エディの遺した情報を元にNPC密造業者への潜入を敢行するクリスとはくのん(CV:石川由依)。
カップルを装いながらの潜入は順調だったが、警戒警報が鳴り状況が一変する。窮地に陥った彼らは――。
回廊を赤い機械鎧が疾走する。
それを追う
赤い機械鎧のユーザー、六条クリスはレーダーに意識を傾け僅かに舌打ちした。彼女の苛立ちは背後に迫る彼らへのものではなく、先程までの己自身へと向けられていた。
数分前、ハクノと連携し敵機を撃墜した直後のことだ。
回廊の両側から予想を超える数の兵が一斉に転移して来た。一対一なら取るに足らない相手ではあったが、個人が対応できる数には限度がある。
数的不利のゲリラ戦闘は避けなければならない――そういう考えが兵士として当然身体に沁みついていたクリスは瞬時に離脱が最善と判断、敵の薄い面の一点突破を図った。
だが、戦況を見極める才はありながらも経験がまだ少ないハクノは、クリスと同様の判断を下すのに若干遅れた。
敵はそれを見逃さなかった――いや、彼らにはそんな冷静さは無い、偶然そうなったとでも言うべきだろう。結果的に、彼女たちを分断するにはその僅かな時間だけで十分だった。
戦闘という点においてハクノへの期待が過剰だったとクリスは歯噛みした。反則的な異質を備えていたとしても一皮むけばただの少女だ。彼女の強さをどこか勘違いしていた。
……それは、どこからきた錯覚だったか。
ハクノは状況に落ち着いて対処する点において凄まじい一面がある。戦闘ログを見た限り、その判断は的確で、まるでこれまで何回も修羅場を潜り抜けて来たかのような冷静さがあった。
だが、ただの
ミッド・スパイアで
ともかく――ハクノの強さを確信できるほど、私は彼女の事を知っているわけではないだろう。だというのにどうしてか、彼女なら出来ると考えてしまった。
思い当たる理由はある。
彼女は天を仰いだ。
――忌々しい。やはり、厄介だな。
クリスは後方からの散発的な銃弾を器用に避けながらこれからのことを思案する。
ハクノといますぐ合流するのは難しい。彼女は私と逆方向から敵陣を突破している。仮に後ろの連中を撃墜しても、その先にはさらに敵の密集地がある。それを突破して彼女のもとへ向かうのは現実的ではない。
では、最初の目的遂行のため、この混乱に紛れてドミニオンの拠点へと一人向かうか。
それこそありえない、と彼女は冷静に分析した。
あまりにも危険な賭けであるし、この騒乱はまだ始まりの段階に過ぎないと彼女は確信していた。
『第二小隊突入準備』
『
悪い予感は当たるものだ。
想定より随分速い。反AI派の先鋒がすぐにでも突入してくる――。
彼らはここにドミニオンの拠点に繋がる
だがその攻勢を、ドミニオンが指を咥えて眺めているだけのはずがない。GOATの侵入に呼応するように彼らも巣穴から出てくることだろう。それはGOATの足止め、くわえて本拠地に繋がる
そう――もうすぐここはGOATとドミニオンの激戦区になる。
そうなってはもはや調査どころではない。既にハクノの目的は叶わないとみていい。地図情報からみるに彼女は離脱可能エリアの方へと向かっている。
……少し語弊があるか。彼女は
対して私は深部へと追い詰められていた。彼女と同じように一瞬で防壁を解除できるなら良いのだが、私にそこまでの技量はない。
回廊の途中で角を曲がり、
数秒後、後方で爆発音がした。
足止め出来れば御の字だったけど、まさかあれに引っ掛かったというのか――私は追撃者を哀れみながらハクノへと通信を繋げた。
◇
『――無事?』
これまで蓄えていた
――……ごめん、はぐれて。
私は彼女に謝罪した。
この状況に陥ったのは私のせいだ。もう少し状況を見ることができていたら、こんなことにはなっていなかったはずだ。
だが、クリスはそんな私の言葉を笑い飛ばした。
『あれは私のミスよ。――それより、あなたは離脱してほしい』
予想だにしない言葉に私は咄嗟に言い返す。
――出来ない。そんな置いてくようなこと。
