粉砕、であった。
全く躊躇無く、壁の向こうから繰り出された重い何かの一撃により、亡者の頭は砕け散り、頭蓋骨やその中身は周囲に撒かれる。
不死人はすぐに頭の無くなった亡者から手を離し、後ろへ下がって塔のカイトシールドを構え、するとそれを追うように壁の向こうから出てきた巨体は大振りの攻撃を繰り出す。
咄嗟のことでそれが何による攻撃であるかの判別は出来なかったが、ともあれ不死人はその攻撃に反応して更に後ろへ下がると、至近距離にあった壁に重い何かが打ち付けられる。
攻撃が当たった壁は、殆ど崩れかかっていた。土埃が舞い上がり、そしてそれが落ちていくと、敵の正体が現れる。
普通の人間の三倍以上はありそうな体重、横幅の男であった。
下半身はみずぼらしい革のズボンを穿き、上半身はベルトを肩から脇に通す以外に何も身に付けていない。そして頭の全てを覆うだけに留まらず、乳首の辺りにまで及ぶ長い鉄の兜が特徴的であった。
「うぇっひひ」
嘲るような声音の下劣さや、姿から滲む雰囲気から察する。これは獄吏、それも性質の悪いものである。
獄吏は巨大な木の棍棒を両手で高く掲げると、その姿勢のまま不死人に迫り、やがて自分の攻撃範囲内に相手が入れば即座に振り下ろそうとした。
定石で言えば、縦に振るわれた攻撃をこちらが横に避ければ敵は側面を晒すことになり、だが獄吏が持つ棍棒は太く、狭い通路では横への回避が難しい。従って不死人は踏み込みを躊躇い、獄吏が振り下ろした棍棒の一撃を下がって回避する。
敵から十分な距離を取り、その一方、振り下ろされた棍棒は勢い余って石の床を叩き、大きな破壊音を地下通路に轟かせる筈であった。
しかしそのような音は実際には生まれず、代わりに耳に届くのはどこかで鳴った小さな鈴の音一つであり、獄吏はと言えば棍棒を床に届かせることなく途中で止め、その先を不死人の方へ向けている。
何の脈絡もなく、不死人の全身に重さが掛かる。まるで深い海の底へ、いくつも錘を付けたまま沈められているようであり、歩くどころか身を捩る程にしか身体を動かせず、そして棒立ちのままでいると再び鈴の音が鳴る。
固く閉じた唇から無理矢理息を吹き出た際に出る音を、さらに増幅させたような音が響くと、それと共に獄吏の持つ木の棍棒の先から黒い何かが飛び出し、不死人に直撃する。
碌に動けぬまま辛うじて盾を前面にしたものの、敵の攻撃はそれごと不死人を吹き飛ばし、床を転がり、壁に頭を打ち付けて止まる。
あの不快な音と共に棍棒から飛び出したのは、長く尾を引いた黒い影のようなものであった。魔法の類と思しく、発射された後の軌道は高速のため回避が難しい上、恐ろしく重く、威力がある。
不死人は傷を癒さぬまま起き上がり、無理を承知で相手の懐目掛けて駆け出す。
棍棒の物理攻撃は威力が高いが、拘束の効果を持つ魔法と、遠距離攻撃の魔法の組み合わせは凶悪である上、敵のリスクがあまりに少ない。二度とはさせてはならず、その為には常に距離を至近にしておく必要があった。
獄吏は木の棍棒、否、それに見せかけた触媒を再度振りかざし、だが不死人はそれより先に獄吏の左脇を駆け抜け、腹を狙ってブロードソードを振る。
こちらの攻撃が命中することによって触媒に付いた鈴の音は乱れ、魔法は発動しなかったようだが、腹を舐めた剣の感触があまりに鈍い。
どうやら敵の厚い脂肪が斬撃の威力を減じており、であるならそのまま獄吏の側面は後背に回り込んで攻撃を重ねたいところであるが、流石に敵の旋回の方が早い。獄吏は振り向き様に、触媒棍棒を横に振り抜く。
頭部を狙ったそれを不死人は屈んで避け、同時に敵の腹に向けて剣の一撃を軽く入れながら横を通り抜けると、獄吏との立ち位置が入れ替わる。
攻撃を軽くした理由は、急場であったことと、どの道剣が深く刺さらないこともあるが、中途半端に突き刺さり、脂肪のせいで抜けなくなることを恐れたためでもある。加えて、この敵との戦い方を既に決めていたことも関係していた。
次の攻撃に備え、しかし不死人が構えを整える前に、獄吏は横に振り抜いた触媒棍棒を引き戻さないまま柄の部分をこちらに向け、鋭く突き出した。
それまでの獄吏と違い、器用で素早く幻惑染みたその術に、しかし躊躇いは一瞬に終わり、不死人はその攻撃を塔のカイトシールドで確実に防ぐことに成功、直後敵のほぼ真後ろに回り込むと、背中をブロードソードで上から斬り付け、そして斬り上げる。
「ぐうぅっ」
