リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第5章 アリーナ 4

 乱れた息を整える。

 順序良く敵を殲滅し、だが思い返すに今の戦いでは危うく袋叩きに遭うところであった。待ち伏せしている場に迂闊に踏み込んだことが原因であり、とは言えこれ以上は慎重に歩きようもない。

 今後もあのような場面に遭遇することを懸念するなら、携行する武器を増やすか、魔法を覚えるか、手札を増やさなければならない。しかしいずれにせよ、それはこの場で解決できる類の話ではなく、不死人は止む無く問題を保留にしたまま、通路の奥を目指して歩みを再開する。

 ただでさえ足音が反響し易い地下の通路である上、積まれた荷物や、如何にも高い音を出しそうな鉄の器具の傍を通れば身体が触れそうになり、だが注意を向けるべきは足元のみではない。通路を進む度、壁で区切った部屋の前を通らなければならないが、そこは敵が潜むには絶好の空間であり、こちらへの警戒も怠らずに足を動かす。

 やがて不死人は通路の最奥、行き止まりとそこに隣り合う部屋を調べに向かう。

 亡者や獣の気配が無いか、流れる空気に意識を集中しながら部屋の近くまで歩き、すると案の定、細い吐息がそこから漏れ出るように聞こえている。

 ゆっくりと顔だけを出して部屋の方の様子を窺うと、そこにあったもので最初に目に入ったのは、部屋の前面に設置されていた鉄格子であった。

 堅牢な造りのそれは、だが閉ざされてはおらず、扉は半ば開いた状態のままになっている。そして扉の向こうには、縄で胴や四肢を縛られ、まるで磔にされている一人の剣闘士の姿があった。

 亡者かと身構え、しかしよく見てみれば亡者のように皮膚は枯れておらず、繰り返す呼吸にも落ち着きがある。不死人は敢えて物音を出し、するとその男は顔を上げ、互いの視線が合う。

 「あ、ああ。頼む。解いてくれ」

 弱りきった身体を見れば、この男に襲われる可能性はあまり高いようには思えず、仮にそうなったとしても大した脅威ではないと断じる。

 男に近寄り、その身体を拘束する縄を全て切ると、彼は地面に座り込みながら壁に寄り掛かり、しかし最低限の礼儀だと思ったのか、こちらに顔を向ける。

 「助かった、礼を言う。これで仲間を助けに行ける」

 剣闘士の男は、凝り固まった身体を動かす度に苦痛に顔を歪めていた。

 「この恩は返したいが、貴公、この先に行くのだろう?」

 顔を顰める彼は、不死人が通ってきた通路の方に顔を向ける。おそらくこの男の言う先とは、円形闘技場のことではないだろうか。

 「彼はアリーナの王であり、そして我々の王でもあった。故郷など、既に黒い炎に焼かれて久しいが、介錯出来る訳でもないなら、彼に刃を向けることは出来ない。申し訳ないが、その戦いには手を貸せない」

 どのような事情があるのか、剣闘士の男性の話には明瞭でない部分があるものの、あまり深く聞く事はせずに、不死人は彼の言葉に頷くに留める。

 「すまない。貴公に月の導きがあらんことを」

 話を終え、不死人はこの周囲に他に行く道が無いことを確認してから踵を返し、地下通路を戻って行く。

 しばらくそのまま歩き、やがて階段下の十字路に差し掛かったところで一度足を止める。そこからはまだ足を踏み入れていない側の通路である。一つ息を大きく吐き、気を仕切り直してから踏み出す。

 同じ造りの通路の道を進み始めると、すぐ手前に並んだ木箱が少し荒れている箇所を見付け、つまりそれが先ほど背後から襲ってきた亡者が出てきた場所であったのだろう。

 音を出さないよう散らばった木片を跨ぎ、通路左の部屋に異常が無いか確かめながら通り過ぎていく。一つ目、二つ目の部屋の中には特に目を引く物は無く、三つ目の部屋にて調べる対象となり得るものを発見する。

