BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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>>前回までのバルステラ!<<

エディと麻婆を食べながらAIについて学んだよ!

ある構造体に忍びこんで情報を手に入れたのだけど、帰ろうとしたらいやな感じの人に襲われた! 分断作戦を取られたところにレガリアがその力の一端を示す!

どう覆すはくのん!




第5話 舞踏 / 無垢ゆえの

 崖の縁を目隠しして全力疾走するに等しい死線。白野と分断されたゲヘナは三機の戦闘用電子体(シュミクラム)を相手に苦戦を強いられていた。実力はβに幾分劣ってはいるが、相手は無人兵器(ウィルス)などではなくモノ考える3人の人間である。先程までジルベルトとの戦闘を観察していた彼らは効率的にゲヘナを破壊する戦略を立てていた。

 ――奴には遠距離での攻撃手段が無い。

 愚直なまでに長刀を振るい続けるゲヘナを見た彼らがその結論に達したのは至極当然であった。ならば、わざわざこちらから相手が得意な近距離戦に持ち込む必要などない。トライアングルのようにゲヘナを囲い込み一定の距離を保ちながらマシンガンで蜂の巣にする、それだけで完封できる。二機なら突破の目はあるだろうが、三機ともなると凄腕(ホットドガー)でも突破は難しい――

 

 ゲヘナは最初の数秒でこの単純な作戦を見抜き、三角の陣形から抜け出そうとしていた。だが、彼らはゲヘナの動きに逐一対応して陣形を整えるためそれは叶わない。射線の集束を嫌うゲヘナは噴射装置(バーニア)でランダムに三次元の動きを取ってはいるが、細かな弾痕がだんだんとゲヘナの装甲に刻まれつつあった。

 

 それでもゲヘナは疾走を続けた。その単眼(モノアイ)に遠く映るのは、紫の機体と対峙する栗色の髪の少女。彼女の動きには何の迷いもない。……ここで終わるはずがない、いや。

 

 ――ここは、死に場所としてはぬるいだろう?

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 紫のシュミクラム、下卑た悪意の権化、βがゲヘナの妨害をすり抜けて私に迫ろうとしている。だが、私はその前に彼の操るウィルスをどうにかする必要があった。炎で呑み込んだ半数は私の管理下にあるが、そのほかは未だβのものだ。中型のウィルスとはいえ高さ5mはある機体。その全てが吶喊してくる様子に私は少々肝を冷やす。

 恐らく、βが警戒しているのはウィルスの管理者を書き換える赫炎ないしはそれを纏うこの剣。……実のところ私にもこの赤い剣の詳細は分かっていない。だからまぁ、うん適当にぶんぶん振り回して威嚇しているのだけど。

 

 ウィルスが多方面から単純な飽和攻撃を仕掛けてくる。先刻の火災旋風は何度も起こせるものではないと私の動きから判断したのだろう。確かにあの規模の炎は繰り返し展開することはできないし、私が一対多の戦闘にすぐさま対応できるはずもない。

 

 このままではあと数秒で間違いなく私はミンチにされてしまうのだろうが、その未来はついぞ訪れることはなかった。全ての機体の動きは何の前触れもなくぱたりと止まり、一瞬の間を置いたあとに統率された軍の如く一斉にその体を反転させてβの方を向く。

 

 

 ジルベルトはもう少し踏み込んで考えるべきであった。真に注意すべきは炎ではなく白野が周囲20mに展開させる変質したフロア――大理石と赤い絨毯からなる、情熱の薔薇舞う絶対皇帝圏だった。

 度重なる慮外の出来事はジルベルトの思考に一瞬の間隙を生む。そもそも十数機のウィルスと向かい合って動揺しない者などいないだろう。彼女はその機を見逃さない。荒々しい戦場の中で彼女の薄桜色の唇が静かに動き、全てのウィルスに指示が行き渡る。

 

 ――総攻撃!

