BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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>>前回までのバルステラ<<

ドミニオン教団の首領が狂った演説で白野の捕縛、殺害を指示。

一方、白野はクリスとウェルカムバトル。途中参加したドミニオンの一人は粉微塵になった。



幕間1 混線 / RE01-HK-F-MA01 / EV01

 >>清城市 街中

 

 

 雑踏の中を人に揉まれながら歩く。

 

 舞う粉塵、街全体に漂う饐えた臭いが俺の鼻を刺激する。

 道端――騒がしい違法露店の隙間にはみすぼらしいぼろ布を纏う濁った眼をした物乞いが蹲っていた。重度の仮想中毒……あるいは頻発するテロによる戦傷者か。どちらにせよ清城市では珍しくない光景である。わざわざ足を止める者などいない。

 

 俺は人を避けながら視線を空に向けた。あの日からずっと変わらない息苦しい灰色がこの(くに)に蓋をしている。

 視線を下げれば子供が継ぎ接ぎしたかのように不揃いなビル群。複数の言語で表示された怪しげなネオンが真っ昼間から七色に点滅を繰り返していた。

 

 客引き、道行く人の喧噪――緊張状態の続くこの街には些か不釣り合いなものに思えるが、不安を感じる人々が無意識に声を張り上げているのだと考えれば納得は出来た。

 

 

 そんな中身の薄い賑わいの中、とある露店の前で俺は思わず足を止めた。

 違法ナノマシンを販売する店ばかりが立ち並ぶ中、そこだけは金属製の小物――何の変哲もないアクセサリー類を売っていたのだ。物珍しさから立ち止まった俺を客だと勘違いしたのかトランクに腰掛けた女性が片手を挙げて陽気に話しかけてくる。

 

「ん、いらっしゃい」

 

 正直なところ興味はなかったが、話しかけられた以上このまま立ち去るのは気が咎める。気乗りはしないが、俺は地面に敷かれた布に置かれたいくつかの小物に目を向けた。

 

 ――へえ、見事なもんだな。

 アクセサリーの類にはあまり精通していない俺でも思わず感心する程の出来栄えだ。ネックレスやピアス、ブレスレット――女性への贈り物に適した可愛らしいものから、男性向けの無骨なものまで様々な小物が並んでいる。

 

「あんたが作ったのか?」

 

 尋ねると、彼女はとんでもないと首を振った。

 

「細かな作業はてんで駄目でね――まあ察してよ」

 

 そう言って彼女は舌を軽く出してにこりと笑った。……なるほど、あまり褒められた入手手段ではないのだろう。こんなところで出店しているくらいだから、そこは他の違法露店の例に漏れないと言ったところか。

 俺は一番気になったもの――銀色の細いチェーンに薄らと青く発光するさいころのような鉱石を通したブレスレットに眼をやる。

 女性は目を細めた。

 

孔雀石(マラカイト)の遺物、か。良い眼をしてるわ軍人さん。こいつの入手には結構苦労させられたのよね、ここでは語らないけれど」

 

 それでいいのか店主……。商品の付加価値を高めるためにはそこのところを詳しく説明するべきなのではないか……? まあ、指摘しないでおくのが花か。それよりもマラカイトの遺物? なんだそれは。

 

「簡単に言えばおまじないが掛けられているのよ。付与された効果は”再会”――それは会いたいと願う相手を導く礼装」

 

 ……思わず噴き出しそうになった。科学極まるこの時代にそんなオカルトなどドミニオンだけで十分だ。そのような可愛らしいまじない道具は花占いが好きな女子学生にこそ売られるべきだろう。

 

「――」

 

 だが、思いとは裏腹に脳裏によぎったのは学園生時代の恋人――水無月空。もし、彼女にまた会えるのならば。

 

 ――ふ。

 俺は苦笑してゆっくりとかぶりを振った。

 馬鹿か俺は。彼女の死は他でもない俺が確認している。だからこそ俺はレインと共にその原因であるドレクスラー機関を追っているのだ。今さら彼女に会えるなんて都合のいい妄想なんて抱いてはいない。

