小四の夏休みが始まって二週間目、ある日の昼下がり。
毎日毎日飽きもせず照りつける太陽の下、浦原商店は今日も元気に営業中だった。
夏休みの宿題を早々に終わらせた私はすることもなく、学校から借りてきた小説を片手に店番を任されていた。
しがない駄菓子屋といえど今は夏休み、子ども達の来店はいつもの午後より断然多い。それでも、客なんて一時間に二、三人しか来ないんだけれど。
最後の客が帰ってから三十分。そろそろ次の客が来るだろうとは思いつつ、小説の次のページに目を落とした、その時。ガラガラと引き戸を開ける音が聞こえた。
客だ。本に栞を挟んで閉じる。
それから、ニッコリ営業スマイルで。
「いらっしゃいま――」
「おうおうおう! 何やこのクソガキは? 見たことない顔やなぁ、えぇ?!」
「……はい?」
……今、クソガキって言った?
え、初対面の開口一番に? 女の子だよね、この子?
衝撃で頬が引きつりそうになるのを抑えつつ、営業スマイルは崩さない。
「あ、どーも……桜花っていいます、はじめまし――」
「誰もお前の名前なんか聞いとらんわ! あんのクソボケと似たよーなユッルイ喋り方しよってからに! 何や腹立つなぁ!!」
「あの……えっと……」
派手な金髪でツインテール。真っ赤なジャージ。つり上がった大きな目。そばかす。
そしてこの、口の悪さ。
……私、この人のこと知ってるかもしれない。
「ウチはココのハゲ店長に用があるんや! モゴモゴ喋くっとらんでさっさと呼んで来んかいクソガキ!」
「えぇぇ……理不尽だなぁもう……」
黙っていればかわいいだろうに……全く……
営業スマイルを保つことを止めた私は苦笑いで場を濁して、喜助さんを呼びに店の奥に引っ込んだ。
「喜助さん、何かあり得ないくらい口が悪い女の子が呼んでるけど……知り合い?」
「あぁ、そういえばもうそんな時期ですね」
居間で鉄裁さんとくつろいでいた喜助さんに声を掛ける。喜助さんは「そういえば」とポンと手を打って、それからニヤリと笑った。
「……強烈でしょう? 彼女」
「強烈っていうか……刺激物だよ、あれは」
喜助さんの知り合いだった。
つまり、私の予想通り。
「ハハハ、あながち間違いでもないっスね……じゃ、行きましょうか。あまり待たせるとまた面倒なことになる。鉄裁サン、店番よろしくお願いします」
「承知いたしました」
店番? 今から店に出るのに?
私は首をひねりつつ、喜助さんの後について店先に向かった。
「いやあ、お久しぶりっスね。ひよ里サ――ぶっ!?」
「遅いわ! ハゲェ!!」
「えぇぇ……」
喜助さんが店内に顔を出した途端、その身体が後ろに吹っ飛んだ。
とんでもなく口の悪い女の子――猿柿ひよ里さんがその顔面に飛び蹴りを食らわせたからだった。
「イテテ……久しぶりなのに酷いなぁ、ひよ里サン……」
「蹴飛ばしとうなるよーな顔しとるお前が悪いんや!」
「そんなこと言われたって……」
喜助さん、何でもないように笑ってるけど鼻血出てるよ……良いのか、それで……
「桜花、今日は特に予定とかないっスよね?」
「ないけど……いや、それより大丈夫?」
「これくらい余裕っス。それより、今からちょっと出かけ――」
「あぁん?! 余裕ゥ?! 誰の蹴り食らってそないなハゲたこと抜かしよるんやハゲコラァ!?」
ダメだ、この人刺激物なんてヤワなもんじゃなかった。
「……爆発物だな、この人」
「誰が爆発物や!!」
◇ ◇ ◇
グランドフィッシャーの一件から、一年と少し。
私は十歳になった。
年齢不詳で拾われた私だから、誕生日がいつなのか、それどころか実際は何歳なのかすらはっきりしないんだけどね。
とにかく。
あの事件によって私は、浦原商店の人達に多大な心配を掛けてしまったみたいだった。
喜助さんはグランドフィッシャーと戦う直前、少し様子がおかしかった。今考えるとあれは多分、そういうことなんだと思う。
鉄裁さんは、心配していたと言ってくれた。
夜一さんは、自分がいればもっと早くに助けられたのにと申し訳なさそうにしていた。
そして、それが特に酷かったのは
あれ以来、心配だからと家にいる間は片時も私から離れなくなってしまった彼女をなだめるのに、まさか半年近く掛かるとは思っていなかった。