 

 

 

 アイテムボックスに見慣れない無人兵器(ウィルス)が収納されていることに気付いたのは、アーク構造体を脱出した次の日のことだった。ウィルスの属性をみると製造元はアークインダストリー、分類は探査用、そして管理者は私ということになっていた。また、属性に表示された管理者の最終更新日時はゲヘナとアイランナーを輪切りにしていた頃と一致する。さて、どういうことだろうか。

 アークが私に利することをしてくれるとは到底思えないため、贈与されたという線はないだろう。そうなると私がウィルスをアークから奪ったということになるが、私にそんな記憶はまったくない。従って、ウィルスは意図せず私のものになったという推察が出来る。

 そこで注目したいのはそのウィルスの用途が探査であるという点だ。あの構造体、あの時間、そして私と関係するものでアークが探査の目的とするものは一体なんだろう? 考えるまでもない、ゲヘナと遭遇した時に生じた大理石の魔法円以外にない。それ以上に私の存在が刻まれたものはあの構造体にはないはずだ。

 となると、あの変質した床と探査用ウィルスの奪取には関連がある、と考えるのが自然である。――触れたら死に至るという攻性防壁(ブラックアイス)の類もこの仮想空間には存在している。ならば管理者権限を書き換える性質を持つ領域を作り出す、ということもありえない話ではないだろう。

 アークの構造体内で出会いがしらに襲いかかってきたゲヘナ。あの子は炎に触れたことで停止したようにみえたが、実のところ炎の噴出と床の変質は同時に起きている。この事実も仮説を補強する一つになる。

 

 とはいえこれは穴だらけの推論もとい暴論、……全てが間違っている可能性もあった。だから今回の構造体潜入の序盤に待ち受けているはずの門番ウィルスでレガリアの効果をじっくりと確かめる予定だったのだ。しかしそれはβの思惑であっけなく崩され、途方もない窮地でそのプログラムを試すはめになってしまった。

 

 しかし、私は賭けに勝った。この場にいる無人兵器(ウィルス)、全てのコントロールは今、私の手中にある!

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 白野がβと仮称している赤髪の男――ジルベルトは反AI派のメンバーで構成された非正規傭兵部隊”ダーインスレイヴ”の隊長である。彼らは、金を用意すればどんな仕事でも請け負うということで名を知られていて、悪名だけでいえばフェンリルと並び立つほどである。

 今回の仕事の依頼主はとても臆病な人()で、内容はとある幽霊企業の構造体の警備というあまりにも退屈な仕事であった。なんでも制御中枢(セキュリティコア)のデータベースにあまり公にできないものがあるらしい。消せればいいのだが、彼は今、周囲にあまり不穏な動きを見せたくないのだそうだ。

 

 ジルベルトがその任務を視察しに行ったのは単なる気まぐれからだった。

 退廃的な音楽が騒々しく響く小さな部屋で、部下三名がトランプに興じているのを確認した彼は舌打ちをしてすぐに踵を返す。だがちょうど目に入ったモニタに視線を移した彼は、とても気味の悪い笑みを浮かべたのだ。――なんてタイミングの良さだ。

 

「見ろ、狐が迷い込んだぞ」

 

 ジルベルトの意味不明な言葉に一瞬怪訝そうな顔を浮かべる部下たちだったが、すぐさま状況を理解する。モニタには疾走するシュミクラム一機とその肩に乗る狐面の少女。それを確認した部下達が一斉に喜色立った。無理もない、今まさにこの仕事は()()()となったのだ。その理由こそ彼らの悪名の高さに繋がるもの。部下の一人が舌舐めずりをしながらジルベルトに尋ねる。

 

「隊長、捕縛したあとは今回も……?」

 

「くっくっく……、お前たちの好きにしろ。捕虜の処遇の取り決めは一切していないからな、生まれてきたことを存分に後悔させてやれ」

 

 下卑な歓声をあげる男達。彼らはあの少女をどのように嬲り尽くすのかを考えるのが楽しくて仕方がない様子だ。……彼らは世界中でずっとこのようなことを繰り返してきた。まともな傭兵部隊では絶対に許されない行為だが、ダーインスレイヴではさして問題にならない。何故ならこの傭兵部隊を率いるジルベルト自身が根っからのサディストで、彼が率先して女性を痛めつけるからである。ジルベルトは瞳に危険な光を宿しながら、深い笑みを浮かべた。――たった二人で侵入するとはなんと愚かな連中なのか。ははは、俺自ら教育してやる必要があるな。

 

「――制御中枢(セキュリティコア)までのウィルスをすべて回収しろ。奴らが無人兵器(セキュリティコア)を手中に収めたところで俺が没入(ダイヴ)して離脱妨害(アンカー)を展開する。その後、あのシュミクラムと俺が戦闘している間にそのウィルスをあの女にけしかける」

