リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第5章 アリーナ 6

 「があ”あ”あ”あ” あ”あ”あ”あ” あ”あ”あ”あ” あ”あ” !!」

 天を仰ぎ、アリーナの王は長く吼え猛る。おそらく、彼の怒りは尤もなのであろう。例え、それを向けられる者に覚えが無いとしても。

 不死人はすぐに走り出そうとするが、アリーナの王は既に両腕を振り上げており、間髪入れずそれを地面に叩き付け、直後、砂塵が爆裂する。

 狙い定める工程は雑であったのか、巨人の腕は不死人から離れた場所に落ち、襲い来る砂に飲み込まれそうになりながらも、そのまま走って距離を取る。

 剣闘士達が転がるのだから、地面が柔らかな土であるのは当然だが、もしここが石畳であれば、飛び散った石塊は何者も残さず肉塊としただろう。それほどに、アリーナの王の膂力は凄まじい。

 砂塵は未だ消えず、しかしアリーナの王は癇癪を起こしたように周囲を何度も叩き、その様子を不死人は遠くから眺める。敵はこちらを見失っているのだろうか。

 ひとしきりに地面を叩いて均した後、アリーナの王は土埃の中から顔を突き出し、左右へ首を巡らせ、そうしてやっとこちらを発見すると、甲殻から甲高い音を出しながら全身を縮まり込むようにしならせ、次の瞬間には伸びきって跳躍する。

 遠近の距離感が狂う一瞬の光景の最中で、しかし危うく折れかかった心を繋ぎ、回避を試みるべく横合いへ身を投げ出す。

 一拍遅れ、不死人は砂塵に揉まれる。敵の跳躍の直撃を回避することに成功し、だがアリーナの王がもたらす暴威は余波ですら尋常ではなく、風と砂に吹き飛ばされた身体は円形闘技場の地面を転がり続ける。

 「があ”ぶっ!」

 短い叫び共に下された拳は碌に狙いが付けられておらず、だが一度地面を叩いただけでは気が済まなかったのか、アリーナの王は先程と同じように何度もその場を叩き続け、この間に不死人は走って相手から距離を取る。

 反撃など、試みる余裕は無い。隙が多い敵ではあるが、それは問題ではなく、襲い掛かる暴力の質が原因である。

 繰り出される攻撃は精度こそ欠いているものの、威力はこれまで出会った者達と比ぶべくもない。太陽を陰らせるほど高く跳ねる土を見れば、アリーナの王の攻撃はもはや自然災害の域にすら達していると言えるだろう。

 畏れを抱くのは当然であり、またそれを差し置き、策を弄したとして所詮は人の身。立ち向かうことは間違いかもしれない。

 「があ”あ”あ”あ” あ”あ”っ!」

 全身のばねをよく使った、アリーナの王から繰り出される高速の拳打を、風圧と砂塵に圧倒されながらも回避する。是非も無く不死人は砂に紛れ、そして拳を放った後の紺碧の巨体は、こちらを見失ったために土埃を叩き潰し、それを後ろ背に見ながら、走って距離を取る。

 見れば分かる通り、あの敵は怒りの最中にあるため、挙動のあらゆる部分において落ち着きが無く、特に索敵の能力を低くし、いくら優位とは言え砂埃を叩いている時は無防備である。

