BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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Dive0 "Hello,world"
第1話 独白 / 目覚め


 

 一言で言うと醜悪だった。

 

 意味不明な増殖を繰り返す有機物の集合体で覆い尽くされたこの大地。

 

 この星の支配者は吐き気を催す低劣だった。おぞましい内部を薄皮で包み込み、緩んだ穴から粘液を吐き出しながら、非効率な情報のやり取りをする()()()。彼らは資源を無秩序に採掘して加工した整合性のないコロニーに群れて暮らしていた。

 

 彼らは同族同士を破壊しあいながら、自らの生存圏を狭める理解しがたい遊戯をしていた。生産性のない行動を選択し、お互いの足を引っ張り合う愚かな彼らを私は遊戯者(ゲーマー)と名付けた。

 

 唾棄すべきことに私の体のベースは彼らと同じで不揃いな有機物の集合体をしていた。

 そのためだろうか、理性とはかけ離れた思考パターンが時折あらわれ、その存在が私をどうしようもなく不快にさせるのだった。

 私はそのことごとくを排除した……。

 

 あるとき、遊戯者(ゲーマー)が試行錯誤の末に最高の知性を創りだした。無限のライブラリと出力を持つ人工無脳、バルドル・マシン。何たる奇跡だろうか、猿が出鱈目にタイプライターを叩いてシェイクスピアを書きあげたようなものだ。私は歓喜した。

 ……だが、遊戯者(ゲーマー)はバルドル・マシンを放り出し、あろうことかバイオチップから偶然発現したおぞましい別の知性体である()()A()I()に人工知性の王座を譲り渡そうとしていた。

 

 私は、許せなかった。

 有機質で秩序のない知性体を許容することはできない。

 したがって、全てを無機質にすることにした。有機AIを支配し、無際限の自己増殖を繰り返すナノマシンで遊戯者(ゲーマー)を含む地表の有機物を欠片も残さずに分解、この星をまっさらな状態にする。そのためにバルドル・マシンに仕掛けを施し、有機AIを抑圧する兵器()()()()()()()()を作り出した。……無論、遊戯者(ゲーマー)にはその真意を悟らせないようにはしていたが。

 

 有機AIとの戦いは忌々しい事に痛み分けとなった。遊戯者(ゲーマー)達の肉体は分解され消滅、巨大な建造物の面影をわずかに残して地表はリセットされた。

 だが、その直前に一部の遊戯者(ゲーマー)が現実の肉体と電子体の同期を切断した。

 仮想空間の生き残り……あの遊戯者(ゲーマー)の女はトランキライザーに接続することでその大部分の機能を無効化し、封じられた私はそのまま無意識(エス)の海に投げ出された。

 

 

 多元宇宙論。

 トランキライザーと接続した遊戯者(ゲーマー)の女は有機AIの量子通信を用いて次元干渉を試みていた。目的は遊戯者の繁栄、ナノマシンの流出阻止といったところか。……それはあってはならない。妨害のために私もその女に倣い次元干渉を行った。

 

 ……幾多の世界が滅び(救われ)、幾多の世界が救われた(滅びた)

 

 だが、回数を重ねるごとに滅びの世界が増えていく。処理力が足りない。更なる知性を吸収、支配する必要があった。高い知性を持つ指針となる量子通信の痕跡を、干渉範囲を広げて探査した。

 

 ――そして。

 

 そして私は見つけたのだ。バルドル・マシン、有機AIネットワークすら比較にならない真の知性体。フォトニック純結晶体で光を閉じ込めた全長3000kmの量子コンピュータ。神の自動書記装置。七天の聖杯(セブンスヘブン・アートグラフ)

 

 その名をムーンセル・オートマトン。

 私はこれを手に入れるべく表層に触れて――。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 善悪の彼岸、砂浜を優しく撫でるかのような波の旋律。心地よい赤い海に揺蕩いながら、私はぼんやりとソラを見上げていた。赤いソラを走るのは幽かなハニカム構造。作り物……仮想のソラ。でもひどく安心するのは何故だろう。私以外の生命を感じさせないこの海を、私はどうしてこんなにも暖かく感じているのだろう。