 

「あんまり傷はつけないでくださいよ? 楽しみが減るんで」

 

「ふん、お前の性癖なぞ知ったことか。胴体と頭が残っていればいいだろう」

 

 ――こちらはシュミクラム4機と多くのウィルス、対する相手はシュミクラム一機と無防備な少女一人……ちょろすぎてあくびが出てしまう。こんなものはただのお遊びで、すぐに終わってしまうことだろう。

 

 一方的な狩りになる。子供でも分かるはずだ、この戦力差を覆せるはずがない。

 

 相手のシュミクラムが多少強くとも。少女が妙な素早さを見せようとも。……突如として出現した炎に半数の無人兵器を奪われようとも。…………全ての無人兵器の管理者権限が少女に書き換えられたとしても?

 

 

 

 ――総攻撃!

 

 狐面の少女の号令とともにウィルスの銃口が一斉にジルベルトに向けられた。彼は咄嗟に両腕の鞭を最大伸長し、さらに前方に突き出して最高速で回転させる。空間に刻まれた赤い残像がジルベルトの機体を無数の弾丸から守る二枚の円盾となった。

 金属をミキサーにかけたような不快な音が絶え間なく鳴り響く。ジルベルトは即興の盾が長くは持たないと直感し、舌打ちをした。この防御手段はあくまで緊急避難用で、弾丸を弾く程の高速回転を保つのは数秒が限界である。

 彼は刹那に身を浸して思考する。

 ――くそくそくそくそくそくそくそがあぁぁぁッッ!!

 彼の中にはもはや一欠片の冷静さも残っていなかった。むしろ今は激情が彼を支配している。余裕綽々で少女を追い込んだつもりが一転、自分が窮地に陥るという絶対に認められない現実が、彼の自尊心をがりがりと削っていく。

 さて、人が追い詰められたときにもっとも頼るのは慣れた手段であるというが、ジルベルトもそれに漏れる事はなかった。すなわち自前のウィルスの大量展開。ここまで十数機が少女に奪われ続けたというのに彼は何も学んでいないというのか。

 それは、否だ。彼も無意識では変質したフロアがおかしいという事は把握している。だから、彼は遠距離制圧に特化した装備の無人兵器六機を、少女から離れた複数の地点に二機ずつの編隊に分割して展開させた。さすがに傭兵経験が長いだけの事はある。

 中型のウィルスが両手で構えるのは多連装発射式のロケットランチャー。一人の少女を屠るにはあまりにも過剰な兵器だ。数瞬後には少女は木っ端微塵の肉塊に成り果てるだろう。それは少女を嬲り殺したいと願う彼の部下達が望む結末ではないのだが、ジルベルトの行動は既に理性の範疇にはなかった。

 舐めきっていた相手、ましてや狐の尻尾を生やした変態女に追い詰められるなど恥以外の何物でもなく、彼にとってそんな現実はこの世に存在してはいけないものである。だから、少女は死ななければならない……という表立った自己防衛の心理の働きとは別に、彼も気付いていない心の深奥、彼の本能が彼女を警戒して叫んでいた。

 

 ――こいつは、今ここで殺さなければならんッ!

 

 白野の配下であるウィルス達の放つ弾丸の嵐がジルベルトの円盾の防御を抜けて少しずつ彼の装甲を傷つける。鞭の回転機構が悲鳴をあげ始めていた。白野はすでにジルベルトの展開したウィルスの出現に気付いている様子だが、その場から動く気配を見せない。彼女は、ぎりぎりまで戦況を見極めるつもりなのだろう。

 あと数秒間、全力で撃ち続ければ完全に撃破可能な状況だ、彼女に引く理由はなかった。しかし、そう旨く話が進むわけもない。

 

「――死ね。ミサイル一斉掃射ァ!」

 

 ジルベルトの雄叫びと共に何十発ものミサイルが連続して発射され、大気を唸らせながら白野に襲いかかる。――move_speed()(速度強化)! 瞬間、彼女の姿がぶれて消える。電子体ではまずありえない速さだが、それでもミサイルより速く動けるわけではない。しかし、彼女の持つ類稀な戦術眼と直感がミサイルの雨を紙一重で抜けていくことを可能にした。それでも――

