始まりを告げたのはチェーンソーの甲高い回転音だった。
クリスは二つの回転鋸を両手に握りしめ、這うような低姿勢でゲヘナへと迫る。対するゲヘナは彼女の一挙一投足を見逃すまいと長刀を握り直した。二刀使いは小手先の技術が器用な手合い、さて――どちらの刃で仕掛けてくるか。
間合いに入る直前にクリスが胸の前で刃をクロスさせたのが分かった。おかしな構えである、その体勢では切り上げに移せない……そこでゲヘナは思い至った。狙いは自身の脚部だ。瞬時に後ろに飛び退くと、その場を一振りの回転鋸が通り過ぎていった。
並みのシュミクラム乗りなら見てからの回避は望めぬ速さ。だが、これまでゲヘナが死線を潜ってきた相手――初陣のα、門倉甲中尉――との異次元の戦闘に比べれば幾分かその圧は劣っていた。
挨拶の攻撃が避けられることは織り込み済みだったのか。クリスは速度を緩めずにその勢いのままゲヘナへと吶喊し、もう一振りで胴体を斬り上げる。――これが本命。着地して間がなかったゲヘナはそれ以上飛び退く余裕はなく、長刀でその一撃を受け止めるしかなかった。
動の剣とその場凌ぎの剣が拮抗する訳もなく、勢いよく吹き飛ばされていくゲヘナ。クリスは緩んだ速度をすぐさま立て直し、ゲヘナが無様に落下するであろう地点を予測――機体を駆って追撃を仕掛ける。
だがゲヘナはその突進を嘲笑うかのように――戦場に舞い降りたプリマドンナのように可憐に――とん、と塵が飛ばぬほどの無音と共に着地した。
「――な」
驚愕はクリスの口から。
どうしてそんな芸当ができる。
吹き飛ぶ最中に噴射装置でなんとか体勢を立て直したとしても、ぎりぎり両の脚で着地が可能といったところだろう。ならば私の認識が甘かったということか。
こいつは最初から吹き飛ばされる事も織り込み済みだったというのか。
肯定である。
ゲヘナはもとより着地を見越した飛ばされ方をした。本命がもう一つの鋸だと見抜いていたのである。
想定通りの着地をしたのなら、その先の筋書きもすでに決定稿だ。
すなわち、ここからはゲヘナの手番である。
流れる動作で長刀を上段に振り上げるゲヘナ。
一方、誘蛾灯に誘われる虫のように自ら死へと突き進んでいくクリス。
今さらどう進路を変えようともゲヘナの間合いに入った瞬間長刀は振り下ろされることだろう。往なすことも許されないのなら――もう、受け止めるしかない。
彼女は二つの回転鋸を交差させ、ゲヘナに向けた。
そして――。
彼女は間合いに踏み込む――と同時にゲヘナは剣先が見えぬほどの速さで長刀を振り下ろした。瞬間、ぶつかり合う刃を中心に衝撃波がアリーナを揺らし、クリスの足元が音を立てて円形に陥没する。
――こンの、馬鹿力が……！
クリスは内心毒づく。
一瞬の静止。――刃を挟んで、緑の単眼と赤の単眼が睨みあった。
だが、均衡は破られじりじりとゲヘナの長刀がクリスの回転鋸を押し込んでいく。
「――なめん、じゃないわよ！」
裂帛の声でチェーンソーの回転数が一気に上がり、けたたましい音と共に刃の接点から火花が滝のように溢れだす。――武器破壊。それを危惧したのかゲヘナの力が僅かに緩む……一瞬の隙、それを見逃す程クリスは甘い軍人ではなかった。
溜めた力でゲヘナの長刀を跳ね飛ばし、丸裸になった胴体に――
――殺戮のプルミエール。
瞬時にチェーンソーを延伸して相手を突き刺し、内部から相手の身体を破壊する技。通常のゲヘナであれば避ける事は出来たかもしれないが、隙を晒しているこの瞬間だけは一気に変化する間合いに対応することは不可能だった。
「――
だから。
白野は仮想の論理(ロジック)をねじ曲げる。
――
ゲヘナの機体がうっすら青く光り、その場から消え失せる。伸びた回転鋸は虚空を抉り、驚愕するクリスの背後にはすでに長刀を振り上げるゲヘナの姿があった。
――ふふ。
それは誰の笑い声だったか。
ゲヘナはクリスに反撃の隙を与える間もなく長刀を振り下ろす。
その刹那、ゲヘナに向かってありえない方角から4本のレーザー弾が放たれた。術式の効果で敏捷が増しているゲヘナは最大速度でその場から飛び退くが、意識の範囲外からの攻撃に動揺していたのか、避けきれず一本のレーザー光に右腕が呑み込まれる。
「ゲヘナ！」