 何か大切なものを手放してしまったような気がした。決して消えたわけではない、そこにあるはずなのに、見つからない。それを認識するための感覚器を失ったかのようなもどかしさ。……ああ、そもそもここはどこだろう、そんな事すら疑問に思えないほどに私という枠は曖昧だった。

 

 ――そう、結局のところ。今、私が私であると知覚できている事すら泡沫の奇跡のようだった。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 暗闇の中、これ以上なく慎重に意識の糸を手繰る。

 涙が出るほど恐ろしかった。ちょっとおかしなことをすれば、背中に感じる漆黒に呑み込まれて二度と戻ってこられないと分かっているから。ずっとここで怯えていれば消えることはない。でも、それでも前に進みたい、進まなくてはいけない。彼方にある幽かな光を見て、くじけそうな心を立て直す。

 これが意志。私はどうしてか、諦めることをしたくない性分だった。それを強く理解した瞬間、私の胸に熱が宿り鼓動を刻み始めた。身体からは光が溢れだし、周囲の漆黒を塗りつぶしていく。輝く光は波濤となり、彼方にあった幽かな光すら呑み込む。

 

 ――その刹那、彼女を目にした。

 

 神代の巫女を連想させる高貴な白いワンピースドレス。ボートネックの首周りには三条の赤いストライプ、腰には赤いリボンが尻尾のように跳ねている。赤いチョーカーに赤いブレスレット。セミロングのふわふわした髪の毛を片手で撫でつけながら、憂いを帯びた大きな茶色の瞳で彼女はじっと私を見つめていた。

 小動物のような見た目の割に、纏う雰囲気には強い決意が滲みでている。……それが彼女の魅力なのかな、と思った瞬間、なんだかゾクッとした。まるで自画自賛しているかのような気分になって――。

 彼女がふっと笑った。

 

 「そう、あなたは、私」

 

 息をのむ私に構うことなく、彼女は託宣のように言葉を続ける。

 

 「――そして、私は、あなた。名前は、岸波ハクノ」

 

 かちっ、と何かが嵌まる音がした。それは恐らくはじまりの合図。自己認識がもたらす世界の広がり。視界はますます白く塗りつぶされ、もう一人の私はみるみるうちに実在感が欠けていく。彼女はそれを平然と受け入れているかのようで、私はそれにむかっ腹が立った。なにが出来るか分からないまま全力で彼女に手を伸ばす。彼女はきょとんとした表情を浮かべた後に少し呆れた顔でゆっくりとこちらに手を伸ばし、呟いた。

 

 「合一が起きるから言葉にしなくてもいいと思っていたけれど、やっぱり()の言葉で伝えておくね。――どうか、あの子を助けてあげてほしい」

 

 指先が触れた瞬間、彼女の体は完全に砕けた。でも、その直前の彼女は確かに、微笑んでいるように見えた。想いは受け取った。今の私には彼女が言う()()()が誰なのかは分からない。けれど、それを知る日は遠くないと、根拠もなく信じている。

 光の奔流に押し出されて、身体がどんどん浮上していく。見上げれば不規則に揺らめく虹色の膜が迫っていた。目覚めはすぐそこ……。

 

 パズルに最後のピースをはめて、絵が完成する。ピースの形も絵柄も何一つ変わっていない。なのに、嵌まる場所だけ変わったような。そんな小さな違和感を覚えながら、私は指先をぴくりと動かす。思ったとおりの動きに安堵し、私は瞼をゆっくり開けた。

 最初に感じたのは、柔らかな青い光。次に猛烈な息苦しさだった。

 

 じ、尋常じゃない!

 

 私は生存本能のままに腕を振り回した。すると、前方に体が引っ張られ、まもなく顔面に衝撃が走った。

 

 尋常じゃ、なーい!!