 背後に着弾した複数のミサイルが生み出す爆風で巻き上げられた小さな瓦礫が、彼女の身体に次々と赤い線を刻んでいく。それを見てジルベルトはそれまでの鬱憤を晴らすかの如く哄笑した。

 

「貴様も血を流すのだな!」

 

 至極当たり前のことである。だが、奇妙な風貌と現実離れしたハッキング技術を見て、心の片隅でこの女は傷つかないのでは、と感じていたのも事実だった。だからこそ彼女が血を流す光景に彼は尋常ではない悦びを感じる。

 

 だが、そんな彼の言葉を意にも介さずに白野は嵐の中を走り続けた。身体に響く痛みをひた隠し、苦悶の声を微塵も漏らさずに彼女はただ冷静に機を探す。彼女が操るウィルスは数機が初撃を耐えられずに撃墜されているが、残りは散開、あるいは白野が回収したため無事だった。

 ミサイルは全てが彼女に向かっているわけではない。ジルベルトの操るウィルスを排除しようと動く白野側のそれもまた狙われている。彼らは戦場を縦横無尽に駆け抜け、マシンガンで反撃していた。

 戦禍は拡大の一途を辿る。とうとう制御中枢(セキュリティコア)のフロアの3分の1が瓦礫へと変わり、土煙が辺りに満ちていく。既に、白野が展開した大理石の床も完全に破壊され、その姿を消していた。白野は粉塵の中に姿をくらませるが、それは悪手だ。――それでこちらが照準を誤るとでも? ジルベルトはほくそ笑む。カメラアイで追えなければレーダーで追えばいいだけの話。彼の感知装置(センサー)はずっと少女を捉え続けている。

 

 確かに、彼女のいる座標を知りたいのならそれが最適解だ――しかし、場所が分かっていても挙動が見えないというのは厄介である。予備動作から人は未来の動きを予測するが、その点からいえばジルベルトは彼女の動きを読み切れない……だが、それは些細な問題だ。所詮はか弱い電子体、一撃当てれば必ず死ぬ。物量に勝るものなし。

 

 

 白野にお熱のジルベルトは全く気付いていないが――実は今、土煙に姿を隠しているのは彼女だけではない。シュミクラム三機に苦戦していたゲヘナがこの土煙を見逃すはずもないのだ。

 白野が姿をくらませたのとほぼ同じタイミングで勢いよく土煙に飛び込んだゲヘナとそれを囲む三機。だが、行動の先読みでゲヘナを封じて陣形を維持していた彼らにとってこの環境は最悪だった。ただでさえゲヘナは不規則な動きを取るというのにレーダーでしか機体を捉えられない。さらには同士討ちを恐れて明らかに弾幕が薄くなる始末だ。……次の瞬間、彼らの弾幕の空白地帯を見切ったゲヘナが一気に包囲網を突破した。

 

 その先には彼女がいる――ああ、土煙の中で今、白野とゲヘナの姿が交錯した。狐面の下でゆっくりと白野が微笑む。数分の戦闘だがとても長かった気がする。――さぁ、反撃の時だよ、ゲヘナ。術式展開(コードキャスト)

 

 ――gain_agi(32)(敏捷強化【中】)

 

「な、こいついきな――」

 

 一機の通信が不意に途絶えてその生命信号(バイタル)が消える。一秒にも満たない時間。彼の胸部装甲は背後からゲヘナの長刀に深く貫かれていた。なにが起こったか分からないままに項垂れそのまま力なく崩れていく機体からゲヘナは長刀を勢いよく引き抜き、さらに別のシュミクラムへと狙いを定めて疾駆する。

 

 仲間を訳の分からない間に失い、混乱の極みにいる残り二人の男達。その中の一人は仲間だった機体の爆発を背景にして勢いよくこちらへ突っ込んでくるゲヘナに死神を幻視し、狂ったように咆哮した。――死んでたまるか! 半ばやけくそ気味にマシンガンを乱射するが、まったく掠りもしない。ゲヘナは先程まで三機を相手に凌ぎ切っていた、いまさらそんな攻撃屁の河童である。

 

「ありえな――」

 

 言葉が最後まで紡がれることはなかった。ただの一撃。それだけで頭部が宙に吹き飛び、彼の精神がガラスのように砕け散る。もう二度と、彼は現実(リアル)に戻れない。

 

