リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第10章 8

第10章 牢獄都市 潮打ち 8

 まずは前提を整える必要があった。相手が発射した黒い塊が標的に到達するまでの時間を仮に四拍として、こちらは四拍目に回避行動を取らなければならず、敵はそれとほぼ同時に次の詠唱を開始する。これが連射の限界速度であり、また敵が詠唱に要する時間は一拍といったところだろうか。

 それを例えば相手が魔法を放った一拍目の瞬間にそこそこの質量を持つ何かを投げて黒い塊に当て、その空間で炸裂させることが出来れば余った時間である残り三拍と、そこで詠唱する為の一拍、更には次の黒い塊がこちらに到達するまでの四拍、合計で八拍の時間を稼ぐことが出来る筈である。

 だがこれは以前にも検討し、断念した手段でもある。その理由はそう都合よく黒い塊に当てる物など所持してはおらず、それでも捻出するとなれば数少ない手持ちの荷物の中から選ばなくてはならなかったからだ。

 一度目の前に集中し、飛来する黒い塊を避ける。それ自体は成功するが、前に転がる動作は狭い木の板で出来た道で行うには危険が大きく、ただそれだけで重大な失敗に繋がる可能性が高いため、あまり回数を重ねるべきではない。腹を括るしかないのだろう。

 次の黒い塊が迫りつつあり、不死人はこれを実行の機とすることに決める。ゆるゆると、しかし悪意を持って宙を飛ぶ黒い塊が直撃する前に前転して躱すと、それは追尾するべく縦方向に旋回し、曲がり切れずに木の板の床に衝突して霧散する。そしてすぐさま起き上がった不死人は構えを取り、牢獄都市の看守が放った次の黒い塊に向け、塔のカイトシールドを投げ付けた。

 円盤さながらに回転して飛んでいく盾は見事に目標へ命中し、黒い塊はその場で威力を発揮してしまうことで無力化されるが、その際の衝撃を支える者は不在であり、矢のように吹き飛ばされた塔のカイトシールドは遥か遠く牢獄都市の空洞の闇へと消えていった。こうなれば最早回収は不可能だろう。

 しかし思惑通り時間を稼ぐことは出来た。塔のカイトシールドを投げた直後から始めた詠唱は既に完了され、今や聖職者のウォーハンマーには奇跡の力が宿り、漲っている。不死人はそれを両手で構えたまま牢獄都市の看守に向かって木の板の道の上を走り出し、再び放たれた黒い塊を避けながらもあっという間に距離を詰める。

 そしてこちらの攻撃を届かせるにはあと数歩不足しているか、という時に牢獄都市の看守が鎌を持った右手を捻ると胴の中心から黒い球体の膜が一瞬にして生じ、だがそれを警戒していない筈がない。不死人は球体から一歩分だけ引いて回避した後、聖職者のウォーハンマーで木の板を叩いた。

 光る小さな白い文字が辺りを忙しく這い回り、牢獄都市の看守を見付けてその身体へ登り、動きを封じる。一時的な平和の効果時間はほんの僅かな間だけだが、その瞬間の敵は完全に無防備。すぐさま相手の足を掬い上げて転倒させたウォーハンマーは、続けて下に落ちた頭部に目掛けて振り下される。

 「ぶぶぴっ」

 排泄する際のような音を立てて顔面は陥没。目玉も潰れ、牢獄都市の看守は斃れた。

 難所の突破を果たしたが、その代償として替えの無い物を差し出すこととなった。一息ついた不死人は諦め悪く周囲を見回すも、長い時を共にしてきた塔のカイトシールドはやはりどこにも見当たらず、階下を覆う底の見えない闇に飲み込まれたと考えるべきであるのだろう。

 盾の捜索に見切りを付け、不死人は木の板の道を歩き出す。

 連なる木の板はあまり揃ってはおらず、粗野な部分が目立つためあからさまに素人の手による造りであることを窺わせるが、道として進む上で問題となるような地点は無く、進んでいれば程無くして終点を迎える。

 そこには下へ向かう梯子が架けられていた。下は牢獄都市入口と同じ階層であると予想され、不死人は梯子に手を掛けようとするも、だが不意に視界にそれが入り込んできたため、一旦その場に留まり、下に目を凝らす。

 梯子を降りた先の付近には、牢獄都市の看守が二匹、大きな棒のようなものが付いた装置の前で並んで立ち留まっていた。看守二匹を同時に相手取るなど、普通の戦い方では勝算などありはせず、まして遠距離攻撃に優れる彼等を前にしては、勝つどころか逃げることすらままならないだろう。

 だが棒の付いた装置を詳しく観察すると、それはレバーのように可動する部類であると推測出来たため、懇願してきた亡者のこともあり、この場所は決して無視して良いものではなく、制圧しなくてはならないようだ。