思わず声をあげる白野だったが、ゲヘナはクリスから目を逸らさない。死合の最中なのだ、気を緩めたら今度はどうなるか分からない。
それからも何度かレーザーの一斉照射を避け続けるゲヘナであるが、クリスを辿る進路をレーザーで一々断たれるため容易に近付けない。気付けば二人は試合開始時の位置に戻っていた。
その頃にはすでに先程のレーザー弾のタネがクリスの周りを浮遊していた。それは、4つのレーザービット――彼女は最初からアリーナにこれを仕掛けていたのだ。
「……噂通りデタラメな
クリスは噂の大本を知っていた。というのも逃走した傭兵を探し出し首根っこを掴んで強引に色々と聞き出したためである。
そのため彼女はゲヘナが視界から消える事を念頭に入れて戦っていた。だが、消えるといってもレーダーマップから消失することはない。彼女はそのように仮定を立てていたため、背後をとられた瞬間を狙ってゲヘナにレーザー弾を撃ち込むことが出来たのだ。
「あなたの戦い方は綺麗で好きよ。だからこそ――ふふ、壊しがいがあるわ」
クリスは浮遊するレーザービットを一斉に焼失させた。
「そんなことでは足を掬われるわよ？ ――
彼女の両腕の回転鋸が腕部に収納され、ワインレッドの機体が変形する。チェーンソーを主装備とした格闘形態から遠距離装備が充実した射撃形態へと目に見えて変化していく。
白野は唇を噛んだ。計算高い彼女はゲヘナに遠距離武装が無いことに大方気付いているのだろう。これは勝負を決めに来たということか。
――模擬戦だから負けてもいい？ 白野は首を振る。そんな弱気ではいけない。私は勝ちたい。こんなところで負けられない。
ゲヘナをみると、右腕が少し焦げていた。私は治癒の術式を掛けてそれを治す。と、同時に僅かな頭痛に襲われ身体がすこしよろめく。――まさか、コードキャストの使用制限？ 早すぎる、今日はまだ2回しか使っていないのに。
しばらく俯いているとクリスが感嘆の声を漏らした。
「へえ……」
それに誘われるように顔をあげた私は思わず目を瞠った。
ゲヘナの右腕の先が炎に包まれている。さらに炎が徐々に剣の形を成していき、瞬きのうちに灼熱纏う歪な赤い剣に変わった。それはレガリアの炎から私が取り出す赤い剣に似ている、いや、はっきり言おう。あれは私のものと同一のものだ。
――どういうことだろう……。
私が戸惑っている間にも、ゲヘナはグレードアップした長刀でアリーナの壁に向かって試し斬りしている。はたして炎の斬撃は赤い円弧の像を大気に刻みこみながら凄まじい速度で壁に激突、爆発と共にそれを深く抉った。まったく凄まじい威力である。
――え？ 待って、私の剣じゃ物理攻撃はできないのに？
私は戸惑うが、内心では不思議と納得もしていた。
その剣を扱うのは私よりもゲヘナが適しているだろうという根拠のない変な確信……。むー……原理とかそのへんの細かい話はひとまずおいておこう。大事なのはゲヘナの長刀が進化して待望の遠距離技が解禁されたという事だ。これで戦い方もだいぶ広がるだろう。
一方、クリスは先程までの視線とは一転して興味深そうにゲヘナを見つめていた。
「ただのストーカーかと思っていたけれど――ゲヘナも特異体なのかしら」
あまりにも小さな彼女の呟きを私は意図せず傍受する。
――特異体……？ 聞きなれない単語だけど、クリスはゲヘナについて何か知っているのだろうか。教えてほしいが、傭兵は情報を安売りしないとエディが言っていた。こちらから何か差し出せるものがあれば良いのだけど、あいにく私にはロールケーキと焼きそばパンくらいしか所持していない。
まずは聞いてみて反応を確かめてみよう、私は口を開き――
アリーナの入り口にモブっぽいシュミクラムが一機出現しているのに気付いた。
思わぬ横やりだ。もしかして、次の利用者だろうか？
……この場所は意外と穴場なのだろうか。クリスに連れられて転移して来たときにも感じたが、至る所に刻まれた弾痕は劣化具合からみてそれなりに新しいものだ。これは私たちの来訪少し前に戦闘があったということを示している。
これからどうするのかとクリスに尋ねようと思ったが、私は寸前で口を噤む。表情画面に映し出された彼女の眼光は憎悪一色、残酷な微笑を湛えた唇は三日月のように捻れていた。