「貴様ァァァァッ!!」

 

 通信で劣勢を悟ったジルベルトが、鞭で土煙を吹き飛ばしながら飛び込んでくる。――彼が激昂しているのは決して部下が死んだからではない。白野の殺害を寸前で食い止められてしまったことにご立腹なのだ――それを横目で確認したゲヘナは首の無い機体からマシンガンを回収し、彼に向けて撃ち放った。

 たまらずジルベルトは距離を取って、残り4機となったウィルスを操りゲヘナに十を超えるミサイルをプレゼントする。同時に、ゲヘナは無軌道な螺旋を描くその一つにマシンガンを音速で投擲した。

 

 一際大きな爆発が起きた直後に、空気を震わす程の爆裂が立て続けに何度も発生、目を塞ぐほどの凄まじい光が制御中枢(セキュリテイィコア)全体を包み込んだ。衝撃波に抵抗するジルベルトは瞬時に事態を把握したが、常軌を逸したゲヘナの防御方法に表情を歪める。

 ゲヘナは通常のミサイルの爆発とサブマシンガンの弾倉(マガジン)の誘爆を併せて利用し、発生した衝撃波で他の全てのミサイルを自機から逸らしたのだ。――だが! 奴は奪い取った唯一の遠距離武装を捨て去った。もう迎撃は出来まい!

 彼は、さらにミサイルを浴びせかけようとするが敵機の位置を示すポインタはなぜかどんどん遠ざかっていく。その方向は――くそったれ! 制御中枢(セキュリティコア)出口! 衝撃波をうまく利用したのか彼らはすでに出口に差し迫ろうとしている。

 目まぐるしく変化する戦況に位置関係まで気を回せなかったこと、また二機を破壊したゲヘナの烈火の如き勢いにあてられたジルベルトの”彼らは逃亡という選択を取らない”という勝手な思い込みがこの事態を招いた――のだが彼は絶対にそれを認めない。

 

「おおおおおおおぉぉぉッ!!」

 

 まったくらしくない雄叫びをあげながら彼はゲヘナ達を追うが、時を同じくして出口のシャッター扉が轟音と共に閉まっていく。特級プログラマ(ウィザード)特有の白い光を纏った狐面の少女が扉をハックしているのだ。

 疾走及ばず彼の目の前で大きな振動と共に扉が完全に閉ざされる。同時にセンサーも彼らを見失ってドットが消失してしまった。ジルベルトは扉に接続してハッキングを試みる。彼も電脳将校の端くれ、本職のサポートには遠く及ばないが簡易的なプログラムならどうにかすることはできる。

 はたして少女が扉に触れていた時間が少なかったのが幸いしたのか、奇跡的にジルベルトは20秒もかからずに扉のロックを解除することが出来た。彼は滑り込むように廊下に飛び出し、センサーの範囲を広げていく。100……300……1000m。短い電子音と共に探査画面にドットが1つ現れる。2つではないのはシュミクラムの肩に少女が乗っているからだと考えられる。まだ、離脱妨害(アンカー)の有効範囲である半径3kmの中に彼らがいる。その事実に彼は気味の悪い笑みを隠しきれなかった。

 

 彼らとの距離がどんどん詰まっているのが分かる。――馬鹿め、焦ったか。そちらは袋小路だ。そしてとうとうジルベルトはカメラアイで栗色の髪の少女を捉えた。瞬間、彼の脳内に快楽物質が一斉分泌される。それは、彼女を殺せると彼が確信したがためのもの。

 ジルベルトの手に握られた長針銃(ロングニードル)から銀の針が音速で放たれる。少女は後ろを振り返る事なく回廊を走り続け――その両足が千切れ飛んで、勢いそのままに床を転がっていく。

 

「ハハハハハハハハハハハッ!!!」

 

 その無様な姿にジルベルトは笑いが止まらない。散々苦労させられたがために、その喜びもひとしおだ。両足を吹き飛ばしたが、少女の息はまだあるはずだ。死なない程度に痛めつけて拷問できる程度には、彼は電子体の傷付け方を心得ている。ああ、これからどのように嬲ってやろうか。生意気なこいつはどんな声で鳴いてくれるんだ? いや、まずはその狐面に隠された貴様の顔を見せてもらおう……。

