バーサーカーとライダーが死闘を繰り広げる中、その狂人は悠々と現れた。
その男は鬼のように斧を振るい続けるバーサーカーを至極満足気に眺め、言ったのだ。
「令呪を以って命じまぁす!! 私のサーヴァント・ヘラクレス、止まりなさい」
「......は?」
意味が、分からなかった。
あの男は、間違いなくバーサーカーのマスターだ。なのに、彼はバーサーカーがライダーを潰すのを止めた。たった三画しかない令呪を使って。
脳内警報がガンガン鳴っている。
男は、ゆっくりと、噛み締めるように言った。
「御機嫌よう、ライダーと、そのマスターよ。調子は如何でございますかな? 私は絶絶絶好調!! とぉても楽しい! そう! 貴方はどうですかぁ!」
「お前......狂ってるな......どういうつもりだ、令呪まで使ってどうしてバーサーカーを止めた!」
バーサーカーはまるで銅像のように沈黙し、ライダーはフロアに膝をついて、狂人を睨みながら激しく息を吐いている。その身体はいたる所が血に染まり、もうボロボロだった。
そして、このおかしな状況を作り出した当の本人は、本当に困ったように首を傾げている。
「どういうつもりだ、とはどういう意味でしょう? 私は、ただ貴方と
「は、話?」
「ええ。貴方は大変興味深い......それに、貴女。サーヴァント・ライダーにもお話を伺いたいのですよぉ」
狂気の眼を向けられ、ライダーは自分の血塗れの身体を庇うように抱きしめ、睨み返した。
それでも狂人は満足気に頷く。
「そうですねぇ。やはり、貴女はとても楽しい。私を楽しませてくれそうだぁ」
「おい! お前は俺に話があるんだろ?」
「はいはい、分かっておりますとも。焦らず、お待ちくださいな。順番待ちですよぉ? 横入りはいけませんねぇ」
そうニヤリと嗤い、狂人は『俺』に右手を向けてきた。牽制だ。下手に動けば殺される。この男がいくら狂っているとは言え、魔術師なのには変わらないのだ。魔術を極めたが故に狂った、などという面倒くさい設定が付いていても困る。
『俺』は黙って言われるがままにするしかない。
「ではでは、サーヴァント・ライダー。お話をしましょう。とても建設的な話です。____貴女、此方に付く気はありませんか?」
「は?」
思わず声が漏れていた。
つまりこの男はこう言ったのだ。『俺』を裏切って、バーサーカーに寝返れ、と。
「彼が令呪さえ渡してくれれば、簡単なことです。それにぃ、貴女のご協力が頂ければもっと楽に済みますねぇ。彼も死ななくても済むかもしれませんよぉ? ちょぉっと、右腕を斬らせて頂きますがねぇ。左腕もありますし大丈夫でしょう」
覆いかぶさるように、早口でまくし立てた狂人に、ライダーは震えていた。恐怖しているのだろうか。いや、それは違う。
彼女は、あまりの怒りに震えていた。
「貴方、私がサーヴァントってこと、分かって会話しているのかしら?」
「ええ、勿論承知でございます。
「このっ!!」
ライダーは旗を振り上げ、雷光を放った。しかし____。
「ふむ、これだから最近のサーヴァントは。今はお話をしているのですよぉ? 少しは弁えてくださいまし?」
がきぃん! と甲高い音ともに、全てが弾かれた。
思いがけぬ衝撃に、ライダーは言葉を失ってしまっている。何らかの障壁が狂人を守っている。それは『俺』にも理解できるが、それをどうこうするのは不可能だ。
「くそっ!」
「そう怒らないで下さいよぉ、半端者の沸点は低いですねぇ全く困ります」
聴いているこちらもイライラする喋り方。ライダーはまた怒りで震えている。
それに、この男も言ったのだ。「不完全なサーヴァント」と。
「貴方は大丈夫でも、私は直ぐにでもバーサーカーの心臓を穿てる。わかってるの!?」