既に本来の目的を達する事が出来ないのは分かる。そのため、今は離脱する事が何よりも優先される状況だ。
だが、一人で離脱することはできない。確かに私は、それが可能なエリアにもうほど近い。けれどクリスはどんどん奥地へ追い詰められているように見えた。そのままだと脱出は困難だ。
私は逃亡しながらも彼女の救出ルートを探っていた。
だが、クリスはどこまでも落ち着いていた。
『――どうとでもなるわ。貴女がこちらに来るほうがよっぽど危険よ』
私は口を噤んだ。
無理してクリスのところに向かったとしても辿り着けない可能性が極めて高いと彼女は言っているのだ。
けれど、このままだと彼女は戻ってこれなくなる。
なぜなら。
――もうすぐGOATが突入してくるよ。
私は図らずも彼らの秘匿通信を傍受していた。
AIを監視、且つ仮想世界の有事における鎮圧を目的とした地球統合政府の軍組織、その
その指摘に彼女は少し逡巡した。だが、その意思は変わらない。
『――単騎なら、切り抜けられるわ。どうか自分の身を優先して、ハクノ』
強がりとしか思えない言葉――それっきり彼女との通信が途絶する。
GOATによる
けれど。
脳裏に過ったのは血だらけで横たわるエディ。もし、彼のように次はクリスを失ってしまったら……。
――いやだ。混じり気もなしにそう思う。
目覚めた瞬間から、戦ってばかりだった。見も知らない機械鎧、変な宗教家、サディストな偏屈男……。記憶を求めて辿ったのは荊の道。けれどそんなところにも安らぎはあった。
クリスは私に
私はそれがすごく嬉しかった。
ああ――最初から結論は決まっていた。
――彼女を置いて逃げる?
笑えない。
そんな選択肢なんて
ふっと溜め息をついてからゲヘナを反転させる。私は目の前の回廊を睨みつけた。険しい道のりになるだろう。けれど、もう決めたことだから。
――行こう。
◇◇◇
追手を殲滅し、手近な扉のセキュリティを解除する。
古い工場のような場所にクリスは滑り込んだ。壁を這うパイプに沿って視線を上げると上階の手すりの向こうに紫衣の少女が立っていた。
まさか――こんなところで遭遇するとはなんていう運の悪さ。
「――こんにちは、小さな巫女さん」
呼ばれたドミニオンの巫女はこちらを見つめたまま、ぽつりと言葉を漏らす。
「……あなたは、六条クリス」
クリスは腕を組んで自分の髪を撫でた。
「知らないわけがない、か。ドミニオンはたくさん殺して回ったから」
巫女は唇を噛んだ。世界中で多くの同胞を殺害した女。
「――血塗れの山羊」
蔑むような言葉にクリスは薄らと笑みを浮かべる。
「何それ――皮肉?」
「神父様の子でありながら、教義を忘れ、血を裏切った悪魔」
「笑わせないでよ狂信者。ドミニオンはもう潰れた。ここにあるのはただの亡霊、中身の知れない神父に付き従う理由なんてどこにもないわ」
睨みあう二人。
その刹那クリスは目を見開いた。羽毛で脳を撫でられるようなくすぐったさ。これには覚えがあった。
……対象の思考への直接干渉。マインドハックとは似て非なる、電脳症の副作用。ドミニオンの巫女の場合自分の心を投射するだけでなく他人の思考を一部読み取る事も出来るまで症状が進行していた。
本来なら知覚させる事はない。だが、ほぼ同様のことができるクリスは例外であった。
――盗み見られる! クリスは巫女からの攻撃にすぐさま対処する。
干渉自体を防ぐことは出来ない――ならば巫女の思考へ干渉し、その意識を乱す。クリスはすぐさま電脳の見えざる触手を巫女の脳に挿し込む。
――そして、それは起きた。
電脳症とはAIと自らの脳の境界を見失う症状のこと――性質の似た電脳症患者同士が互いに干渉すればどうなるか。
「「――ッ!!」」
二人の自我の境界が交わる。透き通った鏡面に手が触れ、そのまま滑り落ちる。
その手前で――彼らはお互いに危機を感知しすぐさま干渉を停止させた。
「――驚いた」
巫女はヴェールの奥で目を丸くした。平然とした巫女の一方、クリスの息は荒い。生まれつきと後天的――人為的な電脳症の差がここに出ていた。