 

 そこでジルベルトはようやく気が付いた。

 もう一人、……確かゲヘナと呼ばれていたシュミクラムはどこに行った? 相変わらずマップに示されたドットは一つしかない。……いやな予感がした。――視界にあるオアシスが途中で、蜃気楼だと悟った時のような――彼は少女の狐面を剥ぎ取ろうと腕を伸ばすが、その寸前に少女の電子体が色を失い、空気に融けるようにすっと消えていった。残されたのは青髪のパペット人形だけ。

 ジルベルトは身動き一つ出来なかった、不穏な静けさが辺りに満ちていく。だが、しばらくすると彼の肩が小刻みに揺れ始めた。彼は笑っているのだ。それは彼女の実力を認めて、なんて明るい笑いなどではなく、どこまでも深く、暗くて救いようがない、歪んだ笑い。――貴様は俺()()が殺す。

 

「くくく、雌狐……いや、狐面の巫女。ここまで俺を虚仮にした代償、必ず払ってもらうぞ」

 

 彼はパペット人形を思い切り踏みつけ、構造体から離脱(ログアウト)した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ――あ。

 

 ゲヘナの肩の上に座っている白野がマップ情報からβのドットが消えたのを確認して小さく声をあげた。すでにジルベルトから3km以上離れていた白野はいつでも転移(ムーヴ)出来たのだが、彼があれを見てどのような行動をとるのかが気になっていたためそれを先延ばしにしていたのだ。

 

 ――decoy(16)(アクティヴデコイ【短】)

 先程までジルベルトが必死になって追っていた人形はこのコードキャストで生み出されていた。1分だけ白野の電子体反応を出す彼女そっくりのデコイ。簡単なプログラムを入れれば自走もしてくれる優れものだ。保険として逆方向に向かわせたのだが、うまく引っ掛かってくれたらしい。

 それにしても。

 

 ――うぅ。

 

 軽く頭痛がする。

 コードキャストで私の身体に刻まれた傷は全て治癒したのだが、この頭痛だけはなくならなかった。もしかしたら、コードキャストの使用に限界があるのかもしれない。今日はもう、隠れ家に帰って泥のように眠ろう。酷く疲れた気がする。

 私は制御中枢(セキュリティコア)から得た情報をエディにメールで一括転送し、構造体から転移(ムーヴ)した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 >>無名都市 エディのアジト

 

「すまねえ」

 

 アジトに入ると出し抜けにエディに頭を下げられた。え、なぜ? 心当たりがまったくないのだけれど……。

 

 隠れ家に帰還してから丸二日が経ち、ロールケーキを何個も食べたら頭痛もすっかり引いた。やっぱり甘いものを食べるといいのだろうか。そして、唯一の私服セットに着替えて意気揚々と転移した矢先での彼の謝罪。

 話を聞くに、私が危険な目に遭った事で彼は責任を感じているようだ。どうやらβのような危険な連中は出てこないと踏んでいたらしい。――でも、元はと言えば私が望んで引き受けたお話。結果として、私はレガリアの効果を確かめる事が出来たし、エディも求めていた情報を得る事が出来たのだからそれでいいんじゃない? そんなニュアンスの事を伝えると彼は一応納得してくれたようだった。

 

 それよりもなぜ昨日の構造体を調査する必要があったのかが私は気になっていた。今日訪れたのもそれを聞くためである。終わったら話してくれるって言ってたし! 私の顔を見てそれを察したのか、エディは順を追って説明を始めた。

 

「まずは、これを見ろ」

 

 メールで資料が転送されてきたので私は網膜にそれを展開した。これは、清城市にある一昨日とは違う構造体の資料だ。すごく大きい……まるで小さな街のような広さ。一昨日の構造体と比べると単純計算で百倍の広さはありそうだ。でも、これが一体どうしたのだろう。

 

「ドレクスラー機関のアジト……だそうだ」

 

 な、なんだってー! 今もし、飲み物を口に含んでいたのならエディに全て噴きかけていたかもしれない程の驚愕。彼は灰色のクリスマスを起こしたと考えられているドレクスラー研究員の居場所を突き止めたというのか。

 

「確証はないけどな。あと、俺じゃねぇ。情報提供者は……まぁ、とある中尉殿だ。奴は俺にそのアジトと思われる構造体の持ち主についての調査を依頼したのよ」

 