「ドミニオン……」
まるで呪詛。死神の息のようにぞっとする声色。
モブのシュミクラムの胸には確かにドミニオンのシンボルである禍々しい逆十字が刻まれていた。また、術式でこの機体のステータスを確認すると、アリーナ全体に
奴は明らかに私たちを狙っていた。
――あ。
いつだったか、無名都市で奇妙な服を着た男に声を掛けられたことをふと思い出す。彼はなんと言っていた？
――
ああ、そうか。ようやく私は自覚した。
その機体の視線はゲヘナでもクリスでもなく――私にしか向けられていない。
クリスの言葉――カルト教団ドミニオンが私を狙っている――は私の中で疑いようのない事実にいま昇華した。
だが、当然湧きおこる疑問はその理由。私にはまったく身に覚えがなかった。
普通の人と私が違うところは、レガリアを持っていること、コードキャストを使えること、そして現実の肉体に戻れないことくらいなのだ。
……うーん、前言撤回！ 結構あるね。
モブの機体から通信が届く。
「――僥倖ッ、これが私の運命力であるぞ。
強烈……ドミニオンってみんなこんな感じなのだろうか。錯乱しているとしか思えない言葉の羅列。私は女神の使徒なんて大それたものではないというのに……。
――誘いに乗ったらどうなるのだろう。私は通信を飛ばす。
「無論、賓客として扱い、しかる後に生贄にします」
これは酷い。なまじ丁寧な分、狂気が際立っている。
話し合いは通用しなさそうだ。そもそもシュミクラムで訪ねてくる宗教家相手にそれを望むのも間違っていると思うが、戦う道しかないのだろう。
そう決心し、私はモブシュミクラムと相対した。
その時――クリスが私とモブの間に立ちふさがった。
まるで盾になるかのような意思表示。
「聞き捨てならないわね」
「あなたは誰ですか」
モブは初めてクリスの存在に気付いたかのようだった。口調の中には私との会話を中断させられたことに対する苛立ちが僅かに混じっている。
クリスは、呆れたように首を振った。
「聞いても意味ないわ」
「ほう」
「――あなた、死ぬもの」
言い終えるや否やモブの足元一帯に閃光が走る。同時に爆炎がモブの脚部を直撃し、衝撃が機体を宙へと浮かせた。
恍惚とした表情でモブが叫ぶ。
「これが――原初の火！」
「いいえ、ただの地雷よ」
狂言に付き合う気はない――クリスは冷たく言い放つ。この地雷は彼女が白野とのシュミクラム戦に備えて準備していたもう一つの武装だった。
致命的な損傷を与える事は期待できないが、決定的な隙を作ることには定評がある。view_mapで周囲を確認していない状態の白野では回避することは難しかったはずだ。
彼女はそのまま片手の
思わず苦悶の声を漏らす彼は錐揉み回転で吹き飛び、地雷の残り火が揺れる床に叩き落とされる。ただでさえ地雷の衝撃で脚部のあちこちに亀裂が走っている。その上短針に身を貫かれ、その苦痛に苛まれる状態では立ち上がれるはずもなかった。
だが、彼はそんな道理知ったことではない。
◇
それは炎の中で再誕する不死鳥のようだった。両腕を天に掲げながら立ち上がる姿は真に宗教画。彼を衝き動かす原動力はただただ内なる信仰心、灰色のクリスマスで失ったものを求め破壊活動に邁進してきた痛々しい狂信者の集大成がここにあった。
心中で彼は高らかに鬨の声をあげる。
――真の世界におわす
目標はただ一つ、
どうやら彼女は二人の従者を連れて来たようで、このまま教団本部にお連れするのは難しいだろう。ならば次善の策――ここで命を戴くほかない。
彼は虚空から取り出した一振りの長刀を握りしめ、構えた。
――参る。
地面を蹴って、彼は走る。
一歩一歩脚部が砕けていく。飛来する短針が何本も身体を貫いていく。だが、そんなものは些事だ。今の彼の目には
使徒は右手を前に出し、ゆっくりとこちらを指差した。同時に白い影が動線に割り込んで来る。
猛進する彼を阻む事は何者にも出来ない……だが、彼は眼を見開き、身体をぶるりと震わせた。
――何だあれは。彼の視界に突然現れたのは赤い炎。白い影が天元を突くように燃え盛る長刀を上段に構えている。あれはいけない。なぜなら――
白い影は長刀を振り下ろす。赫炎の刃濤は雷霆の勢いで大気を切り裂き、彼を破壊せんと一気に目前へと肉薄した。