「人の思考を読もうとするなんて。巫女の正体見たりってところ、かしら」
垣間見た巫女の情報に頭を痛ませながらクリスはぼやいた。
だが、巫女はそんな彼女を意にも介さず尋ねる。
「あなた――死んでる?」
そんな脈絡のない言葉にクリスは目を細めた。
「……正気? 現実に肉体はあるわ」
「ううん、違う。本来なら――死んでいる」
確信を持ったような言い方にクリスは感心したように唇を歪めた。
「へぇ……――ただのお飾りというわけではないんだ。何を見たかは想像つくけど……私に違和感を持つなんてね。あなた、ちゃんと現実見れてるの?」
「その問いに意味はありません。この世界は偽物。全てはまやかし、作り物ですから」
「あはは、教義を徹底していて大変よろしいわ。……聞いた私がバカだった」
「それでもあなたはここが現実だと思いたいんですね」
「――どうでもいいわそんなこと。現実なんて言葉を尽くすほど本質から遠ざかっていくものよ。クオリアを反映した世界で生きる私たちがいくら論じたところで、それはただ滑稽でしかないもの」
「その考えの根底にあるのは世界への諦め?」
「……あなたと話していると疲れるわ」
クリスは視線を切る。
「逃げるんですか?」
「なら大人しく捕まってくれるかしら」
「断ります。あなたを見逃す理由もないので。――……
辺りが眩しい光に包まれたと思うと、そこには一機の純白の
「そう。本当、疲れるわ。――……
対するは血塗られた真紅――悪魔のような
構造体の深奥で二機の影が交錯し、激しい戦闘が始まった。
◇◇◇
深部へと向かう岸波ハクノ。なるべく敵は避けているが、無人兵器の在庫が尽きたこの状況は厳しいと言えた。
時間の経過で段々と敵の状況が変化しているのが分かった。構造体を防衛する者たちの数が減っている。その代わりGOATとドミニオンがその数を増やしていた。
迂回を続けていたが、クリスを救出するならもう直接的な戦闘は避けられなかった。
ハクノはとうとう接敵した。対するは4機。彼らは彼女に呼びかける。
「少女UNKNOWN、武装解除し、投降せよ」
――UNKNOWN? 私の事だろうか。クリスには言われていたけど、本当にGOATに狙われていたとは……こうなると実感がある。
ともかく、ここで捕まるわけにはいかない。私はゲヘナから飛び降り、その手に剣を携えた。その動きに対応するようにゲヘナも赤い剣を構える。
明確な戦闘の意思にGOATの
隊長らしき人物が抑揚のない冷たい声を発した。
「随行者は排除せよ。少女はなるべく生きたまま捕えろ。ただし、逃げられるようであれば殺して構わん」
「「「
前衛が剣を構え、中衛がこちらに銃を向ける。これが彼らにとっての日常。最適化された戦闘――感情など介入する余地もない遊びのない殺意を一気に叩きつけられ、息が詰まる。
冷や汗が背中を伝った。
これは、まずいかもしれない。
◇◇◇
――逃げられた。
激しい戦闘でボロボロになった構造体の真ん中に降り立ったドミニオンの巫女はひとり呟く。最初は殺す気満々だったみたいだけど、途中からは何かに焦っているみたいだった。戦闘を切り上げたがっていたようだけど、理由までは分からない。
六条クリス……。教団を憎悪する反教徒。血塗れの山羊。いやな人。
――けれど。彼女も電脳症のようだった。私と干渉し、共鳴寸前にまで至る性質の近さがあった。その時垣間見えたのは――網膜を焼く白い光柱、全身を覆い尽くす熱、苦しさ――恐らくは彼女の灰色のクリスマスの記憶。
自分の死ぬ瞬間は何度も見たことがある。だが、他人の死を追体験するのは初めてだった。見たのは一瞬、けれどその一瞬で彼女は繰り返し焼かれていた。
彼女も私と同じように別の世界を見ているのだろうか。尋ねる機会はもう無さそうだが益体もなくそう思った。
――私に違和感を持つなんてね。
彼女はそう言った。
違和感、か。
私が世界を偽物だと思うように、もしかしたら彼女は自分自身を――。
◇◇◇