 なるほど、そこまで言われれば私にも分かる。それが昨日私の侵入した企業だったのだ。私に求められたのは、役員名簿と企業の実態の情報。制御中枢(セキュリティコア)で得た内容についてはここに来るまで確認する暇が無かったから、概要は素直にエディに聞こう。話が早くて助かるぜと言いながら彼は言葉を続ける。

 

「で、大きく二つ分かった事がある。まず一つ、その企業の中身が密造業者(ブートレガー)だったということ」

 

 聞きなれない単語に私は思わず首をひねる。

 

「一言でいえば、愛玩用に改造した海賊版NPCを高値で売り買いする業者の事だ」

 

 NPC? 愛玩用って…………。

 

「セックス目的だ、いまどき珍しくもないが。まぁ、大企業構造体の案内NPCの海賊版なんかは人気が高いみたいだな。わざわざ現実の人間に似せて作らせる物好きな奴らもいるらしい……ん、嬢ちゃんにはこういう話早かったか?」

 

 黙り込んでしまった私を見てエディは話を中断するが、気にしないでほしい。刺激的な話にびっくりしたのもあるけど――なんだかいかがわしい目的でNPCが使われていることに、自分でも分からないが少し気分が悪くなったのだ。――続けて、エディ。

 

「ああ、そしてもう一つ。――役員名簿には清城市の市長を始めとする議員数名の名前が記されていた」

 

 ……えーっと、それってもしかしなくても大スクープなのでは? 市長が密造業者(ブートレガー)と裏で繋がっているなんて……違う、それだけじゃない。彼はドレクスラー研究員と関係している可能性すらあるのか。うーん、良く分からなくなってきた、整理しよう。

 ドレクスラー機関は悪い人たち。密造業者も悪い人たち。それと繋がりのある市長も悪い人? こんな感じかな。ドレクスラー機関を放っておいたら灰色のクリスマスの再来が清城市で起こるかもしれない。そんなことになったらエディ、……前会った親切な女の人も死んでしまう。――それは嫌だ。となれば!

 

 ――次はそのドレクスラーのアジトの調査だね。

 

 その言葉にエディは目を丸くした。彼の目はアイシェードで隠されているけどそんな気がした。

 

「は?! どうしてそうなる。無理無理、やめろ。超危険」

 

 口調変わってるよ、エディ。――でも、気になるでしょ?

 

「否定はしねえが、命を捨てるようなもんだ、嬢ちゃんが行く理由はない。そもそも記憶はまだ戻らないんだろ? 好奇心で首突っ込んでいい構造体じゃねえ、マジで死ぬ。隠れ家で大人しく寝てろ! ……頼まれた件については調査中だからよ」

 

 エディが私の事を心配しているのがはっきり分かる。見た目はちょっと個性的だけど、存外に彼は優しいのだ多分、……少なくとも私には? 私は少し笑って、曖昧に頷く。同時に彼は肩を竦めてやれやれと溜息をついた。

 

 

 ――ごめんねエディ、私はそれでも行くよ。穏やかに過ごすのもいいけれど、それではいけない気がするんだ。……戻らない記憶、レガリアを持っている意味、不思議な機械人形ゲヘナのこと。分からないことがたくさんある。

 だけど、それらはこちらから知ろうとしない限り、絶対に明らかにならないものなのだと朧げながらだけど今の私は理解している。なればこそこの歩みを止めるわけにはいかない、私には全てを思い出す()()がある。

 

 いつか振り返った時にその道程を心穏やかに眺める事が出来るような生き方を私はしたい。だから今は、私の思うがままに戦禍の中を進み続けようと思う。ドレクスラー機関のアジトに行くのはきっと間違いじゃない――

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 >>清城市 地下

 

 清城市はミッド・スパイアを中心とした超近代都市だが、その下層はほぼスラム街で、その周辺ではAI派、反AI派のよるテロが毎日のように起きている。また、都市の外側には荒廃した街並みが広がっているが、それはさして重要ではない。

 問題はその地下にある。清城市の地下はまさに魔窟だ。旧世代の地下街に、旧軍の軍事関連施設、遺棄された下水道に鉄道跡など……。都市自警軍(CDF)でも把握できない程の迷宮となっている。ドミニオン教団の現実での拠点はその中のどこかにあるのではないかと噂されているが真意の程は定かではない。ともかく、公にはしたくない行動をとる者は大抵地下に潜るのだ。

