リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第10章 5

第10章 牢獄都市 潮打ち 5

 水を入れたり抜いたりしたのには、一体何の意味があったのだろうか。ともあれ先へ進むことが可能になったらしいため、不死人は牢獄都市入り口から見て左右から広がる通路の、右を選んで進んでいくことにした。

 しばらく真っ直ぐ歩き続け、しかし景色は代わり映えしようもなく、特に目を引くものも無い。通路の右には濡れた岩肌があり、左には果てしなく下へ続く空洞と、今はそこから引きつつある水ばかりが目に入る。

 更に進むと通路は直角に左へと折れているようではあったが、その先には鉄の柵が設置されており、それ以上進む事は出来ない。柵には扉が付いているようだが、向こう側から施錠されているらしく、これが開くことはなかった。引き返す以外に選択肢は無いが、このままなにもしなければ無駄足であるため、柵の隙間から向こう側を覗き込み、その様子を観察する。

 亡者、なのかどうかも分からない、遠くに人影が二つ、何か大きな棒のようなものが付いた装置の前に並んでいた。装置の正体は不明であり、人影もあまり細かい部分までは判別出来ず、どうやら彼等が黒い服を着て暗がりに佇んでいることもその一助となっているようだ。

 現状で分かる範囲での観察を終え、不死人は踵を返す。来た道を戻り、そして牢獄都市入り口を通り過ぎ、そのまま直進していくと、先程と同じくらいの距離を歩き終えた頃、今度は通路が右へ直角に折れている場所に差し掛かる。

 そこには道を塞いでいるようなものは置かれていなかった。曲がり角ではあるが、右に壁は無く広大な空間が存在するのみであるため特に死角に注意を払うこともなくそこを越え、さらに真っ直ぐ進んでいくと、程無くして通路の右端に下へ降りていく階段を見付ける。

 迂闊に下の階へ行けば、急に上がってきた水に飲み込まれるのではないかという懸念があった。だが階段を降りずに通路を真っ直ぐ向かった先に目を凝らすと、どうやらそこにも鉄の柵が設置されており、先へ進むことは出来ないのだろう。従って、この階段を使う以外、先に進む道は無いということになる。

 水に触れたばかりで湿った、やはり石を削りだして造られた階段を降りていく。するとほんの数段降りただけで、階段を含む、地面の様子がそれまで居た場所とは一変し、またその変化を感じ取ったのは視覚よりも足の裏の触覚が先であった。

 地を踏み締める度、大小様々な凹凸がそこにあった。正体を確かめるべく足元を注視すると、階段より下の地面にはフジツボの一種と思しき貝類が敷き詰っており、その他にもまるで人間の長い髪のような細い海草が群生していた。

 つまりここに流れ込んで来る水はただの水ではなく、海水であるのだろう。この牢獄都市がどのような構造であれ、リングレイの北は海に面しており、そこから海水を入れる事は決して不可能ではない。

 潮が運ぶその生物達が所狭しと並ぶ様は見た目が悪く、大抵の者が嫌悪感を催すだろうが、先を急ぐ不死人にとっては瑣末なこと。階段を降りて下の階に至り、周囲を観察する。

 そこは一階と同じように右が空洞、左が壁の通路ではあったが、壁の側には一つ一つが狭く造られた牢が並んでおり、それは視線が闇によって途切れない限りずっと続いているようであった。

 やがて不死人は歩みを再開する。

 水気の篭もった足音を立たせながら通路を道なりに進み続け、時折左に並ぶ牢の中で亡者達が咳き込み、吐き戻し、嘆く姿が目に映る。海水に沈められたせいなのだろう、いずれも相当に苦しんでいる様子である。

 そして阿鼻叫喚の牢が並ぶ先、通路の奥に牢の外に居る者の姿を不死人は見付ける。それは黒いローブを着用し、虜囚でない筈が何故かその上から鎖と錘を巻きつけ、また熱心に牢の中で苦しむ亡者の姿を観察していた。

 こちらに気が付いたのだろうか、それが振り返り、顔の正面が向く。濁った色の水晶のような目玉が二つ、顔面の八割を占める大きさのそれがまるで頭の上を見ているかのような向きで付いており、その下には細長い歯を並べ、笑みを浮かべるように端を吊り上げている小さな口が一つあった。

 「ぼっ、ぼぼぼぼっ」

 人としての原型を大きく損なった怪異、牢獄都市の看守は不死人を見付けるや否や、大きな泡が水の底から湧きあがる際の音のような声で鳴き、右手に持つ草刈鎌の柄を長くしたような武器を軽く振り上げる。そしてそれを上で静止させたまま口元に泡を立たせ、その後振り下ろした武器の先は不死人に向いており、そこから黒い塊が飛び出す。

