はくのんはβから無事に逃げ切った。
また、手に入れた情報とエディの話からドレクスラーのアジトの存在を知った彼女はそこに忍びこもうと考える。
だが、清城市の濁りきった水面下では着々とはくのんの噂が広がっていた……。
>>???
何を考えているわけでもなく、ただ視線を前に向けていた。そこにあるのは何も映さない銀幕だけ。私はいつからここにいるのだろう。今来たのか、それとも永遠に等しい時間を――。ぼーっとする頭でなんとなく額に手を当てる。ひんやりとした熱が心地いい。私はふかふかの座席から立ち上がって周囲に目をやった。
30席ほどしかない小さな劇場。薄暗い照明の中、スクリーンの反対側にある緑色の非常灯だけが空気を読めない一番星のように光っている。上映が終わった状態なのだろうか。まぁ、どちらでもいい。まずはここから出るとしよう。急いでいるわけでもなし、私は防音性を備えたがっしりとした造りの扉へゆっくりと移動する。
ふと、誰もいない劇場を振り返って――おかしな既視観をほんの少しだけ感じたが、それを掴もうにも頭の中は依然としてゼリーみたいにどろどろ。粘度の異なるイメージを強引に捏ねて、少量のシロップを加えオーブンへ。ふっくらとした一次的な表面構造の複雑さは変化に富む現実世界の脳漿。
扉の向こうに抜けた私は思わず熱っぽい息を吐く。――綺麗。国賓を招いたパーティでも開かれそうな、贅を尽くした赤い絨毯を敷き詰めた広間。シャンデリアと天井が何億も衝突を繰り返したかのように黄金色に煌めいていた。
どこからか楽団の演奏が聞こえてくる。聞いたことはないが、この場の雰囲気に合わせたような楽しげな曲だ。ようやく始まるというのか。――何が始まるの? くるぶしまで沈む絨毯を踏みつけながら、私は広間の中央へと足を進めた。招かれたからにはホストに挨拶をしなければならない、それは当然のマナーだ。――そうなの? 招待状はどこにやっただろう。身体のどこを撫でてもそれは姿を隠したままだ。これはまずいぞ、このままでは圧縮されて捨てられる可能性が高い。――誰に?
礼を尽くさなければならないだろう。シャンデリアの光が徐々に絞られ、会場が薄暗くなっていく。同時に六条の白い光が私に当てられた。客はいないけれど、視線は独り占め。シャーレに載せられた標本、まるでいつもとあべこべ。
ふふ、一世一代の
私は背筋をピンと伸ばして堂々と前を見据えた。それに合わせて演奏が止まり、周囲がシンと静まり返る。しじまの中で私は右足を斜め後ろ内側に引き、ワンピースの裾を両手で軽くつまむ。そして、そのまま左足のひざを少しだけ曲げて、恭しく頭を下げた。
決まった! これで資格を得たはず! 私はほっとして目を伏せた。
――なんてことを。あなたから眼をとったら何が残るというの。
それは誰の声だっただろう。
あっという間に――
――何もかもが崩壊した。
豪奢なシャンデリアが第一宇宙速度で吹っ飛び、天井の割れ目から逃げ場を求めるように赤い液体が流れ込んでくる。絨毯で覆われた広間は間を置かずに、膝まで濡らす浅瀬に姿を変えた。
壁は霧消し、赤い海原の水平線は笑えるくらいに遥か彼方。夕焼けが泣きはらしたかのような真っ赤なソラは、大小様々なパンチャーに穿たれたみたいに欠け落ちていて、そこから覗く複数の赤黒い帯状のものが不規則に脈動して滝のように血を吐き出し続けていた。
気味の悪いところだ。けれど、逃げようという気は不思議と起こらない。認めたくはないが、ここはどこか落ち着くのだ。ヒトの始まりの場所、あるいはいつか辿り着く場所を連想させる。でも――
――私がお辞儀をしてしまったばかりに世界がこんなことに……。
「
いつからそこにいたのだろう。今現れたのか、それとも最初からいたのか――。私の正面には狐面を付けた女性が悠然と立っていた。彼女が無意識に放つ重圧はこの空間そのもの。それに当てられたのか私の身体はぴくりとも動かない。
「
彼女の発する言葉は良く分からない。言語が異なるとかそういうレベルではなく、次元、相まで異なっているような感覚。でも、脳内に響くこの途切れ途切れの声はほんの少しだけ理解出来た。
「
肩まで伸びた綺麗な金の髪を揺らしながら彼女は私に近付いてくる。背丈は私とそれほど変わらない……というか同じ? 緑色の意匠が特徴の白いワンピースに身を包んだ彼女は私の顔を覗き込んできた。狐面の奥から覗く瞳の色は明るいオリーブ。
「
彼女の細い指が私の頬を撫で、そのまま首筋を伝い、胸骨に触れた。同時に、とんと軽く押され、身体がゆっくりと後ろ向きに倒れていく。もう片方の手で彼女は狐面を外し、私の顔にそっとかぶせた。
「
最後にちらりと見えた彼女の顔立ち――髪色も、虹彩の色も全く違うけれど。
なぜ、私と同じなの?