彼女の声は最早悲鳴だった。尚も笑みを顔面に貼り付けている狂人は至極嬉しそうに嗤った。
「にははっ! それは面白いですねぇ! 貴女が、貴女如きの雑魚すぎクソワロタなサーヴァントがこの私のヘラクレスを穿つぅ? なるほとこれは楽しい話だぁ!」
「何を......ッ!」
旗を持ち飛び上ろうとしたライダーを、今度は諭すように狂人は笑う。
「ヘラクレスに貴女のような不完全な低級サーヴァントの攻撃は効きません。知らないのですか? このサーヴァント・バーサーカーの特性を。彼の真名をご存知だった貴女なら、きちーんと理解しているものかとテッキリ思っていたのですが? 私の買い被りすぎですかねぇ?」
「そうよ......ヘラクレスは一定レベル以下の攻撃は受け付けない。それに12の命を持つ大英雄。12回殺さないと、死なない」
ライダーは震える声で言った。そろそろ限界が近い。彼女がサーヴァントとは言え、あまりにも出血量が多い。このままでは消滅してしまうだろう。
そんな事は露も考えず、狂人の口は尚も高速で開閉し続けている。
「そうでっす!! よくできましたぁ!! 半端者の貴女にしては上出来ですねぇ。本当に貴女、誰なのですか? 魔術史や、神話は結構お勉強したはずなのですがねぇ。貴女の魔力の色はどうも分からない。何か足りません。中身だけで、それを形作るモノがないといいますか......」
だから半端者。不完全なサーヴァント。英霊として必要な「何か」が彼女からは欠けてしまっている。
「そう、貴女のクラスは本来ライダーではない......。ランサーですか? いえ、それにしては敏捷性が足りません。ではキャスター? それも無い......。その宝具、とてもアサシンの扱えるものではありませんしねぇ。ならセイバーでしょうか? 不完全な故に最優の器から滑り落ちたセイバーはライダーとなった......。そうかもしれませんね! ええ! そうでしょう!」
狂人はライダーから目を離し、視線を『俺』の方へ向けてくる。目が合った瞬間、悪寒が走った。
「さてさて、お待たせ致しました。次は貴方ですね、ライダーのマスター」
「......何なんだよ!」
「まぁそう怒らずに。先程、彼女と話しましたが、もし彼女が貴方を裏切ることに決めたのであれば、私は貴方のこの右腕を切断し、安全に令呪を頂きますのでご心配なく」
「この......狂人が」
「褒め言葉ですよぉ、それ!」
ぬいひひひ、とこれ以上無く狂ったように笑いながら、『俺』の髪の毛を摑んで、頭を持ち上げてきた。
「貴方には自己紹介をしておきましょう。私の名は、アーク=エルメロイ=ファルブラウ。片隅の魔術師でございます。そして、私のサーヴァント・バーサーカー、ヘラクレス。これは重大なネタバレですが、貴方がた二人では彼を攻略することは物理的、いえ失礼。魔術的に不可能! 無理ゲーですねー」
そして、摑んでいた『俺』の頭を床に叩きつけた。
「ッが!?」
鼻から温かい物が流れ出ているのを感じる。それに視界がチカチカして気を抜けば意識を持って行かれそうだ。
そんな『俺』は放っておいて、狂人アークは再びライダーの下へ。
「さて、主を裏切る決意はできましたか? さぞかし震えているでしょうねぇ。そう! 裏切り程楽しいものはない! 私の思うところの、世界三大愉悦の一つですよぉ? 貴女もそうおもうのでしょう? 故にそれほど震えている! 嗚呼!! 素晴らしい! 何と素晴らしき同士を得た喜びぃ!! 何とも形容し難いですねぇ」
「___」
ライダーが何かを言ったが、声が小さすぎて『俺』の耳にまでは届かない。それはアークにしても同じようで、ライダーに目線を合わせて耳に手を当てる仕草をした。
「何です? よく聞こえませんよぉ、同士」
「___れ」
「はい?」
「黙れって言ってるのよ! この下等生物がッ!!!」