まぁ……そこまで大切に思ってくれるのは、ものすごく嬉しいことでもあるから、別に嫌でも苦でもなかったんだけどね。
「じゃあね、雨。ちょっと喜助さんと出掛けてくるから」
「……うん、いってらっしゃい」
「いってきます」
ほら、今ならこうして穏やかに見送ってくれる。雨がお姉ちゃんっ子になってくれるのは嬉しいけれど、重度のシスコンになってほしいとは思わない。だから、これくらいでちょうど良いんだ。
「荷物、持ちました?」
「何に使うの? これ」
「後で説明してあげますから。今はほら、行きますよ」
「……はーい」
何やら布らしきものが入った小さな包みを渡された。
それを指差して訊ねるも、喜助さんは笑みを浮かべるだけで教えてくれなかった。
「どこに行くの?」
「それも、着いてからのお楽しみっス」
「そればっかりだね」
どうやらとことん勿体ぶるつもりらしい。
ひよ里さんが来ているってことは、
何が何だか分からなくて首を傾げる私と、何に対してなのかは不明だけれどとにかく不機嫌そうなひよ里さんを他所に、喜助さんは何やら楽しそうだ。私のものより何倍も大きい包みを抱えているにも関わらず、その足取りは軽い。
そんな喜助さんだが、今はいつもの甚平姿ではない。Tシャツとジーパンにサンダルと、現代風な服装だ。理由は簡単、私が先程これに着替えてくれと渡したから。霊体でもないのにあんな変な格好で隣を歩かれてはたまらない。きっと、周りから浮くとかそういう次元じゃない。
本人は甚平の方が楽だと文句を言っていたけれど、私の「似合ってんだから良いじゃん」の一言で機嫌を直していた。単純なのか複雑なのか分からない人だ。
「あら? ひよ里サン一人で来たんじゃなかったんスね」
「まぁ、あの見た目だからね。保護者がいた方がいいだろう?」
真っ先に店から出た喜助さんが、ふと左を向いて立ち止まった。
店先に誰かいるらしい。聞いたことのない声だった。誰だろう、と包みを抱えて店から出る。
「久しぶり。毎度毎度悪いね」
「お久しぶりっス。良いんスよ、気にしなくて」
そこにいたのは長いウェーブのかかった金髪に、襟にフリルのついた長袖のシャツを着た、どことなく薄幸そうな男の人だった。
あ、この人……
「ローズッ! 誰が保護者や!!」
「ボクが保護者。キミが保護者な訳ないだろう? ほら、行くよ」
「そないなこと言うてるんとちゃうわ!!」
いきり立つひよ里さんに対して、ローズと呼ばれた男性は冷静そのものだ。
それより『ローズ』といえば確か三番隊隊長だった人だよね……あれ、フルネーム何だっけ? 『鳳』だったか『凰』だったか、そういう字が入ってる、やたらと長い名前だったような。
「あれ、その子は?」
フルネームを思い出そうと俯いて思案していると、その張本人から声を掛けられた。慌てて顔を上げる。
「はじめまして。桜花っていいます」
きちんと自己紹介。
第一印象って大事だからね。小学校の入学式のような失敗は二度としたくない。
「桜花ちゃんか。キミは彼の弟子かい?」
「はい、そんな感じです」
「そうかい。ボクは
そうそう思い出した、鳳橋楼十郎。
「よろしくお願いします、鳳橋さん」
「はは、鳳橋じゃ長いだろう? ローズでいいよ」
名前が長いのは本人も自覚していたらしく、ローズさんは苦笑してそう言った。
「しゃあないな! ウチの名前も教えたるわ。ウチは猿柿ひよ里や。ちゃんと『さん』づけで呼べや、クソガキ」
どうして名前を教えるだけでそんなに偉そうなんだ。
そう言いそうになったが、言わなかった。あえて喧嘩を売る必要もなければ、喧嘩を売るほど嫌っている訳でも腹を立てている訳でもない。
「はい、ひよ里さん」
「なっ……」
「よろしくお願いしますね」
年齢的にも実力的にも明らかに私の方が下だ。だからと思って笑顔で答えると、ひよ里さんは明らかに動揺していた。まさかこんなに素直に呼んでもらえるとは思っていなかったらしい。
「そっ……それでええんや! 見たかローズ、ウチかてちゃんと威厳はあるんや!」
「それ、ひよ里の威厳じゃなくて桜花ちゃんが大人なだけだと思うよ」
「じゃかしいわ!!」
ひよ里さんが顔を赤くして怒鳴る。
この人、これで百年以上の年月を生きてるんだよね。