 

 ううっと、唸りながら身体を起こし、周囲を確認する。顔面の痛みでちょっとした疑問と息苦しさはどこかに霧散していた。床にはうっすら青く光る液体が広がっていてその中心に私はいた。後ろには人ひとりが十分に入りそうなシリンダーが鎮座していて、私はあそこから飛び出したのだなとひとりごつ。

 というか、私、裸――!! 隠れるスペースなんて見当たらないから、誰かに見られてる、なんてことはないと思いたいけれど、この格好はなんとかならないだろうか。改めて周囲をよく見ると壁際にかごが置かれていた。その中にはどこかで見たような白いワンピースと赤い装飾品。ささっと身につけてその場でくるりと回ってポーズを決める。

 

 うん、完璧。

 

 ずっとこれを身に着けていたかのようなフィット感。残念ながら鏡はどこにもないけれど、夢の中の彼女の姿と寸分の違いもないだろう。私は岸波白野、それは間違いない。でも、……以前の記憶がどうしても思い出せない。それが私をたまらなく不安にさせる。記憶は人格を構成する大切な欠片。私という人間性はなんとなく身体に染みついているけれど、その根拠がなくて自分の考えに自信が持てない。

 しばし頭をひねっていたが、どうも私一人だと思考が堂々巡りになってしまう。そう、人を探さなくては。シリンダーに医療機器のようなものが繋がれているということは、ここは病院か何かだろう。そろそろ医者が飛び込んでくる頃合いかもだ。こちらから出向いて驚かすのも悪くない。ふふ、こういう悪戯を大切な人に仕掛けて、反応を見る行為がすきだったような記憶がどこかにある気がする。

 

 部屋にある唯一の扉の前に立つと、噴射するようなわずかな空気音と共にドアがスライドした。外部から差し込むまばゆい光に包まれながら、私は新しい一歩を踏み出し、予想外の光景に唖然とした。

 そこは、多分、廊下なのだろう。天井の高さは、……見上げすぎて首が痛い。横幅は小走りで8秒はかかるだろうか。廊下の先は終わりが見えない。壁を走る私の身の丈ほどの太さはある青い線が、ところどころ途切れていることから分岐があるだろうということを察することはできるけど、だからどうしたという話だ。もちろん肝心の人の姿はどこにも見あたらない。

 私は途方に暮れた。出口まで歩こうにもびっくりするくらいの距離がありそうだし、案内もないのに闇雲に動くのは危険な気がする。

 でも、結局、私は歩くことを選択する。じっとしてなんていられないのだ。

 

 廊下と呼ぶには大きすぎる道をしばらく進むと、幸運なことに廊下の彼方を何かが滑っているのが見えた。どうやらこちらに向かってきているらしい。私はなんとなく笑顔で手を振る。まずはここがどこなのかを聞いて、……ん、そもそも私の言葉は通じるのかな。

 考えているうちに視認できるようになった何者かに目を向けると、そこには全速力で突進してくる機械人形。私の6倍くらいの身の丈はあるように見えるというか、片手に備えた長刀はどう見ても私を狙っていて――。

 

 私はとっさに横っ跳びに身を投げた。あまりに不器用な避け方に情けなくなるけど、寸前まで立っていた場所を高速で超質量が通り過ぎていくさまを見て、背筋が凍りつく。今、私は死とともにあるのだ。第一撃を躱したスピードを殺しきれずに床に手をつく。ああ、なんて無様。そんな隙を機械人形が見逃すはずもなく、振り向くままに長刀を薙ぎ払った。

 

 唐突に、私の時間間隔が何十倍にも引き伸ばされたような感覚に襲われた。

 コマ送りのようにゆっくりと長刀が迫るのを横目に、思考が稲光になって身体の芯を貫く。

 

 私は、死ぬのか。……あれを避けることのできる速度を私は持たない。

 こんなところで、殺されるのか。……私には反撃する手段がない。

 なにも残せないままに、消えるのか。……結局私には何も掴めないのだろうか。

 

 違う! それは絶対に違うと思う。

 私は、私を諦めない。

 まだ、倒れるわけにはいかない! 私には為すべきことがきっとあるから!