 

 そして今、薄暗い地下通路を音もなく歩く一人の女性がいた。腰まで伸びた金の髪に理知的な碧眼、その姿はまるで物語から出てきた古い貴族のようだが、硝煙くさい軍服を身につけた貴族などどこにいるだろうか。――そう、彼女は傭兵だった。

 彼女がある扉の前で立ち止まって目を閉じると数秒もしない内にその扉が開いた。どうやら扉の向こう側にいる人物と通信をしていたようだ。女性が入った部屋もまたさっきの通路と同様に薄暗かったがその中に瓦礫に腰掛けている男性の姿が確認できた。

 

「レイン、地上で何か動きはあったか」

 

 男は顔をあげて金髪の女性――桐島レイン少尉――に尋ねた。挨拶抜きの簡素な言葉だが、彼女は特段気にした様子ではない。彼らは数年寝食を共にしているパートナー、戦友である。灰色のクリスマスの真相を知る、という同じ目的の下にドレクスラー機関を追って世界中をまわり、とうとうここまで辿り着いた。

 

「特に何も。――中尉、部隊の士気はどうですか?」

 

「ああ、問題ない。皆、灰色のクリスマスで何かしらあった奴らだ、今すぐに飛び出して行きそうなのが逆に心配さ」

 

 それは彼なりの冗談なのだろう。それに気付いたレインも優しげに微笑む。彼らは数時間後には仮想に没入(ダイヴ)して例の構造体へ突入する。難しい作戦になるだろうが、作戦開始までずっと緊張状態でいるのも精神的によくはない。だから、これくらいの冗談を言い合いながら時を過ごすのが傭兵としては正しいのだろう――いつ死ぬかも分からないのだから、相手には笑っている自分を記憶していてほしい――そんな考えが根底にあるとも言えるが……。

 

 取り留めのない話をしている最中に、レインが何かを思い出したかのように小さく笑う。そんな珍しい彼女の様子に中尉はきょとんとした表情になる。

 

「すみません、地上で聞いたおかしな噂を思い出したんです」

 

 どんな噂でも何かと繋がっている事はある……だが、レインが笑ってしまうほどの噂だ。信憑性は低いのだろう。だが、話は聞いておきたいと彼は思った。

 

「仮想に現れるという電子体の少女のお話です。ふわふわの狐の尻尾を生やしているそうなんですが――」

 

 その時点で中尉は噴き出してしまった。レインは憤慨するが、それは見せかけである。内心では以前に比べ笑みを浮かべなくなった中尉が笑ってくれたことに喜んでいるのだが彼女はおくびにも出さない。

 

「最後まで聞いてください中尉! なんでも彼女は炎を纏う剣で無人兵器を奪い取るらしいんです」

 

「ははは! それが本当ならジルベルトの野郎とキスしてやるよ」

 

 中尉とジルベルトには学園生時代からの因縁があり、今ではどちらも傭兵となってお互い仮想で殺し合うほどの関係になっている。これはそれを前提とした、たちの悪い冗談である。

 

「中尉! それだけではないというのに、もう……」

 

「すまん、レイン。で、その噂の少女とやらに名前はあるのか?」

 

「ええ、まぁあだ名なのですが――」

 

 レインはそこで言葉を切り、顎の先に手を当て、じっと中尉の目を見つめた。

 

「――狐面の巫女、と」

 

 




MATERIAL

>>ジルベルトの部下
二人は脳死。戦闘途中で離脱し生き残った一人はダーインスレイヴを出奔。錯乱した状態で入った酒場で狐面の少女について語ったが相手にされず、その後の行方は誰も知らない。

>>絶対皇帝圏
大理石の魔法円と赤い絨毯に覆われた彼女の領域。足を踏み入れたウィルスは強制的にその管理者を書き換えられる。シュミクラムの場合は動きが少し鈍くなる。今のところ詳細は不明。

>>都市自警軍
清城市市長の管轄にある、都市を守る警察機構。ある程度の武装と人員を有するがGOATには遠く及ばない。通称CDF。

>>青髪のパペット人形
まるごしシンジ君

>>ロールケーキ
身体にいいようだ


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