分からない、何もかも。
ソラの隙間から覗く、巨大な瞳に見詰められながら、私は深く深く、沈んでいく。
何かを考えようとするが、考えた先から篩にかけられて抜け落ちていくため、自分のことすら曖昧になる。私は、誰だっけ?
そんな胎児の夢を連想させるふわふわした時間も長くは続かず、やがて私に空白の時が訪れた。
その、間際に。
「ねえ――」
幼い呼び声が、かすかに聞こえたのだ。
《
◇◇◇◇◇◇◇
>>ドレクスラー機関アジト(?)構造体
遠くの爆発音でふと我にかえった。
にわかには信じられないが、どうやら少し意識を手放していたらしい。ここは既に戦場だというのになんたる図太さか。とはいえ昨夜ぐっすりと睡眠をとったくせに、意識を失っていたのはどうにも腑に落ちない。私は簡易的に自身の身体を
まるで島一つを買い取ったかのような広大な構造体だった。グリッド状の空には、曵光弾が間断なく飛び交っており、あちこちから黒い煙が上がっている。おそらく私以外にも誰かがこの構造体に
構造体に突入してからもう1時間は経過していた。コードキャスト
今回の目標はデータベースからの情報奪取だ。研究員から話を聞ければ御の字だが、
視野の端に展開していたマップに
敵はザリガニのような腕を持った中型ウィルス三機、ダッシュを繰り返しながら腕を振り回していた。生身の人間ならばその一撃で百人は吹き飛ぶのだろうが、ゲヘナは無人兵器に後れをとるほど弱くはない。本来なら出会いがしらに一機は屠っているが、ゲヘナはあえて手加減をしていた。
ストレスでもたまったのかゲヘナの背後をとるウィルスが構造体の床をバンバン叩く。それはこのウィルス特有の突進攻撃の予備動作なのだが、ゲヘナはそれに反応することなく他の二機と鍔競り合っている。――余裕の表れ? それとも気付いていないだけなのだろうか。
否、そのどちらでもない。
突進行動に移ろうとしたウィルスの胸に赤い筋が一直線に走り――そこから赤い炎の飛沫があがる。糸が切れたかのように動きを止めたウィルスは地面に崩れ落ち、0と1のデータとなってその場から消失した。
――97機目、回収。
小さな呟きはウィルスが消えた20m後ろの地点から。
そこには狐面の少女――岸波白野が歪な赤い剣を振り抜いた姿がある。彼女はそのままゲヘナの傍らにいる二機にも視線を飛ばし、それらを続く数秒で連続して回収した。
白野とゲヘナのこの一連の動きはここまで幾度となく繰り返してきたものである。定められたロジックでしか動かないウィルスをゲヘナで足止めし、どこからともなく忍びよった白野がレガリアの力を行使してそれを回収するという戦術だ。
その過程で白野はレガリアの炎に指向性を持たせることが出来ると気付き、絶対皇帝圏の範囲内であれば
おかげで彼らの損耗率はここまで0%だ。
データベースを内包する建造物の中に白野とゲヘナは飛び込んでいく。この建物だけでも前回忍びこんだ構造体の半分はあるのだから、今回の構造体の広さがいかに常識外れなのかが分かる。恐らくは統合以前の軍事施設が遺棄された場所なのだと考えられる。防衛システムのレベルの高さがそれを暗示していた。
データベースへはもう数仮想キロの一直線の道だけである。目的地まで罠やウィルスといったものは見当たらない。このまま辿り着ければいいな、と思った瞬間電子音とともに地図上に敵を示す記号がポップした。
――……運がわっるーい!