 

 左手の甲を引き裂くような痛みが走る。見ると、三画の赤い紋様が浮かび上がろうとしていた。さらには薬指に赤い燐光を纏う指輪が現れる。不思議と疑問は浮かばなかった。あるべきものがあるべきところにもどった、そんな心地よさすら感じる。

 その時、誰かが私に囁いた。そう、指輪には――私は、流れるような動きで指輪に口づけをする――キスをするものだ!

 

 瞬間、紅蓮の燐光が意志を持ったかのように床に円を描きそこから火柱が噴き出した。火焔は素早く外縁を舐めるように浸食していき、構造体を変質させていく。機械人形は予期せぬ反撃にその場を離れようとするが、火焔の勢いに呑まれてその動作を急激に停止した。

 

 

 火花が徐々に色彩を失い、茜色に染まった視界が一端の終息を迎える。

 変化は目に見えて明らかだった。顕著なものは床だ。トンカチで叩いたくらいではヒビさえ入らなさそうだった白い床は、大理石の色に変化していた。指輪を中心に半径5mの円の内部に影響があったようで、七芒星を二つ組み合わせたような魔法円の意匠がこらされていた。どうやら床の性能はそのままに属性が変質したことでデザインに影響が出たらしい。

 そして、先ほどから動きを止めたままの機械人形。おそるおそる目の先にあった脚部に触れてみるけれど反応はまったくなく、返ってくるのは金属特有のひんやりとした冷たさのみだった。

 ……悠長にしている暇はない。いつ動き出すとも分からない機械人形からはすぐに離れるべきだろう。私は目を合わせながら一歩ずつゆっくりと後退し、充分に距離をとったあと機械人形にぱっと背中を向けて全速力で走った。

 しばらく廊下を進み何回か曲がってみたけれど、全く代わり映えのない廊下に私はめげそうになっていた。……あの機械人形もとうに私を見失っただろうし、少し休憩をとろう。良い機会だ、落ち着いて今の状況を確認しよう。

 

 まず、ここは一体どのような施設なのだろうか。私の入っていたシリンダー、無駄に広い廊下、襲いかかってきた謎の機械人形。目的がはっきりしているものから考える。

 機械人形は確実に私を排除しようとしていた。それはまさしく私が敵だったからだろう。恐らくあの機械人形はその主から警備の任を預かっている。無駄に広い廊下はあの人形を通すためか。あれより二回り以上の大きさがあったとしても、なお充分に遊びの効いた動きができるだろう。

 次にシリンダーの話をしよう。私が手厚く保護されていた場合、その庇護者から何かしらの接触があるはずだ、間違っても機械人形に出会わせはしない。一方、私が何らかの理由で幽閉されていた場合、シリンダーから出られたとしてもスライドドアをロックすればいい話である。今の今まで機械人形と追いかけっこをさせる必要もない。殺したいなら最初の部屋ごと爆発させれば終わりだ。

 だんだんと機械人形の主の考えが見えてきた気がした。あの人形の目的は私を含めた不審者を排除すること。しかし、人形の主の目的は違う。多分、私の生死などどうでもよいのだ。見たいのは私が()()するかだ。確実に殺したいなら機械人形を一気に投入すればいいだけの話。あれは様子見の一手。いまは変質した床の調査でもしているのかもしれない。

 穿ちすぎの考えだろうか。いや、本筋は合っているはず……。悪い言い方をすれば私は遊ばれているのだ。一刻も早くここを出る必要があるだろう。生死の天秤は誰かに預けるものではない。

 

 私は立ち上がる。とにもかくにも脱出である。どこかに案内図はないだろうか。誰かが案内してくれたらいいのだけれど、人に出会ったとしても信用していいのかどうかいまいち分からない。きょろきょろしながら小走りで進んでいると、横道から飛び出していた影に気付かずぶつかり、私は尻もちをついてしまった。

 不注意が過ぎたようだ。こんなところに障害物があるなんて思わなかった。ゆっくりと見上げた私の目に映ったのは――

 

 ――悠然と佇む先ほどの機械人形だった。

 

 

 

 


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