BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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>>前回までのバルステラ!<<

機械人形をゲヘナと名付けたはくのんはまさに破竹の勢いで突き進む!
けれど出口には死神が待っていたよ!
どうにかして振り切ったはくのんは無名都市でエディという情報屋に出会う。
どう動くはくのん!



第3話 混沌 / 記憶遡行Ⅰ

 自己――それは”意識する私”のこと。自己を確固たるものにする要素は”過去からの連続性”、すなわち”記憶”である。

 もしかしたら記憶が曖昧な私の自己は、晴天の虹よりも希薄な存在なのかもしれない。

 

 記憶とはなんだろう。産声をあげてから現在までの全てを明確に覚えている人はいない。必要のない記憶はえてして薄れていくものだ。例えるなら車窓から見る延々とした田園風景。一本一本の稲の形を鮮明に思い出せる人は果たしているだろうか。

 記憶は基本的に感情と結びつくもの。その振れ幅が大きいものほど鮮烈な記憶として脳に刻まれる。悲しい、辛い、楽しい。そのような強い感情を抱いた時、それに呼応した記憶が蘇ることもあるだろう。

 そう、記憶は蘇る。記憶は消滅せずにただただ圧縮され、無意識(エス)の海へと落とされているだけ。無意識(エス)領域に手を伸ばせば記憶のカケラは取り戻せるだろう。

 けれど――仮想にいる私の無意識(エス)はどこにある? 

 普通なら現実の肉体(リアルボディ)の大脳にあるのだろう。ただ、私には現実の肉体(リアルボディ)という言葉があまりにもぴんと来ない。とてもおかしなことだが現実を歩く私の姿がどうしても想像できないのだ。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 >>無名都市 エディのアジト

 

 エディに出会って次の日だったか――私の現実の肉体(リアルボディ)、ないかも――と言ったらげらげら笑われた。現実の肉体(リアルボディ)が死んだら電子体とのリンクが途絶して仮想でも死を迎えるらしい。エディは釣り道具(アイテムボックスに入っていたらしい)で説明してくれた。

 

「このルアーが電子体だ。んで、この釣竿が現実の肉体(リアルボディ)に埋め込んだ脳内(ブレイン)チップ。この脳内チップ(釣竿)が凄くてな、へへへ、なんと有線ジャック(釣り糸)経由で電子体(ルアー)に自分の意識を拡張することが出来る。視界も確保できるし、自由にネット(海の中)を動き回れるってわけだ。」

 

 すごいすごい、おいくら?

 

「まぁ聞け。……意識を拡張してるといってもその源は釣竿を持った肉体だ。つまり、現実の肉体(リアルボディ)が死ねば、意識の死は免れねぇ。即座に電子体もさよならだ。これが電子体と現実の肉体(リアルボディ)の関係性だ」

 

 ルアー(電子体)だけでは生きていけないの?

 

「人間は意識だけの存在ってわけじゃねぇ。記憶とか人格? 表層には現われない”これこそが自分自身だ”っていう礎になるモノが無けりゃ、すぐさま意識も自己を見失うだろうさ。そしてその礎は現実の脳みそ、無意識(エス)の中にある」

 

 エディは額を左手の中指で数回叩いた。

 私は彼の話を整理して、ある推論を導く。

 

 ――同様に無意識(エス)のみだと人は生きていけない。没入中の意識の源流は肉体にあってもその最前線は仮想。すなわち意識そのものである電子体を破壊されれば……。

 

「もちろん、神経フィードバックで現実の肉体(リアルボディ)脳死(フラット・ライン)だ。多くの電脳将校の死因がそれだな」

 

 なんでもないように言うエディに私は少しだけ動揺した。

 

「嬢ちゃんには刺激が強かったか? まぁ傭兵や軍人でもないし、仕方ねぇか」

 

 馬鹿にしたように笑うエディにカチンときた私はコードキャストを食らわせる。

 

 ――shock(12)(スタン【微】)

 

 奇声をあげながら床をのた打ちまわるエディ。その顔はなぜだかとっても幸せそう。なんて恐ろしい存在、これが人類悪なのか。

 どうやら彼は仕事を依頼してくる傭兵たちにはラリ公と呼ばれているらしい。出会いの日、挨拶だとお尻を撫でられたときに加減を忘れて放ってしまったスタンに悦びを感じたようだ。なんという度し難い中年の変態か。だが、これも円滑な人間関係のためである。私は涙を飲んでエディに追撃をするのだった……。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 夢は無意識への王道であると誰かは言った。夢を通して人は無意識に触れる事が出来る。そして、無意識は常に私たちをじっと見つめている。