レーダーも機能せず、
まさか――と思っていた。彼女がこちらに戻って来るなんて考えの隅にすらなかった。冷静に考えればその危険性は誰にだって分かる。
GOAT、ドミニオンの戦力に一人で真正面から立ち向かうなんて無謀すぎる。無事で済む保証なんてどこにもなかった。
クリスは通路の途中にあった電子体専用通路入り口の前で機体を停止させ、
入口には赤い掌の跡が残されていた。その鮮やかな色から塗りたくられてそう時間は経過していないようだと直感する。彼女はぎゅっと唇を噛んだ。
セキュリティを解除し足を踏み入れる。
はたしてそこに岸波ハクノはいた。血塗れの手をこちらにかざしていた彼女はクリスを確認して鋭い視線を緩めた。
「クリス――無事でよかった」
クリスはすぐさまハクノに駆け寄った。白い巫女服には大きな赤い水玉がぽつぽつと咲いていた。彼女は自嘲するように少し笑った。
「馬鹿みたいだよね、助けに来たのに……」
「喋らないで……怪我は」
「もう治したよ。けれど少し血を流し過ぎたみたい」
一機を撃墜し優勢としていたが、均衡を崩す赤い機体が増援に来たのだと彼女は語った。あまりにも唐突な乱入で攻撃の余波を避けきれなかったらしい。
ゲヘナの剣と互角に渡り合う闖入者――負傷した状態での継戦は困難だった。戦闘に見切りを付けたハクノはすぐさまスモークを焚いて即座にデコイを展開。ゲヘナにデコイを守らせている間にその包囲を一気に抜けた。
ゲヘナは既に戦線を離脱したはずだ。役割を果たした彼女はそうするはずだった。
「渚千夏――あの女」
クリスは苦々しげに呟く。
よいしょ、とハクノが立ち上がろうとしてたたらを踏んだ。クリスはそれを慌てて支えた。
「ごめん、でももう大丈夫――行けるよ。あなたと二人ならここを離脱できる」
なんの根拠もないその言葉。けれど嬉しそうに笑うハクノはそれを疑っていなかった。彼女がそう言えば不思議とそれが現実になるような気もする。
だが、それはあまりにも分の悪い賭けだ。
クリスは数瞬目を閉じてから決断する。
「ありがとう。誤算はあなたの優しさだったわ――」
ハクノの首筋に冷たい何かが添えられる。
クリスの手には黒い筒状のものが握られていた。
「だから、お休み」
耳元でした炭酸の抜けるような音を疑問に思う間もなく、意識の端から世界が急速に溶けていく。何が起きたのか把握しようとした考えごと持っていかれる。抗えない眠気が凄まじい勢いで身体を満たしていく。
どうしてこんな――早く、この構造体を脱出しなくては……いけない……のに。
そう思っても、もうすでに身体の自由は利かなくなっていた。一呼吸する間にも視野がゼリーのようにとろけていき……。
――
ハクノは自らにスタンをかけた。その身体を刺すような刺激で苦悶に耐えながらも強制的に意識レベルを引き上げる。後先考えない荒良治――ぎりぎり昏倒は免れたが思考はまとまらず、痛みと虚脱感の二重苦による混乱状態に彼女は陥っていた。
目を虚ろにさせ、よろめきながらも立ち続ける死に体のハクノ。そこに――追い打ちをかけるように、首筋へと二度目の針があてられる。なにもかもが遠くに思える状況においてなお、その冷たい感触だけが、怖いくらいに生々しく感じられた。
――ぁ。
小さく――震えた息をハクノは漏らす。
顔を突き合わせるように視線を交わしたクリスは、自己紹介でも始めるかのような軽い調子で微笑みかけ、そして告げた。
「ごめんね。――
決別の言葉とともに薬液が体内へと噴射される。
もうどこにも、抗う気力なんて残っていなかった。
岸波ハクノは完全に意識を喪失し、薄汚れた床へと勢いよく崩れ落ちる。
クリスは倒れ伏した彼女をじっと眺めた。
しばらくして、しゃがみ込んだ彼女はハクノの白い首筋へと、そっと爪を立てた。
「ああ、なんておかしいの……」
誰に聞かせるでもないその呟きは、狭い通路へと溶けて消えた。
>>MATERIAL
>>闖入者
イージーオペレーション。
>>薬液
ゾウも昏倒する。チバシティでクリスが徴収。