リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

54 / 106
第10章 6

第10章 牢獄都市 潮打ち 6

 いよいよ互いの距離は至近となり、不死人は聖職者のウォーハンマーを振りかぶった。だがそれが威力を成して敵に命中する直前、牢獄都市の看守はそれまでの詠唱と違い、右手に持つ草刈鎌のような武器を軽く捻るような動作をしてみせると、ローブを着た胴の中心から瞬間的に黒い球体の膜が膨れ上がるように出現し、不死人の身体に触れると強い衝撃を齎した。

 だが横方向へ吹き飛ぶのかと思えば、その術は上から下へ、頭部や肩、背中などに凄まじい重さを掛けるものであり、不死人は牢獄都市の看守から距離を取ることすら許されず、無防備な姿を晒してしまう。

 「ぼごっ」

 牢獄都市の看守が短く鳴き、気付けば不死人は草刈鎌のような武器で脇腹を刺されていた。そしてそれだけで終わらず、刺されたままの状態で引っ張り上げられ、次に引き倒され、地面を引き摺られてフジツボで身体を削られた後、少し遠くへ投げ捨てられる。

 尋常ではない出血量に意識が遠ざかっていた。鎌で刺された箇所よりも地面のフジツボによって負った傷の方が深刻であり、広い範囲に渡って皮膚を引き千切られたため、夥しい血が失われつつある。

 感覚の乏しい手でエスト瓶を掴み、完全に斃れる前に何とか中身を口に流し込んで繋ぎ止めながら、今の一連のやり取りを反芻する。

 敵が最後に使ってきた魔法は隠し玉として良い働きをしたが、対処が不可能という訳ではない。身体の中心から形成される球体はそこまで大きいものではなく、いくら瞬間的に展開されるとは言え、事前に予測さえ出来ていれば回避は可能である。

 やはりもう一方の魔法、黒い塊を飛ばす術こそ対処が難しく、先程は走り始めた際の距離が短かったため相手に接近することが叶ったが、今は遠く離れているため、ここから詰めるのであれば最低二回は黒い塊が向かってくることになる。

 歪曲の盾で弾くには連射性能が高く、防御すると吹き飛ばされ、回避すると追尾される。欠点らしい部分は無く、強いて言うなら旋回能力の関係か、発射された後の飛翔する速度が遅めである点であり、これを利用して飛んでいる最中の黒い塊に何かを接触させれば無力化出来るかもしれないが、実現には当てる物体が必要とされ、不死人はそれを持ち合わせていない。

 溢れる思考の中に決定的な要素は見付からず、だが不死人はその内のいくつかに閃きを見出す。回避、旋回能力、接触による無力化。これらの要素が想像の中で組み合わさり、ここに策が生まれる。

 未だに余裕を見せ、追撃を仕掛けようとしない牢獄都市の看守を横目に、不死人は聖職者のウォーハンマーで詠唱を行い、それが整うと敵に向き直り、歩き出す。

 一歩二歩と進む度に徐々に勢いが乗り、歩くほどの早さから小走りへ、そして看守が詠唱し、黒い塊が発射された瞬間、駆け出した不死人の速度は最高潮に達する。

 黒い塊と不死人。互いへと向かっていく両者の距離は一気に縮まり、やがて激突するかという刹那、その段階にあっても防ぐ事も左右へ避けようともしなかった不死人は、素早く前に飛びつつ転がった。

 すると黒い塊は一度不死人の上を通過し、直後に標的を追尾しようと下方向へと曲がるものの、その先にあるのは地面であった。フジツボと海草の床に衝突し、黒い塊は霧散する。

 諸々を数値化出来ないため、実際に出来るかどうかは自身の感覚で判断しなければならなかったが、試みは成功したようだ。追尾性能に優れるとは言え、旋回速度や旋回する際の角度に限界があれば、黒い塊は今のような回避行動を取られた場合曲がり切ることが出来ないらしい。