「おやおや、乱暴しますか。どうやら私と共に歩む権利を放棄してしまったようですねぇ。残念。実に残念ですよぉ、殺して下さい! バーサーカー!!」
「ライダー!」
直後、三人が一斉に動き出した。
ライダーは瞬時に旗を振るい、障壁に衝撃を加える。これよって、一瞬だけ、弾かれたアークは動けなくなる。そしてそのまま反動を利用し、『俺』のいる方、無惨に破壊されたフロアの壁に向かって走り出した。
それを見て、『俺』もまた壁の穴へと体を走らせた。
逃がすまいと、バーサーカーの黄金の斧が唸り、ライダーの長い髪を掠めた。
「マスター行くわよ、掴まって!!」
「おおう!?」
否応なくライダーに腕を摑まれ、壁の穴へ一直線に引っ張られる。そして、そのまま、またもや身体を投げられた。
「うおおおおおお!?」
『俺』の身体は弧を描くように宙を舞い、丁度ビル一個分の距離を文字通り飛行した。そして『俺』の後を追うようにビルから飛び出したライダーが一直線に『俺』を空中で追い抜く。
ラッキーなことに、隣のビルは四階建て程で、五階の高さからほぼ地面と平行に跳んだライダーは屋上に着地した。
「おおおおお!?」
そして、遅れて落ちてきた『俺』を見事にキャッチした。
「っと、貴方結構軽いわね」
「お前が馬鹿力なんだよ! あとナイスキャッチ! 早く降ろしてくれ!」
誰に見られていると言う訳ではないが、女の子に俗に言うお姫様だっこをされるのは気持ちの良いものではないだろう。だがライダーは首を振った。
「何言ってるの。このままビルを跳んで逃げるわ。その度に貴方を一々投げ飛ばしていたらバーサーカーに追いつかれるでしょ!」
ということで、ライダーは『俺』を持ち上げたまま、逃走を開始した。
「ていうか、左腕! 大丈夫なのか!?」
『俺』を持ち上げている左腕は血塗れの彼女の身体でも一番黒く汚れている。それでも彼女は『俺』をその左腕で持ち上げているのだ。
「大丈夫じゃないわよ! 今は魔力で何とかしてるけど、はっきり言ってそんなに持たないわ! だからさっさと逃げるの!!」
激しく痛むのか、彼女の顔は引き攣っている。そんな彼女を見ていると無力な自分が申し訳なく思えて、如何に情けないかを思い知らされる。
「......悪い」
「何しょげてるのよ。私はサーヴァントなんだから、マスターの貴方を守るのは当然でしょう!」
こんな何の支援もできない、足手纏いのマスターでごめんな、と言ってしまえば楽だったかもしれない。けど、それはこれほど頑張っているライダーに対して、あまりにも失礼に思えたから『俺』はずっと口を噤んでいた。
自分は何故、聖杯戦争に参加したのだろうか。度々思う。
けれど、今の『俺』は明確に願っていた。
___強くなりたい。あの狂人を一瞬で黙らせられる程強くなりたい。そして、俺はちゃんと彼女と一緒に闘いたい。それが、本当のマスターとサーヴァントの絆のはずだから。
けれど、それを叶えてくれる万能の器は、永遠と思える程に、遥か彼方にあるのだ。
陽は既に落ち、アラクリアの街は月明かりに照らされている。
無人のビル群には灯りが灯り、されど住むべき人はおらず、音も無い。
遠くの森から、銃声が微かに聴こえるも、街の沈黙に掻き消された。
そんな夜を二人、傷を負って駆け抜けている。
逃げる。どこまでも逃げる。
弱いから。自分が弱いから逃げる。
彼は嘆く。
どうして、己は力を示せない。己は何者だ。どこから来て、どこへ行く。何のために、闘うのだ。己は何を、その器に望んでいたのだ___
不穏な陰りと共に、聖杯戦争三日目は終わる。
名無しのマスターと半端者のサーヴァントの闘いは、まだ始まったばかりだ。
短いですが、これで一章本編終了です!
感想や問題点はどんどん仰って下さいまし。