思わず悪態をついてしまうが、私はひとまず情報を確認する。敵は一機で座標はこの回廊の先。こちらとほぼ同じスピードで接近しつつあり、このペースだとデータベース前の広間で鉢合わせることになる計算だ。敵の種別は……そんな気はしていたけどやっぱりシュミクラム。この距離まで探知できなかったのは、相手が妨害装置を積んでいたのか、それとも支援要員がよほど優秀だったか……まぁ、そこらへんの分析はともかくさて、どう対応しよう。
目的を達しないままの退却はありえないから、どのみち接敵するのは明らかだ。ならば通信で、こちらの目的を話して理解を求める? ……それは、絶対にありえない。そもそもあのシュミクラムはこの構造体側の人間の可能性が高い。そうでなくとも、搭乗者がこちらの話を聞く余裕のある人物であると想定するのは甘すぎるし、もし信用してくれたらそれはそれで怪しい。
いや、待てよ……私は顔を狐面で隠し、腰に尻尾を生やしている――もしかしなくても、この場では、私が一番怪しくて信用できない人物じゃないのかな?!
戦場では甘い計算が死を招く。かといって最悪の想像ばかりしていれば足が止まってしまうことだろう。想像は無限、されど出せる策は一つ。ならばどの想定にもうまく嵌まるような策を出せば良い。まさしく言うは易く行うは難しだが、今回に限ってはそれが可能である。
私は視認できるまでの距離に近付いたシュミクラム――仮称γ――どことなくゲヘナを思わせる青と白のシンプルな機体――の周りにアイテムボックスの
確かに、彼女の知識の範囲では中々の作戦だった。10機の
それが
――何の前触れもなく、黄金の光が瞬き、
――ただの一閃で、全方位の
――凄い。まるで、……。
まるで、なんだったっけ? 記憶の彼方にそれを表現する言葉があったような気がするが、まだそれを思い出せる時期ではないらしい。それはさておき、私のとーっても完璧な作戦は残念ながら秒速で水泡に帰してしまったわけで、ただちにプランBを発動させる必要がある!
――ゲヘナ、任せるよ。
戦闘はもう避けられない、こうなったら超短時間で相手を
肩から私が飛び降りたと同時に、ゲヘナは加速しデータベース前の広場に突撃する。一方でγは爆煙の中から凄まじい速度でタックルを仕掛けてきた。虚を突かれたゲヘナはすかさず長刀で防御の姿勢をとってなんとかその勢いを殺すが、γは畳み掛けるように機械の右拳を握ってそれを素早く突き出す。
もしこのままボディーブローを受けたとしたら間違いなく以前のα戦のときのように宙に浮かされ、為す術もなく敗北することになる。でも、そんな未来を私は絶対に認めない!
