両親が何故そこまで魔術に拘るのか、まだ幼かった少女には理解できなかった。
父親は当時名を馳せた人気政治家の一人で、あれやこれやと非難の的になっている国会議員の中でも評判が良く、もし与党議員であれば総理大臣になる可能性がある、とまで噂される程の逸材だった。
仕事をこなしつつ、自分たち家族の面倒もきちんと見る。そんな謂わば、政治家としても父親としても、完成された人間と言えただろう。
外の人間から見ればの話だが。
母親は、父親のような日常的にニュースに登場するような有名人でこそなかったものの、多忙極まる政治家の夫を心の底から慕い、支え、尚且つ娘である自分たちの面倒もしっかりと見る。そんな謂わば、専業主婦の理想形だった。実際、時々開かれては一緒に連れて行かされた「議員主婦の会」などというパーティでは、あらゆる議員夫人に優秀だとか、見習わなくては、などと褒め称えられていたのも事実だ。それにも母親は、驕らず謙遜的な振る舞いをし続ける。出来た人間だった。
外の人間から見ればの話だが。
少女はというと、小中高と賢く、最高クラスと言われている私立の学校に通い、さらにその中でもトップクラスの成績を修め続けた。無論、勉学だけではなく、競合と謳われていた水泳部に所属、中学三年生の時には全国大会に出場するなどと、運動神経も文句なしの満点だったろう。故に、他人からの信頼も厚く、生徒会長など当然のように努め、人々を纏め上げるリーダーとしての素質も並大抵のものでは無かっただろう。
言わずもがな、容姿端麗。母譲りの大きな瞳に、幼さの残るあどけない唇。長く伸ばした黒髪がとても似合う清純な美人であった。
まさに完璧超人。
外の人間から見ればの話だが。
「ねぇ、お父様、お父様は私に政治の道を継いで欲しいのですか?」
ある日、少女は父親に訊いた。優しい笑みを湛えた父は、ゆっくりと少女の黒髪を撫で、そっと諭すように言ったという。
「いいや、お前が望むなら、成りたいものになればいいさ。でも、その為にはいくつもの試練を乗り越えなくちゃならない。でも大丈夫だ。お前なら絶対にどんな試練でも乗り越えて行ける。なんたって、この私の一人娘なのだからね」
「はい! 私、どんなことでも、どんなに苦しいことでも、頑張って乗り越えて見せます! それで、いつかはお父様のような政治家になって、この国の政治に貢献します!」
「そうか。それは良い答えだね。お父さんは期待しているよ」
少女は心から笑っていた。
ああ、何て素晴らしい日々だろうか。
そう、私はどんな苦しみも振り切ってみせる。お父様とお母様が見てくれているなら、私は何だってできる。何にだってなれる。
「ねぇ、お母様。私はちゃんと試練を乗り越えているでしょうか?」
ある日、少女は母親に訊いた。どこまでも吸い込まれるように美しい母は、少女の頬を撫で、慈悲深いその声で、とても嬉しそうに言ったという。
「ええ。心配はいりませんよ。貴女はきちんと、逃げずに、多くの試練を乗り越えてきたのですから。これからも、迷うことはありません」
「そうですか。それは安心しました」
「でも、もし疲れて、これ以上闘えなくなったのなら、遠慮なくお母さんにいって下さいね? その時は、また別の道を考えましょう」
「はい!」
少女はそうして両親に導かれ、すくすくと育っていった。
彼女にはいろいろな試練が襲いかかった。しかし、少女はそれを諸共せず、全て乗り越えて行った。
授業参観で、少女の活躍振りを目にした同級生の親たちは次々に言ったという。
「本当に、何て出来た娘なのでしょう。自分の子どもとは大違いだわ」
そして、少女が自分たちの方を見て、キラキラと笑っている姿を見て、両親は思ったという。
『本当に、何て出来た娘なのだろうか。
_________
少女の家は、自慢の大きな和風屋敷だった。
父親の仕事での繋がりなどで、日々たくさんの人がこの屋敷を訪れていたが、少女と両親しか知りえない「
五番目の和室、その一番右上の畳を上げると、その「仕事部屋」への階段は口を開ける。
