなんて。

 

 気分が落ち込んでいた私と違って、喜助さんはいつものように胡散臭く笑っている。……何か、企んでいるんだろうか。

 

「平子サン達の了承は、既に取ってあります。後はタイミングの問題でした」

「あ、それってもしかして……」

「ハイ、その通りっス」

 

 ――仮面の軍勢(ヴァイザード)虚化(ホロウか)のことだ。

 

「今から話すことは、他言無用でお願いします。……もちろん、雨やジン太にも」

 

 波が引くかのように、その顔から胡散臭さが消え失せていく。

 あ、これ真面目なやつだ……そう気づいて、私も表情を引き締めた。

 

「……分かった」

「では、私は二人の足止めに」

「すみません、鉄裁サン。頼みます」

 

 私が了承した直後、立ち上がった鉄裁さんに喜助さんが軽く頭を下げた。

 厳重なことだ。しかし話題が話題なだけに、やり過ぎた対応だとは思えなかった。

 

「全ての始まりは、九十七年前のある事件でした」

 

 そうして始まった話はやはり、私の知っている虚化事件そのものだった。

 謎の魂魄消滅から始まったこの事件は、現五番隊隊長で当時五番隊副隊長だった藍染惣右介、同じく五番隊三席だった市丸ギン、そして九番隊だった東仙要の三人によるものだった。

 彼らがやっていたのは虚化の実験だった。命令を受けて現場へ向かった平子さんたち八人は、抵抗も虚しくその実験体にされてしまった。

 

 そこで駆けつけたのが、喜助さんと鉄裁さんだった。

 しかし、物事はそう上手くはいかない。

 

 実験体として虚化してしまった八人を救うために禁術を行使した鉄裁さんは、牢へ投獄されることになった。喜助さんも藍染に実験の罪をなすりつけられて、現世へ永久追放となってしまった。総隊長命令を破って無断で現場に駆けつけたことを、藍染達に利用されてしまったんだ。

 

 その後夜一さんの協力で喜助さん達は何とか逃げ出して、八人の虚化を止めることに成功した。しかし、尸魂界に彼ら十一人の居場所はなくなってしまった。

 

 仕方なく彼らは霊圧遮断型義骸に入って尸魂界から隠れつつ、喜助さん達三人は闇商人として、虚化した八人は仮面の軍勢として、現世に身を潜めることとなった。

 

 喜助さんの語る話は、私が物語として見た内容とほぼ変わらないものだった。それはつまり、脚色も省略も何もされていない真実を、私に話してくれたということだ。

 

「……良いの?それを私に話して」

 

 一度も口を挟まずに話を聞いていた私は、喜助さんが語り終えた数秒後にやっと口を開いた。

 

「言ったじゃないスか、彼らからの許可は取ってあるって」

「そう、だったね……」

 

 嬉しかった。

 

 去年の花火大会以来、彼らと会う機会は一度もなかった。だから、ずっと気になっていたんだ。もう敬語で話すなと言って名を呼んでくれた、()()()の顔が思い浮かぶ。

 

 そっか。皆さん、許可してくれたんだ。

 

「……アナタの素性はどうあれ、アナタがアナタであることに変わりはない」

「え……?」

「彼らは……仮面の軍勢は、アナタが『桜花』だから了承した訳じゃない。アナタがアナタだから許したんスよ」

 

 その意味、アナタなら分かるでしょう?

 

 そう言って、喜助さんは笑みを浮かべた。珍しく、何の含みもない柔らかい笑顔だった。

 

 

「……当然」

 

 

 自信ありげに見えるような顔をして、一言。それしか言えなかった。

 

 凹みかけていたことを看破されて、なぐさめられた。そんなことをされるなんてらしくなくて……私は一番言いたかった、そして言うべきだったことが言えなかった。

 だから、心の中で呟く。

 

 

 ――ありがとう。

 

 

「さぁて。ボクはちょっと義骸でも作ってきますんで、桜花は夜一さんと腕試しでもしてきてください」

「義骸? あぁ、私のか」

 

 理由はともかく、消えてしまったものは仕方がない。このままでは学校にすら行けないんだから、義骸が必要なのは当然だった。

 

「ほれ。行くぞ、桜花」

「はーい」

 

 浅打を握って立ち上がる。

 ふとそこで、まだ訊いていないことがあったと思い出した。

 

「……そういえば、喜助さん」

「何です?」

「行方不明者名簿に載ってる『桜花』ってどんな人なの? 瀞霊廷の名簿に載ってるってことは、流魂街の人じゃないんでしょ?」

「……その通りっス」

 

 

 私の問いに、喜助さんは少し迷うような表情を見せて……それから静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

「彼女の名は、朽木桜花――正一位の大貴族、朽木家現当主の娘サンっス」

 

 

 

 

 


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