――
――
加速したゲヘナは長刀を軽く投げ、迫るγの拳を無手となった右前腕部でいなす。さらに、踏み込んだ左足を軸にその場でターンし、その途中でひっ掴んだ長刀でγの首を薙ぎ払った。――が、その一振りは空を斬る。
拳を躱されたγが
ここは既に射程距離。私はレガリアの炎を纏った赤い剣を臨界まで収束し――斬撃を放つ。音速以上の速さで飛来するそれは視認してからでは避けることなどできはしない。ましてや相手は回避直後の不安定な体勢のままなのである。
だが。
γは当たり前のようにそのまま片足で跳躍し、それを避けた。あまつさえ片手に取り出したマシンガンでゲヘナを牽制する始末。――まるで化け物だ。γは空中で無防備を晒しているが、ゲヘナは近寄れず、私も剣を振り抜いた状態では動けない。瞬きの後にはγが着地し、戦いは仕切り直しとなるだろう。
だが、私の手にはこの状況の先が用意されている。
私は視線でγを射抜いた。
――
これでチェックメイト。スタンで身動きの取れないγにゲヘナが長刀を振り下ろせば、この戦いに決着が着く。アーク構造体で戦ったαも突然のコードキャストには対応できていなかった。初見で不可視のプログラムを避けられるはずもないので、当然と言えば当然である。コードキャストが仮想世界を伝達する刹那を知覚できるのは、それこそ私と同じ
――それが、慢心だったのだろう。
例外は常に存在する。
私のコードキャストと同時に、γの両腕部から放出された銀色に煌めく大量の繊維がγの周囲を覆って雲を形成した。その内容を確認した私は思わずゾッとする。その正体はチャフ。
それは私も知らないコードキャストの弱点……。γは予備動作を隠したコードキャストを察知しただけではなく、対抗策も瞬時に見抜いたというの? ありえない、そもそもなぜ私が攻撃すると分かったのだろう、ただ視線を投げかけただけだというのに。
でも。
ああ、なんて……なんて、凄い人なのだ、この人は強すぎる!
これからどう戦えばいい? 刹那に身を浸して私は必死に思考する。ウィルスを展開するのも悪くないれけど、最初にγが見せた全体攻撃を繰り出される危険性があるので却下。現在の位置関係は私とゲヘナでγを挟んでいるような状態であるため、ゲヘナに再度コードキャストを掛けるのは、難しい。そもそもチャフがまだ少し舞っている状態でのコードキャストはただの賭けだ。
――ならば。
レガリアで絶対皇帝圏を展開しγを弱体化させるのが最善か。恐らく変質したフロアを警戒して踏み込むことはしないだろうが、そこに追いこむような戦法を取れば、γの動きに制限が付き、そこに間違いなく隙が生まれるはずだ。また、これはただの直感なのだが、今ならあの領域をさらに広く展開させられる気がしてならない。
言うなれば、その思考時間が白野の隙だった。さらに彼女はある可能性を――それはもう現実になってしまったのだが――失念しているのだ。彼女はγの着地後の行動はゲヘナに向かうものだと判断しているが、シュミクラムγ――門倉甲中尉は既に最優先排除目標をゲヘナから白野に変更している。彼女は自分の脅威度を過小評価していた。
だから、中尉が着地と同時に白野へ銃口を向けた瞬間に彼女は僅かな間だけ硬直してしまった。中尉はそれを見逃さずに引き金を引き、それに気付いた彼女は咄嗟に move_speed() を使用して移動しようとする。
――それが彼女のミス。ジルベルト戦でのミサイル避けが頭に残っていたのだろうが、ここはウィルスを盾にするべきであった。出現までにタイムラグがあるため間に合うかどうかは分からないが、最初の硬直が無ければ充分間に合っていただろう。
加えて中尉が放ったのは実弾ではなく、標的を追尾するレーザー弾である。速度が実弾とは比較にならない以上、彼女のコードキャストはまったく意味がなかった。
――凄まじい。
γの戦闘技能はその一言に尽きる。仮称α、βとの戦いを無事に切り抜けられたことから、心のどこかで私は油断をしていたのだろう。全ての策が無為に終わったことを受け入れた私は、迫り来るビーム径1m程のレーザー弾に手をかざす。最初に仕掛けた私が言うのもなんだけど……。
――これは、ただの電子体に撃つものじゃなーい!
瞬間、私は白い光に包まれた。
◇◇◇◇◇◇◇
目覚めると俺は白い海に漂っていた
柔らかなシーツの感触
白い布地が陽光に照らされていて、
眩しさに開きかけた薄目を閉じる
おそらくはいつもと同じ、平和な一日の始まり
おそらく今日もいい天気
窓から差し込む光が、
まぶたを閉じても、なお眩しい
だけど、ベッドから抜け出すにはまだ早い
――だって、聞きなれた呼び声が、
まだ、俺の耳には届いていないから
「甲、起きて」
――とか、考えていると、ほら、さっそく、『あいつ』の呼ぶ声が聞こえてくる。
――『あいつ』。
俺にとってちょっと特別な女の子。
生まれて初めて出会った、ちょっと深い関係になれそうな女の子。
『あいつ』を思うと、胸が切なく痛んでしまう。
毎日、寮で顔を合わせ、一緒に学園に通っているのに、もっともっと、一緒の時間を過ごしたくて……。
……。
……なのに、どうしてだろう?