 

 しかし。

 僅かながら気になることがあるのも事実だ。

 空が生きているという俄かには信じがたい情報を俺に伝えて来た人物がいたのだ。あれは昨日――ドレクスラー機関の拠点を攻略し、狐面の巫女と共に脱出した次の日のことだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 初心に立ち返ろうと、爆心地である蔵浜を訪れていた俺はそこで待ち伏せていたシゼル少佐――民間軍事会社フェンリルの主要メンバー――に入隊を勧められた。清城市に渦巻く陰謀は規模、戦力共に個人では到底太刀打ちできるものではなく、このまま無軌道に戦い続ければ無意味に死ぬだけだと彼女は語った。

 だが、俺は彼女の誘いを蹴った。

 フェンリルに所属することは行動の自由を奪われることとイコールだ。首輪に繋がれた犬が求める真相に辿り着けるなんて思えない。

 

 断るならば生き残れるだけの実力を私に示してみろと少佐はシュミクラムでのリミッターオフバトルを俺に挑んだ。古びたアリーナでの激戦。俺はなんとか勝利をもぎとったが、凄まじい戦闘力だった。戦場で出くわしたくはない凄腕(ホットドガー)だ。

 

 少佐が一足先に離脱し、俺も一息ついてから現実に戻ろうとした時――彼女が現れたのだ。

 

 

 ◇

 

 

 >>古びたアリーナ

 

「君は、あの時の……!?」

 

「……エージェント」

 

 いつの間にかアリーナの端に佇んでいた少女が静かに頷いた。

 

「無事だったのか……。君は爆発に巻き込まれなかったのか?」

 

「……うん」

 

 少し得意げに微笑んだ彼女の様子はやはりクゥを彷彿とさせた。……落ち着け、聞きたいことはたくさんあるが、まずは……。

 

「君のIDを調べてもいいかな」

 

「うん、うん」

 

 その言葉を待っていたかのように彼女は何度も首を縦に振った。

 電子体はNPCも含めてそれぞれ固有のIDを持っている。……それを調べて彼女の正体が分かるというなら何の苦労もないのだが……。

 しかし、その結果は――。

 

『XN-A12-X4R-S001 / AN79』

 

 ――クゥのものだ。

 

「どうして?!」

 

「……同じ番号」

 

「いや、同じなのは分かるけれど……どうして?!」

 

「なぜなら……空、生きてる」

 

 ――馬鹿な。

 

「言ってる意味が良く分からないぞ……どうしてそうなるんだよ!?」

 

 クゥは模倣体(シミュラクラ)と呼ばれる特殊なNPC――とある事故で永久に凍結されたはずの電子体だ。

 "特定の第二世代(水無月空)"と"情報のやり取りを人間レベルに制限したAIの思考クラスタ(クゥ)"とをリンクで繋ぐことで対象の感情や記憶を学習し、対象と同一のクオリアと魂を得るに至った()()()()N()P()C()。それが彼女だった。

 言い換えれば、現実にいる人間の思考を複製した自立稼働するNPC。

 

 模倣体(シミュラクラ)はAIが対象人物の思考を真似して動かしているような存在である。そのため、対象人物が死亡するなどしてリンクが途絶すると機能が停止する。

 だとすると彼女は一体? 模倣体(クゥ)が稼働しているなら本体()も生存していると考えていいのか?

 だが、俺は生きたまま溶けていくあいつを見た。俺に助けを求めながら死んでいく恋人を。最悪の記憶がフラッシュバックする。エージェントの言葉が俺の心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。

 

 ……俺は一体何を信じればいいんだ?

 クゥのIDを持っている彼女のことを俺は信じてもよいのだろうか?

