リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第10章 9

第10章 牢獄都市 潮打ち 9

 牢獄都市は四角推台、ピラミッドの上部を底と並行に切った上で逆さにしたような形をしているため、下の階へ行くほど外縁部の全長が短くなり、最下層と一階とを比べれば平面としての面積には大きな差がある筈だが、実際にそれを目にしたところで牢獄都市の底は王城の庭園と同程度の規模であり、人間ほど小さい生物が違いを実感するのは難しい。

 リフトから降り、そこからまっすぐに数歩進み、何とはなしに視線を下に落とす。

 地面は壁と同じく、荒々しく削り出された岩肌が剥き出しになっていた。この広大な空洞を造り出す上で用いた道具は如何なるものであるのか、それを知ったとて別段得るものはないかもしれないが、あまりにも見当が付かなければ気掛かりにはなる。

 想像を弄ぶだけでは糸口すら掴めはしないだろうと、その場に屈んで地面を軽く撫でた時、何故か脳裏に思い浮かぶものがあった。

 林檎、その齧られた跡。それがこの岩肌の有り様に近しいものであった。

 視界の端に白い巨躯が入る。徐に顔を上げ、不死人が見たそれは、人間のような歯を綺麗に並べる口を収縮または折り畳みながら常に動かし、また目が眼窩から存在していない白い生物であった。

 牢獄都市の底にどこからともなく現れたこの怪異は、顔や口の形状だけを見れば中央広場に出現した真っ青な肌の巨人と酷似しているものの、あれ以上に人間とは掛け離れた形状をしており、得体の知れなさでは勝っている。

 細く痩せ、あばらが浮ぶ胴から伸びる手足はまた細く、それぞれが牢獄都市の底から一つ上の階に届きそうな程の長さを有しており、そして四肢の数こそ人間と同じではあったが、付け根や膝などの関節部分はまるで逆向きであるため、底を四足で這う姿は哺乳類や爬虫類にすら似ず、どちらかと言えば蜘蛛のようであった。

 「ぐっ、ぐっ、ぐもももももっ」

 その生物の呼び名を選ぶのであれば営みに倣い、闇を削る者としよう。

 響かせた声は牢獄都市の看守のものと似通っており、口元にはやはり薄汚い泡が纏わりついていた。この点は潮の満ち引きがあるこの場所に適応した者達に共通する特徴であるのかもしれない。

 魔術師のロングソードを両手で構え、闇を削る者と対峙する。

 現段階では戦闘の方針を定めるための情報が不足しており、また敵の口は高速で伸縮する構造と思しく、軽はずみに近付くような真似は避けるべきである。時間を消費するほどこちらが不利になる状況ということもないため、まずは相手を知ることが先決であり、そしてその為に行動を誘い出す揺さぶりを仕掛けるべきか。

 始めに魔法を。不死人はロングソードで詠唱を行い、ソウルの矢を放つと、それは闇を削る者の頭部に命中、相手は少し怯むような仕草を見せ、命中した箇所に傷らしきものも生まれていた。

 どのようにして無力化するのか、その期待をあっさりと裏切られた形となった。あまり耐性がないのか、効果は十分に認められ、このまま魔法を撃ち続ければ斃せるのかもしれない。しかしながら、今後の展開が読めない以上、この敵に関する知見は拾えるだけ拾うべきであり、次に不死人は聖職者のウォーハンマーを構え、鈴を鳴らす。

 そしてこの動作を隙と見たか、闇を削る者は俄かに走り出して不死人へと迫り、だが伸縮する口で喰らい付くより前に詠唱は完了していた。敵の攻撃を避けた直後、ウォーハンマーで地面を叩く。

 岩と重厚な鉄とが打ち合って鈍い音を発した直後、そこから生まれた光る小さな白い文字は走り出し、標的たる白い巨躯の身体に這い上がるとその動きを止め、拘束の効果を齎していた。

 それこそ図体の大きな手合いであれば力ずくで振り解くと予想していたため、不死人にしても僅かに反応は遅れたものの、すぐに意識を切り替えれば敵は未だ隙を残していた。横腹に近付き、左手のロングソードで柔らかな表皮を斬り付ける。

 赤い血が飛び散り、闇を削る者が少し姿勢を崩す。物理攻撃、魔法攻撃、そして特殊な魔法効果のいずれもが通用するのは想定外ではあったが、勿論それ自体は好都合である。このまま畳み掛けるべきかとロングソードを振り上げ、しかし不死人の頭上に影が降りる。

 闇を削る者は自身の脇腹の辺りに居る小人を潰すべく、腕を大きく振り上げていた。だがその手の攻撃は見飽きるほどに対応したものであり、不死人は思い切り叩き落とされた腕の軌道を読む事に成功。回避しながら相手の胸元に潜り込み、視界から逃れる。