『あいつ』の名前がどうしても頭に浮かんでこない……。
「甲……」
「甲さん」
「甲、……こ~おっ、甲ッ」
「甲さん、……甲さん、……甲さん」
「起きてください、甲中尉!」
意識が急浮上して、真っ先に目に映ったのは眼前に迫る、鋼鉄の爪だった。
そうだ、……思い出せ。俺は眼前に迫りくるそれを避けつつ、ここに至るまでの状況を整理し始める。
◇◇◇◇◇◇◇
>>ドレクスラー機関アジト(?)構造体
部隊の士気は総じて高かったが、構造体の深層に至るまでに損耗度は30%を超えていた。このままでは危険だが、ここで引き下がるわけにはいかない。ドレクスラー機関をここまで追い詰めたのだ――
俺は軍用通信を開く。
「レイン、聞こえるか? これから、データベースに潜入する。他の連中は、データベースの守備に当たらせてくれ」
「
それからしばらくして、データベース中枢への最後の一本道を疾走していると、レインから切迫した声での通信が入った。
「中尉、前方から識別不明のシュミクラム接近! データベースにも敵が潜んでいます、警戒を!」
俺は思わず舌打ちをする。待ち伏せ――迎撃と防衛に分かれたということか。事態は刻一刻を争う。敵機をわざわざ相手にしていれば部隊の仲間が全滅するだろう。ここは速攻で終わらせる必要がある。
「敵部隊の詳細を送ってくれ、レイン」
「少し待ってください……。くっ、すみません、……
「レイン?! レイン応答してくれ!」
耳障りなノイズで彼女の声が完全に途絶える。まいったな、戦場で
だが、俺はここで止まるわけにはいかない、目的のために障害は全て排除する。連中もそれを望んでくれるはずだ。目下の目標はこの回廊の先にいる敵だ。俺はカメラアイを望遠モードに切り替え敵機を確認する。
……無駄を削ぎ落としたシンプルなモノクロの機体、そしてその肩に座るのは……狐面の、女?!
「おいウソだろ。あれが――」
――狐面の巫女、なのか? 電子体で戦場に現れると噂の、頭のネジがぶっ飛んでるとしか思えない狐の尻尾を生やしたファンタジーな少女、……まさか実在するとは思っていなかった。しかし、このタイミングで彼女が現れたとなると、彼女がドレクスラーの人間であるという可能性がかなり高いということだ。
俺は頭を切り替える。世界中の紛争地帯を回ってきて俺とレインは少年兵など腐るほど見てきた、……油断したらあっけなくこちらが殺される程の実力を彼らは持っている。隙は見せないつもりだが、シュミクラムにも移行しない彼女の脅威度は正直なところさほど高くはない。当たり前だが、まず撃破すべきはあのシュミクラムである。
彼ら目がけて疾走する俺の周りに突如として、
ならば、力づくで押し通るまでッ!