 

 

「とりあえず、それ伝えたかった」

 

 ああ、そうか。これはきっとアジトの爆発の影響で俺の頭がいかれて、自分に都合のいい夢か幻覚を見せられているんだな。

 

「どうやら相当の重症だ……。やはり一度専門家に診てもらった方がいいな」

 

 自嘲するように溜め息をつくと、目の前の彼女はぷうっと頬を膨らませた。

 

「信じられない……ハクノもいたのに」

 

 ハクノ? ああ――確かに、あの場には俺以外にも狐面の巫女がいた。彼女の存在はレインも確認しているため幻覚の類ではない……ただ、彼女が普通の人間かどうか問われれば首を傾げたくはなるが。

 エージェントはすっとアリーナを見上げた。その瞳は天井を突き抜けここではないどこかを見ているようだった。

 

「彼女も多分代理人(エージェント)。――量子のさいころの出目は不定」

 

 それまでの拙さが無くなり、諦観の感情をほんのり乗せたその呟きはあまりにも人間らしくて。

 まるでそこに空がいたかのように俺は錯覚した。

 

 そして――瞬きの後に、彼女の姿はもうなかった。

 

 

 ◇

 

 

 その後、仮想を離脱した俺はレインと合流し、Dr.ノイという闇医者に俺の損傷した脳内(ブレイン)チップの治療を依頼。医療用ナノマシンによる脳内(ブレイン)チップ及び脳細胞修復で、俺は抜けていた記憶を一晩で追体験した。

 治療後、薬が抜け切らずにぼーっとしていた俺の耳元でノイは大戦時代に実在した狂気の科学者の話や、彼女の開発した姉妹機――お蔵入りしたシュミクラムの話などを語って聞かせた。内容はよく覚えていないが、あれは彼女なりの子守唄のつもりだったのだろうか……だとしたらどうかと思うが。

 

 一晩をノイの診療所で過ごした俺とレインはこれからの方針を話し合う。その結果、ドレクスラー機関を追うのに変わりはないが、新たな情報が入るまではエージェントと名乗る少女についての調査をすることになった。

 寄り道をするような方針の転換にレインは複雑な表情を浮かべていたが、これについては本当に俺の勝手で申し訳なく思う――だが、どうしても彼女の正体を知りたい。その衝動に俺は抗うことが出来なかった。

 

『いえ、中尉が気になるのも分かります。私は中尉に命を救われました。だから、私はただ中尉に従うだけですよ』

 

 レインの言葉が俺の心を熱くする。彼女は俺のようなちっぽけな存在にはもったいないほどのできた相棒なのだと改めて感じた。……レインがいなかったら空を失った俺は自暴自棄になってろくでもない死を迎えていただろう。考えるだけで気が滅入る……。

 

 全てが終わったとき、どうか彼女には幸せになってほしい。その手伝いなら俺はなんだってするだろう。

 

 

 話を戻そう。

 エージェントの調査にあたって、俺たちはまずアーク社を訪ねる事にした。アークの社長、橘聖良――彼女に会えばエージェントだけでなく、狐面の巫女に関しても何かしらの糸口が掴めるはずだった。

 

 アークの本社は清城市の郊外にあるためレインには移動手段の確保を頼んでいる。

 現在、俺が手持無沙汰に街を一人ぶらついていたのは、そのためだ。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 長い回想から意識を浮上させると、店主の女性がこちらを訝しげに見ていた。

 思考がトリップしていた――元を正せば女性の荒唐無稽な商品紹介のせいではあるが、それを真に受けそうになった俺の(おつむ)が足りなかったのは明らかだ。

 

「――すまない、考え事をしていた」

 

 店主は目を伏せる。

 

「ふぅん、いいわ。――分かっているとは思うけど、死人に効果はないからね」

 

 店主は”マラカイトの礼装”を指差して釘を刺す。

 ……そんな分かりやすい顔を俺はしていただろうか? だが、そんなことは言われなくても理解している。元よりそんなオカルトは信じていないが……。

 

 ぼんやりと青く光る神秘的なアクセサリー。

 ――そうだな。まじない云々は置いておくとして、一目見てその価値の高さが分かるブレスレット……よくよく見れば知的なレインには似合いそうな造形をしている。

 日ごろの感謝を込めて、彼女に贈り物をするのも悪くない。柄にもなくそう思った俺は商品に視線を投げかけ値段を尋ねた。

 

「いくらだ?」

 

 彼女は人差し指をびしっと一本立てた。

 

「一千万よ」

 

 ――――――――――――――は?