……見えないなぁ。
◇ ◇ ◇
霊子で構成された荷物を背負ってやって来たのは、隣接する県の北端にある小さな市街地だった。時間が掛かるとは聞いていたけれど、鈍行の電車で三時間半も掛かるとは思わなかった。
鈍行じゃなくて高速列車なり急行列車なりに乗れよって話だ。
しかし突然の長旅にうんざりしている私と違って、他の三人は静かに座って高速で流れゆく景色を眺めていた。喜助さんやローズさんが騒がないのは分かるとして、ひよ里さんも大人しくしているとは思わなかった。
やっぱり数世紀生きた死神と百年も生きられない人間では、時間の感じ方が違うんだろうか。
「着いたよ、ここが今のボクらの家だ」
最寄りの駅から歩いて数分。
昼間の暑さが少し弱まった夕暮れ前、商店街を抜けた先にあったのは、雑草が生い茂ったただの空き地だった。
ローズさんは、その空き地を指して『ボクらの家』と言った。
「は?」
不思議そうな顔をしているだろう私を見て、喜助さんとローズさんが楽しげに笑う。
「結界だよ。霊力のない人間には、この空き地の存在自体が認識できないようにしているんだ」
「あぁ、そういうこと……」
「そうそう。じゃ、行くよ」
そう言ったローズさんが空き地に一歩踏み入った。
そして、不意にその姿が掻き消えた。
「うわ、消えた」
「ほらほら、驚いてないで行きますよ」
ポン、と喜助さんに肩を叩かれて頷く。そして、恐る恐る足を踏み出した。
その瞬間、目の前に古びた建物が出現した。
十年以上前から放置されている町工場……そんな感じの建物だ。コンクリートの壁は所々剥がれ落ち、トタン屋根は錆びついている。
ただ、工場に至るまでの砂利道に雑草はほとんど生えておらず、玄関付近には傘が数本立て掛けてあり、確かに人が住んでいる雰囲気はある。
こんなものを隠せるなんて、結界の技術ってすごいな。
「いつまでそないなとこに突っ立っとるつもりや。はよ入れやクソガキ」
「あ、すみません」
いつの間にか入り口の前にいたひよ里さんに声を掛けられて、我に返る。
私は小走りで彼女のもとへ向かった。足元の砂利がやかましく音を立てる。
喜助さんとローズさんは、もう中に上がってしまったようだ。入り口の前にいるのは私と、私に胡乱げな眼差しを向けているひよ里さんだけだった。
「お前なぁ、何でウチにヘコヘコできんねや」
「え? そうしろって言ったの、ひよ里さんじゃないですか」
「そりゃ、そうやけど……」
ひよ里さんは言葉に詰まって、そして黙り込んでしまった。
もしかして。
「見た目が同じくらいなのに……ってことですか?」
「……そうや」
ひよ里さんは、ふてくされたようにそう返した。
「それはまぁ、ひよ里さんは人間じゃないですから」
さらりと言うと、ひよ里さんが少しだけ目を見開いた。
「……全部知っとるんか? お前」
「全部?」
「知らんのか。やったら何で……」
「いやぁ、よく分かんないんですけど、喜助さんの知り合いって大抵人じゃないんですよね。それに――」
ひよ里さんが浦原商店に来た時から背負っていた、
「斬魄刀を持っているあなたが、人間の私と同年代な訳がないでしょう?」
まさか、「原作知識があったので」なんて言えるはずもない。ひよ里さんが分かりやすく斬魄刀なんて持っててくれて良かった。
「……あのハゲの弟子ってのは、伊達やないんやな」
「これでも一応、普通の
斬魄刀持ってないんで襲われない限り虚征伐なんてやりませんし、
そう言って笑いかける。
けれど、私の言葉は彼女のお気に召さなかったようで。
「……しょーもな。置いてくで」
複雑そうな顔をしたひよ里さんは私を見てそう呟くと、さっさと室内に入ってしまった。
置いて行かれた私はしばらく何か失言でもしてしまったかと思案していたけれど、何も思い当たらず諦めて建物の中に入った。
廃工場だからワンフロアぶち抜きだろうと思っていた建物の中は、思っていたより普通の家に近い造りをしていた。
まず床が全面フローリングだった。
そして玄関、廊下を抜けた先にあったのは、広めのリビングルームだ。そこには大きなソファとテレビ、それからダイニングテーブルが設置してあった。
と、そこまで観察したところで私は硬直した。