 正解の対処を見付け出した不死人は前転から勢いを殆ど殺さずに起き上がり、そのまま走って牢獄都市の看守に迫る。敵は再び口元に泡を垂らし、鎌を振って黒い塊を飛ばすも、一度避け方を覚えてしまえば再現が難しいということはなく、もう一度前転して躱し、するとあと数歩でこちらの間合いに相手が収まるという所まで接近することが出来ていた。

 手首を捻って発動する魔法を警戒する必要は無かった。不死人は接近し切る直前にウォーハンマーで地面を叩くと、一時的な平和の効果を周囲に広げ、牢獄都市の看守の動きを封じていた。

 それから詰め寄り、まず相手の態勢を完全に崩すべく聖職者のウォーハンマーを相手の足目掛けて振り抜き、後頭部から地面に落とす。そして間髪入れず、両手で握り締めたウォーハンマーを高く掲げると、直後に敵の顔面へと向かって振り下ろした。

 「ぶぴぴっ」

 それは鳴き声ではなく、内臓か粘膜が含んでいる体液が外に迸る音であった。牢獄都市の看守は見るからに大きなダメージを頭部に負い、しかし用心のため不死人はもう一度ウォーハンマーを振りかぶり、叩きつけた。

 巨大な目玉が二つとも弾け、中に入っていた黄色い液状の何かが撒き散らされると、フジツボに吸われて消えていく。異形の看守は、最早二度と動く事は無かった。

 この看守も、元は人であったのだろうか。嘲笑う仕草などには人間の面影があったが、だとすれば何故このように異様な姿へと変わったのか。

 単に変異を強要されたにしては、おそらくこの姿は海水が満ちて引くこの場所に適しており、虜囚とは立場の違いが明確にある。だが仮に病院に居た患者達のようにこれが同意の上での変異であったとして、看守となるためだけに姿を変えたのだろうか。あまりに取り返しの付かない形態のように見受けられるが。

 躯を検分したところで正体は分からず、だがそうして経過した時間が戦闘で猛っていた気を落ち着かせた。探索を再開しようと一歩を踏み出し、しかしその時左の壁にある牢の一つで何かが動き、物音が立つ。そちらに顔を向けたところ、亡者が一匹、牢の柵をやせ細った両手で掴み、虚ろな目で不死人を見ていた。

 「なぁ、頼む、あんた」

 彼の言葉は弱々しいものではあったが、しっかりと言葉の体を成しており、それだけで正気を保っていると決めつけるのは早計だが、完全に失っている訳でも無いようだ。

 「レバーを壊してくれ。溺れるのは、とてもくるしい。もう、いやなんだ」

 海水で湿っているにも関わらず、その唇は乾いて割れ、そして震えていた。

 「せめて、死ぬことさえ出来たなら、全て、夢の泡と消えるのに」

 不死の人々の願いは大抵が死ぬことだろうが、ここに閉じ込められた者達はそれを奪われた挙句、水死による想像を絶する苦痛と恐怖に延々と苛まれている。故に彼はなによりも優先して海水が入って来ることが無いようにして欲しい、という意味を込めてレバーとやらの破壊を懇願しているのだろう。

 どちらにせよこの牢獄都市にまた水が注がれるようなことがあってはこちらも溺れてしまうため、この亡者の言うレバーは破壊する必要がある。不死人は亡者に向けて了解の意を示す手振りをして見せると、牢の前から立ち去り、再び通路を歩き始めた。

 そこからまっすぐ進んでいくと通路は右に折れており、そこを曲がってからまた道なりに進むと更に下へ降りるための階段を見付ける。牢獄都市入り口を一階とするなら、現在が地下一階、下に降りれば地下二階となる。牢獄都市の一番底まで、果たしてあとどれほどの階層があるのだろうか。

 海草が折り重なることにより柔らかな感触を足に伝える階段を降りていくと、次第に周囲の明るさが失われつつあった。それもその筈で、一階より下は水が入るため松明等を設置出来ず、上からの灯りに頼る他無いため、そこから遠ざかれば暗くなって当然だろう。

 程無くして階段を全て降り、地下二階に到達すると、何か重い物を引き摺るような音が不死人の耳に届く。物音のする方へ首は向き、そして目はこちらに向かって歩く一人の牢獄都市の看守の姿を捉えた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。