同じ箇所を一呼吸の内に二度となれば効き目があったのか、獄吏は呻いて足元が揺らぎ、不死人はさらにそこへもう一度、踏み込んで若干威力を高めた剣の一振りを呉れる。
「げひぇっ、おあ”い”っ!!」
獄吏はこちらの斬撃によってまた痛がる素振りを見せるも、次にはその体格に見合った胆力で堪えてみせ、両手で持った触媒棍棒を横に振り抜く。
急であったために回避は難しく、咄嗟に塔のカイトシールドにて獄吏の一撃を受け止めるが、半ば吹き飛ばされるような形で通路横の部屋の奥へと押し込まれ、双方に距離が生じる。
そして休む間も無く、次の相手の挙動には見覚えがあった。距離が開いたままであるにも関わらず、獄吏は触媒棍棒を振り上げ、おそらく拘束魔法を使う気でいるのだろう。
他の何を差し置いてもそれだけは絶対にさせてはならなかった。不死人は五歩ほどの距離を一気に駆け抜け、しかし振り下ろされる重い触媒棍棒を受け止める術はない。故に上から下へ目の前を通り過ぎる触媒棍棒に合わせ、不死人は上から塔のカイトシールドを叩き込み、無理矢理に地面まで振り抜かせる。
触媒棍棒は眼前の石の床を陥没させ、構わずその横を走り抜けると、獄吏の側面を取って剣を構える。
致命傷を与えるのではなく、嬲り殺しにするつもりで獄吏の脂肪を浅く斬り付け、剣を返して更なる裂傷を負わせると、蓄積した負傷で血を失い過ぎたのか、獄吏は触媒棍棒を取り落した。
決着の予感が脳裏を掠めるも、獄吏は闘志を失わずに両腕で不死人に掴みかかり、だがそれを下へ潜り抜けると振り向き、無防備な背にブロードソードが大振りな一撃を与える。
獄吏は全身から血を滴らせながら数歩ふらつき、壁に右手をついて身体を支えようとするが、それまでであった。右手は血油で壁の上を滑り、獄吏は頭から勢い良く倒れ、地下通路に静寂が戻る。
獄吏が動かなくなったことを確認し、不死人は傷を癒すべく懐から雫石を取り出し、それを胸元で砕く。
強敵であったことは疑いなく、それにしても奇怪な者であった。
長く尾を引く影の塊を飛ばす業と拘束する業は魔法のようではあるが、だが下級兵士が行使していたものとは特性を異にし、第一あの獄吏が果たして亡者なのかどうか、という部分を含め、総じて得体の知れなさがあった。
自身の傷が塞がったのを見届けた不死人は、歩き出し、すぐ側にあった机の上の鍵の束を手に取る。同時に、通路の行き止まりの左右に目をやると、右に異質なものがあった。
扉の無いただの鉄の柵があるため、そこから先に進む事は出来ないが、柵の合間から奥を観察するに、その向こうにはリフトのような、鎖を使った仕掛けの置かれた部屋があった。
異質さはその大きさにあり、リフトを吊る鎖は人間の胴より太く、リフト自体に至っては家屋が一棟建って余りあるほどの空間を有している。
単に物を運ぶだけなら小分けにすれば良い。そうすることが出来ない物で、あの巨大さが必要なものとは、一体何があるのだろうか。
不穏を感じ取り、しかしそこから見える限りではそれ以上得られる情報も無い。不死人通路を引き返すべく、鉄の柵の前を去る。
程無くして階段下の十字路まで戻り、円形闘技場へ続く門に鍵の束を使用する。
束になった鍵をいくつか試すと、その内の一つに鍵穴に合致したものが見付かり、潮風で痛んだのか、鉄の擦れ合う甲高い音を発しながら、門は開いていく。
地下から抜け出し、太陽の下、観客席の前、円形闘技場の中央に向かって不死人は歩く。
空になっている観客席は広く、円形闘技場そのものよりも遥かにスペースがあり、もし隙間無く人が入れば、数千では足りず、万単位の人数が収まるだろう。
そして円形闘技場の中央には、巨大な紺碧の岩が鎮座していた。
それに向かって歩きながら、救い出した剣闘士の男の言葉が蘇り、故に避けられぬ戦いの予感があった。
近付くにつれ、それは岩ではなく甲殻の肌であること分かり、数十と打ち込まれた杭の根元から溢れる赤黒い血が、生物の生々しさを醸していた。
やがてそれは動き出し、鉄を掻くような異音を出しながら起き上がると、二本の足で直立して円形闘技場に巨大な人影を落す。紺碧の甲殻の巨人、アリーナの王である。
目はただ黒く、輝きも無く、瞳や瞼は存在しなかった。口は耳元まで裂け、鋭い牙は出鱈目に生え、自ら口の中を傷付けんばかりである。骨格そのものは人間と似通っており、しかし右手だけ手首より先が人のそれではなく、鋏のような形状をしている。
そして如何なる刑罰か、全身に打ち込まれた太い杭が、自身の甲殻と干渉し合い、少しでも身動ぎする度に不快な音が鳴り響いた。