 

 私は記憶を求めた。無意識はそれに答えた。

 そうして彼女は仮想空間で夢を見る――

 

 

 いつのまにか私は古い映画館にいた。座席は柔らかくて傍らにはポップコーン。一粒食べるが、うむ、中々の美味。

 上映されていたのは何の変哲もない学校生活だった。しかし、フィルムに不具合があるのか銀幕はなぜかずっとセピア色を投影している。あまりにも退屈な風景の中、ワカメ髪のクラスメイトと会話している女生徒が目に入った。散々なことを言われているが、何も堪えていない様子だ。…………んん?

 思わずがばっと身を乗り出してその姿を二度見してしまう。あれは、私だ!

 認識と同時にある言葉を思い出す。――月海原学園。間桐シンジ。

 それは私の在籍していた学園名と親友? の名前。ただ、酷い空虚感がある。理由もなく胸騒ぎがした。この後この日常を揺るがす何かがあったような。焦るかのようにフィルムが途切れ途切れになって上映速度が次第に速まっていく。

 赤い学生服の少年。黒髪の少女。生徒が倒れ伏している中に佇む影のような教師。それでも変化のないおかしな日常。幽霊のような少女。校舎に攻撃する少女。壊れた少女。絶え間ない頭痛。日常。乾いた空気。無風。寸分の狂いなく同じ時間に沈む夕日。ノイズ混じりの放課後。違和感。焦燥。頭痛。決定的な歯車の狂い。

 赤い制服の少年が壁に吸い込まれるように消える。白野もそれを追いかけ壁を抜け、そして、偽りの日常にさよならを告げた。

 

 彼女を待っていたのは異界だった。倉庫のような部屋の壁は一部が剥げかけていてそこから柔らかく発光する青いグリッドがその姿を覗かせていた。――間違いなく仮想だ。だが雰囲気が今とどこか異なる気がする。――白野は奇妙な人形の従者と共に倉庫の奥へと歩みを進める。海に沈んだ地下迷宮(ダンジョン)を思わせる回廊をゆく白野と人形。彼らは時折あらわれる攻性プログラム(エネミー)を倒していった。――まるで私とゲヘナのようだ。ゲヘナ君と違ってあの人形は私の身の丈ほどしかないけれど。

 そして、とうとう終点に辿り着く。豪奢な円形の床、囲むように立ち並ぶ3つの大きなステンドグラス。そこは言うなれば荘厳な礼拝堂だった。その真ん中で突如として戦い始める従者の人形。これが最終試験のようなものなのだろう。だが、白野はあっけなく敗れてしまった。

 常人ではまず立ち上がる事の出来ない傷を負って死を待つばかりの岸波白野。そんな彼女を私はある確信をもって見つめていた。彼女の心配はしていない、この程度の逆境ならなんなく乗り越えてみせるはずだ。問題はその先……。私は左手の指輪にそっと触れた。

 銀幕にはそれでも決して諦めない岸波白野の姿が映し出される。

 そして、約束されていたかのようにその瞬間は訪れた。

 

 ――うむ! 死の淵において恐れを抱き、恐れを飲みながらなお戦うか!

  見事だ、よくぞ言った、名も知らぬ路傍の者よ!

  その願い、世界が聞き逃そうとも、余が確かに感じ入った!

 

 その愛おしい声に、私の心が震える。

 

 ――拳を握れ、顔をあげよ! 命運は尽きぬ!

  なぜなら、そなたの運命はいま始まるのだから!