 攻撃が空振りに終わった闇を削る者は不死人の姿を見失い、その場で周囲に視線を巡らせるが、その時には既に魔術師のロングソードによる詠唱を完了させていた。ソウルによって生じた巨大な剣を上から下へ振り抜く。

 意識外からの攻撃であったが故か、筋肉の緊張も無い身体は容易く青い大剣の侵入を許し、腹を大いに捌かれた闇を削る者は数歩よろけながら血と内臓を落とし始め、尚も後退しようとするが臓物を内側に留める術を持たずに失い続け、遂にはその場に蹲り、やがて息絶えた。

 この生物がこの場のゲートキーパーを担っているのかと思えば、やや肩透かしな終幕ではあった。だが改まって己の状況を顧みるに、この牢獄都市に着いてからというもの、もう長いこと篝火を目にしておらず、身体を休める暇も無かった。牙猪の戦士も牢獄都市の看守らも強敵であったためエストなど消耗は激しく、この辺りで休息することを考えるべきか。

 だが探索するべく歩き始めようとした時、漠然とした気配がどこからか現れていた。

 数が一つ、三つ、六つと際限無く増え続け、いずれも不死人に視線を注いでいるらしく、その出所を辿って上の方を眺めると、牢獄都市の底よりも一つか二つ高い階層の通路に隠れ潜んでいたのか、そこから蛆が湧くが如く、闇を削る者達が溢れ出していた。

 今や十匹もの数が揃った彼等は規律なくそれぞれが自由に行動しており、こちらを遠巻きに観察する者や、気ままに上の階と下の階の行き来を繰り返す者、或いは悠長な歩みで不死人に近付こうとする者など、様々であった。

 この中で注目しなければならないのは、逃げ場の無い戦いのリングと化した牢獄都市の底へ降りた二匹だろう。何をするにせよ体格も数も勝る相手と相対するなら攻撃を止めるための手札が必要であり、不死人は急ぎ一時的な平和を用意すべく、聖職者のウォーハンマーで詠唱を行う。

 これが完了すれば、次にこのごく不利な状況を具体的にどのようにして打開するかの絵図面を脳内に描かなければならないが、こちらににじり寄る二匹の闇を削る者達との距離はあまり離れておらず、これ以上放置するのは危険であった。前後左右に迫る影が無いか警戒しながら、二匹との距離を一定に保ち、ソウルの矢を放って牽制する。

 間断なく放たれる青い光は二匹の闇を削る者へ交互に命中し、体表に傷も作ってはいるが決して大きいものではなく、これだけでは致命傷には遠く及ばないだろう。ただ幸いにも、魔法による攻撃は今のところ敵の気勢を制する役割は果たしているらしく、闇を削る者達との距離は保たれたまま、彼等へのダメージは蓄積されつつあった。

 だがそれは、苛立たしさの蓄積と同義であったか。

 「ぐぶぶぶぶぶっ!」

 唐突に片方の闇を削る者が鳴き、ソウルの矢で撃たれるのも構わず不死人へ向かって猛突進する。大きく開いた口をこちらと同じ高さにして走る姿は凄みや迫力があり、出来るだけ確実な対処を行う必要性を直感したため、止むを得ず不死人は敵がある程度こちらに近付いた瞬間にウォーハンマーで地面を叩き、一時的な平和を発動。これによって相手の突進を止めることに成功する。

 動きを止めた闇を削る者へ攻撃を仕掛けるべきか。刹那の逡巡は向こう側から走ってきたもう一方の白い巨躯を視界の端に捉えたことによって無意味なものと化す。

 今度の敵は回避行動によって対処しなくてはならないが、この場で相手を待ち受けて回避すれば、そのすぐ後には二匹の闇を削る者が至近となるため、ここから少し距離を取ってから回避する必要があった。不死人は走る敵に背を向け、駆け出す。

 走りながら後ろ背に敵を見るや、この闇を削る者は先程のような猛突進という程の勢いで迫っている訳ではなく、何かすれば足が止まることが予想された。よってある程度距離を稼ぐと不死人は急に立ち止まって振り返り、手早く放ったソウルの矢が闇を削る者の頭部に命中する。

 顔面で炸裂した青い光は、目潰しの効果を発揮した。上手く敵の不意を打つことに成功した不死人はそこで発生した隙を逃さず敵の真下に潜り込み、二番煎じとなるがその場にてソウルの大剣を形成すると、それを上下に振り抜いて柔らかな腹を両断する。

 白い肌に走った赤い線から真っ赤な腸が踊るように零れ落ち、続いて他の内臓も外側へと出ていく。先のものと同様、この闇を削る者もまた血と臓物に塗れながら倒れ、やがて動かなくなった。


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