 

「―――――――――――――は?」

 

 間抜けな応えがまるっと漏れる。……落ち着け、冷静になれ門倉甲。

 俺に貴金属の適正価格を見抜く匠の目は無い。だが、これは流石に高すぎやしないか。もしや、ふっかけられたか?

 

「売る気ないだろ」

 

 軽く尋ねると、女性は不思議そうに肩をすくめた。

 

「あるから値段を提示したのよ。貴方が買わないだけじゃない、おかしなひとね」

 

 ―――――ほう。

 痛烈な返しにムッとした俺は思わず唇が釣り上がりそうになるが、ぐっと抑える。そんな様子を見た彼女は首を傾げて口元に謎めいた笑みを浮かべた。

 

「どうする?」

 

 俺は目を閉じ長い息をついた。もうそろそろレインから連絡が来る頃合いだ。ここら辺で話は切り上げるとしよう。

 彼女から視線を切って踵を返す。

 

「……やめとくよ。次の客には精々優しくしてくれ」

 

「残念――縁があったらまた会いましょう」

 

 首筋に視線を感じて振り返ると女性が静かに手を振っていた。気さくなのか何なのか……いまいちその性格を読み取るのが難しい相手だった。

 

 

 それから。

 彼女に会うことは二度となかった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 清城市郊外の外れに建設された巨大な施設――アーク本社。

 

 建物の外壁は結合超密素材に覆われていて、磨かれた大理石のように輝いている。結合超密素材についての詳細は省くが、もし仮にこの建物を破壊するなら核爆弾や衛星軌道兵器(グングニール)を使用する必要がある。

 ともかく凄まじい耐久度を持つ素材なのだ。

 

 なぜアークがこのような仰々しい要塞を築いているのか。それは、彼らが管理する特級AIイヴ、及び仮想に関する知的財産の保護のためである。

 今時の多国籍企業は小さな州政府より力があり、大規模な民間軍事会社(PMC)は小さな州軍より力がある。かつての国家は世界の主導権を失いつつあり、今や世界の情勢を握っているのは統合といくつかの企業といっても過言ではない。

 それぞれの企業は自衛するための武力を各々で保有する必要があるのだ。

 とはいえ、資源の枯渇、武器の高騰などの影響を受けて現実で戦闘を行うコストはメリットに見合うものではなくなってきている。そのため、主な戦場は徐々に仮想に移りつつあった。

 

 

 ◇

 

 

 >>アーク本社

 

 巨大な社屋の中は、人の姿もまばらに静まり返っている。廊下は銀色、壁はぼんやりと青く光る透明度の高い硝子――その光景は一昔前のSF映画に出てくる宇宙コロニー内部を連想させる。

 俺の隣を歩くレインも目を丸くしていた。

 

「幻想的な光景ですね。ここが仮想空間と錯覚してしまいそうです」

 

「叔母さんの親族の趣味なんだ。ネット(あちら)リアル(こちら)の境界をあえて曖昧にする様式を好むんだ」

 

 しばらく歩くと脳内に機械音声(マシンボイス)が響いた。

 

 《右手のドアからお入りください。橘社長がお待ちです》

 

 指示に従いドアを潜ると、その向こうには広大な空間が広がっていた。

 

「これはいったい……?」

 

 思わず驚きの声をあげるレイン。

 目の前には鉄の壁面と構造物が見渡す限り広がっている。巨大すぎる人工空間――アークの外観から想像できる床面積とは明らかに見合わない大きさ。

 

「……こいつは見た覚えがある。ここはアーク社の構造体内部なんじゃないか?」

 

 俺の呟きにレインが首肯する。

 

「ええ……いつの間にか没入(ダイヴ)させられています。扉を潜った後、強制的に没入させられたようですね」

 

 流石の彼女も戦慄したのか額に冷や汗を滲ませていた。

 

第二世代(セカンド)以外は立ち入り禁止か……? まったく、完璧な保安対策だな」

 