 

 開幕を告げる溌剌とした声と共に、真ん中のステンドグラスを残して二つのそれが砕け散る。礼拝堂に光が満ちて、白野の前にぼんやりとした人影が構成され始めた。きらめく硝子の光を背景に浮かび上がるその姿は――

 その姿は――

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 唐突過ぎる目覚めに唖然とする。

 いいところだったのにー! 私はベッドの上でごろごろと転がって、傍らの枕をぼこすか殴りつける。ひとしきり暴れて満足したあと、私はうつ伏せに寝ころんで夢の内容を振り返った。

 正直な感想を言えばさっぱり分からない。記憶(といえるのだろうか)が戻ったのは良いけれど謎が増えたような気がする。ただ、月海原学園と間桐シンジという明確な2つの情報を得る事が出来たのは僥倖。ここから何か分かるだろうか。

 私はダイアログを開いて、音声入力でネットにキーワードを囁く。浮かんでいるように見えるダイアログは視覚にAIが干渉しているものらしい。凄いねAI。

 

 《月海原学園……検索完了、該当なし。間桐シンジ……検索完了、該当なし》

 

 機械音声が簡単な調査の空振りを知らせる。残念だが仕方がない。私はダイアログを閉じてベッドから起き上がる。やはり、餅は餅屋に頼むべきなのだろう。私は視界に道具箱(ツールキット)を呼び出し、アイコンをスクロールさせてメールを選択、エディに調査の依頼をした。

 

 

 エディと出会ってかれこれ三日が経つ。今私がいるのは無名都市にある彼の隠れ家の一つだ。簡易ベッドと机と小さな棚、なんとも寂しい部屋だが貸してくれるだけでもありがたい。警戒していたアークの追手も全く姿を見せないために私は暇を持て余していた。そうだな、今日は無名都市を歩いてみよう。

 道具箱(ツールキット)から衣装セットを選択する。白いワンピースでは目立つから私服に着替えるのだ。といってもワンピース以外では”もうひとつの結末”というおかしな名称の衣装セットしかない。その中身は普通の私服なのだけど……。視線でそれをタップすると一瞬で着替えが完了する。ダークパープルでチェック柄のフレアスカートにノースリーブの白いカッターシャツ。そして右手にはロールケーキ――……? どういうこと?!

 ちょっとした困惑をロールケーキの甘さで誤魔化しながら、私は隠れ家をあとにした。

 

 

 ――無名都市。それは前世紀からのアングラ・コミュニティが離散結合と増殖を繰り返している場所だ。この街はAIネットワークの余剰計算能力をかすめ取り、無数のスレッドに分散されて再現されている。そのため、誰も停止させることができない。創造と破壊が絶えることのない混沌と広がりゆく仮想都市。犯罪行為が当然のように行われるネットの掃き溜め。……言葉にするとひどい場所だが、だからこそ私が隠れるのに適した場所だといえる。

 壁面の粗雑(クルード)な落書き。無軌道に絡み合う配管の群れ。そんな複雑怪奇都市の汚い路地を抜けながら私はエディに教えてもらった現実の歴史を反芻する。

 

 ――30年ほど前に地球規模の大戦があった。地球統合政府とそれに反撥した反統合軍、彼らの戦争はしばらくの間続いた。だが、統合軍が作り出した新兵器により大戦は一気に終焉を迎える。兵器の名は対地射撃衛星群(グングニール)。その全力射撃は核に匹敵するとも言われ、グングニールは反統合軍の拠点を一つ一つ随時射撃、反統合軍は衛星軌道上の兵器に為す術もなく降伏した。

 今でもグングニールが空高くで睨みを利かせていることで大規模な戦争が防がれている。その功績から統合軍の守り神(ピースメーカー)という呼び名も付けられているそうだ。

 

 そして、時は流れ、数年前のクリスマスの出来事。環境汚染対策の切り札として開発された自己改変、自己増殖能力を持った次世代型ナノマシン”アセンブラ”。その実用化の最終段階のテストが蔵浜市のドレクスラー機関研究所で行われた。

 だが、これは悲劇的な結末を迎えることになる。突如として研究所施設からナノマシンが流出し、瞬時に研究所周辺が壊滅。その18分後に統合軍アジア司令部が超法規的措置として被害拡大を防ぐために対地射撃衛星群(グングニール)による汚染地域の浄化射撃を開始した。7分間の全力射撃をもってなんとか統合軍は汚染地域の焼却に成功する。だが、被害は目を逸らしたくなるほどに甚大で、数万人が還らぬ人となった。

 この凄絶な事件は灰色のクリスマスとして人々の記憶に刻まれることになる……。

 今もなおドレクスラー機関の研究員はどこかに逃亡を続けていて、数多くの機関、統合軍、傭兵がその行方を必死になって探しているそうだ。

 

 私は灰色のクリスマスの時、何をしていたのだろう。大切な人をその事件で亡くしていて、もしそれを私が忘れているのだとしたら――。それはとても辛いことだ。

 