――
虚空から取り出した黄金に光る巨大な剣を俺は両手で握り、旋回して一気に振り抜く。刹那の後に連続して発生した爆発音はまるで花火工場の火災事故。モニターが白く染まって何も映さないためレーダーで周囲を
だが、ここで終わらせるわけがない。敵に訪れた虚の時間を、俺は限界速度ぎりぎりのタックルで貫く。対応が遅れたモノクロのシュミクラムは長刀の腹でそれを防ぐが抑えきれず、踏ん張る機体に火花が散って床に黒い轍を作る。
――ここだ。
俺は
――だが。刹那が笑う程の時間で敵は目の前から姿を消し、俺の拳は空を穿った。消えた? 馬鹿な! ――身の毛がよだつ程の殺気は後ろから。
「くうッ!」
それを躱せたのは積み重ねた経験のおかげというほかない。一秒前に俺の首が存在していた場所を長刀が勢いよく通過した。
さらに、窮地は続く。俺の目に、狐面の少女が陽炎のように揺らめいた赤い剣を構えている姿が飛び込んできた。恐らく、彼女は敵シュミクラムの背後にその姿を隠していたのだ。赤い剣の刀身に炎が急激に収束していくのを眺めながら俺はレインの言葉を思い出す。
――彼女は炎を纏う剣で
なんて馬鹿馬鹿しい空想なのだと思う。あまりの荒唐無稽さに幼い子供でも笑ってしまいそうな非現実的なお話。――あまりに現実味のない光景、だがそれはいま間違いなく俺の目の前にあるモノだ。……現実から目を逸らすな、構えで剣筋を予測しろッ!
思考を束ねて俺は安全地帯に跳躍する――と同時に指幅ほどの間合いの先を極限まで圧縮された炎の光弧が、音速を遥かに超えた速度で過ぎ去った。当たったらどうなっていたかは想像できないが、これは指向性の光学兵器なのか? だが、ただの電子体にそんな大層な武装が扱えるとも思えない……。追撃を狙ってくる敵シュミクラムをマシンガンで牽制しながら俺は考える。先程の拳を躱した敵機の速度は異常だ、まるでAIの絶対法則を無視しているかのような動き――まさか、それも彼女が? 視線を向けると彼女も跳躍途中のこちらをじっと見つめていた。表情を窺うことはできないが、彼女の纏う空気は攻撃前のそれ――時計の秒針が縫い付けられ、俺の背筋が凍っていく。――彼女は未知だ。何をするかが全く読めないこれまでにない敵のタイプ……。真っ先に潰すべきは、彼女だ。
どうする? ――何が来るのか分からないのなら、分からないままに足掻くしかないだろう。俺はこれまで積み上げてきた傭兵の勘でとっさにチャフを両腕部から射出した。
はたしてそれが功を奏したのかは分からない。だが、何事もなく床に着地することのできた俺は敵機が俺に到達するまでの間隙を縫って少女に追尾式レーザー弾を放った。対シュミクラム用の武装だ、為す術はないだろう。電子体の少女を殺すことに忌避感がないわけではない――ただ、俺は目的を果たすために立ちはだかる障害は全て排除すると決めている。
少女の消滅を確信して、レーザーが晴れたその先を見た俺は思わず息を呑む。そこには指の先でこめかみを軽く押さえて立った無傷の少女――ははっ、すげえ。俺はこの局面になってようやく狐面の”巫女”という言葉を正しく理解した。説明できない力を見せつけるこの少女を誰がそう呼んだかは知らないが、今の俺ならそいつの気持ちを過たずに理解することが出来るだろう。
俺は追加のレーザー弾を撃ちこもうとするが、背後から急接近する敵シュミクラムの長刀が迫っていたため、余裕を持ってそれを回避する。追撃してくるかと思ったが敵機はそのまま狐面の巫女を守るように彼女の傍らに移動し、こちらと向かい合って長刀を構えた。
そんな彼らに俺は古い時代の主人と従者の関係を幻視したのだった。
それは、まるで仕切り直しのような立ち位置。睨みあう彼らの横でデータベースの扉がゆっくりと、鼓膜をひりつかせるような金属音とともに開いていく。
そして――弾かれるように彼らはその内部に飛び込んだ。
MATERIAL
>>γ
門倉甲中尉の機体。名は影狼。最強。
>>レセクトンブレイド
巨大な剣を呼び出し、豪快に斬りつける技。自機付近の全方向に当たるため、敵に囲まれた時に絶大な効果を発揮する。
>>門倉甲の超概略
灰色のクリスマス当日、恋人と通信中だった彼は研究所付近にいた彼女がアセンブラでどろどろに溶解して死んでいく様子を、"最初から最後まで"すべて見てしまった。彼は、グングニール照射後の荒野で出会ったレインと共にその日の真相を知るためにドレクスラー機関と研究主任だった恩師、久利原直樹を数年追っている。