 今頃俺たちの現実の身体(リアルボディ)操作席(コンソール)に運ばれているのだろう。仮想に没入する場合、第一世代は首筋の神経接続子(ニューロジャック)を用いて有線接続する必要があるが、第二世代は脳内チップの機能により常時無線で仮想(ネット)と繋がっている。

 ネットとの親和性は高まったが、それ故の危険性もあった。例えば相手がネットに接続している状態であれば脳チップを潜脳(マインドハック)することで破壊することが可能だ。実際は脳チップにガチガチのセキュリティが掛かっているため口ほど容易くは出来ないが、特級プログラマ(ウィザード)ならあまり時間をかけることなくそれを突破することもできるかもしれない。

 今回の場合、軽く脳チップの表層をハックされたのだと考えられる。現実から仮想へ意識の切り替え程度の干渉ならアーク社屋内であれば容易に行えるのだろう。

 

「注意してください。どうやらここはリミッターの影響範囲外のようですから」

 

 俺たちは警戒しながら通路を進んでいく。

 通路のはるか下には巨大なアイリス・バルブが覗いていた。周囲の構造物から判断すれば直径は300仮想メートルほどはありそうだ。

 レインが感嘆する。

 

「流石、仮想(ヴァーチャル)屈指の大企業ですね。自社で(S)級AIを保持しているだけあります」

 

「叔母さんはAIの申し子みたいな人だからな」

 

 叔母さんはAIとの常時接続措置を最初期に受けた人だ。言うなれば俺たち第二世代の先輩である。その能力を活用し、一代でアークを築き上げた彼女は経営者、科学者として伝説的な人物だ。そんな人が俺の母さんの妹だと考えるといろいろ感じるものがあった。

 

「……失礼します」

 

 咳払いを一つして、俺は思い切って社長室の扉を開いた。

 

 

 ◇

 

 

 白光のきらめく水晶宮の中、橘聖良が昔のままの姿で佇んでいた。

 

「……お久しぶりね、甲さん」

 

 感情の薄い口調で淡々と挨拶をする彼女の視線は、俺を貫いてどこか遠くを見ているように感じられる。

 

「ご無沙汰しています、叔母さん」

 

 気圧された俺は深々と頭を下げた。

 

「おう、久しぶりだな、坊主。ウチに入隊する気になったか」

 

 声のした方に目をやると、懐かしい顔がニヒルに笑っていた。

 

「親父……」

 

「……その顔じゃ、そういうわけでもなさそうだな」

 

 親父はこれ見よがしに溜め息をついた。

 過去の出来事の影響で俺と親父――門倉永二は不仲だ。とはいえ、それを態度に出す程、成長していないわけではないが心がささくれ立つのはどうしようもない。しかし、昨日シゼル少佐がフェンリルはアークにいるとは伝えてはくれたが、こうも突然親父に会うとは思ってもみなかった……。

 アークが親父――つまりはフェンリルを雇ったということなのだろう。自前の警備隊を持つアークがフェンリルを雇う――なんともきな臭い話だ。

 

「そうね、永二さんたちを今、雇っている雇い主(クライアント)は私たちよ」

 

 まるで俺の思考を読み取ったかのように叔母さんは口をきく。

 

 だが、俺がここに来た理由はそのようなことを聞くためではない。俺は早速、叔母さんに狐面の巫女とエージェントについてをぶちまけた。

 口を挟まずに耳を傾けていた叔母さんは一連のことを聞くとゆっくりと頷いた。

 

「興味深い話ね」

 

「アークには、何か心当たりはありませんか?」

 

「最近、あのタイプの海賊版が問題になっているの。それと見間違えた可能性はないかしら」

 

 それについての回答は持っている。

 

「ID番号がクゥと同じでなければ、俺も、そう思うところです」

 

「しかし、模倣体は複製不能。論理的にあり得ないのは分かっているわよね?」

 

 俺は首肯する。

 

「――だからこそ、ここに来たのです」

 

 しばらく口を閉じ、無言で視線を合わせる。

 

「そうね、何か分かったら連絡するわ。――次にあなたたちが狐面の巫女と呼ぶ存在についてですけど……あなた、秘密は守れるほうかしら?」

 