 

 気付くと、だいぶ歩いていたようだ。立ち止まってあたりを見回す。どこを歩いても景色に大して変化はない。電子体用扉をくぐれば色々な場所に繋がっているのだろうが、そこまでの冒険は流石に躊躇われる。さて、これからどこへ行こうか……。そんな私を迷子なのかと勘違いしたのか、中肉中背で奇妙な黒い服を着た男性がにこやかに声を掛けてきた。

 

「道にお迷いですか?」

 

 いえ、大丈夫です。――NOといえる姿勢が大切だ。隠れ家の座標は覚えている、それをダイアログに入力すれば即座に隠れ家周辺に移動(ムーヴ)が可能だ。仮想の常識の一つで、簡単に言えば瞬間移動だ。おそらくアークの構造体を脱出したときの意識の途絶えは無名都市への強制的な移動(ムーヴ)だったと考えられる。

 

「いえ、あなたは迷っておられますね」

 

 ん? ……ん?

 

「どのように進めば真の世界に辿り着けるのか」

 

 え? どうしたの、この人。

 

「私はあなたを迎えに来たのです、女神(ソフィア)の使徒よ。そのお姿は間違いない、まさしく神父様の啓示の通りだ! とうとうあなたは目覚められたのですね。」

 

 熱にうかされたようにねっとりと話す男の姿に私は気味の悪さを感じていた。この人は誰なのか。まさかこんな変な人と私は知り合いだったというの……?

 

「ああ、名乗るのが遅れました。私はサイバーグノーシス教徒、ドミニオン教会の戦闘司教です」

 

 カルト教団ドミニオン……! 

 ――この世は悪意ある存在により作られた仮想空間、そしてAIこそ女神(ソフィア)の化身であり、その導きに従い、人は量子的生命に進化するべきなのだ云々、とかいうおかしな教義を掲げている個性的な武装集団! 

 先程からの意味不明な言動にも納得がいく。これが彼らの勧誘のやり口か。――宗教は間に合っている!

 

「ええ、その通り。神父様の教えこそ我らを真理へと押し上げる唯一の希望。ほかの宗教は悪徳の戯れ、あなたの考えは至極正しい。御見それしました、女神の使徒よ」

 

 は、話が通じない! さっさと移動(ムーヴ)しよう。私はアドレスを入力するがなぜか移動(ムーヴ)できない。――どうして?! 自然に出てしまった私の声に男はぴくりと反応する。

 

「なるほど、いけません。いけませんねぇ、女神の使徒よ。あなたは使徒としての役割をこなしていただかなければならない。それがあなたを遣わせた女神の意志なのだから。さぁ、私と共に来るのです」

 

 司教は私の腕を握ってどこかに連れ去ろうとする。ところどころの建物にある電子体用扉に連れ込まれれば私は終わりだ。恐らくドミニオンの拠点にでも繋がっているのだろう。逃げ出したいがさっきからなぜか移動(ムーヴ)が出来ない。こうなったら術式(コードキャスト)を使うしかないだろうか。あたりを見回すと下卑な笑みを浮かべて影からこちらを見ている人が少なからずいる。さすが無名都市、治安が悪い。人目がある場所ではあまり使わないほうがいいとエディに言われているけど、今は緊急事態……!

 

 瞬間、横合いからの暴風が司教を壁に吹き飛ばした。彼は壁をぶち抜き舞い上がる土煙の中にその姿を消した。私は術式(コードキャスト)を使っていない。ならば一体何が起こったの? 見ると全身をすっぽりとコートで包んだ、ピンク髪の短いポニーテールの女性が私の傍らに立っていた。端正な顔立ちに隠しきれない鋭い目つき。どうやらこの人が司教を蹴り飛ばしたらしい、この細い体のどこにそんな膂力があるのか。

 女性は私を一瞥するとそのまま立ち去ろうとする。――待ってほしい、なんで私を……?