そんな余裕なんて、なくなってしまったからだった。
私より先に入っていた喜助さんとローズさんは、リビングのソファに腰掛けていた。そして、そのソファには二人以外にも見知らぬ人達が四人。それから、ダイニングテーブルの椅子にはひよ里さんを含め、三人が座っている。
──合計、九人。
余裕がないのも当然だ。
私が部屋に入った途端。
それらの視線が、一斉にこちらを向いたんだから。
「……」
正直に言おう。
めちゃくちゃ怖い。
生まれ変わって私の性格はガラリと変わった。だからこれは人見知りとか、そういうことじゃない。
「……何や、お前」
「ぁ……」
明らかに、私だけが場違いだった。
この人達は全員、数百年の時を生きた隊長格……圧倒的な実力者だ。
そんな人達が揃って、部外者の私を冷たい目で見つめている。
義骸に入っているからだろうか、彼らから漏れ出ている霊圧の量はそれほど多いという訳でもない。
しかし。その密度は桁外れに高い。
そんなものを前にして、そんな濃い霊圧を浴びて、怖くないはずがない。
「っ……」
噴き出した汗もそのままに、私は震える拳を握りしめる。恐怖で塞がれてしまった喉からは、掠れた声さえ発することができない。
ダメだ、少しでも気を抜いたら泣き崩れてしまいそうだ。
「……聞こえんかったか?お前は何やと訊いとるんや」
「……っ!」
呑まれるな、と自分に言い聞かせる。
俯きそうになる顔を必死で上げて、知らず知らずの内に噛み締めていた唇を解く。
そして、持てる全ての勇気を振り絞って口を開いた。
「は……はじめまして! 喜助さんの所でお世話になってます、桜花という者です! よろしくお願いしますっ!!」
言い切って、それから私は勢い良く頭を下げた。
頭の上げ時が分からないが……だったら何か言われるまで下げ続けよう、とその体勢を保ち続けることにした。
その時だった。
「アカン、もうカワイソなってきたわ」
「…………え?」
「もうええやろ喜助。嬢ちゃんも顔上げぇ」
「え……は、はい……」
先程と同じ人の、しかし先程よりずいぶんと気の抜けた声に恐る恐る顔を上げると、目の前に金髪でおかっぱ頭の男の人が立っていた。あ、この人は……
「喜助に助け、求めんかったな。根性座っとるなぁ、お前。オレは
「はあ……そう、ですか……」
ポンポンと頭を撫でられた。
え、何がどうなって……だって、今の今まであんな……
「何や理解できとらんっちゅう顔やな。ほれ、説明したり」
「ハイ」
ソファから立ち上がった喜助さんがニッコリ笑う。
いつの間にか、張り詰めていた空気は霧散していた。
「皆サン! 突然のお願いでしたが、協力ありがとうございました」
「ほんっとお前、意地が悪いよなぁ……大丈夫か、ガキ」
「全く……可哀想に」
「ごめんね、桜花ちゃん」
「何言ってるんスか。ノリノリだったくせに」
「……は?」
私に同情する言葉を掛けてくれたのは銀髪のゴツい青年と、星型の髪の毛をしたおじさん、それからローズさんだった。
「ねぇ喜助さん……どういうこと?」
「いやぁ。ここらで一回、本物の実力者ってモンを体感させておくのもアリかなって思いまして」
喜助さんが、楽しそうに笑う。
「……え、じゃあ何。あれ、喜助さんがワザと
「大正解っス! ビックリしました?」
そうか。出発前にやたらと楽しげだったのは、こういうことだったのか。
「……」
私は迷わなかった。
今にも泣きそうな顔を
「よしよし。もう大丈夫っスよ、桜――うぐぅっ!?」
そして、その股間を全力で蹴り上げてやった。
声にならない悲鳴を上げて、喜助さんが床に崩れ落ちる。
そりゃあ痛いはずだ。
片足だけ瞬歩みたいに霊圧でブーストしたんだから。私の膝も痛かったくらいだ、それ相応の威力はあったに違いない。
「……改めまして、桜花といいます。皆さんのお名前、伺っても良いですか?」
倒れ込んだ喜助さんは当然放置して、私はニッコリ笑う。
仮面の軍勢の人達は、快く名前を教えてくれた。あだ名に『さん』づけで呼ぶことも許してくれた。
その内の男性五人が引きつった表情を浮かべていたのは、きっと私の気のせいに違いない。
普段は穏やかな桜花ですが、怒ったら実力行使に出ます。今のところ主な被害者は浦原さんだけですが。