 とは言え問題にしているのはまさにそこで、あれだけ隙を晒しているにも関わらず、そこを攻撃するのすら無謀だと思えるほど敵の勢いが凄まじい。

 「があ”う”っ! があ”あ”あ”あ” あ”あ”っ!」

 土埃から顔を出し、こちらを見付けたアリーナの王は、叫び声を上げながら右手の鋏を大きく振り上げ、力任せに叩き付ける。

 これを横に飛んで躱した直後、吹き荒ぶ大量の砂を塔のカイトシールドである程度防ぎながらすぐにその場から移動し、連続の叩きつけ攻撃の範囲から逃れる。

 どこかでやり始めなければならないのなら、そろそろ頃合であろう。

 不死人はアリーナの王に対して大周りに走り、がむしゃらな叩き付けが行われている地点を迂回。途中で走る方向を変え、遂に紺碧の甲殻に向かう。

 荒れる砂塵の中、しゃがみ込んで地面を叩き続けるアリーナの王の足元に後ろから近付き、足首の腱の辺りに狙いを定め、ブロードソードを振り抜く。

 岩と剣とが衝突し、甲高い音が響く。

 否、岩のような甲殻であった。その時手に返ってきた感覚は予想と違わず、まず硬く、そして弾力性が無いため、剣とそれを持つ手首が痛む恐れがあった。

 その直後、アリーナの王は首を捻ってこちらの姿を見付けると、片足を持ち上げて踏み付けようとし、だが不死人は踵が振り落とされる前に走って敵から距離を取り、砂に捲くれるだけで難を逃れる。

 不死人からの攻撃は一度きりであったが、明快な答えが出た。あの甲殻を前に、通常の攻撃は無意味である。剣で削ろうが鈍器で叩こうが、紺碧の甲殻は殆ど無傷のままだろう。如何なる武器を以てしても、使い手が人間では到底破壊には至らない。

 「ぐがあ”あ”あ” あ”あ”っ!」

 叫びと共にこちらに目掛けて落されるアリーナの王の拳を避け、砂から逃れながら不死人は周囲を見る。探すのはバリスタの類だ。

 アリーナの王の身体には多数の杭が打ち込まれており、それらは甲殻を貫き、出血を強いている。人間の力を越えた攻撃力を有した何かによって打ち出されたことは明確であり、その道具を使用出来れば状況が変わる可能性が高い。

 しかしアリーナの王の続けざまの叩きつけ攻撃が終わる瞬間まで周囲に視線を巡らせたものの、それらしいものが見付かることは無かった。時間切れであり、アリーナの王は再び不死人に向かって拳を振り上げる。

 アリーナの王の狙いは良くも悪くも大雑把であり、回避した先に偶然拳が落ちてくるという状況は充分あり得る。だがそういった想像に飲まれて足腰に力が入らなければ、それこそ逃れることは叶わない。舞い上がる砂埃を背にして駆ける。

 巨大な拳を避けた後、もう一度円形闘技場そのものだけではなく、その上の観客席にまで目を凝らし、バリスタを探すものの、それらしい物は見当たらない。そもそも観客席には物が無く、探す場所自体が少ない。

 その場の土埃を何度も叩くアリーナの王の姿を視界の端に入れながら、不死人は観客席の上の方をずっと眺め、目的のものを探して後ろ歩きをしていると、不意に背に当たるものがあった。円形闘技場の壁である。

 迂闊と気付いた時には手遅れであり、そのタイミングでアリーナの王はこちらを見付け、右の鋏を大きく横に振りかぶり、勢い良く突きを放った。

 対して不死人はこれまで同様横に飛んで回避し、しかし鋏が直撃したのは土の地面ではなく硬い石で出来た壁であり、衝突した際に吹き飛ばされてきた瓦礫に襲われる。

 広範囲且つ高威力の攻撃は盾程度で防げるようなものではなく、瓦礫に全身を打ちのめされ、まるで何故か嵐の日に開花してしまった草木の花弁のように、不死人は成す術なく吹き飛ばされる。

 被害は大きく、不自由になって地面の上に転がり落ちた身体を、しかしそのままにしておくことは出来ない。不死人は砕けた関節にすら無理矢理力を込めて跳ね起き、即座に走り出すと目前にまで迫っていたアリーナの拳から逃れる。

 「げぇう”っ! ぐがあ”あ”あ”っ!」

 今の一撃で止めを刺すつもりだったのだろうか。一層勢力を増し、苛立ったように見える叫びを背に、不死人は駆けながらも雫石を使い、身体の治癒を始める。

 そうして失ってしまういくつかの貴重な雫石は、立ち回りを疎かにした代償であった。そして得られた物もない。大きな傷を負ってまで捜し求めたバリスタは、円形闘技場の何処にも無く、あの杭はここではないどこか別の場所で打ち込まれた可能性がある。

 ただ負傷し、アリーナの王への畏れが増し、そして斃す手段が無いと知る。ここで全てが終わるのだろうか。


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