 どうやらそれは剣闘士の遺体のようであった。身体の表面は干乾び、うつ伏せになって倒れている。通常であれば懐を調べるべきだが、しかし予感するものがあって遺体の上に飛び乗ると、首の裏を踏みつける。

 「ぐぇう」

 呻き声が出る。罠のつもりなのか、それとも単に倒れていただけなのかは分からないが、ともあれ相手は亡者である。

 優位のこの状態で攻撃しない理由は無く、不死人はしゃがみこみ、足と左手で剣闘士の亡者の身体を抑え付けながら、右手の剣で背中を斬り付け、鋸でそうするように前後に押し引いて致命傷を与える。

 「れう”っ!」

 威勢の良いその声は、当然ながら不死人が組み敷いている亡者のものではない。低い姿勢を取っているこちらの頭部に向けて振り下ろされたグラディウスの一撃を、寸前に盾で防御する。

 それまで姿の見えなかったこのもう一匹の亡者は、まだ調べていない奥の部屋より出現したと思われる。踏みつけられた亡者が呻いた際に出た声に反応して、この部屋にやって来たのだろうか。

 こちらの盾の上から両手で握ったグラディウスで押し込もうとする剣闘士の亡者に対し、不死人はしゃがみ込んだ姿勢のまま堪え、そのまま何度も盾を打たれるが、少し経って亡者の力が緩んだと見るや、立ち上がりながら敵の剣を塔のカイトシールドで弾き返し、怯ませる。

 そしてすかさず相手の腹を浅めに斬り付け、その衝撃で亡者が後ずさるところにもう一度、今度は踏み込みながら剣を振るう。

 不死人の腕に衝撃が伝わると黒い血が銀色の刀身を汚し、胸元に大きな裂傷が生まれた亡者は崩れ落ち、そのまま動かなくなった。

 ひとまずの安全を確保し、滾る身体を落ち着かせてから二匹の亡者の懐を漁る、が、やはり何も持ってはいなかった。今まで出会った剣闘士達も全て、硬貨を持っておらず、それは奴隷のような身分の者達にとって、不必要であったが故なのだろうか。

 亡者達の身体を放り、石造りの地下通路の探索を再開する。

 通路の上の方に開いた窓から光と、乾いた風と、土埃とが零れる場所をいくつか通り過ぎ、敵も無く歩き続け、だがやがてはそれも終わろうとしていた。

 間も無く通路の行き止まりであり、その突き当たりの壁の下には木で作られた安い机が置かれ、また机の上には鍵の束が乗っていた。

 しかしあからさまなそれに飛びつけるほどこれまでの旅路は楽ではなかったため、不死人は机に近付く前にその場にて耳を澄ませると、やはり微かな空気の流れがあった。

 それは部屋を区切る壁の向こう、こちら側から見て死角となる位置に何ものかが張りついている可能性の示唆であった。

 罠を解除するには、仕掛けを見抜いて作動出来ないようにするという方法が理性的だが、それは見抜ければ、或いは細工が出来れば、の話である。これが不可能であれば、次には粗野な手段が候補に挙がる。

 不死人は来た道を引き返し、先ほど斃した亡者の身体がある場所にまで戻る。

 乾いた身体とはいえ、力の入っていない身体はそれなりに重く、また手に武器を持っている関係上抱えることが出来ないため、不死人は亡者の手首を掴む。

 枯れ果て、虚ろな形相の亡者は、それを引き摺る不死人によって地下通路の奥へと連れて行かれる。

 この姿を目にして、声を掛ける者は皆無であろう。正気を残しているつもりの不死人ではあったが、リングレイの薄暗さに浸るうち、そこに受け容れられつつあるのかもしれない。

 程無くして件の壁の側にまで来ると、不死人は引き摺っていた動かない亡者の身体を起こす。そしてこれの胴を支えると、亡者の頭の先を壁の端から出してみせる。


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