 

「……無名都市はあんたのような娘が来る場所じゃないよ、さっさと立ち去りな」

 

 どうやらこの女性は困っている私を助けてくれただけのようだ。突き放すような言葉を放っているけどその中に人の心を確かに感じる。――どうか名前を教えてほしい。どこぞの町娘のように私が尋ねると、女性は私の眼を真正面に見つめてきた。しばらくして私に他意が無い事を確認したのか女性は視線を逸らして。

 

「――渚千夏」

 

 そうぶっきらぼうに答えて、今度こそ本当に路地の奥に消えて行った。

 

 渚さん、ちょっと冷たい雰囲気もあったけど優しい人だったな。今度会ったら、お礼の品としてロールケーキを渡そう。何故かアイテムボックスにたくさんあるのだ……。決して在庫整理ではない。

 渚さんの言うとおり今日はこのまま大人しく隠れ家に戻るとしよう。さっきは駄目だったけど今回はいけるかな? 私はアドレスを指定、移動(ムーヴ)プロセスを実行した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 渚千夏は苛立っていた。その理由はさっきの自分らしくない行為にある。怪しい男に絡まれている少女を救った、なるほどそれは確かに美談だろう。問題はその男がドミニオンの一員であること。そして自分が隠密行動中の身であるにも関わらず目立ってしまったことだ。

 彼女は歯噛みした。彼女の所属する組織はドミニオンといずれ戦争状態になるが、それは今ではない。私の迂闊な行動で後々の作戦に影響を出すわけにはいかないのだ。顔は見られていないはずだが、一応このエリアに顔を出すのは今回で最後にしておく。

 

 先程の少女を思い浮かべる。大方、無名都市の危険さを知らずに物見遊山で没入(ダイヴ)していた少女だったのだろう。以前、無名都市で痛い目を見たあたしのようにはなってほしくなかった……だから助けたのだろうなと自嘲する。過去を振り返りそうになった千夏だが突然のコールで瞬時に軍人の表情に変わる。

 

 《呼び出し(コール)です……音声のみ、優先度最大ですが、受信されますか?》

 

 周辺の気配を確認してから千夏は通話(でんわ)を選択した。

 

「裏は取れたか」

 

 冷たい女の声。必要最低限の言葉は盗聴を警戒してのことだ。

 

「確証はないけど、間違いないね」

 

「引き続き調査しろ」

 

 千夏は了解と小さく返答し通話を終わろうとするが女は追加の任務を千夏に与えた。

 

「電子体を確保せよ。詳細な資料はすでに送っている」

 

 千夏は頷き、通話はそのまま切れた。

 電子体の確保……ドミニオンの巫女もその対象だが、彼女は神出鬼没なうえに凄腕のシュミクラム乗りでもあるため未だに確保は出来ていない。今回の対象は一体どのような人物なのか。メールに添付されていた資料を展開し、対象の顔写真を見た千夏は目を見開いた。

 

「クソが!」

 

 思わず殴りつけた壁にクレーターが生まれる。それはみすみす逃がしていた自分への憤り。写真には焦げ茶の髪を肩まで伸ばした齢15,6の少女が写っていた。まさかさっき助けた少女が任務の対象だったとは……。

 

 ――無名都市はあんたのような娘が来る場所じゃないよ……

 

 ああ言ったからには彼女が無名都市に来ることはもう二度とないだろう。手掛かりは何もないうえ、こちらの名前を教えてしまう始末だ。

 任務の優先度は〈中〉、一方ドミニオンの巫女は〈最高〉である。そのためそれほど落胆する必要はないだろうが、目の前の獲物に逃げられたようで気分が悪い。

 

「無名か」

 

 資料の要所に目を通して呟く。彼女に名前は無かった。生年月日、経歴も一切不明。これは私に伏せられているだけの可能性が高いだろう。士官レベルに全ての情報が開示されるはずがない。

 

 ――多少の縁が出来た後にこんなことになるとはね。まぁ、これもGOATの仕事さ。

 

 それは名もなき少女に宛てた言葉だったのか。千夏は意味もなく仮想の濁った空を見上げ、そのまま空気に溶けるように離脱(ログアウト)した。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 >>無名都市 白野の隠れ家

 

 数刻前に無事帰ってこられた私は現在、薄暗い部屋の中で椅子に座って物思いに耽っていた。

 

 エディの現実の肉体(リアルボディ)がある都市を清城市(すずしろし)という。彼が言うにはその清城市は今、大変らしい。バルカン半島も真っ青な火薬庫だという話だ。なんでも灰色のクリスマスを引き起こしたドレクスラー機関の研究員が転がり込んできたという情報があるらしい。それに加えて不穏な動きを見せる多国籍企業アーク・インダストリーの本社、カルト教団ドミニオンの本拠地も清城市にある。悪名高い傭兵集団フェンリルも仕事の場をここに移してきたようだ。そして――