ああ、なんて。
「――美しい」
地球46億年分の夕焼けを集積し、抽出したような耽美な赤。これが、真理。
なるほど、これが試練なのですね……あなたこそ――
「神父様、先にいきます」
狂信の一歩先、真実の一端に触れた彼は満足げに瞼を閉じ、斬撃に消えた。
◇
ドミニオンの機体が爆散する。
彼は信仰に命を賭け、そして、殉教者となった。
最後はゲヘナが新技でとどめを刺したが、クリスの短針を何発受けても怯まずに走り続ける姿は空恐ろしく……どこか悲しかった。
彼は本来、真っ直ぐな人間だったのだろう。だがどこかでぽっきりと心が折れてしまったのだ。
何が原因かまでは分からない。だが、悲劇などわざわざ探さなくともそこら中に落ちている時代であることは知っている。
その被害者が心の寄る辺として最後に求めるのがドミニオンなのだ。しかし、入信した人が悲しみを生みだす破壊を繰り返す。
――まるで救いのない負の螺旋だ。
私は悲しかった。
――何か出来るのだろうか、私に。
「潰すのよ、ドミニオンを」
クリス……。彼女はいつの間にか除装して私の目の前に立っていた。
彼女の目的はドミニオンとアークと言っていた。これまでの言動と行動を照らし合わせるに、彼女が彼らに強い恨みを持っていることは容易に推測できる。
私はその理由を何の捻りもなしの直球で尋ねる。
「どうして？」
「――悪だからよ」
クリスは吐き捨てた。
悪……？
「それは違うと思う」
「……彼らはあなたの命を狙っているのよ」
クリスは意外そうな顔をした。
当たり前だ、私もどうかと思う。
確かにドミニオンは私の命を狙っている……けれど、彼らをクリスの言う"潰すべき悪"と断じる事は出来なかった。降りかかる火の粉はもちろん掃わせてもらうつもりだが、彼らを打倒することは決して私のやりたいことではない。
ではやりたいこととは何か？ と聞かれると少し困る。
失くした記憶を取り戻すことを私は求めているけれど、これは不安定な状態から平衡に戻ろうとする至極当然な心の作用によるものであるため、問いの答えとしてはややずれている。
さらに深く考え、そして私は自身の欲求の一欠片を見つけ出した。
――私は現実に触れたいのだ。
現実のことを知識としてエディに教えられても、私はこれまでその目を外部に繋げたことはなかった。やろうと思えば、現実の監視網をハックして現実の風景を覗くことは簡単に出来る。でも、そんなものに意味なんてない。
誰に話しかけるわけでもなく、ただ世界を眺める。それではまるで観測者だ。現実のはずなのに出来のいい映画を観せられているような感覚にいつかは陥ってしまうことだろう。そうなれば私はこの世界を現実として認識できなくなる。さながらドミニオンの教義のようで笑えない。
私は現実に生きている人間に触れ――私が仮想で生きているという事を確認したいと思った。
無言で考え込んでいるとクリスがなんの脈絡もなく右頬をぎゅっと抓ってきた。
地味に痛い攻撃だ。堪らず私は抗議する。
「にゃにするの」
「柔らかそうだったからつい――ごめんなさいね」
悪いとは微塵も思っていなさそうな調子で朗々と謳うクリス。彼女は白い手を私の頬から放さずそのまま優しく撫でた。
「あなたは甘い。今回の
そうだ、私はゲヘナがクリスの背後をとった瞬間、確実に勝ったと思った――だが、結果として傷を負ったのはゲヘナの方だ。
私は頷く。戦場の心得が私には足りなかったようだ。思い返してみれば私は完全勝利したことがない。私の戦績を一言で表すなら戦略的撤退！ といったところだろう。
うん、これからは謙虚に戦おう。
クリスは言葉を続ける。
「これからどれくらいの付き合いになるかは分からないけれど――」
彼女は唇が触れる直前の距離までぐっと顔を近づけてくる。眼帯に覆われていない方のエメラルドの瞳が艶っぽく揺れ動いた。
「――あなたを、守るわ」
その囁きはとても甘美で、
私はその言葉の裏になにかがある事を悟りながらも、
彼女を突き離すことがどうしても出来なかった――
MATERIAL
>>特異体
クリスが呟いた言葉。
その意味するところは現在彼女しか知らない。
>>アリーナ
とある中尉と少佐が少し前に暴れていたようだ。