 老人貴族やロングソードを扱う王城の騎士、そして不死人も使う闇術である闇の玉と目の前で敵から飛び出した黒い塊は酷似していたが、それよりも痩せ細っており、飛ぶ速度も遅かった。見切って避けるに何ら問題は無く、黒い塊が一定の距離に近付いてきた瞬間、横に飛んでやり過ごす。

 だが衝撃に見舞われ、吹き飛ばされた不死人は牢の一つに叩きつけられる。

 その特性は予想に無いものであった。黒い塊はこちらが回避した直後、標的を追尾し、身体の側面に直撃したようだ。今回は牢に打ち付けられるだけで済んだが、仮に反対側に避けていたとすれば空洞の側に吹き飛ばされ、底へ向かって落下していただろう。

 牢の柵に手を置き、身体の姿勢を整えながらエスト瓶で傷を癒す。どうやら今の敵の魔法は旋回性が高いため回避が難しく、また防御するにしても闇術特有の重さがあり、下手をすれば盾ごと押し込まれかねない。

 厄介な攻撃であり、このような手合いにはこちらも魔法を使用して対抗するべきだろう。

 不死人は魔術師のロングソードを鞘に仕舞うと背中のベルトに取り付けていた聖職者のウォーハンマーを取り、それを構えると詠唱を始め、完了するとウォーハンマーで塔のカイトシールドの縁を軽く叩いた。

 魔力は塔のカイトシールドの表面を走り、飲み込んでいく。それを横目で確認すると、不死人は盾を構え、牢獄都市の看守に向かって走り出した。

 「ぼぼっ」

 耳朶にまとわりつくような鳴き声を発しながら看守は口元で泡を立たせ、鎌の先をこちらに向けると先程と同じようにそこから黒い塊が飛び出すが、不死人はそれを避けようとはせず直進すると、衝突する直前で盾を前に出す。

 衝突の瞬間、翳した塔のカイトシールドの、表面に広がっていた黒い煙のようなものが牢獄都市の看守によって撃ち出された闇を軽々と弾いていた。

 これは歪曲の盾。闇の盾と同じような発動の仕方の術であり、防御した魔法を一度だけ弾くことが可能な、奇跡の触媒で行使する闇術である。

 敵の魔法を不発にした不死人はここから一気に勝負を畳み掛けようと、さらに足を速めて牢獄都市の看守に接近を試みようとし、だがその瞬間敵はもう一度口元で泡を立たせ、鎌を振っていた。

 敵の動作は黒い塊を飛ばす魔法の詠唱と思しく、それはあまりにも早過ぎた。非常に高性能の魔法であったため、続けて使えるようなものではないと踏み、突撃していたが、その予想はあっけなく裏切られる。この時点からではこちらも詠唱を始め、もう一度歪曲の盾を付与しようにも間に合わず、向こうの黒い塊が着弾する方が早いだろう。

 ここに至っては腹を括る他にない。不死人は引かず、今にも詠唱を終える看守との間合いを詰めようと全力で走り、だが武器の殺傷圏内に敵が収まる前に黒い塊が放たれる。

 回避は難しく、であれば防御しか選択肢が無いため、不死人は黒い塊を塔のカイトシールドで受け止めるが、予想を遥かに上回る重さは気力で堪えられるものではなく、成す術なく盾ごと吹き飛ばされてしまう。

 これにより敵との距離がまた開き、しかしここに追撃される可能性もあるため、迅速に起き上がって牢獄都市の看守を見据える。

 「ぼぼぼぼぼっ、ぼぼぼぼっ、ぼぼぼっ」

 嘲笑っているのだろうか。牢獄都市の看守は魔法を詠唱するような素振りを見せず、口元に泡を滴らせるばかりであり、不死人はこの僅かな時間を最大限活用するべく聖職者のウォーハンマーの聖鈴を鳴らして詠唱し、塔のカイトシールドの縁を叩いて歪曲の盾を用意する。

 そして牢獄都市の看守に向かって一直線に駆け出すと、それに合わせて相手も詠唱を始め、フジツボの付着した武器をこちらに向ける。

 この時点で既に先程こちらが仕掛けた時よりも距離は近く、やがて放たれた黒い塊を歪曲の盾を用いて弾き飛ばすと、残り七歩程詰めるだけでウォーハンマーは看守に届き、それは相手が再び黒い塊の魔法を撃つよりも早いだろう。


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