「はい」

 

 俺は即答した。

 

「ならいいわ。――あれはアークを出奔した電子体よ。数日前までアークが管理していたものです」

 

 やはり、といったところか。

 俺はドレクスラーアジトで見た狐面の巫女を思い出す。無人兵器(ウィルス)の管理者を一瞬で書き換えて窮地をひっくり返す鮮やかな手並み――あれ程のハッカーがアークと無関係なはずがない……。

 しかし、管理と言ったか? ……なんだか不穏な単語だ。

 

「あなたは――無意識(エス)の海を知っているかしら?」

 

 話が急に転換する。

 

 無意識(エス)――確か、フロイトが提唱した三層からなる精神構造の一部だ。

 無意識領域に属する本能的な欲望が渦巻くエスと、規律を司る超自我(スーパーエゴ)を、現実原則に従う自我(エゴ)が調停すると定義した心的機能……。

 

 

 叔母さんが抑揚のない調子で語った。

 仮想の最果て――AIの深層は、仮想空間としての形を成さない無意識領域の海。灰色の薄霧が漂う、えんじ色に染まった大洋。AIネットワークの全てのデータが渦巻く混沌とした原初の海(ストレージ)。近寄るだけで精神汚染の恐れがある危険な場所――。

 

 一度、言葉を切った叔母さんが視線を下に向けた。透き通った青水晶の床、その遥か下層にはアイリス・バルブが設置されている。

 

「あれの真下にエスの海があるわ。アイリス・バルブはエスとアーク構造体中央を隔てる関門の役割を持つの」

 

 恐らくこれはアークの上級社員でも一握りしか知らない情報だろう。藪をつついたら蛇が出たという気分だ。狐面の巫女の話がいつの間にかアークの特級機密の話にすり替わっている。

 

 だが――叔母さんは無意味な話を好まない。関係のなさそうな一連の説明もこれからの話に必要な前置きなのだろう。

 何ともなしに叔母さんが核心に切り込んだ。

 

「狐面の巫女――あれはエスの波打ち際で回収された電子体よ」

 

 叔母さんが指を僅かに動かし画像を転送する。網膜に展開した画像に写るのは、水を湛えたシリンダーに揺蕩う少女だった。ゆるく波打った栗色の髪。素の顔を見るのは初めてだったが、少女は幸せな夢をみているように瞼を閉じていた。年齢は16、17ぐらいだろうか。

 そのまま視線を横にずらし、画像の撮影日時を見た俺は目を疑った。

 

 ――2()0()()()

 

 おかしい。もし、それが事実だとすれば現在の年齢は40近いということになる。だが、以前視認した狐面の巫女の肢体は瑞々しい少女のそれだった。……外見を偽装すれば問題ないか? 特級プログラマの力を持つ彼女ならそれが出来るはず。だが、叔母さんはそれを否定した。

 

「アバターではないわ。彼女の外見は20年前に回収された当時のままよ」

 

 もう一枚の画像が転送される。

 それは緑の単眼のシュミクラム――確かゲヘナといったか――の肩に乗った素顔の少女の画像だった。察するにアーク構造体内部で無人兵器と交戦しているようだが注目すべきはそこではない。撮影日時は一週間前。

 長い時に隔たれた二枚の画像。なのに、彼女の姿はまるで変わっていない。

 

 電子体は現実の身体とリンクしている。現実の身体が変化すれば、仮想の電子体にも反映されるのがネットの論理(ロジック)だ。したがって電子体に変化がないのならば、現実の肉体も変化していないといえる。

 だが、それはありえない。

 

 そこで俺は思い至った。

 無意識の海から現れた少女――人間ならば精神汚染の危険アリ――成長のない身体。

 まさか、と思う。

 

 ――彼女はNPC?