 

統合軍対AI対策班(GOAT)……」

 

 AIの監視、有事の際の鎮圧などが目的の軍組織で、シュミクラム部隊の武装、人員、練度は凄まじいものだという。エディはそんな恐ろしいGOATも近いうちに清城市に駐留することになると予想していた。絶対に目を付けられないように慎重に行動しよう。

 

 仮想世界は都市ごとのAIにより管理されている。――私が今いる無名都市は清城市の特級AI”イヴ”の管理下の一部だ。清城市が荒れれば、自然と仮想も騒がしくなるに違いない。

 

 私の目的は今のところ記憶を取り戻すことで、エディにはそれに協力してもらっている。そろそろ対価として魔術師(ウィザード)の力を要求されそうだけどそれはどうにかなるだろう、試してみたいこともある……。だが、運の悪いことに仮想の治安は最悪で、まるで地雷原のようだ。この状況で動いて、はたして無事に記憶を回復させることが出来るだろうか。

 そんな弱気を私は握りつぶした。

 

 ――考えるまでもない。目の前が地雷原でも私は歩み続けるだけ。

 

 

 

 次の日。ぐっすりと寝ていた私の脳内に、突然コール音が響いた。

 

 《……エディ・オルドラ様からの呼び出し(コール)です、受信されますか?》

 

 …………エディか。こんな朝早くにどうしたんだろう。私は通話を選択する。――どうしたの?

 

「よぉ嬢ちゃん、早速だがある構造体に潜入して情報を入手してきてもらいたい。特級プログラマ(ウィザード)の出番だぜ」

 

 むう、ウィザードのアクセントがいつも私と異なるのは気のせいだろうか。――分かった、ブリーフィングはそちらのアジトで。

 

「おう、待ってるぜ」

 

 表情画面(フェイス・ウィンドウ)越しに手を振ってエディとの通話が切れた。

 

 私はベッドから起き上がって、朝のストレッチもどきを始める。

 今回エディの頼みを聞いたのは恩があるからというだけの理由ではない。私は、このきな臭い仮想を生き抜くためにもっと強くならなければならないと思う。ゲヘナは強い。私の術式(コードキャスト)も機を見れば最大限の効果を発揮するだろう。だが、最初の力――ゲヘナの動きを止めたあの指輪の詳細が今でもよく分かっていない。現状の自分を隅々まで理解することは、多分強さへの近道だ。

 

 私はアイテムボックスを選択し、中身を確認する。そこにはいつ手に入れたのか分からないアークのウィルスが数機保存されていた。

 この疑問に対する仮説はある、それを今回の作戦で実証しようと思っている。

 

 私はストレッチを終えて”神代の巫女服”に着替えた。うん、やはりこの服は落ち着くね。術式(コードキャスト)の浸透率も私服より高いようだ。……戦闘があるときはこの服がいいのかな? でも目立つのは下策だ。顔を隠すアイテムが必要かもしれない。

 アイテムボックスを虱潰しに探していると”みこーん”とかいうふざけた名前の装飾アイテムを発見した。……展開すると何の変哲もない狐のお面だ。ドキドキしながら付けてみるが期待に反して何も起こらなかった。しかし、お面を装着しているのに視界が邪魔されないのは見事な機能だ。

 

 首をぐるぐる回しながら視野の確認をしていると、背後におかしなものが目に入った。あまりの異常さに三度振り返ってしまう。私の腰になんで、なんで――狐のもふもふ尻尾が!!? もしかしてお面の機能その2というやつなの……?

 

 まったく――なんて素晴らしいお面なんだぁーっ!!

 

 正気を失った私はベッドに飛び乗り、小一時間自分の尻尾をもふもふし続けるのだった……。

 

 

 >>無名都市 エディのアジト

 

「――……遅ぇな」

 

 

 




MATERIAL


>>没入
仮想世界に潜ること。短時間の没入ならどこからでも問題ないが、長時間の場合はコンソールと呼ばれる生命維持装置のついた操作席から没入することになる。

>>脳内チップ
幼少の頃に脳にナノマシンを埋め込まれ、バイオチップを生成する。最終的には首筋に神経挿入子を形成する。

>>蔵浜市
現在も大部分が立ち入り禁止。清城市から電車で30分程。

>>もうひとつの結末
ロールケーキを信じて。

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