 では実際にどのようにして実行するかを検討しなければならないが、その上でこちらに大きく味方する要素が一つあり、それは二匹の牢獄都市の看守がいずれも頭上の不死人を発見出来ていないことであった。

 よって攻撃方法は成功率の高い奇襲を選択することが可能であり、しかし梯子の先がある地点は看守らの視界に入るため、行儀良く降りてから背後に忍び寄り致命の一撃、という流れは実現不可となる。

 落下攻撃で襲い、その一撃にて片割れを完全に屠ることが出来れば最上である。注意しなければならない点は、奇襲の後にはもう一方の敵との戦闘がすぐに控えており、その際の備えを用意しなければならないことだろう。

 不死人は算段を立て終えると、右手に聖職者のウォーハンマーを、左手に魔術師のロングソードをそれぞれ持ち、ウォーハンマーの聖鈴を鳴らして詠唱、そこへ魔力を滾らせた。

 そして一つ大きく息を吸い込み、梯子から足を外すことで身体は急速に落下、その勢いを助けとし、真下の看守の頭部へロングソードの刀身を深く埋め込む。剣は頭部を中央から貫き、レバーの左側に居たこの牢獄都市の看守は全身から力が抜けて地面に倒れた。

 看守の一方を無力化することに成功したらしいが、それが完全なものであるかを確かめる前に横合いで泡が立つ音が鳴り、見ればレバーの右側に居た敵がこちらに向かって黒い塊を放っていた。

 それは予想通りの成り行きである上、時間の猶予もあれば空間も十分にあるため不死人は黒い塊を易々と躱しながら接近し、その際に発動した黒い球体の膜の魔法も下がって避けるとウォーハンマーで地面を叩く。

 この時点で勝利はほぼ確実なものとなっていた。一時的な平和によって縛られ、身動きの取れなくなった牢獄都市の看守の頭に向かって不死人は聖職者のウォーハンマーの鉤爪部分を打ち込みながら、左手のロングソードは自身の右脇腹にまるで隠すようにして構え、そしてウォーハンマーを手前に引いて敵の頭部を引き寄せると、それに合わせて振り抜かれた剣が首を捉えた。

 巨大な目玉を二つ乗せる頭が高く舞い、地面に落ちて転がる一方で、泣き別れした胴は不死人に凭れかかっていた。

 自身が不死であることに関し様々な危惧は抱かずにいられないが、この時は嗅覚があまり利いていないのは幸運であったのだろう。首を失った牢獄都市の看守の身体を肩で押して捨て、頭から被った体液を拭う。

 それが終わった後、装置に向き直りこれを調べ始める。レバー上部には巨大な鐘が設置されており、おそらく牢獄都市への注水の際に鳴り響いたものと思しく、その点から見てもこの装置は海水の流入を制御するためのものと判断して間違いは無いだろう。

 木で作られたレバーが誤って作動しないよう気を付けながら、根元部分へ聖職者のウォーハンマーを繰り返し打ち込む。木は割れ、補強する板金は押し曲がり、やがてレバーは砕けて折れ、取り去ることに成功する。それの善悪にまでは関与出来ないが、これでもうこの巨大な牢獄で溺れる者は居なくなるのだろう。

 一仕事を終えたあと、不死人は周囲を観察する。

 この近くには通路や梯子とは別に扉が二つ存在した。一つは方角的に牢獄都市入りへと向かう扉であり、内側から掛かっていた鍵を解除し、それを開くと、やはり反対側から一度来た場所であったため、これにより入り口とこの付近を直接往来することが可能となった。

 もう一方の扉は破壊したばかりの装置の奥にあり、鍵の無いそれを開くと中にはリフトのようなものが設置されており、これに乗れば下まで楽に移動することが出来るのだろう。

 リフトの上に乗り、スイッチを押す。それは不死人を乗せたままゆっくりと動き出し、牢獄都市の形に合わせてか、傾斜をつけながら下へと降りていく。

 緩慢な動きであったにしても、そこから下る距離は長いものであった。リフトから顔を出して下を覗き込んでみても終着点が見通せぬほど道程は長く、自ずとこの牢獄都市の巨大さを悟る。

 牢に閉じ込められた彼等は、一体何者であるのか。リングレイの民にしては、虜囚は異常な数に上り、この地の規模から推察するに、これだけの人々を収容すれば国のあらゆる機能が停止する可能性が高く、つまりこの考察は不自然である。溝の溜まり池や貴族街入り口に積まれていた大量の檻付きの馬車が何か関係しているのだろうか。

 リフトに移動を任せるきりであるためか、思考は段々と深みに入り、だが不意に老婆の言葉を思い返して意識を引き上げる。曰く、あまり入れ込むな、である。

 考えに区切りが付いたところでリフトもまた終わり、停止したそれを降りた先は牢獄都市の底であった。


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