 だが、そう仮定すれば頷けることも多々あった。だが、新たな疑問も湧出する。NPCがあんな感情豊かに振る舞えるものだろうか。確かに戦闘内容は人間離れしていたものだが、その奥には人の強い意思を感じた。

 

 心を持つNPC……。

 ああ、俺はその前例を知っているじゃないか。

 

「――彼女は模倣体(シミュラクラ)なのですか?」

 

 叔母さんは曖昧な表情を浮かべてお茶を濁した。

 

「彼女の研究はしばらく行われていたわ」

 

 ――ルネサンス計画の終期。なんの前触れもなく、AIの無意識が生み出した電子体に研究者の食指が動かないはずがなかった。だが、結果は芳しくなく、得られた情報ほんの僅かだった。

 

 彼女の電子体の特徴は現実に戸籍登録されたあらゆる人物と一致しないということ。

 そして、彼女の識別番号(シリアルナンバー)

 

 『RE01-HK-F-MA01 / EV01』

 

 予算と成果が見合わなかったこの研究は数年で凍結された。そのまま、彼女の電子体はアークの奥深くに封印されたのだ――

 

 

 彼女のIDを聞いて俺はクゥのそれ――『XN-A12-X4R-S001 / AN79』――と構成が似ていると気付いた。

 長らく会っていない従姉妹の言葉が再生される。

 

 ――……試作型、プロジェクトA12、形式名X4R、Sの001番。スラッシュの後は署名(シグネスチャ)。開発者アキ・ニシノの79番。

 

 もし、クゥと同じ法則で狐面の巫女のIDが名付けられているのだとしたら、彼女の開発者の名はEV……。これまでの話を総括して考えれば、これはアークの管理するS級AIイヴのことだと推察できた。

 

 

 しかし、疑問はまだまだ残る。

 原則として人類に不干渉であるAIが何故、人を模した電子体を生みだしたのか。凍結された電子体が突然目覚めた理由とは。模倣体だとするならばそのクオリアはどこから生まれたものなのか。本体が現実に存在しないというのに何故稼働しているのか……。

 叔母さんは首を振った。

 

「仮定はいくつかあるけれど、確証はないわ。憶測で物を語る事は嫌いよ。ただ、そうね――あれとリンクする本体があるのなら、ここではないどこか。AIネットワークに近い何か、もしくはそれを掌握した存在かもしれないわね」

 

 彼女の特級プログラマを超える能力は、仮想空間への融和度が人間ひいては電脳症患者よりも遥かに高いために生じるものだという。

 一般の人とAIの情報のやり取りがストローのような細い管の中で行われていると仮定すれば、ハクノのパイプはスエズ運河級――AIから分かたれた電子体であるからこそ耐えられる情報量の送受信。それを余裕綽々と捌く彼女はすでに人間の域にはない。そのことも彼女が模倣体、はたまた別のナニカであることの証明になる。

 

 総括として、狐面の巫女は()()()()()()()()()()だと叔母さんは述べた。

 

 叔母さんですらはっきりとは掴めない彼女の正体が俺に分かるとは思わない。だが、今度彼女に会った時は会話をしたいと思った。ただ、彼女と会うのは今後も戦場になりそうな気がする……。もし、戦場で敵対すればどうなるだろう。……彼女は手加減の出来る相手ではない、間違いなくどちらかが倒れることになるはずだ。

 

「――個の概念が無いAIにとって、唯一意思疎通のとれる知性体である人は得難い存在よ。イヴから生まれた彼女の目的は不明だけれど、その根底に人と対立する意思はないと考えられるわ。だから、今は彼女を自由にさせているの。けれど――敵になったらすぐにでも排除するわ」

 

 ……敵とは何を指す言葉だろうか。アークの敵、俺の敵? それとも――

 

 複雑な事はよく分からない。

 だが、目的を見失うことはない。俺の邪魔をするなら誰であれ消し飛ばすだけだ。

 

 

 

 




MATERIAL

>>孔雀石の遺物
詳細は不明。女性も消息不明。

>>模倣体
アーク社の最新技術を用いて開発された特殊なNPC。開発者は西野亜季。

>>潜脳
アクセスポイント経由で、個人の脳チップをハッキングすること。

>>門倉永二
甲の父親。フェンリルの隊長、階級は大佐。
専用シュミクラムはニーズヘッグ。最強。


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