日付が奇数の日は、夜になると少女はその階段へ呑まれていく。
16歳になり、高校に入学してもその習慣は変わらなかった。
「お父様、
「そうだね。そろそろ、準備を始めないといけない時期だから少しハードなものになるけど大丈夫かい?」
一緒に階段を降りながら、父は言った。
こうして、父が帰ってきている日は父と、そうでなければ母と階段を降り、試練へ向かう。
階段を下りると、地下道がある。
ランプの青い灯りが灯ったその道を父親と並んで歩いていくと、鉄製の扉が一枚現れる。「仕事部屋」の入口だ。
きぃぃ、と金属質な音を響かせ、父が扉を押し開いた。
父が手招きをする。
「さぁ、おいで。今日も試練を始めよう」
「はい、お父様」
扉を潜り、「仕事部屋」に入ると、すぐ近くの机の上に、綺麗な石がいくつも置いてあるのが目に入った。
この石___聖星石を見ると自覚する。
____ああ、今日もまた、始まるのか。
「さぁ、今日は少し量を多めにしよう」
そう笑顔で言った父は、少女の右腕と首に二本ずつ注射をし、彼女の体内に液体を流し込んだ。
打たれると、すぐに体中に寒気が走り、かと思えば真夏のような暑さに襲われる。
今日は量が多いからか、いつもより酷い暑さだった。___まるで、口から火を噴いてしまいそうに熱い。脳が溶けそうだ。
「いいね。きちんと制御できている。では早速始めようか。本当はゆっくり念入りにやりたい所なんだけど、生憎お父さんにも時間が無いんでね」
「は......はい」
少女は父に促されるまま、部屋の奥、床に描かれた魔法陣の真ん中に立つ。意識が朦朧とするが、必死に立ち続ける。
父は、そんな少女の周りにどんどん聖星石を並べて行く。並べながら、何か呪文のような物を詠っている。
一式並べ終え、父は少女に訊いた。
「今日は随分と顔色が悪いね。大丈夫かい? 止めたければ言ってもいいんだよ」
とても、とても優しい声だった。しかし、少女は意識を手放さない。
手放すわけにはいかなかった。なぜなら____
「それじゃあ、今日も始めようか。今日の触媒は_____
___そうだ。私は試練を乗り越えなくてはならない。あの失敗した姉のような末路を辿らないために。
少女は父から、実の姉の脳の一部を受け取り、無表情で、何も考えずそれを口に入れた。
「さぁ、噛んで。ゆっくりと咀嚼するんだ。焦らなくてもいいぞ。まだ数はたくさんあるからね」
地獄だった。
何故こんな真似が___自分の娘に、
自分は愛されている。父と母の言う事をきちんと聞いて、試練をこなしていけば、いつかまた抱きしめて貰える。
少女はただその一心を胸に、両親の拷問を、五年以上耐えてきたのである。
___そう言えば、この脳は
グチュグチュと咀嚼しながら、そんな事を考える。しかしすぐに、無意味な思考だと割り切った。姉が何人死んでいようが、父親が何人殺していようが、そんな事は今の自分には関係ないことだ。
今はただ、この最早作業とも言える拷問をこなしていればいい。
床に置かれた無数の聖星石と魔法陣が連動し、淡く発光する。
「......ッ!」
身体の中に力が流れ込んでくるのが分かる。今までで最高の量だ。だが耐えなければならない。父と母の願いに応えるために。倒れる訳にはいかない。耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ。
耐えなければ......
私は、姉が光の中にバタリと倒れて行く様子を母親と見ていた。
母親は心から残念そうに言う。
「あら。また失敗ねぇ。彼女なら耐えられると思ったのだけれど。____でも、貴女なら大丈夫よ。貴女なら、全ての試練を乗り越えて、
私は、全身から血を噴き出している姉の残骸を横目で見ながらただ、首を縦に振った。
後片づけに取りかかる父を尻目に、私と母は「
私はため息を吐いた。
____愚かなお姉ちゃん。お父様の言う事が聞けないなんて。
次回から二章です。